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墨田の間は狭きても

正直に言えば、だ。

浮舟(じぶん)としては『これ以上、運気の下がる"お相手"は御免蒙りたい』という心境ではある。


出来ることなら、『上がり』の大きいお大尽でも来てくれれば‥‥と思わなくも無いが、それでも『この状況』を鑑みるに、それも中々難しいのは重々承知もしているところだ。


更に言うならば。


これが江戸の昔の『太夫』でもあれば『アチキは嫌でありんす』で済む話かも知れないが『東京』と名を変えた今では、花魁も『散茶(振らずに飲むお茶)』と呼ばれ、原則として客を『断る』ことはしない。


さて、困ったな‥‥

二の句が継げずにいると。


「浮舟、キヨさんを手伝ってく‥‥おや?お客さんでありんすか?」

背後に現れたのは女将だった。


「あ‥‥女将(おっか)さん、すいんせん。『浮舟(わっち)を』と、名指しの『お客さん』らしおすが‥‥」

救いの手を求める。


『遣り手』として名を成す女将であれば、此処は上手に断ってくれるだろう。


「ああ、これは失礼しんした。けど‥‥」

流石の女将も、その粗末な身なりを見て苦笑いをしている。


(あに)さん、失礼おすけど『花代』はお持ちおすか?」


言い難い言葉をサラっと言うことに関して、女将ほど上手い人は他に居るまい。苦労人ならではの物言いだろう。


「え‥‥は、はい、此処に‥‥」

男は慌てて、懐から巾着を出してくる。相当に使い込んであるらしく、ヨレヨレの巾着だ。


ジャラジャラと、その中身を出して女将に見せる。


「これで‥‥足りるでしょうか?」

「いや、チョット‥‥」


浮舟の方からは掌の上がよく見えないが、女将の顔色を察するに『チョット』どころか、相当に足りないのだろう。


「うー‥‥ん‥‥浮舟は『昼二』おすからなぁ‥‥」

女将が上を向いて悩んでいる。


遊女には厳然とした階級が存在する。

俗に『夜鷹』と呼ばれる夜道で客を引くような気安い者もいれば、花魁の中でも『呼び出し』と呼ばれる敷居の高い高級遊女も居る。


無論、それによって『花代』もピンキリである。

浮舟の『昼二』は格式としては『中程』だが、それでも昔で言うところの『金二分』(現在の価値で3万円ほど)が相場ではある。‥‥普通ならば、であるが。


少し考えてから。


ポン、と女将が手を打った。

「どうおす?今は『故あって』浮舟も『空いた身』。『飯も酒もなし』という事で、よろしおすなら‥‥『これ』でヨシと致しんすが」


『黙って見過ごすよりはマシ』という判断だろうと、浮舟は察した。


しかし、遊郭に来て『それ』は少し寂しかろう‥‥と、男の方を向くと。


「ほ、本当ですか!ええ、それで充分です!ありがとうございます、女将さん!」

男はさっきまでの心細そうな表情から一変、心底嬉しそうに頭を下げた。


‥‥どうして『そこまでして』浮舟(わっち)なんだろうか?


浮舟は腑に落ちずにいたが。女将は構わずにパンパンと手を叩き、下男の伝助を呼んだ。


「伝助、伝助は居りんすか?こちらの兄さんを、墨田の間まで連れておくんなまし」


「へい、女将。ではお客人、こちらへどうぞ」

伝助が男を連れて部屋に向かった。


「‥‥本当に‥‥よろしおすかぁ?」

男の姿が見えなくなってから、少し不満げに浮舟が尋ねる。


「まぁ‥‥良いでありんしょ?今は『アレ』でも、末はお大尽かも知りんせんし。『恩』を売るのも悪ぅおへんやろ。それにな?」

にっ‥‥と女将が悪戯っぽく笑う。


「『それ』で何も無かったら、いい『厄落とし』になりおすやろ?」


なるほど、『誰かひとり』を間に挟むことで『異人の一件』による縁起の悪さを払拭しようというのだ。

『それ』なら、少々『安くても』悪い話ではないのかも知れない。


「‥‥分かりんした」

そう返事して部屋に向かおうとする浮舟を、女将が呼び止める。


「あの兄さんは『何も食わん』としても、アンタは何か『詰めて』いかんと。キヨさんの処で何か食べて行きんなし」


本人はともかく、浮舟まで腹ペコでは溜まったものではない。さりとて『断食』している客人の前で飲み食いも出来まいという意味だ。


浮舟はペコリと頭を下げてから、急いで厨房の暖簾をくぐった。


「おキヨさん、少し『握り飯』をおくんなし!」


キヨ婆は、チラリとだけ浮舟の方を見やった。

「ええよ。持ってきぃ。そこに竹皮もあるでの‥‥」


流石だな、と浮舟は感心した。チラっと見ただけで『そこまで』雰囲気を察知するとは。

「‥‥ありがとうございんす」


握り飯を素早く竹皮に包んだものを『二個』作ると、それを懐に仕舞ってから浮舟は『墨田の間』へと向かった。


燕楼の『墨田』とは『隅の部屋』を言い換えたもので、そのものズバリ一階の一番奥の間だ。

一応それでも中庭に面した作りにはなっているが、風通しも悪いし見晴らしが良い訳でもない。それに何より『狭い』のだ。


普段はあまり使うことはない。空き部屋にしておくか、もしくは物置や客人の荷物を預かるのに使う程度であった。


腰を屈めてから、スッ‥‥と障子を引いて。浮舟が中に入る。

「‥‥お待たせしんした。改めて‥‥『浮舟』おす」


「あ‥‥ど、どうも」

男は所在なさげに正座して待っていた。


行灯の明かりが暗いせいなのか、その顔色は尚も悪いように見える。


『将来、お大尽になるかもしれん』と、女将は言ったが。

まぁ‥‥そんな事はあるまいと、浮舟は心の中で溜息をついた。

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