御影恋しく、ただ待つのみの
次の日。
朝から雲行きが悪かったのは確かだが、昼前には本降りになってきた。
遊郭にとって『雨』は決して望ましいものではない。何しろ、客足に大きく響くのだ。
言っても所詮は『たかが雨』。
人間、少々雨に濡れたところで溶ける訳でも死ぬ訳でも無いと思うのだが‥‥どうしても遊郭なぞは不急の用事に過ぎずと見えて、目に見えて大通りから人影が減ってしまうのだ。
「ふぁ‥‥おやおや、結構な降りでありんすなぁ‥‥」
欠伸をしながら、小梅が二階から降りてくる。
この刻限だと、客はまだ店に居ることはない。然るにこの雨と来た日には、力が抜けるのも道理と言えよう。
「そうでありんすなぁ‥‥夕刻には上がってくれると良いでありんすが‥‥」
小屋根の端から恨めしく滴り落ちる雨だれに、浮舟も溜息をついた。
いや‥‥しかしだ。
『それ』はそうとして。
もうひとつ‥‥こう‥‥。
「ん?」
小梅が浮舟に眼を止める。
「浮舟、何かありんしたか?‥‥何か‥‥ソワソワしてありんすが?」
「えっ!」
慌てて浮舟が振り返る。
「え、ああ、何かこう‥‥ムズムズするようで‥‥はは、雨のせいでありんしょう」
笑って誤魔化しはしたが、原因はハッキリしている。
そう、『清三郎の絵』だ。
アレがどうなったのかが分からず、今朝からヤキモキとして落ち着かないのだ。
清三郎は「明日にでも」と言っていたので、もう件の版元に持ち込みはしてると見て良いだろう。
だとすると、その成否は如何なるものであったのか。
どうも『それ』が気になって仕方ないのである。
‥‥良い返事だといいのだが‥‥
律儀な清三郎の事だ。吉報があればすぐにでも楼に現れるのでは、と期待しているのだが。
その姿を、格子の向こうに見つける事は出来なかった。
「ふぅ‥‥」
溜息をつく。その姿を後ろから見て。
「ははぁ‥‥」
小梅がニヤニヤと笑う。
「さては‥‥『例の絵描きさん』でおすな?」
ギクリ、として浮舟が背筋を伸ばす。
「え?な、何の事でありんしょう?」
「誤魔化さんでも、よろしおすぇ。『間夫(本気の相手)』でありんしょ?もう皆んな知っていんすから」
何処からそんな話を‥‥
かなり、人目を気にしていたつもりだが。
「はて‥‥?とんと身ぃに覚えがないでありんす」
フン、とばかりに横を向く。
「‥‥昨日、宵の口に浮舟のところへ『絵描きさん』が来んしたでありんしょ?たまたま『葵伊』がそれを見かけて、アチキの処へ『姐さん、見ものでありんすぇ』って呼びに来んしてなぁ‥‥」
‥‥何という‥‥物見高さというか、野次馬根性というか‥‥
「え、ええ、ああ、来んしたでありんすけど?そ、それが?」
「浮舟、自分で気づいて無かったようでありんすが、絵描きさんの袖口を右手でギュッと握りしめていんしたぇ?‥‥絵描きさんも、『それ』を無下に振りほどく訳にもいかんから『どうしようか』と、随分困っていんしたぇ‥‥」
えっ‥‥!
驚いて、小梅の方に振り返る。
そんな事をしていたのか‥‥?
ダメだ、まるで記憶が無い。
小梅はまだニヤニヤと嫌らしい顔で笑っている。
「‥‥好かん真似を‥‥ワザワザ見るものではありんせん!」
真っ赤な顔をして、浮舟が下を向く。
「別に冷やかしてる訳ではありんせんぇ。葵伊と二人して『若いってよろしいおすなぁ。アチキらぁにも、ああ言う年頃があったのを思いだしすんなぁ』言うて感慨に耽ってありんしたぇ」
小梅はそう言って釈明するが。
絶対に違うだろう、と浮舟は思う。
間違いなく『酒の肴』と笑いものにしていたに相違あるまい。
ぷいっと横を向くと、浮舟は口をヘの字に曲げた。
『昼間でなければ又しても宵の口かも知れぬ』
と、浮舟は考えていた。
清三郎は過去二回とも、その刻限に姿を現しているからだ。『二度ある事は三度有る』というが‥‥
そして今宵も提灯に明かりが灯り、吉原の一日が始まる。
が‥‥やはり、客足は鈍い。
向かいの店の格子の先に、女郎が座っているのが見てとれるほどに人影が疎らだ。
それでも小梅や葵伊と云った『馴染み』の多い遊女には、どうにか客がついて、奥の間へと上がっていったが。
他の女郎達は「どうせこの雨。今日はもうダメでありんしょ」と、小梅達の助けに廻っていった。
またしても『残った』のは浮舟だけという事になるが‥‥。
流石に、三日続けては『無い』か‥‥
ふっと息を吐くと、浮舟は立ち上がった。
そして、厨房に行こうとした時。
背後に、何かの気配を感じる。
慌てて振り返ると。
何時の間にやら戸が開いていて。
そこには、傘も差さずにズブ濡れのままの清三郎が立ちすくんでいた。




