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投票をすっぽかした有権者の苦しい言い訳

作者: 厠 達三

 先日、不覚にも投票をすっぽかしてしまった。言い訳の余地はない。全ては自分のミスだ。きちんと投票日を把握してなかった自分に非がある。選挙権を有して以来、初めての失態である。


 別に棄権したかったからとか、政治不信になったなどという理由にもならない理由を並べ立てるつもりはない。本当に、きちんと投票する気であったにも関わらず、当日まで忘れ、投票日翌日のニュースで投票日が過ぎた事実を知り、愕然とした次第である。全く言い訳の余地はない。


 しかし、しかしである。あえて言い訳をさせていただくならば、自身もまたちょうど職場で異動があり、初めての仕事に就くこととなり、研修やなんやらで帰宅が遅くなる日が続いた。休日はしっかり休息を取りたい。しかし、家庭の事情で出掛けなくてはならない日もあったりと、期日前投票にもなかなか行けない事情があったのである。

 そのような事情も重なって、投票日を忘れるという失態をやらかした。早い話が忙しさにかまけて忘れたというだけのことなのだが。切り離していた投票用紙は今もって戸棚に鎮座したままである。


 しかし人の哀しい性といおうか、その事実を反省しつつも、やはり言い訳、あるいは正当化できる材料を探してしまうのだから我ながら情けない。


 ちなみに自分が投票を欠かさず行っていたのはなにもプロ市民を気取っているとか、意識が高いからとか、政治に参加するのは国民として当然とかいうような殊勝な心掛けからではない。自分が一票投じることによってこの国の政治が良くなる、もしくはまともな政治家が選出されるなどというようなめでたい考えができるほど無邪気でもない。ましてや国民としての意志を示そうなどという真面目な動機は毛ほどもない。投票する理由はただひとつ、文句が言いたいからである。


 しかし、投票を棄権したことにより、その権利もなくなった。それについては仕方がない。自分のミスなのだから。しかし、その事実については、せめて言い訳がしたい。そう。要は自分は言い訳がしたいのである。初めて投票を棄権してしまった言い訳を。


 そういえば自分はさっきからしきりに国民とか言ったが、今回の選挙に関して言えば県民と言うのが正しい。自分が棄権してしまったのは県知事選挙であった。もちろん、だからといって軽んじていたわけではない。きちんと行くつもりだったし、票を投じる候補者も決めてた。でも、忘れた。主な理由は忙しかったということになるのだが、それでは理由としていささか弱い。もう少しそれっぽい理由をでっち上げてみることにする。




 自分が投票に行く理由はいくつかあるが、そのひとつに議会民主制は必ずしも理想的なシステムではないにしろ、現状では最もマシだと思うからである。自分は封建主義者ではないし、独裁者も御免だ。王政も勘弁していただきたいし、世襲制もお断りだ。したがって、世襲の色が濃いとはいえ、現状の選挙制度をそれなりに支持しているからである。

 投票は義務なんかじゃない。権利だ。投票所に行くも行かないも、棄権するのも個人の自由だ。別に棄権する人をけしからんと指弾するつもりは毛頭ない。個人の意志なのだから好きにすればいい。ただ、筋道として棄権した人は文句を言わないでいただきたい。それが最低限のマナーであると考えるからだ。


 せっかくある権利だ。投票権という権利を行使しないのはもったいない。棄権する人の気が知れない。自分は忘れてしまって棄権したわけだが、世の中には分かってて、わざと棄権する人もかなりいるような気がする。その人たちは一体何を考えているのか? 理解に苦しむ。しかしまあ、意図的にしろ過失にしろ、棄権したという事実は一緒なので、自分に他の人をとやかく言う資格もない。そこはわきまえているつもりである。


 投票率が低い理由のひとつに政治不信が必ずと言っていいほど挙げられる。主にマスメディアからの発信なのだが、自分は違和感を抱いてしまう。政治不信と投票棄権がどうリンクするのか? 個人的には筋が違うと思う。むしろ政治不信こそ投票行為の原動力になるんじゃないのか、と。


 あえて言うなら選挙不信の間違いではないのかと細かいことを言いたくなる。現在の選挙制度は信用ならない。そこで抗議の意味を込めて棄権するというのは分からなくもない。分からなくもないが、それは抗議していることにはならないと思うのだが。


 実際に聞いたことがあるわけではないが、「誰に入れても一緒でしょ」「自分が入れても結果は同じ」「組織力には敵わない」なんて意見もあると思う。理解できなくもないが、それが棄権する理由には全くならない。それらは結局組織力を肯定しているからにほかならない。そもそも自分は投票行為に組織力を用いるのを是としない。政治を司る者を選出する行為にしがらみや利害を持ち込むのはもってのほかだからだ。政治とはそういうものから最も縁遠いべきだと考えるからだ。


 もちろん、それがいかに子供じみた考えであるかくらいは自覚している。政治は既得権益と極めて結びつきやすい。それは歴史が嫌というほど証明している。政治から利害を切り離すなど到底不可能だろう。だからこそ、利害関係を超える努力をし続ける必要があると思っているだけだ。今現在、考えうる限り、それに最も近しいシステムが民主主義だと思う。これとて理想的とはとても言い難いが、他の政治システムと比べればはるかにマシだと個人的には思う。


 マシとは思うが、実際の民主主義は、やはり王政や封建制と大差ない。いや、長く続くと大差なくなると言った方が正確か。

 実際、現在の日本の政治家は大概、二世、三世、四世、よりどりみどりだ。ひどいのになると甥や親戚までいたりする。いくら世襲ではないとは言っても、これでは詭弁だろう。

 投票を棄権する人の中には、そういう連中のためにわざわざ投票所に足を運ぶのも腹立たしいというものもあるかもしれない。しかし、それでは文句を言う権利もない。棄権したなら文句も言えない。自分はゴメンだ。


 また、たかだか一票投じたところで結果は変わらないというのも納得ではある。統計学を駆使するまでもなく、自分一人が誰に投票したとて、大勢には影響すまい。組織力には敵わないというのも論拠はこれと同じだろう。影響があるとすればせいぜい投票率が0.000数%程度変動するくらいのもので、その程度の数字のために投票するのは馬鹿げている、といったところか。分からない考えでもないが、投票は権利の行使であって、決して数字を変動させるものや、理想とする代表を選ぶためのものでもないと思う。政治を司る者を選出するための多数決に過ぎない。自分が誰に入れようと結果は同じだから棄権するという理屈は成立しない。


 そして政治なんて汚いものに関わりたくないなどという呆れた意見。政治とは元来汚いものだ。汚いものだが、それがなければ社会は成り立たない。それは人間自体が汚いものだから。そんな現実から目を逸し、自分だけは綺麗でいたいなんてお気楽なことを言う人はぜひ汚れず、一生綺麗でいてくださいとしか言いようがない。せいぜい無人島にでも行って、自給自足のベジタリアンでもやっていてほしいものである。政治にも関わらなくて一石二鳥だ。


 次に、誰に入れても一緒でしょ。これもある一面においては全くそのとおりで反論の余地はない。政治なんて決められたパイを切り分ける作業だ。どんな聖人君子がやろうとも、全員が満足できるものになるわけない。その一点だけ言えばごもっともではある。

 が、他の九点くらいは全くの的外れと言わざるを得ない。たとえば聖人君子が権力を手に入れることほど恐ろしいものはない。聖人君子が権力をふるうほど国民市民は辛酸を嘗めることになる。これも歴史が証明している。封建制度や王政がそのいい例だ。だからといって独裁者を目指すような危険人物に権力を握らせるのも考えものだ。これも歴史が嫌というほど前例を作っている。誰がやっても同じなんて机上の空論は歴史を紐解いてから論じて欲しい。


 念の為に追記しておくが、自分はだからといって、投票に行けと言いたいわけではない。わざわざそんな先例を引っ張ってきたのは、誰に入れても一緒でしょ、なんて理屈をこねる人は、その根拠のスケールがあまりにも大きいと言いたいのである。投票は権利の行使、民意の反映に過ぎず、自分が権力を委ねたい者を選ぶためにやるものでもないと言いたいのである。


 自慢じゃないが今まで自分が投票した候補者が当選したことなんて一度もない。まず当選しそうな候補者に投票すること自体に意味がないような気がするからである。何でそんなことが分かるのかといえば、やはり組織力であろうか。次いでメディアへの露出度。この二つを見れば当落の予想は誰にでも容易にできる。選挙を賭博にする不謹慎な輩がいないのもこのためだろう。自分が投票するのは容易に落選が予想できる候補者オンリーである。


 とはいえ、誰かの別なく冗談半分で投票しているわけではもちろんない。そこは良識ある市民を気取る身としては、あまりおかしげな候補はパスしている。そのうえで、この人なら、まあ、裏切られてもいいかなと覚悟を決めて投票しているつもりである。何しろ一票投じた人は今までことごとく落選しているわけだから、自分の候補者を見る目は未だ未知数なのである。見る目があるのかないのか、本人はもちろん、客観的にも分かりようはない。が、自分が投票した候補者は皆、組織力で当選した候補よりずっと政治家としての資質を備えていたという、根拠のない自信だけはある。


 根拠はないが、他の人より見る目はずっとあると思っている。何しろニュース、新聞、ワイドショーにはなんでこんな人選んだの? と言いたくなる政治家が百花繚乱だからだ。自分だったらこんな人にはまず投票しない。なぜなら当選しているから。自分は端から当選するような人には投票しないからだ。当選する人は組織力に優れる。それは間違いない。だから当選しているのだ。組織力と政治家の資質は必ずしもイコールではない。当選するには政治力が必要、なんてのは屁理屈だろう。それは政治屋というものだ。


 例えば、政務活動費を私した地方議員がいたとする。その議員が記者会見の場で絶叫、号泣したとする。そんな議員は間違いなく連日ワイドショーでネタにされ、晒され続ける。自分だって、なんでよりにもよってこんな人選んだの? と思うことだろう。自分にはその議員を笑う権利が三番目くらいにある。なにしろ選挙権自体がなかったから。投票したくてもできなかったから。地方の議員はいくら不祥事で全国区に顔が知れても、所詮は県や市の限られたコミュニティで当選した人に過ぎない。


 一番に文句を言う権利があるのはやはりその議員に投票した人だろう。何しろ一票投じているのだから。利害、しがらみ、あるいは純粋に人柄に感銘を受けたからでもいいだろう。でも、その信任を受けた人が背信し、全国に醜態を晒したのなら、そりゃあ文句を言う筋合いがある。リコールの要望を出してもいいと思う。


 次いで権利があるのは他の人に投票した人。だって、その人が投票した人が当選してれば、そもそもそんな人は当選しなかったかもしれない。落選した候補者が不祥事を起こさなかったとは言い切れないが、それでも文句を言う権利は十分すぎるほどある。でも、やはり順序で言えば当選させた人には一歩、及ぶまい。


 三番目が自分のように、投票権のなかった人。県議や市議なら自分の税金を私されたわけでもないのだろうから文句を言う筋合いはないが、ワイドショーを見て笑いものにする権利くらいはある。


 そして、文句を言う権利も、笑う権利もない人。こらもう間違いなく投票権を行使せず、棄権した人だ。だって最低限の権利の行使を棄権してるのだから。そんな人はワイドショーを見て腹を立てるのも不謹慎であるし、文句を言う権利も、リコールを願い出る権利も道義的にはないと自分は思っている。あまつさえワイドショーの街頭インタビューに出演し、上から目線でバッサリやるなどもってのほかだ。だってその権利自体を放棄したのだから。

 

 投票権と言うから伝わり辛いのだろうか? では人権に置き換えてみよう。これなら分かりやすい。

「私は人権を放棄します」 こんなことを言っちゃう人は何をされても文句を言う筋合いがなくなる。小学生でも分かると思う。

 暴行されても金を奪われても、殺されても文句は言えない。やった奴は罪には問われるだろうが、筋道で言えば人権を自ら放棄した人は何をされても文句は言いませんよ、と、宣言するのと同義だと思う。これは自分に限った話でもなかろう。だからそんなことを言う人もいないのだろう。


 生活権や居住権でもいい。それらを自ら手放す人など自分はお目にかかったことがない。振りかざす人はしょっちゅう見るけど。

 投票権だってこれと同じはずだ。棄権したということは、当選した議員が何をやっても文句は言わないというのと同義だ。議員が背信しようが、自分が渋々納めた税金を懐に入れられようが、文句は言いませんよ、と言ったに等しい。

 つまり、投票率40%の選挙で当選した人は、多数決の論理で60パーの人から何をやっても文句を言わないよ、とのお墨付きをもらっているわけである。そんな議員は政務活動費を私しようが、交際費でギャンブルやろうが、別にいいと思う。だって税金納めた半分超の人から何やってもいいよと言われたに等しいのだから。謝罪なんかしなくていいし、記者会見の場に出る必要すらないと自分は思っている。堂々と税金を自分の懐に入れればいい。もちろん辞職する必要もない。個人的に。


 しかしメディアというやつは傲慢だ。権利者の半分以上が権利を放棄したことなど棚上げし、不正に走った議員を容赦なく吊るし上げる。街頭インタビューでは名も無き市民が上から目線で例外なくバッサリやってる。それ以前にそいつは投票したのかきちんと裏取りをして欲しい。棄権した人なら論外である。もちろん、そんな裏取り事実上不可能である。あの街頭インタビューには何の根拠もない。視聴率は見込めるのだろうが。


 それとメディアは投票率の低さの理由を立候補者に聞いたりもしているが、これこそトンチンカンな話だ。それを聞くなら有権者にであって、候補者に聞いても仕方ないだろうに。それに対する候補者の回答は大抵、「職務に邁進いたしたく云々」ってな感じである。というか、他に言いようがない。結局メディアは何がやりたいのか理解不能。投票率が低いのは政治家のせいだという風潮でも作りたいのだろうか。


 さて、自分が棄権してしまった県知事選はニュースで確認すると投票率32.ウンパーセント。歴代最低の投票率だったそうな。自分が投票したところで大勢にも影響はしなかったであろう。やはりといおうか、予想通りの当落であった。とはいえ、自分が棄権した事実に変わりはない。これからこの県知事、何年おやりになるかは分からないが、自分には一切文句を言う権利がない。なんとも不安な船出である。


 たとえば今後、この県知事殿が自分が払った税金で蓄財に励もうが、政務そっちのけで選挙基盤の維持に専心しようが、自分には文句を言う権利が一切ない。汚職が発覚して全国区のニュースになろうとも、文句を言う筋合いもないし、居酒屋政談でネタにするのもまかりならぬ。何しろ権利を放棄したのだから。

 でも、人間なのだから、そんなことになればやっぱり文句のひとつも言いたくなる。だからこそ言い訳がしたいのである。今後、知事殿が汚職とは言わないまでも、失政、不祥事、無駄遣い、等々をやらかしたときに文句も言えないというのはやっぱり辛い。何かの間違いで街頭インタビューのマイクを向けられたら当然上から目線でバッサリやりたいのである。

 だから、投票を棄権しておきながら、県政、県知事、県議会に文句を言いたいがために、言い訳をしたいのである。


 忙しかったから。こんなのは論外だ。忙しかろうが親が死のうが、権利の行使を怠ったのであれば棄権したのと大差はない。確定申告を忙しかったからという理由で怠って還付金を受け取れないのと理屈は同じだ。


 選挙に盛り上がりがなく、選挙の日程を把握できていなかった。これも自分に責任がある。一応テレビ、新聞で知事選があったのは知っていたし、投票用紙もきちんと用意していた。やる気があれば休日にでも期日前投票に行けた日が振り返れば何日かはあったはずだ。要はメンドかったのだ。


 権利とは行使して初めて効果を発揮するものであって、天から授かって自動的に発動するような便利なものではないのは常識だ。知識を身に付け、行使する手続きを踏んだ者のみが権利を行使できる。当たり前である。メンドかったという理由で投票権を行使しなかったということは、政治に物申す権利の受け取りを自ら放棄したことにほかならない。

 いくら年金機構が年金を多めに受け取れるワザを隠蔽したとしても、受け取れる人はしっかり頂いている。その人たちは例外なくそのためにきちんと調査し、権利を行使している。知らなかったからなんてのは自分はバカですと公言してるようなものだ。


 ちょうど選挙に前後して、車が不調で一週間ほど代車に乗ってた。これも理由にしてはかなり苦しい。そのための代車なのだから。投票所に行く気が起きなかったのは事実としても、決して行けなかったわけではないのである。デートの約束を代車だから反故にする、なんて人はまずいない。行くのを忘れたという言い訳も同じことで、言い訳になってない。


 投票率が毎回半数を下回ってるのに、政治に文句を言ってる人はいっぱいいるじゃないか。が、これも理由にするには根拠に欠ける。文句を言ってる人はほぼ例外なく投票所に行ってるはずだ。棄権した人は文句など言ってるはずがない。ろくに調べもせず、ただの印象でそんなことを決めつけるのはオカルトと同じだ。


 他にも色々と大義名分をこじつけようとも思ったが、自分のとろい頭ではいいものが浮かばなかった。そりゃそうだ。言い訳とはそもそも苦しいものだから。権利を放棄したという事実は覆しようもない。結論から言えば棄権した時点で政治に文句を言う資格を取り戻すなんて不可能である。

 これから知事殿が議員報酬200%アップを表明しようが、原発や米軍基地の誘致をブチあげようが、県内で独立国家の樹立を宣言して日本政府に対して宣戦布告し、県民全員に兵役を課そうが文句も言わず黙って従いますと宣言したに等しいわけだ。もしそんな事態になろうものなら有識ある投票した人々に全力で止めるかリコールしていただくしか手はない。今後数年間、知事殿の任期中は自分はリコールもできないし署名活動にも参加する資格がないと考えるからだ。さらに言えば国政にも文句を言うのも憚られる。


 これから政権与党がどんなバカな政策をひり出そうとも、黙って従うしかないし、文句を言う筋合いもない。税金をどんだけジャブジャブ無駄遣いしようとも、怒る権利すらないのである。投票権を放棄するとは、そういうことなのだと自分は考えている。奇跡的にワイドショーの街頭インタビューに行き当たり、美人レポーターにマイクを向けられても、自分は歯を食いしばって無言で立ち去らなくてはならない。人生最大のメジャーデビューの機会をわざわざ見送ることになる。だから今まで欠かさず投票権を行使してきたのだ。

 これから数年間、自分は政治家がバカなことをやらかすまいかと戦々恐々とし続けるのだろう。仕方がない。権利を放棄したのだから。受け入れるほかない。


 次の選挙には必ず投票し、文句を言う権利を少しは回復したいものだ。今から次の選挙が待ち遠しい、今日このごろなのである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 私も、ほぼ同じ理由で選挙の投票は皆勤しています。 選びたい人がいないなら白票を投じて「無効票●名」にするのが政治不信へもの申す態度かなと思ったりもします。 私は一応、候補者に投票しています…
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