夜明けと共に、立つ君を
世間では夜目の利かない人のことを『鳥目』と呼んで嘲るが。
実際、日が暮れると鳥の多くは巣でじっと羽根を休める。‥‥フロクウの類を除けば、だが。
その鬱屈からなのだろうか。
夜明けになると鳥達は待ち焦がれたかの如く、餌を探しに一斉に巣から飛び立ってゆく。
『カラス、カァで夜が明けて』というが、それは人間よりも遥かに確かだと思う。
ふっ‥‥と、浮舟が眼を覚ます。
外が明るい。‥‥何時の間にやら座ったまま寝てしまっていたようだ。
慌てて清三郎を眼で探すと。
彼は畳に半紙を並べ、黙々と色絵付けをしていた。
「あ‥‥」
朝日に照らしだされる『それら』は、何とも美しい輝きを放っている。
無論それは飽くまで『部分』に過ぎず、浮舟の全体像を描いたものではない。しかしそれでも、何やら一種の『凄み』すら感じる気がした。
「‥‥すいんせん、何時の間にか寝てしまいんした」
浮舟が済まなそうに笑う。
「いえ‥‥大丈夫です。それでも、ずっと座ってらしたもので。お陰で沢山、描く事が出来ました」
そう言って、清三郎は満足そうに笑った。
「そうおすかぁ‥‥なら、いいでありんすぇ‥‥」
口では、そう返しはしたもの。
‥‥さて困った。
いったい、何時から寝てしまったものか見当もつかないが。
とにかく、かなりの時間を座したままで過ごした事は間違いない。
まず‥‥腰と背中の痛みが半端ではない。まるで鉄板でも埋まっているかのような鈍痛がする。
それと何より『足』が。
痺れる、等という生半可なものではない。まるで他人の足を拝借したかのように動かない。
どうにか腕に力を込めて、僅かづつ足に血を通わせようと足掻いてみるが‥‥
ドシン!
願い儚く、浮舟は畳に転がってしまった。
「だ‥‥大丈夫ですか!」
慌てて清三郎が寄って来る。
「だ、だいじょう‥‥ぶで‥‥おす‥‥ちょっと、足が‥‥はは‥‥」
とても体勢を整えられる状態ではない。照れ笑いで誤魔化す他、無かった。
「ああ‥‥」
何が起きたのか清三郎は飲み込めたらしく、苦笑いを浮かべる。
「すいませんでした。遅くまで付き合ってもらって。でも、そのお陰で思い切り描く事が出来ました。本当に、有難うございます」
清三郎は姿勢を正すと、深く浮舟に礼をした。
「いえいえ!大して御役にも立ちんせんで‥‥」
嬉しかった。
純粋に、嬉しかった。
小さな事かも知れないが、こうして『何かの役に立つ実感』は日頃の『働き』で得られるものではない。
ある意味、『幸せ』というか‥‥。
清三郎は、出掛けに女将にも丁重に礼をして行った。
若いとは言え、流石に徹夜は堪えたろうか。少しやつれて見える清三郎の顔は、それでも羨ましさとて感じるほどに晴れやかそうに見えた。
「あっ!そうそう、女将さん」
清三郎を見送ってから、浮舟が女将を呼び止める。
「あの、兄さんおすが‥‥」
昨晩の顛末について女将に説明をしておこうと思ったのだ。話を聞けば、女将も納得してくれるだろうと。
しかし。
「よろしおすぇ。『分かって』おすから」
女将は目配せをして去って行った。
あ‥‥!
『そういう事』か!
浮舟は合点が行った。
なるほど、最初から『話はついていた』と。
確かに、大次郎ほど『仕事が固い』男が『出た処勝負』を打つとは思えない。チャンと事前に女将と摺合せがしてあったのだろう。
‥‥自分にも教えてくれれば良いのに‥‥
何だか、顔から火が出るような恥ずかしさを浮舟は覚えた。
その日の昼過ぎ。
浮舟が表を掃いていると。
「‥‥御免。女将は、おられるかな?」
ふと顔を上げると、見知った顔があった。
「先生、よろこそお越しくんなまし!」
それは、以前に異人が亡くなったときに立ち会ってくれた医者の玄田だった。
「おお、浮舟さんか。ちょうど良い。二人に用があってな」
浮舟を伴って、玄田が座敷に上がる。
「これはこれは、ようこそお越しくんなまし」
奥から女将が出てくる。
「それで、如何おした?」
何かを、頼んであったようだ。
「ええ。異人さんの亡骸ですが、そのままオランダ人の医師に見せて見解を聞きました。結果から申せば『伝染る類の病に非ず』と」
「それは‥‥よろしおしたなぁ」
女将が安堵の声を上げる。
もしも、だ。
もしも『これ』が肺病(結核)や痩病(梅毒)であれば。
感染を疑われる浮舟は、病気になった遊女が押し込まれる『鳥屋』送りとされるだろう。
そうなると‥‥抗生物質が発達していなかった此の時代、生きて帰れる保証は無かった。




