初陣
俺たちは自陣に到着した。この広大な田園を挟んだ先に敵がいるらしい。確かに目を凝らしてよく見るとほんの豆粒の様な小さな人影がたくさん動いている。
「しかし奴ら数を増やしやがったな。ま、数百年も経ちゃ当たり前か。」
戦を前にしてもこの余裕ぶり、流石ガルダン爺さんだ。
「で、どうするんだ?数は敵が多いしそれに。」
俺は後ろを見るとなんとも頼りない老人達が槍や剣を持ってウロウロと歩いている。
「確かに俺たちは老いぼれだ。だが、老いぼれには老いぼれの戦い方があるってもんよ。」
爺さんは田んぼを指差す。
「戦を行う上では俺たちはこの土地を知り尽くしている。この畑はな、このケトイモを栽培するためにほぼ泥になっている。」
俺はその場にしゃがみ込んで地面に触れる。確かにかなり柔らかい泥で、鎧でも着ているものならその重みですぐにでも沈んでしまうだろう。
「俺は既に策を講じていたのよ。さあ、俺たちも戦支度を整えよう。」
俺達は自陣の天幕の中に入る。
「さ、これを着るんだ。」
出されたのは見窄らしい革鎧。作戦的には身軽なのに越したことはないがこれはいくらなんでも。
と爺さんは俺の不機嫌そうな顔を見逃さない。
「贅沢言うんじゃねえぞ。これでもお前の為に俺がこしらえた革鎧だ。」
仕方がない。
「分かったよ。着れば良いんだろ!」
袖を通した鎧は見た目では違って非常に着心地が良かった。
「ほらな、案外悪くねぇだろ。」
後ろから声が聞こえて振り向く。
そこにはゴッツゴツの鉄鎧を着ていて頭にはグレートヘルムまで被っている大男が立っていた。
「爺さん!自分だけそんなカッコいい鎧を着ててずるいぞ!」
「はっはっは。すまんな!でもその革鎧はお前の為でもある。碌な訓練をしていないお前には丁度良いものだ。戦場では身軽さが命を救うんだぜ。」
「だったら爺さんは全然身軽じゃないじゃないか!」
爺さんはその場で腕立て伏せを始める。
「この通り俺はこれを着ててもピンピン動けるからな。」
「ぐぬぬ。」
「お前には数十年早いわ!!」
爺さんはいつものようにガッハッハと笑う。
戦を前にしてのこの余裕。かなりの修羅場を乗り越えてきたのだろう。実際鎧を見ると無数の傷跡があり、数多もの戦場をこれで駆け回ったのだろう。
「よし初陣祝いだ。」
爺さんは箱から一振りのショーテルを取り出す。
「前々から鍛冶屋に頼んで作って貰った業物だ。いずれお前にやるつもりだったがこんなに早いとは思わなかったな。」
俺はショーテルを受け取ると皮でできた鞘を取り外す。
「タヌスはそれはもう立派なショーテル使いだったよ。数百年前、卑術師でない時は剣士だった。舞うように敵を屠る様には俺ですら見惚れたほどだ。」
俺はショーテルの刃の波打った美しい紋様を見つめる。それはキラキラとしていてとても美しかった。
それを見て、俺は今一度覚悟を決める。じいちゃんのような立派な卑術師になると。
その覚悟が分かったのか爺さんは。
「お前もそうなれ。ゲルマよ。」
「ああ。勿論だ。」
「よし。」
その瞬間。
「敵が動きましたぞ!」
伝令兵が天幕の中に入ってくる。
「やろうぜ。ゲルマよ!」
爺さんは自分の身の丈はある大きなハルバードを担いで天幕を出る。それに俺も続く。
先程までのほほんとしていた老人達はどこに行ったのやら皆んな背筋を伸ばして戦う男の貌になっていた。
そのまま俺たちは隊列の最前線に行く。
敵陣の方を見つめると敵は既に隊列を成してこちらに進んできているようだ。
「待とうじゃないか。奴らの足が泥まみれになるのを。」
爺さんは手を軽く上げる。すると他の兵士たちはその合図に反応してすぐ隊列を組む。
「盾構え!」
前方の一列が縦を構える。その後ろの一列は前方の一列を守る様に盾を上にかぶせた。
「弓兵!俺の合図を待て!」
後ろにいる兵が弓に矢をつがえる。
「さあ、数百年ぶりの戦だ!!やってやろうぜ野郎ども!!」
「「応ッ!!」」
敵軍はじわりじわりとこちらに近づいてきている。
敵の姿がはっきりと目視できるようになった。どうやら農民に毛が生えたような貧相な装備の様だ。
だが油断をしてはならない。油断は勝てる戦を負け戦にするとじいちゃんはいつも言っていた。
そして、敵の隊列は20メートル程にまで迫ってきていた。
「放てぇぇっ!!」
爺さんの掛け声と共に火矢が一斉に放たれる。
火矢は山なりに飛ぶと敵の隊列に目がけて着弾した。碌な装備を持っていない敵に対しては効果的面だったらしく。鍋の蓋のような盾を貫通して次々に敵が倒れていく。
「第二射!放てッ!!」
二回目の矢の雨。これが決定打になったのか敵の隊列が大きく崩れた。その機を逃すまいと爺さんは大声で。
「突撃ぃぃッッッ!!!」
そう叫ぶと、逃げようとしている敵軍目がけて自軍が突撃を仕掛ける。
「「うおぉおおおおおお!!!」」
みんなの気持ちと声が一つに重なる。
俺もショーテルを片手に負けじと声を張り上げながら敵軍目掛けて走る。
にっちゃにっちゃと足にまとわりつく泥でたまにこけそうになるが、根性で耐え抜いて走り続ける。
そして遂に俺たちの軍は敵に追いついた。
そこら中から剣と剣がぶつかり合う音が聞こえる。その中で。
「クソッッッ!!悪魔どもめ!!」
一人の敵兵が剣を片手に斬りつけてくる。
俺は左手の盾でそれを防御してそのまま剣をはじく。敵はその勢いで剣を落とした。
「うわああああっ!!」
敵は左手に持っていた盾を必死にブンブンと振り回す。暴れられるとかなり近寄りづらい。盾とはいえ当たってしまえばかなりのダメージを受けることになる。
俺は、右手を出して手のひらから毒炎を放出しようとする。が、小さな炎しか出ず、攻撃しようにもできない。
敵は狂乱しながら相変わらず盾を振り回している。俺がショーテルで斬りつけようとしたその瞬間。
ガンッという鈍い音と同時に世界が揺れた。
チカチカと目眩がしてそのまま尻餅をついてしまった。
どうやら振り回していた盾がカウンターの要領でこめかみに当たってしまったらしい。当たった部分は熱さを感じるだけで痛みはなかった。
だが隙を晒した俺を敵は見逃さなかった。
「死ねぇっ!!この化け物めぇ!!」
両手で盾を持った敵が俺の顔目がけて盾を叩きつけようとする。
「嫌だぁ!!」
俺は恐怖に目を瞑って左手を地面について右手を振り回す。
するとぎゃあああ!!という声にならない悲鳴が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、緑紫色の炎に包まれた人影が地面を転げ回っている。
人影はしばらくのたうち回ったあとに動かなくなった。その瞬間に炎が消えて残ったのは焦げて真っ黒になった人型の何かだった。
俺がやったのか・・・?
俺は自分の両手を見つめる。初めての殺人。覚悟はしていた筈だ。だが・・・。
「お、おえ゛え゛え゛ッ!」
込み上げてくる吐瀉物を俺は抑えられなかった。そのまま胃の中身を全て空にしていく。
俺はそのまま何も考えられなくなる。
「おい!ゲルマ!!しっかりしろ!!」
何だ?
「しっかりしろ!!」
何だ?
「クソッ!!」
すると頬に強烈な痛みを感じた。
「正気に戻れ!!ゲルマ!今やらなきゃ死んじまうぞ!!奮い立て!俺達の土地を守るんだ!!俺たちが愛するこの土地を!」
俺はぼんやりと周りを見渡す。俺が愛する民達が必死に戦っている。老いた体に鞭を打って必死に戦っている。それは愛のため・・・?
「よし!戻ってきたなゲルマよ!」
爺さんは力強く俺の手を握る。
「考えるのは後だ!今は戦うことだけに集中しろ!」
そのまま爺さんはその太い腕で俺を引き上げてくれた。そして落としたショーテルを渡してくれた。足元はまだふらつくが大丈夫だ。気持ちの整理がついた。
「良し!戦士になれ!ゲルマ!うおーーッッ!!」
爺さんは雄叫びを上げて敵の方へと走っていった。
こみかみから流れ落ちる血を止める為に鉢巻の要領で頭に布を巻く。
俺は先ほどの感覚を思い出して毒炎を手のひらに出す。そして手にできた毒炎の球を投げる。
毒炎の球は思ったよりも遠くに飛んでいった。
俺はショーテルを鞘に収めて背中に背負う。
そして両手に毒炎を出す。
(今はこれしかない!)
剣術がまだ大したことがない俺は毒炎球を投げることに集中する事にした。
戦況は敵味方入り乱れた乱戦になっている様だ。俺は最前線に走っていくと。敵目がけて毒炎を投げつける。
すると毒炎球は敵に吸い込まれる様に命中した。どうやら弾道が頭の中で意識する事によって変わるらしい。
右手だけではなく手右左手交互に毒炎を投げる。頭の中で弾道をコントロールして敵だけを狙い撃ちにする。
「退けぇぇ!!退却ぅッッッ!!」
そう声が聞こえた。その瞬間に敵の軍勢は完全に崩壊した。己の手に持っていた武器を投げ捨ててまで、敵の兵士たちは泥に足を取られ転びながらも必死に逃げて行った。
俺たちはその背中を見送る。そして誰かが大声を上げた。
「勝った!!勝ったぞぉおお!!」
どっと嬉しい気持ちが湧き上がってくる。そして俺も遂には感情を抑えきれなかった。
「「うおおおおおおッッッ!!」」
わあっと勝鬨の声がが上がる。老人達はお互いに抱きしめ合ったり握手をして勝利を祝っている。
まるで皆んなの声が一つの大きな竜になって雄叫びを上げているかの様だった。俺達は沈む夕日と共に熱い熱気に包まれていた。
ー ー ー
「ほう。敗れましたか。しかしこれも策略の内。」
上質なローブを着た細身の男が呟いた。
「しかし良いのか。失った兵力は多い。」
でっぷりと肥えた男がそれに対して苦言を呈す。
「ふふ。このままつけ上がらせておきましょう。奴らは既に策にはまりつつあるのですから。」
「なら良いのだが。」
「今、暗殺部隊が廃城へと向かっています。すぐに良い結果をもたらす事でしょう。」
細身の男はくくっと陰湿に笑う。
「ほら、こうやって話しているうちに。」
薄暗い天幕の中に全身黒尽くめの暗殺者達が入ってくる。そしてその首長らしき酷く痩せた男が木箱を二つ差し出す。
「ふふ。では首実検と参りましょうか。」
細身の男は箱を受け取り、地面に置いて蓋を取る。そしてその中に手を入れ、首を取り出す。
「テーシス・アワレンヌイスの首にございます。」
男は首を掲げて肥えた男の前に跪く。
「この醜き顔!間違いない!あの尊大な忌まわしきものどもの王だ!良くやった!良くやったぞ!」
肥えた男は嬉しさに醜く顔を歪ませる。
「その首は前線に持っていき晒すのだ。我々の兵士の士気も上がるだろう。さあ、急げ!」
「かしこまりました。」
細身の男は首を箱にしまうと暗殺者の一人に渡した。
「して、そちらの箱は?」
「ああ、こちらですか。」
暗殺者の首長は細身の男の耳元に顔を近づけて小さな声で何かを伝えている。
「ほう、これは興味深い。」
細身の男は先程のように箱の蓋を開けて首を取り出し、それを掲げる。
「こちらの首は王の弟。タヌス・アワレンヌイスとのことです。ご確認を。」
「ほう。確か王の隣にいた奴だ。まさか弟とは思わなんだ。」
肥えた男は顎に手をやってまじまじと首を見つめている。首にしては珍しく目を閉じていて、安らかな顔をしている。
男はそれが気になり。
「もっと近くで見せよ。」
と言った。
「仰せのままに。」
細身の男が一歩前へと出た瞬間。
首の目が開いた。
「許しはせぬぞ!貴様らッッ!!」
「ひいっ!!」
肥えた男が腰を抜かしてその場に尻餅をつく。
そして目が緑紫色に輝く。首はそのまま緑紫色の炎に包まれていく。細身の男が手を離して首が地面に触れた。
「息子・・・よ・・・。」
天幕が緑紫の炎に包まれていく。そしてその炎はどんどん燃え上がっていき、逃げる敵さえも巻き込んで大きくなっていく。
そして敵陣を全て飲み込んだその瞬間に炎は収縮して何事もなかったかの様に消えていった。
そして後に残ったのは焦げ茶色に染まった大きなクレーターだけだった。