絵描きを立身する者とて
「‥‥兄さんは、何と呼べば良いでありんすか?」
浮舟が、男の横に座る。
「あ‥‥!も、申し遅れました。小生は『水野清三郎』と申します」
さっきまで固かった物言いが、更に固くなった気がする。
キチンと正座し、背筋をピンと伸ばしたまま不動の姿勢である。
「清三郎さん‥‥でおすか。なら、『清さん』と呼んでよろしおすか?」
「はい‥‥」
さて、困った。
この様子だと、どう打ち解けてよいのやら。
まさか朝まで『この調子』でおられた日には、こっちの肩が凝りそうだと思う。
ならば、と。浮舟は、単刀直入に聞いてみることにした。
「で‥‥何処で『浮舟』を知りんしたか?」
出来るだけ責めるような口ぶりは、避けたつもりだが。
「はい‥‥『名は伏せるように』と言われておりますが、とある女衒の方にお聞きしました」
清三郎は下を向いたままだ。何か言いたそうで、堪えているようにも見える。
なら、こっちから切り出す他、手はないだろうと浮舟は考える。
「‥‥兄さんは『例の話』をご存知の上でありんすか?」
自分と一緒に居た異人が、不慮の死を遂げた一件だ。
「‥‥はい」
清三郎が、軽く頷く。
どうも何か訳があるようだが、中々にして口が重い。
仕方あるまい。此処は攻め方を変えるか‥‥と浮舟が思い直す。
どうせ『大した客』でもない。一気に詰問して、それで仮に怒らせたとしても『損』にはなるまいが‥‥
「‥‥若ぅ見えんすが、兄さんは何かお仕事をしていんすかぇ?」
「ええ‥‥」
清三郎が、傍らにあった風呂敷包を引き寄せる。
「実は‥‥今日は『そのため』に参りました」
風呂敷の中から出てきたのは、大きめの重箱くらいの『木箱』だった。
「それは‥‥?」
木箱には引き戸がついており、それを引き出すと中から小さな『皿』がいくつも出てきた。
「これは‥‥『絵皿』です。あと‥‥こちらには『絵筆』もあります」
相当に使い込んだ感のある道具類だ。
「‥‥絵描きさんでおしたか」
「え、ええ‥‥と言っても小生はまだ『見習い』の身ですが」
清三郎の顔が、少し解けたように見える。
風呂敷の中には、丸められた半紙も入っていた。
「お恥ずかしいですが‥‥これが『描いたもの』です」
散切り頭を掻きながら、清三郎が半紙を広げて見せた。
それは、遊女を描いた『浮世絵』だった。
「へぇ‥‥」
良い意味で『期待を裏切られた感』がある。
『絵描きだ』と聞いて、とりあえず何でも良いから作品を褒めておこうと考えていたのだが、無理くりにお世辞をひねり出す必要は無いようだ。
「美しいもんで‥‥ありんすなぁ‥‥」
浮世絵自体は別に珍しいものでも何でもない。巷に出れば二束三文で買えるほどだ。しかし、それらは『版画』であって、筆で紙に描かれたものではない。
清三郎の作品には、何というか『生』独特の迫力というか筆使いを感じる。
「いやぁ‥‥ここまで『上手』とは思いんせんでありんした」
思わず本音が出たと言ってよかった。
正直、最初は『大した人物に非ず』とタカをくくっていたのだが。
何というか。『少し見直した』と言うか。
もしかすると女将が言う『末はお大尽かも知れん』も、あながち間違ってないのかも知れない。
「これだけ『描けたら』、充分に『絵描き』と名のれるのと違いんすかぇ?」
じっと、清三郎の絵を見つめる。
「いえ‥‥とてもとても」
清三郎が首を横に振る。
「版元で、著名な浮世絵師の直筆を見させて貰った事がありますが‥‥とてもでは無いですが、今の小生の及ぶところではありません」
浮世絵は分業制だ。
絵師が下絵を描き、彫師がそれを版木に彫る。そして摺師が版画に刷り上げるのだ。だから間に他人が介在する分、どうしても『下絵』の迫力が薄まってしまう。
なので、今の段階でこれだけ描けていたとしても『版』になれば、どうしても『落ちる』のだと清三郎は言う。
「それでは‥‥版元が買ってくれる絵にはならないんです。もっと、版にしても人目を引く物でないと」
ふー‥‥っと、清三郎が溜息をつく。
「‥‥難しいもんでありんすなぁ‥‥」
浮舟に絵心がある訳ではないが、それでも版元の『言わんとするところ』は理解できなくもない。
清三郎の絵は確かに『綺麗』ではある。しかし、筆先の微妙な表現に依る部分が大きすぎて『これ』では、彫師や摺師による複製段階で折角の『良さ』が消えてしまうのだ。それが無くなったとして考えると、確かに『絵として単調』になるのかも知れない。
それはともかくとして。
包み隠くさず、率直に感想を言うならば。
『惜しい』と思う。
これだけの才能である。何故かは知れないが、ある意味とても『惜しい』と言う気がする。
「で‥‥?『その用事で此処に来んした』とは‥‥?」
浮舟が顔を上げる。
「はい。版元から言われたんです。『本物』をキチンと見てこい‥‥と。自分の銭で遊女を上げて、それで『勉強』して来いと」
なるほど、そこまで言うとするならば版元も清三郎の腕を『見込みあり』としているのだろう。
「しかし‥‥何しろ小生はしがない『絵描き見習い』に過ぎません。糊口をしのぐために雑器の柄付などもしておりますが、それでは食うにも精一杯で‥‥本来なら遊郭など、とてもとても」
「そうでおすか‥‥」
明治に入ってから吉原も敷居が下がっているが、それも『以前に比べれば』という話である。日々、当たり前のように客が大通りを埋めていく様を眺めてはいるが、それでも大門をくぐるのは容易くないのだ。
「すっかり困っておりましたところ、とある女衒の方と知り合いになりまして。その方が言うには『燕楼の浮舟という娼妓を訪ねてみろ』と。
『普通なら、とてもお前の手が届くところではない。しかし今なら、もしかすると話を聞いてもらえるやもしれん』と言われまして」
ははぁ‥‥
浮舟には思い当たるフシがあった。
女衒とは要するに『人買い』である。この世界に善人を期待するのは砂浜に砂金を探すようなものだ‥‥というのが遊女として常識と言えた。
さりながら、此処まで『おせっかい』を焼く女衒が居るとすれば、それは『大次郎』だろう。それは、浮舟を燕楼に『売った』張本人でもある。
大次郎はもう六十をゆうに超えており、今では『そっち』の方も大して働きは無いと聞くが‥‥
話を総合するに、おそらくは清三郎に大次郎を『引き合わせた』のも『版元』とやらの手引きではあるまいか。
その上で『両者の利点が合致する組み合わせ』として、清三郎を浮舟の元に寄越したのだ。
更に大次郎が『名を伏せよ』としたのは、そこから『口利き料』が出るのを避ける目的があると見ていい。
何しろ浮舟の知っている大次郎とは、そういう男だ。
「はは‥‥やっと事情が分かりんした。これで腑に落ちんした」
ニッコリ笑うと、浮舟は懐からさっきの『握り飯』を取り出した。
「何もないでありんすが、お一つ‥‥どうでありすんか?」




