継ぐ者
アンドルフさんに着いていくように荷台を引いていくと、視界に入りきらないほど広い林が目の前に広がってきた。
木こりというからには広い林を持つのは当たり前なのだろうが、これほど広い林を二人で管理していると言うのだろうか。この林だけで木の供給が間に合いそうに思える。
「お、なんだ意外と早かったじゃねぇか」
「親父達が遅かっただけだろ」
「そうかぁ? いつもはお前のが遅いくせに。旅人さんに知られたくなかったのか?」
「おい、親父まさか」
「おう。もう言ってある。悪いな」
睨んでいるのか悲しんでいるのかわからない情けない目で見られ、思わずサッと目を逸らした。俺は聞いただけなので悪くない筈だ。
「親父、恨むぜ」
「それが有効なのはそう言われて困る相手の時だけだぞ」
ニヤニヤと余裕の笑みを浮かべながらの返事に、ハルトはガリガリと頭を掻く。仲の悪そうなやり取りだが、何だかんだ仲は良さそうな親子だ。
拗ねた様子を示すように踵を返してずんずんと林の中に行くハルトに続いて、俺とアンドルフさんも歩き始めた。
聳える木々はどれも太く雄々しく、一定の距離で等間隔に並んでいる。栄養を奪い合わないようにする処置だろうが、それにしても見事だ。機械で計算されたかのように緻密で、自然のものとはまた別の美しさすら覚える。
「立派だろ。うちの木は」
木の並びに見とれていると、隣を行くアンドルフさんから声が掛かった。
「ええ、とても。こんな立派な林は見たことありません」
「ほお、お前さんの旅の中でも一番か」
「とびっきりの一番ですね」
「それは鼻が高いな。アデーラも、親父さんも喜ぶだろう」
「親父さん、ですか?」
アンドルフさんは旅人と聞いていたが、親父さんということはアデーラさんの方ということだろうか。
「アデーラのな。この林は、その親父さんから受け継いだものなんだ。今育ってる木は全て、その頃に植えられたものだ」
「その頃に植えられたものですか」
「ああ。親父さんが植えて木を、育てた木を俺が整えて切って売る。そして俺が植えて育てた木をアイツが切る。そうやって受け継がれていくんだよ。木こりはな、魂を継いで生きていくんだ」
格好つけるようにニッとアンドルフさんは笑った。ハルトの方は聞こえていないかのように進んでいるが、きっと聞こえていて、それを噛み締めているのだろう。
アンドルフさんの木こりとしての魂は、少しずつハルトに継がれている。なら、或いは旅人としての自分は、俺に託されたのかもしれない。
そう来ることのない旅人、かなり無茶をしてここまで来たように見える子供に、かつての自分を重ねたのだろうか。
どんな真意や想いがあっての行動か、それはアンドルフさんにしかわからない。
受け取った者にできるのはただその重さを感じ、託されたものを継ぐだけだ。
「ありがとうございます」
「ん? どうした、いきなり」
「いえ、とても含蓄のある言葉だったので」
「がはは、そうか。俺もやっとこういった格好つけ方が似合うようになってきたみたいだな」
まさしく冗談半分といった感じのやり取りを続けていると、突然前を行くハルトが立ち止まった。
「親父」
「ああ、始めるか」
アンドルフさんも立ち止まると、荷台から取っ手を離して中から小ぶりな鉈を取り出した。
いや、アンドルフさんが持つと小ぶりに見えるだけだ。ハルトが持ってる奴は多分同じ大きさなのだろうが、こちらは割と大きそうに見える。刃渡りは二の腕ぐらいは軽くありそうだ。
俺の分もないかと自分の荷台を見ると、やはりそこに鉈はない。あったらあの爺さんの所で気付いている。
……つまりこれは俺のみ素手で作業しろということだろうか。林業で雑草抜きをするイメージはないのだが。
「はは、お前さんのはこれだ」
声の方向へ目を向けるとアンドルフさんが鉈の取っ手をこちらに差し出していた。恐らく予備のものだろう。右手に先程取り出したであろう鉈がもう1本握られている。
ありがたく右手を出してそれを受け取ると、アンドルフさんが手を離した瞬間に思わず落としそうなほどの重みがのしかかってきた。
予想以上に重い。あの剣ほどではないが、油断して脱力しているとうっかり落としかねない。丈夫になるよう鈍く分厚い刃は、遠心力が掛かるように緩く曲げられている。叩き切る為に必要なそれ以外の、不要なあらゆる全てのものが排斥された作りは精巧な剣よりも凶悪な印象を覚える。
だがそれを持つ人を前にしても、自分が持っても何ら不安にならないのは、これがどのように使われてきたかうっすらと分かるからだろうか。
「何をすればいいですか」
「おう、先ず枝を落とす。取り敢えず着いてこい」
親指で後ろを指してから振り向いて進んでいくその背中を追う。大分大変な仕事になるだろうと、全身に気合いを入れた。
足場の悪さに時折足をとられるが前の二人はそういった様子は全然ない。やはり慣れているのだろう。向こうはすいすい進んで行っているのに、こっちは遅れまいと無駄なエネルギーを使ってる気がする。
木が細くなって来るかわりに、その分密度が上がってきた。動きづらい理由はこれかもしれない。
「木ってのはより光を浴びるよう、上に上に横に横にめいいっぱい伸びていく。わかるな?」
「ええ、はい」
進みながらアンドルフさんが説明を始める。こちらの返しに少し苦しげなものが混じっていたかもしれないが、そのペースが落ちることはない。
仕事だ、どうあっても手は抜かないのだろう。俺も甘えるつもりはない。
呼吸で少しずつペースを整えて足を動かしていく。
「上に伸びる分には良いんだが、横の方に伸びるのは困る。枝分かれしたり、そっちに栄養が行って伸びが悪くなると困るからだ」
「なるほど」
「ああ。だから申し訳ないが、先にその枝を落とす。結構大変だが、頼むぞ」
「わかりました。任せて下さい」
「よし、着いたぞ。ここらへんの木だな」
言われて周りを見ると、入り口の木より随分と細くなっていた。掴もうとすれば片手で外周の3分の1ぐらいは掴めそうだ。
鉈を入れる角度を間違えれば大変な事になるかもしれない。
「お前さん剣は得意だったんだろ?」
「え? いや、さぁ?」
「はは、何だその反応は。とぼけても意味はないと思うが、まさかそういった記憶もあやふやなのか」
「あはは、そうみたいです」
「うーんそれはまぁ仕方ないな。だがあの剣は結構良い物に見えたぞ。多分元は相当の使い手だったはずだ」
とても愉快だ、とでも言うように所々に笑いの息を挟みながらアンドルフさんはまた進んで行く。取り敢えず着いていこう。
手頃な木を見つけたのか、よし、と呟きながらアンドルフさんが立ち止まる。
「枝を切るときだが、3つ注意がある。まず、上の方の枝は無理して落とさないことだ。今日切る枝は大体お前さんの胸か顔ぐらいの高さまででいい。腕を無理に上に伸ばさないと切れないような奴は切らなくて良い」
「わかりました。他には?」
「ああ。あとはなるべく枝は根元から落とすようにしてくれ。中途半端に残るとこぶができたりして形が悪くなる。抉ってもいけないが、根元からを意識してくれ」
「了解です」
「最後のは、まぁ当たり前だが刃物を扱う上で怪我はするなよって事だ。お前さんなら分かってると思うが、木を切るっつーのは他とは勝手が違う。鉈が中途半端に止まって抜けなくなったときとかは、無理をせず俺を呼んだりそのまま枝を折ったりして構わない。兎に角怪我はするなよ」
「気をつけます」
「よし、じゃあ取りかかってくれ」
「え、あ、ちょっと待ってくれませんか」
また何処か別の場所へ行こうとしたアンドルフさんを思わず呼び止める。
指や仕草で丁寧に説明しようとしていたのは分かったが、その割に内容があっさりしすぎではなかろうか。具体性はあるにはあったが、何とも言えない適当ぶりである。
「どうした、一応注意は今ので終わりだが」
「あー、その、まだ不安なのでここで1回見せてくれませんか」
「そうか。手本を見ずにじゃ流石に無理があったな。すまん」
悪い悪いと頭を掻きながらアンドルフさんが戻ってくる。捉えようによっては皮肉とも取れるだろうが、不思議と悪い感じはしなかった。
じゃあ見といてくれ、とアンドルフさんがさっき説明に使っていた木の前に立つ。
「まぁそう難しい事じゃない。真っ直ぐ、とにかく真っ直ぐ振り下ろすことを意識するんだ。切りたい枝の根元の点から、上下に真っ直ぐ線を伸ばすことをイメージして、その線をなぞるように振り下ろせばいい」
喋りながらアンドルフさんは右手を軽く振り下ろし、小さく軽い特有の音が鳴って枝が落ちた。な、簡単だろ? と言うような顔でアンドルフさんがこちらを見る。
「1回俺のを見て貰えますか」
「はは、以外とお前さん慎重なんだな。いいぞ」
付近の枝が生えてる木を探して、手頃なものを見つけてその前に立つ。後ろではアンドルフさんが腕を組んで眺めている。
いわゆる剣道の面打ちに近いのだろうが、それも結構前に授業でやった程度だ。感覚で何とかするしかない。
真っ直ぐ、真っ直ぐ。体の前に持ってきた鉈を両手で掴み、真上に息を吸いながらゆっくりと振り上げる。そして、肺の中の物を吐くと同時に勢いよく振り下ろした。
思ってたより感触は軽い。というより勢い余って脱力した体が一瞬鉈に引っ張られた。
「はは、悪くないが力みすぎたな。まだ太い枝じゃない。片手で充分だと思うぞ」
「はい。そうします」
「もう大丈夫か」
「多分大丈夫ですが……失敗したのがあっても文句言わないでくださいね」
「そん時はそん時だよ」
じゃあ、と軽く腕を振りながらアンドルフさんは奥に消えていく。
何とかなりそうだ、と軽く力を抜きながら別の木を探し始めた。