正直者の国の婚約破棄騒動は、こんな感じみたいです!
「侯爵令嬢アリシア・ストゥルツ!貴様に婚約破棄を言い渡す!」
とある日の午後、学園の中庭で一人の男子生徒がそう宣言しました。
彼はこの国の第一王子です。金髪碧眼で、なかなかの美男子です。
「貴様はその、なんだ!俺より成績はいいし人望もあるしで〜(中略)〜〜とにかく可愛げがない!普通王子である俺を立てて手を抜いたり、裏で根回しして俺の人気を上げたりと尽くすものだろう!それを先日非公式に行われた学内人気投票ではぶっちぎりの1位になりやがって…もう我慢ならん!結婚後もずっと貴様より下に見られるなど絶対に嫌だ!よってこの身分も頭も運動神経も俺より劣るいいところなしの男爵令嬢ミア・テルマンを俺の新たな婚約者とする!」
中身は少々残念な感じのする王子は、言いたい放題言ったあと、一人の女子生徒をビシッと指差しました。
指を指された件の男爵令嬢は、ほんの一瞬顔を輝かせましたが、すでにその輝きは失せ、今はどんよりと暗く淀んでいます。死んだ魚の目の見本みたいです。
まあそうでしょう。いくら王子の相手とはいえ、選ばれた理由がひどすぎました。
そんなミアを見た王子は、フォローを入れます。
「いや、おまえの作る少々焦げてるくせに生焼けな上、何かを入れ忘れたような物足りない味のクッキーは気に入っているぞ、おまえの不器用さが実感できて。それから、俺でもちょっと引くぐらい簡単な質問をしてくる残念なオツムの出来もだ。俺の立場を脅かさない、俺にとってはとても大事なことなんだぞ?」
ですが、どう聞いてもフォローになっていませんでした。
居合わせた人々は、ミアに同情しました。
ミアの残念さは学園中に知れ渡っています。周知の事実です。ですが、このような公開処刑はあんまりです。
不憫に思った一人が堪り兼ねて、前に出ました。
「恐れながら申し上げます!ミア嬢は確かに手伝いと称しては失敗して逆に仕事を増やし、こちらがそれに懲りて次から手助けを断っても「いいのよ、気にしないで」と自分が相手に迷惑をかけている自覚すら持てない様子には、時折殺意が湧くことさえあります。無理やり何にでも首を突っ込む、この学園でほぼ唯一殿下以下だと言い切れるほど使えない方ではありますが、そのような理由で妃に選ばれるのはあまりにも不憫かと!」
…フォローのつもりだったのかもしれませんが、とんだ追い討ちでした。ミアは羞恥に顔を赤くし涙目になっています。
そこにさらなる追撃がかかりました。
「そうです!いくら出来の悪い殿下が張り合おうなどと考えずに済む希少なご令嬢とはいえ、夫婦揃ってそれでは国民として不安しかありません!アリシア様が貧乏くじを引いて殿下の婚約者に収まっていてくださるからこそ、国外逃亡を考えずに済むと、宰相の父も毎日のように申しておりますのに!」
おや、流れが変わりました。
「近衛隊の兄も、日頃から国王よりそのような愚痴を聞かされているようです。「なんでこんなのになっちゃったかなぁ」と」
「侍女頭の叔母も、お妃様が憂鬱な顔でそんなことを言っていたと」
「うちも…」
「うちの親戚も似たようなことを…」
「街の噂でもよく聞くなぁ…」
ざわめきがその場に広がります。その内容は、どれもほぼ同じのようです。
押しも押されもせぬダメ王子みたいですね。
それを聞いた王子は顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「くっ!うるさい!うるさい!いいじゃないか!どうせここ200年くらい平和だし、隣国の王達ものんびりしてて侵略になんて興味なさそうって話だし。政治なんてどうせ俺にわかるわけないんだから、せめて役立たずを日々感じながら傷を舐め合える相手を伴侶に選んだっていいじゃないか!」
ぶっちゃけすぎです。
このレベルになると、裏表がなくていいとか言ってられませんね。
その王子の叫びに、男爵令嬢の心が決まったようです。青ざめ目に涙を浮かべながらも、王子を真っ直ぐに見て口を開きました。
「殿下。申しわけありませんが、そのお話断らせていただきます」
背筋をピンと伸ばし一国の王子と相対するその姿に、周囲が静まり返ります。
「ちょっと王子様っていうステータスに目が眩んで興味本位で近づいてみたけど、誇れるのは顔のよさと血筋だけで将来王になってもお飾りどころか引きこもりになってそうな甲斐性なしとの、デメリットしかない結婚なんてごめんです!やっかみだけは受けて他のご婦人方からお茶にも呼んでもらえなそうだし、招待状送っても無視されそうだし…。そもそもあげたクッキーもボロボロ服にこぼして食べ方汚いんですよ!こんなのがこの国唯一の王子だなんてがっかりです!」
はい、こっちも思い切りぶっちゃけましたね。
「な、なんだと!おまえに断られたらもう後がないというのに!そ、そうだ!来年学園に入学予定のおまえの妹はどうだ?おまえの妹ならさぞかしダメなんだろう!」
マッハで妹を紹介しろと言ってきました。下げられた自分を一言も弁解しない潔さは、評価すべきなのでしょうか。
しかし、そう言われた男爵令嬢の口からは、ギリリと奥歯を食い締める音が聞こえた気がしました。
「…幸い………っ殿下にとっては残念なことながら、私の妹は大変優秀です…」
絞り出すような低い低い声でした。
「そんなわけあるか!この姉と同じ血を引いているのに優秀なわけないだろう!」
王子は即座に否定しました。自信満々です。
ミアのこめかみに浮かぶ青筋が、いっそう太くなります。
しかし、王子の予想は周囲の囁きによってあっという間にひっくり返されました。
「あ、私聞いたことある。今、中等部の生徒会の会計してて、かなり優秀だって」
「俺も同じ中等部に通ってる弟から聞いた。先生たちからも頼りにされてるって」
この学園はほぼ持ち上がりで進学するので、中等部に兄弟や知り合いが多いのです。
妹を褒められた男爵令嬢は、どことなく誇らしげに胸を張りました。
単じゅ…素直な女性って素敵ですよね。
「なんて…ことだ…」
打ち消された希望に、王子はがっくりと、その場に膝を付きました。
ですが、誰もそれを助け起こそうとはしません。
「それにしても振られた直後に、その妹に乗り換えようとするとは…さすが殿下」
「そうね、ダメにもほどがあるわ」
口々に好き放題言っています。
意外にも、王子の評価はまだ下がる余地があったようです。
「うちの両親は「たとえ王族でもあの王子からの求婚だけは全力で断ってやるからな」って言ってた」
うーん、そうなんですね。
そうそう無いレベルのディスられっぷりです。
そこから話題は王子以外へと移ります。
「え!ってことはアリシア様、今フリー⁉︎」
「大変!お父様に報告しなきゃ!お兄様のお嫁さんにできるなら、いくら積んでも構わないって言ってた!」
「うちの年上の従兄弟もあんな人を妻にできたらどんなに幸せだろうって言って…教えてあげないと!」
「父上に報告を!次期王妃でさえなければ絶対官僚として重用するのに、あの底辺なんぞにはもったいないって…!」
婚約破棄の一幕に居合わせた人々は、その事実に気づいて口々にそれぞれの思惑を言いながら慌ただしくその場を離れて行きます。
王子のことは、もうどうでもいいみたいです。取り入るなら今がチャンスだと思うのですが、取り入る理由が見つけられなかったのでしょうか。
それにしても、王子は親の世代からは底辺というニックネームで呼ばれているようです。
親しみを持たれるのは良いことですよね。
人々が消えた後には、未だに地面に膝をついたままの王子とアリシア、そしてミアと、少し離れたところに立つ、王子に一応付けられている日替わりの護衛だけが残されました。
「……」
そして、ミアがスッと無言でアリシアに頭を下げて挨拶し、その場を去りました。そのミアの後ろ姿を王子が無言で見つめています。
校舎の角を曲がり、ミアの姿は見えなくなりました。
ミアに会釈を返し、無言で見送っていたアリシアは、その姿が見えなくなったところでくるりと王子に向き直りました。
「さて、殿下」
柔らかなその声に、王子はノロノロと顔を向けました。アリシアは穏やかに王子に向け微笑んでいます。
その笑顔を見たバ…単純な王子は、この騒動を無かったことにできるのではないかと通常の人間には見いだせない希望を抱き、すがるような目でアリシアに語りかけました。
「アリシア、あのな…」
しかし、残念ながら最後まで言うことはできませんでした。
王子の言葉を遮り、アリシアが王子に過去最高の笑顔を向け、こう告げたからです。
「殿下!今日という日は、私にとって人生最良の日でございます。殿下との婚約が決まって以降、牢獄にでも繋がれたような気持ちで生きて参りましたが、まさかこのようなご厚情をいただけるとは思いもよりませんでした。婚約破棄、心よりの喜びをもってお受けいたします!」
心の底からの幸せそうな笑みを浮かべ、踵を返しつい先ほどまで王子の婚約者だった侯爵令嬢は颯爽と去って行きました。
喜びのオーラが溢れ出ている後ろ姿でした。
何も言葉を返せず取り残され、未だ立ち上がれずにいる王子はただ地面に這いつくばっています。
そんな王子を視界の端に捉えながら護衛の騎士はぼんやり思いました。
今日の夕飯何食べようかな、と。
めでたし、めでたし!
お読みいただきありがとうございました!