序章
森のざわめきで目を覚ます。高く伸びた木の先に、青く晴れた空が広がっていた。
身体中のあちこちが痛い。固い地面の上に横たわって、だらしなく放り出した手足を動かそうとした。
「いっ……てて」
声も掠れて、思うように出ない。
俺は一体、ここで何をしていたんだっけ?
昨日の夜、居酒屋のバイトで夜勤のシフトを終えて、少し仮眠を取って、15時からのレッスンのために新宿へ向かって……。
「あっ、そうだ……」
死のうと思ってたんだ。もう、俺は声優になれないと、悟ってしまったから。
声優になりたくて、大学を卒業後に田舎から上京した。バイトを掛け持ちしながら、安いアパートに声優志望仲間とルームシェアをして何とかギリギリで生活してきた。だけど、気がつけば俺は既に28歳。6年の間に3つの養成所を転々と渡り歩き、いわゆる「養成所ジプシー」となっていた。
普通の28歳なら、就職して一人前になってるはずの年齢。後輩も出来て、なんなら指導する側になっていてもおかしくない。彼女も出来たり、結婚したり。久々に地元の同級生と会った時、子供がいる奴がいたのには驚いた。社会からの目や、周囲との差をひしひしと感じ、俺は精神的に辛くなっていた。
だから。
ここから飛び込んじゃえば、楽になれるんじゃないか、って。
乗り換えのために降りたはずの池袋で、フラフラとデパートの屋上を目指した。雨が降っていたから、当然そこには人気がない。高いフェンスをよじ登り、強い風が吹き荒ぶ中へ身を預けるように飛び込んだ。
「何やってんだ、俺……」
ん? ……ちょっと待てちょっと待てちょっと待て! 飛び込んだはずだったのでは?! 死んだはずでは? 眼前に広がるのは、なぜ森なんだ! デパートは、池袋は!? ココはどこ? なぜ俺は、ココにいるんだ? 一体、何をしているんだ……?
動かない身体が憎い。
「あー! なんか落ちてるニャン! ご主人様ぁ、こっちニャン!」
すぐ傍から発せられたアニメ声が耳に入った。
目線を動かすと、猫耳、猫尻尾をつけた金髪のポニテ女子が立っていた。ご主人様とやらに向いていて顔は見えないが、赤いミニスカートから覗くピンクのパンツがモロに丸見えになっている。
あまりの刺激に、身体が昂ぶるところだった……。
「あらあら、食べてはダメよ。お腹を壊すといけないわ」
とても若い女子の朗らかな声で、大変物騒なワードが飛んできた。ってか、この猫、人間食うの!?
ご主人様と呼ばれたその人の、足音が徐々に近づいてくる。恐怖と緊張で寝たフリをしたものの、まぶたの痙攣が止まらない。バレる、バレる……!
「ねえ、あなた。……。まぁ、この人」
もうダメだぁああぁ……!
「見かけない服ね。また異世界から来た方なんだわ。よし、連れて帰りましょう。今度は何か出来る方かもしれないしね」
「りょーかいニャン!」
ヒョイと身体が宙に浮いた。恐らく猫に担がれたのだろう。軽々と持ち上げられ、俺はどこかへ連れ去られたのだった。
大丈夫か、大丈夫なのか俺! しかも異世界って何ーー?!