隠れた想いとその告悔と
浮舟の顔色が変わる。
これ‥‥は‥‥!
清三郎は、はぁはぁと肩で荒い息をしている。
『肺病(結核)』だ。
そう直感した。
思えば、最初から清三郎の顔色は『やや悪いように見えた』と思う。
二回目からは『そういうもの』と見慣れていたし、そもそも明るいうちにしっかりと見ていないものだから、気づかなかったが。
此処までの症状が出ていて、本人に自覚がない筈はあるまい。『知っていた』と見るべきであろう。
もしや、清三郎の言う『時間が惜しい』とは単に今晩の話だけではなく、自分の生命そのものの‥‥?
「清さん‥‥っ!」
慌てて駆け寄り、その肩を抱いた‥‥その瞬間。
「‥‥っ!」
『これ』は‥‥。
浮舟は思わず絶句した。
清三郎の身体が『冷たい』のだ。それも、尋常な冷たさではない。
なるほど、清三郎は雨の中を傘も差さずに歩いてきたのだから、その時は身体が冷えていても不思議はない。だが、あれから何時間も経っているのだ。体温が戻っていて然るべきであろう。
いや‥‥と言うよりも、だ。
『この冷たさ』には、覚えがある。
そう、異人が亡くなった時。
その朝に、起きてこない肩を揺すった際に感じた『アレ』だ。
‥‥生きている者の体温ではない。
ゾッ‥‥とする感覚が浮舟を襲う。
そう言えば、医師の玄田が言っていた。
『浮舟と同じ年頃の男が、肺病で死にかけていたのに立ち会った』と。
『その男』は二、三日が峠という重い病であったというから、今の今まで生きているとは思えなかったが。
『この尋常ならざる体温』を見るに、もしや‥‥『清三郎』が‥‥?
「うっ‥‥」
胸を抑えるようにして、ヨロヨロと清三郎が身体を起こす。
果たして、眼の前にいる清三郎は『死んでいる』のか『生きている』のか。
或いは死して『物の怪』の類に堕ちたのか。
どう解釈して良いか分からない。
だが、思い当たる節はある。
何しろ先程もそうだが、清三郎は触られるのを意識的に避けていた気がする。
それは、触られると体温の低いのがバレるのを恐れていたからではあるまいか。
どうすれば‥‥
戸惑う浮舟から距離を置くようにして、清三郎が身体を壁際へ預ける。
「‥‥すいません。黙ってて‥‥すいませんでした」
眼が開いていない。
「病が分かってしまうと‥‥出入りも出来なくなってしまうので‥‥悪いとは思いましたが‥‥申し訳ない」
言葉の端々が切れ切れになる。
「ど‥‥どういたしんしたか‥‥その‥‥身体が『冷たい』のは‥‥?」
聞かない訳にはいかなかった。
「‥‥間に合いませんでした‥‥何とか‥‥と‥‥思ったんですが‥‥間に合わなかった‥‥無念‥‥」
呼吸が小さくなっている。
肺病だとすれば、かなり危険な状態と言えよう。
だが、それはそうとして清三郎は何か『別の事』を気にかけているようだ。
「『間に合う』‥‥とは?」
怪訝そうに、浮舟が聞き返す。
「‥‥。」
清三郎は黙っている。
「‥‥教えてくんなし」
何か余程の『事情』があると見て良い。
例え何を聞いても『飲み込んでみせよう』と。浮舟は覚悟を決めることにした。
「その、『冷た過ぎる身体』‥‥何か、深い事情があると察しんした。わっちで出来る事も無いとは思いんすが、話してはくれなんしかぇ?」
清三郎の眼が、薄く開いた。
「言っても‥‥突拍子もなくて信じてもらえない話ですが‥‥それでも良ければ『辞世の戯言』と聞き流して頂けますか‥‥?」
最早、立ち上がる力も残っていないように見える。
「聞きんす‥‥よって、話してくんなまし」
とりあえず、何がどうなっているのかを知りたかった。
「小生が‥‥いや、『私』が『清三郎』と出会ったのは三ヶ月ほど前の事でした」
蚊の鳴くほどの小さな声で、『清三郎』が語りだす。
『私』が『清三郎』と出会う。
もしも『その表現』が的確ならば。眼の前にいる『清三郎』は‥‥?
そう、『物の怪』という話になる。
だが、不思議なことに浮舟は『そこ』に恐怖を感じる事は無かった。
彼の者が仮に『物の怪』だったとしても、その本質は決して『怪しいもの』では無いと思うから。
『清三郎』の独白は続く。
「‥‥『清三郎』はその時、すでに死の床にありました。医者からは‥‥『以って二、三日』と言われていたようです」
やはり。
玄田の言っていた『同じ年頃の若い男』とは、清三郎の事だったのだ。
「‥‥『清三郎』は‥‥言ってたんです。『悔しい』‥‥と。『どうにか浮世絵師として名を成すに足る『腕』を磨いてきたつもりだが、生命が足りぬ』『あと僅か、あと僅かでも永らえる事が出来るのならば‥‥』と」
『死は受け入れる』だが、『己の夢が絶たれるのは受け入れ難し』の慟哭だったという。
そして。
「『私』は持ちかけたんです‥‥もしも『私』にその身体を与えるのなら、『私』がその『あと僅か』に賭けてみよう‥‥と」
やはり、そうか。
自分の勘は外れてなかった。
何者なのか知らないが、この『物の怪』は‥‥きっと『優しい』のだ。
「‥‥『私』には‥‥『この身体』を長く使う『術』があります‥‥それを使えば『あと僅か』を補えるやも知れぬと‥‥しかし‥‥」
『清三郎』の眼に涙が浮かんでいるのが見える。
「所詮は‥‥『借りた身体』。元々の画力を再現するには時間が足りず‥‥三ヶ月、必死の思いで修練に励んだつもりではありますが‥‥『力及びませんでした』」
『力及ばず』
さっき、土間で清三郎が語った言葉と同じだ。
違和感を感じる言い回しだとは思ったが‥‥
そうか‥‥その言葉は、浮舟や女将に対してだけでなく、他ならぬ清三郎に向けた『謝意』だったのだ。