業を抱くか、抗うか
「それは‥‥本当でありんすかぇ‥‥?」
『清三郎』は、こくりと小さく頷いた。
「‥‥『乗り移る』と‥‥月日と共に移った相手の魂と融け合わさって‥‥何れは『その人』になります‥‥でも、此度は時間が無かった‥‥融け合わさるに足る『時間』が‥‥」
平素であれば、まったくもって荒唐無稽と言わざる得ない。
或いは此の話しをそのまま他人に話してみたところで、一笑に付されるがオチというものだろう。
しかし。
「なんと‥‥聞いてみんと‥‥分からん話でありんすなぁ‥‥」
浮舟には『それ』が真実であると、確信できた。
一昨日の晩、一睡もせず一心不乱に絵を描き続けた『その姿』に、嘘は無いと感じたのだ。
だが‥‥分からないのは『何のため』に『そんな真似』をするのかだ。
話しを聞く限り、『物の怪』にとっての利は全く無い。
朽ちていく身体をワザワザ乗っ取り、更にはしなくても良い苦労を背負って、そしてそのまま果てて行く‥‥と。
いったい何の義があって、そこ迄するのだろうか。
もしもそれが彼の者の『業』なのだとすれば、それはあまりに深く厳しい。
「清さん‥‥」
近寄ろうとする浮舟を、『清三郎』が震える手で制する。
「傍に来ない方がいい‥‥下手をすると『うつります』から‥‥」
『清三郎』はゆっくりと眼を閉じる。
肺病は感染性が高い。咳などによって周囲にバラ撒かれると集団感染の危険性とてあるが‥‥
「『伝染る』というのなら、もう‥‥『遅い』でありんすぇ‥‥」
一昨日、浮舟は一晩中『清三郎』の傍に居たのだ。それが肺病だとすると『感染』した可能性は低くあるまい。
内心、『覚悟』はあった。何れ、そういう事もあるだろうと。
世間では『肺病(結核)は国民病』とまで呼ばれるほどに蔓延している。客と親密になる遊郭稼業で暮らしている以上、それらは避けて通れない宿命にあると言っていい。
なるべく見ないよう、知らないようにしては居るが『鳥屋』に送られる女郎の数も最近は増えていると聞く。
鳥屋に送られた女郎は、まるで鳥の羽根が抜けるかのように髪が薄くなると言う。そしてそのまま憔悴し、大抵の場合は木箱に収まってひっそりと大門を去る事になるのだ。
故に『鳥屋』‥‥
或いは偶然にも生きて鳥屋を出られたとしても、だ。
そうした女郎は客に病気を伝染す危険が高い『鉄砲女郎』と呼ばれ、値も格段に落ちてしまう。
そうなればもう、日々食う事さえも満足になるまい。
普段は誰も何も口にはしないが。
‥‥悲しいかな『それ』が遊女という生業なのだ。
そう思い至った時。
そうか‥‥。
浮舟はハタと思い当たった。
『美人画ではなく遊女を描いて来い』
‥‥版元の『言わんとするところ』とは、つまり『そういう事』なのか‥‥
清三郎の描く『遊女』は確かに『美しい』。それは間違いない。
だが、『遊女』の『遊女たる魅力』とは単に表面的な化粧や言葉遣い、その仕草や三味線等の芸達者だけで語れるものではない。
遊女は‥‥『哀しい』のだ。
まるで花火が夜空を彩るかのように。
一瞬で咲き、一瞬で淡く消えていく。
だからこその‥‥『遊女としての美』。
それを対比するなら『光と影』‥‥?
いや‥‥そうではない。まさにこの世の『影』が生み出す『偽りの光』と言えよう。
ならばこそ、その光は弱々しくも何処までも切なく、見る人を引きつけて止まない。
その『偽りの光』が、清三郎の絵には無いのだ。
浮舟が最初に清三郎の絵を見た時の『惜しい』という感覚は『何かが決定的に足りない』という違和感から生まれたものだ。
つまり『それ』こそが違和感の正体なのだと‥‥やっと気づいた。
写真がこれだけ台頭している世の中だ。それが単なる『写実』であるとすれば、版画は写真に到底及ばない。
ならば『版画』は時代の流れに飲み込まれ、このまま消えゆく運命なのか?
もしも『それ』でも、生き残りを模索するのであるとするならば。
『版画』は単なる実体の模倣を超えて、その対象の持つ内面をも表現する道を開拓するしかない、と。
版元が言うのは、そうした『遊女としての本質』を絵にして表わせ‥‥という意図ではあるまいか。
しかし‥‥だ。
あまりに口惜しい。
何しろ『これ』を自分が理解出来たとしても、仕方がないではないか。
また、これを『清三郎』に伝えたところで何の意味も無い。
それはもはや『清三郎』に幾許の命とて残っていないのもあるが‥‥
何よりも『それ』が自らの発露ではないからだ。
絵師が真に得るべきなのは『言葉』ではなく自らが達するべき『境地』なのだから。
どうすれば‥‥よいのか‥‥
「清さん‥‥と呼んで良いか分かりんせんが‥‥清さんは、このまま果ててしまうでありんすか?『世間に認められる絵師になる』という夢は如何いたしんすかぇ?」
浮舟が尋ねる。
「‥‥無念ですが‥‥このまま受け入れる他、ありません。それが定めとあるならば、生きるも死ぬも運命の指し示すがまま‥‥です」
静かに『清三郎』が応える。
そうか‥‥それしか無いのか‥‥
脱力感が、浮舟に伸し掛かる。まるで、鉛で出来た振り袖でも着ているかのような気分だ。
‥‥『人』も『物の怪』も、天によって定められた道を歩む他、無いのか。
遊女が吉原の仕来りに従属するように、黙って従うしか‥‥ないのか?
膝へ置いた握り拳に、力が籠る。
言いようのない強い想いが、胸の底から突き上げてくる。
それに『逆らう』事は‥‥許されないのか‥‥
浮世絵が写真に抗うが如く。
その『運命』とやら‥‥に!
ならば‥‥神仏とは、いったい何ぞや。
神仏は人に艱難辛苦を与えるがのみの‥‥存在だとでも言うのか。
では‥‥『人』はどうする?
抗うことなく、ただ座して死を受け入れるのか?
『自分』の‥‥或るべきとは‥‥!
『絵描きとしての夢』
『遊女の本質』
『魂の融合』
何よりも
『自身の、清三郎への想い』
それらが溶け併さって、やがてひとつの『決意』へと結実する。
『運命』とやらへの、叛逆の狼煙。
すっ‥‥と、浮舟が立ち上がる。
そして『清三郎』の前に座した。
「‥‥いいでありんす。わっちを‥‥『わっち』を使ってくんなまし。主が『夢』のために『清さん』に乗り代わったというのなら、今度は『わっち』に乗り代わんなし。‥‥この命、その『夢』に捧げんしょう」