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その姿は再び宵に現れし

「先生、どうもありがとうございんす」

表まで玄田を見送りに出ながら、浮舟が深々と頭を下げる。


「いやいや。何にせよ何事も無いのが一番ですからね。特に肺病などは歳に関係なく、身体が弱っていれば誰にでも罹りうるし。用心が肝心です」


「いやぁ‥‥先生、あまり脅かさないでくんなまし」

浮舟が眉をひそめる。


「はは、別に脅かすつもりはない。現に、三ヶ月(みつき)ほど前だったか‥‥私の所にちょうど、浮舟さんくらいの年頃の男が担ぎ込まれてなぁ。行き倒れとったらしい。これが『肺病』で、それももう『打つ手なし』という有様だった。

この様子では以って二~三日だろうと、本人にも申し伝えたが‥‥近くに寝ていた病人の容態が急変して慌ただしくしていたら、何時の間にやら居なくなってしまってな。はて、そこから先の顛末までは存じておらん」


玄田が悲しげに首を振った。


「そうでありんすか‥‥」


「ま、気をつけるに越した事はない。くれぐれも、養生をすることです」

そう言い残して、玄田は帰途へとついた。



その日の宵。

浮舟は昨日よりも『二尺ほど手前』に座して、表通りに対していた。


昨日までは何となく力も入らず『ただ座っているだけ』という置物のような有体であったが、今日は多少なりと気分が良い。

玄田の見立てがあったせいもあるが、清三郎との一件で何と無く『憑き物』が落ちたような気がしないでもない。


化粧も、ここ数日は『そこそこ』だったものが今日は多少なりと『念を入れて』ある。

すると。


「‥‥おうっ!居るじゃぁありませんか、浮舟」

格子の向こうから自分を呼ぶ声がする。


「え?」

慌てて格子の傍に寄ると。


「おやまぁ、藤村の若旦那でありんすか。今日は、わっちに?」

やっと『厄』も落ちたかと思ったが‥‥


「いやぁ、残念だけど。今日は顔を見に来ただけさ。とりあえず元気そうでなりよりだ」

藤村の若旦那は、浮舟の馴染み(三回以上逢っている客)となってもう一年以上にもなる常連である。


「いやぁ、違うでありんすか?好かんお人」

横を向いて、ぷぅと膨れる真似をする。


「まぁ、そう言うじゃありませんよ。何しろ『例の件』があって『まだ十日ほど』じゃありませんか。俗に『喪中』と言えば四十九日としたものだ。それまでは私らも『手控えよう』って心づもりでね」


なるほど、それでも気に掛けてくれているのだと分かっただけでも嬉しいものだ。


「四十九日て‥‥相手は異人さんでありんすから、仏教やなくてキリスト教でありんしょ?なら、亡くなったら直ぐに『天国行き』と決まってありんすぇ。もう何処にも居んせんでおす」


冗談めかして返すのも、それもまた遊女としての技巧のひとつだ。


「ははは、こりゃ参った。何、『喪』を気にするのは『死んだヤツ』じゃなくって『生きた人間』さね。じゃぁな、元気そうでなりよりだ」

そう笑いながら、藤村の若旦那が燕楼を後にする。


‥‥そっちは大門の方角おすえ‥‥

何も言わなかったが。若旦那に他の店へ行く様子はなかった。


そうか‥‥四十九日か‥‥

考えてもみなかった。


二ヶ月弱だ。長いような、短いような。

だが、逆にそれまでの間は時間がゆっくり取れるとも言える。


ふと、清三郎の顔が頭に浮かんだ。


日々の食にも困窮する身とあれば、早々と顔を出すことも叶わぬだろうが。

しかしそれでも再び顔を見たいとも思う。


何より、肝心の『絵の出来栄え』を見ていないのだ。それが隔靴掻痒でならない。


習わしとして。

基本的に『遊女』は敬語を使わない。飽くまでツンとしているのが『あるべき姿』なのだ。間違ってもハシャいだりするのはご法度と言えよう。


浮舟も一応それでも遊女らしく『素知らぬ顔』はしていたものの。内心では自分の姿が浮世絵になって市中に出回るかもと聞いた時には、小躍りしたくなるほど嬉しかった。


世に出回る『浮世絵の遊女』と言えば、吉原界隈でもその名を知らぬ者は居ないほどの『太夫』に限られるのが通例である。

ならば『その列』に加わるというだけで名誉と言えまいか。


実は浮舟が異人の相手を自ら買って出たのも、同じ理由からである。

異人が所望した『浮世絵で見るような』という文句に、「ならば自分が」と触発されたのだ。


もしも職に貴賤を問うとするならば、『遊女』が決して格式の高い位置に属するとは浮舟も思っていない。

だが、それでも『一人前』と認められれば遊女として生きる身にも誇りが生まれようというものだ。


『それ』を、清三郎が叶えてくれるのであれば‥‥



やがて、夜が更ける。

仲間たちも皆、座敷から出払っていった。


さて‥‥

浮舟が腰を上げる。とりあえず、キヨ婆の手伝いをせねば。


その時。

「‥‥こんばんわ」


『聞き覚えのある声』に、ビクッとして浮舟が振り返った。

「やっぱり!清さんでありんしたか」


少し照れた顔をしながら、清三郎が土間に入る。

「あの‥‥『一枚』描き上がったものですから」


そっと、浮舟の前で半紙を広げて見せる。


「これは‥‥」

そこには、座敷に座る遊女の姿が生き々と描かれていた。


「いやぁ‥‥これ『わっち』おすかぁ?」

何だか、ぎこちない笑みが溢れる。言いようもなく恥ずかしいような、言いようもなく嬉しいような。


「そうです」

清三郎が覗き込む。


「これ‥‥好かんわぁ。『わっち』だと分かってたら『綺麗』って、言い難いでありんすぇ‥‥」

左手を自分の頬に添えて、じっとその絵を眺める。


「とりあえず、これで明日にでも版元へ行ってきます。ですが、『その前』に浮舟さんにだけは見せておきたくて。‥‥すいません、お時間をもらいました」

清三郎が丁寧に頭を下げる。


「そうでありんすか‥‥『版』になると、よろしおすなぁ。まぁ‥‥期待せんと待っていんす」


口ではそう言うものの、顔がどうしてもニヤけてしまうのを。

浮舟は抑える事が出来なかった。

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