ダグダの村
よく煮込まれた赤いスープが湯気をあげ、ゴロゴロとした具材が顔を見せる。隣の皿に置かれたパンかナンのような物が、この辺りの主食なのだろう。
力仕事が終わって家に入ると夕食が出来上がっており、食事をしながら話を聞くことになった。食事前の挨拶だろうか、全員が始めた祈りのポーズを取り敢えず真似ておく。
3つ椅子が並んでいる側に少女、青年、俺と並び、対面の椅子2つに夫婦が座る形になっている。俺の対面に親父さんが来ているので、基本的には親父さんから話を聞く流れになりそうだ。
「すいません。なんか当たり前みたいにご馳走して貰って」
「気にする事は無い、久々のお客さんだからな。今日はゆっくりしていくと良い」
母親の方に向かって言うと、代わりに親父さんが答えた。母親の方は例の如く微笑んでいて、返事は全て親父さんの方に任せているらしい。とても対極的な夫婦だった。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はアンドルフ、そしてこの美人がアデーラ。こいつがクリフハルト、長いならハルトでいい。最後に将来美人になるだろうこの娘がアンナだ。お客さんは何て言うんだい?」
自分、奥さん、息子、娘と順に親父さんが指さす。ファーストネームだけの様に思えるが、これでフルネームなのだろうか。
まぁ、ここで言う名前は呼ばれ慣れた物が良いだろう。わざわざフルネームを言って、毎度それで呼ばれたら聞く方も面倒くさい。
「名前はマコトといいます。多分、何処出身とかも言うべきなのでしょうが……記憶があやふやで、申し訳ありません」
「いやいい。気にするな。出身でどうこうという問題も無い。マコト、と呼べば良いんだな」
「ええ。そう呼んでいただけると助かります」
マコト、の発音が少したどたどしかった様子から、この辺りでは珍しい名前なのかもしれない。日本風の人間は少なそうだ。言葉が通じる以上問題は無さそうだが。
「で、記憶があやふやらしいが、何から話せば良い」
「では、この地域のことについてお願いします」
「あいわかった。といっても、何から話せば良いか……」
うーん、と数秒唸りながら手元のスプーンに掬われたスープが口に運ばれる。皿の中のそれは俺のより倍以上の量はありそうだったのだが、それがもう半分ほどまで減っていた。
「取り敢えずこの村のことを話しておこう。名前はダグダ。そう大きい村ではないが、飢えることもない良いところだ。この村の周辺ならそこまで強いモンスターは確認されていない。軽く探索するくらいなら命の危険に晒されることもないだろう」
「モンスター、ですか。具体的にはどういう物か教えていただけますか」
「そうだな。特別警戒が必要なのはボアやウォーウルフ、バトルビーぐらいだ。ここら辺一帯には悪い魂が湧かないようになっていてな。ゴブリンやグールは余程のことがない限り出てこない」
「意外と、詳しいんですね」
「そりゃあそうよ。俺はこの村に骨を埋めると決める前は、お前さんと一緒で旅人だったんだからな」
その言葉に、アンナが心底驚いたという表情を見せる。どうやら知らなかった事らしい。
そうだとしても、その驚き加減は異常と言える。
いや、それは当たり前のことなのかもしれない。平然と語られるモンスターという存在が、きっと彼らにとっての一番身近な危険なんだろう。
それらが闊歩する外に出るのはこれ以上ないほど危険な事であり、出てはいけないとキツく言われていた筈だ。
そんな外の世界を歩き回る旅人という存在は、きっと彼女にとって本の世界の住人であり、冒険譚に出てくる英雄なのだ。
父親の昔の姿が実はその英雄ですと言われれば驚くのも無理はない。
娘の表情を見てガハハハと笑った後、アンドルフさんは答える。
「そうか、アンナには言ってなかったな。この村に来て一人の女神と会うまでは、俺は自由気ままに旅してたんだよ」
「もう、やめてください。私が女神だなんて、神様に失礼です」
「おお悪い悪い。流石聖職者さんは神様のことについてはお堅いな」
「当然です。あまりふざけると罰が当たりますよ」
目の前で演じられる軽い夫婦漫才に頬が緩むのを感じる。嗜めるようで喜びを隠しきれないその声と表情は、見ているこちらがお腹いっぱいになりそうだった。
聖職者ということは、アデーラさんは神に仕える神官なのだろう。言われてみれば実に見た目通りとも言えるが、すぐには思い付かなかった。やはり技術が進んでいないような所では、信仰や宗教はより重要視されるらしい。
別の場所に行けば、或いはここでも信仰している神について聞かれるかもしれない。信仰する神はいない、という答えは下手したら反感を買うことになるかもしれない。先に質問して返ってきた答えに合わせておこう。
「これを聞くのは失礼に当たるのかもしれませんが、アデーラさんはどちらの神様に仕えているんですか?」
「お気になさらずとも、無礼には当たりませんよ。私は魂の神ミラ様の信徒です」
こんないい人が信仰している神様なのだから素晴らしい神様なのだろうと思ったらかなり聞き覚えのある奴だった。
頭の中にクソ野郎の文字がちらつく。言うと絶対ろくなことにならないので言わないでおくが、絶対アイツだろう。アンドルフさんの悪い魂が湧かないという発言でなぜピンと来なかった。
違う神様であることも否定できないが、「悪口を言うと罰が当たる」という言葉の意味が周りの反感を買うという事だと考えれば、アイツのやりそうな事だと合点がいく。
剣に掛かった加護のことを考えると、ここで信仰する神を合わせておく方が都合は良いだろう。俺の精神的負担はさておいてだが。
俺は数分やり取りしただけのアイツに何度精神を磨り減らされれば良いのだろうか。
「そうなんですか。俺もミラ様の信徒なんですよ。これも神のお導きでしょうか」
「なるほど。貴方が力尽き倒れてもこうして助かったのは、ミラ様の加護のお陰なのですね。貴方により強き加護がありますよう」
アイツのお陰も何も全部アイツのせいって断言できるんだよなぁ、という言葉を飲み込み、アデーラさんの祈りをありがたく受け取っておく。
まぁ、力尽き倒れても助かったというのはあながち間違いでは無い。
より強き加護ももう既に受けているらしいので、アデーラさんの祈りは届いたと言えるだろう。
「そういえば、アンドルフさんは何のお仕事を? 丸太を積み分けて居ましたが運搬とかの仕事ですか?」
「俺か? 運搬じゃないな。俺はしがない木こりだよ。行きがけに荷台で木を運んで、帰りに積んだのを仕分けるのが日常になってるだけだ」
「木こりでしたか」
「ああ、お前さんが明日にもすぐ村を出るって訳じゃなければ、手伝ってもらう事になるかもな。力仕事は苦手じゃなさそうだし」
「もちろん。いつまでもタダ飯食らいでいるつもりはないですから。美味しい食事に見合う仕事はしましょう」
俺の答えに、アンドルフさんがわかってるねぇとでも言うような笑みを浮かべる。彼の言う自分がまだ旅人だった頃には、こうして過ごしていた事が伺えた。
ホテルのようなものがあるかはわからないが、こうして泊めて貰う方が安上がりに決まっている。
払う金がない俺としても、体で払う方が助かるというものだ。
いつの間にか全ての皿の上は空になっていて、惰性の談笑が続いている。アンドルフさんが何かを思案しているのか軽く黙想して、そして何か決意したように目を開いた。
「アデーラ、俺の旅人道具まだあったよな」
「え、ええ。でも、あなた、良いんですか……?」
「大丈夫だ。もう俺には不要な物だからな。使われてこそ、奴らは報われる」
わかりました、と返事をしてアデーラさんが立ち上がる。そのまま俺の後ろを通り、別の部屋へと入っていった。
「追い剥ぎにあったか、逃げる為に荷物を捨てたかは知らない。だがその剣だけで旅に戻る訳にもいかないだろう」
「それは、そうですが」
「お前さん、どうやら悪いやつではないらしい。そもそも旅人が来ること自体珍しいんだ。これも運命か何かだろう」
そう言った後、アンドルフさんはニィッと半月状に口を捻じ曲げる。まさしく悪いこと考えてますと公言するようなその表情は、恐らく息子に受け継がれたものなのだろう。
「俺が使ってた道具、くれてやるよ」