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『魂』を描き写さんとす

「これ‥‥は?」

清三郎は困惑していた。


何しろ自分は『飲み食いなし』の約束で此処に居る身だ。例え握り飯ひとつと言えど、貰える身分ではないと承知している。


「お構いなく。『これ』は、わっちの夜食でありんすぇ」

悪戯っぽく笑うと、浮舟が握り飯の片方を清三郎に押し付ける。


「いや‥‥しかし‥‥」


尚も躊躇う清三郎の唇に、浮舟が人差し指をあてがった。

「心配無用おす。黙っていたら分かりんへん」


ふふ‥‥と笑う浮舟に釣られたか、思わず清三郎の口にも笑みが浮かんだ。


「かたじけないです」

そう言って大事そうに握り飯を抱えると、清三郎が頭を下げた。


「‥‥美味しおすかぇ?」


まるで貴重品でも扱うかのように握り飯を頬張る清三郎に、浮舟が尋ねる。


「‥‥ええ、有り難いです。実は‥‥ここ二日ほど、何も口にしてなかったもので」

恥ずかしそうに答えるその言葉に、嘘は無さそうに伺えた。


「そうでおすか‥‥」


さっきの銭は。

決して大金と呼べる額だとは思わないが、それでも清三郎にとってすれば、食う事を我慢してまでの『ギリギリ』だったのだろう。


そこまでして『浮舟を』と言って貰えるのであれば、ある意味それも『冥利に尽きる』というものだと言えまいか。


「よければ‥‥『こっち』も如何でありんすかぇ?」

自分用の握り飯を、清三郎に渡す。


「え‥‥?いや、それは流石に」

慌てる清三郎に、ゆっくりと浮舟が首を振ってみせる。


「大丈夫でありんす。今宵、わっちは清さんと出会えて、それだけで胸がいっぱいでありんす。握り飯なぞ、とても喉を通りんせん‥‥」


口車半分、本音半分。


あれだけの画力を持つほどの男が『食』を捨ててまで、この場に賭けているのだ。


遊女の一人として『此処までの想い』を袖にするのは『女が(すた)る』というものだろう。別に、自分は朝になれば普通に飯の食える身なのだ。有り難いことに。


「どう‥‥しんした?」

清三郎が泣いてるように見えた。


「いえ‥‥だ、大丈夫です」


顔を上げるが。

その両眼は真っ赤になっていた。


「あ、あまりに握り飯が美味しくて‥‥はは‥‥」

清三郎が子供っぽい笑顔を見せる。


「あ、あのそれで‥‥」

残った握り飯を急いで掻き込むと、突然に清三郎が道具箱に向かった。


「すいませんが、『絵』を描かせて欲しいのですが。‥‥浮舟さんの」

そうだった。清三郎は『そのため』に来たのだった。


「え、ええ‥‥構いんせんおすけど‥‥」

浮舟が座り直す。


「経験も無いものでありんすから、何をどうしてしたら良いでありんすぇ?」


小首を(かし)げる浮舟に、清三郎が嬉しそうに笑ってみせる。


「結構です。自然にしててもらえれば。普通に、何気なく座っててもらえるのが一番ありがたいです」


絵皿に絵の具を溶きながら、嬉々として画材の用意を始める清三郎の姿に。

ああ、この人は本当に絵を描くのが好きなのだな‥‥と、浮舟はそう感じた。




『絵を描く』と言うので。

てっきり、先程見たような『一枚絵』を仕上げるのかと思っていたのだが。


あにはからずや、清三郎は『そう』ではなく、『首元』とか『肩口』、『袖口』といった、部分々を『あっちから、こっちから』と方向を変えながら只管(ひたすら)に写している。


「ああそうか‥‥こう着こなすのか‥‥」


時折ブツブツと独り言を言いながら半紙に描き込む姿は、正に真剣そのものである。

浮舟はまるで、自分が何かの『見本』にでもなったかのような気分になった。


「意外おすなぁ‥‥」

ふと、小声で呟く。


「てっきり、浮舟(わっち)を、綺麗に描いて貰えるんかと」

冗談めかして語りかける。


「す、すいません‥‥」

清三郎が恐縮する。


「こういうのを洋画では『習作』と言うらしいのですが‥‥こうした『素材』を沢山持っていないと、少しでも『違う方向』『違う格好』で描くときに『どう描けば自然に見えるのか』が分からなくて困るんです。なので‥‥『それ』だけはどうしても」


何しろ清三郎には『時間』がないのだ。今晩が明けて明朝になれば、此処を去らなければならない。飯は疎か、語り合う(いとま)すら惜しいというのが本音なのかも知れない。


何枚も何枚も、半紙に浮舟を写し取っていく。


世間様では『写真』なるものが流行っていると聞くが。粋人などはそういうのも『物珍しや』と試しているようだが、『魂が取られる』と嫌がる御仁も居ない訳ではない。


無論『魂云々』などは迷信の類であろうが、こうして清三郎によって描き写された姿を見るに、あたかも『そこ』に自分の一部が薄く剥ぎ取られて転写されたかのような気分に陥らなくもない。


なるほど、こういう感覚が『魂を取られる』と言うのかも知れない。

浮舟はじっと、増えていく『部分』を横目で眺めていた。

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