家族
一階に降りると、そこはいわばリビングだった。
美しい木目の入った大きなテーブルに椅子が5つ並べられている。向かい合うような2対の椅子から少し外れた寂しげな椅子が恐らくは俺用の物だろう。奥の方を見るとキッチンになっていて、生活感が窺えた。
どうにも何かが足りない感じがするな、と見渡してやっとテレビが無いのだと気付く。家や家具を木で作るのが当たり前の世界なのだ、テレビ等は無くて当たり前だ。
慣れ親しんだ感覚というのは、どうにも中々離れてくれないものらしい。
椅子に座ろうと手をかけると突然強い風が吹き込んできた。窓が開いているのだろうかと、そちらの方向に目を向ける。
……何故さっき周りを見たときに気がつかなかった。
ドアが開けっ放しだった。恐らく急いで出た少女が閉め忘れたのだろう。そそっかしいにも程がある。泥棒が入ってきたらどうするのだろうか。
締めるのも億劫なので、ぼんやりとドアから漏れる外を見ながら少女を待つ。ここからでも眩しいほどに太陽が照り、太陽万歳と言わんばかりに緑が生い茂っている。遠方には牧場や農場のような物が見えた。
道と言えば草が刈られた程度で、整地がされているようには見えない。ここには無いのだろうが自転車で走ったら絶対転ぶな、とぼんやり思う。
平和を絵に描いた様な雰囲気に、俺の頭も平和になってきているらしい。青々とした空を見てると眠たくなりそうだった。神様とやらの慈悲か、割と元の世界に近い世界に飛ばされたようだ。文明の発展度合いが違うとはいえ、基本的なところが近いのは助かった。
いい加減、景色を見るのも考え事をするのにも飽きてくる。
少し重くなってきた背中の剣を外して床に置いた。そうすると途端に背中が軽くなり、その代わりに瞼が重くなる。
ベッドで眠らせてもらってたとはいえ、俺の中であれは寝たことになってない。ここで少し寝ても文句は言われない筈だ。
◇◆◇
どれくらいの時間が経ったのだろうか。どうやらかなり本格的に寝ていたらしい。外を見やると日が沈みかけていた。と言ってもそれほど長い時間寝てたとは思えないから、少女が出ていった時間は3時ぐらいだったのだろう。
遠くから響くガタガタという硬質な音が、少しずつ大きくなっていく。少女のお父さんが帰ってきたのだろうか。姿勢を正して入ってくるのを待つ。
そうしていると、ドアからヌッと巨大な影が現れた。
「いよう、お客さん。起きたかい」
「え、あ、はい、どうも」
その姿に唖然として、言葉に詰まった。
天井に頭が付くほどの巨漢、その大きさは2mはある。ゴツゴツとした筋肉がシャツを張らし、その手足は丸太のように太く、茶色く焼けていた。
もう明らかに人間の体じゃない様に思える程だ。そのてっぺん、山のような首の峰には人の良さそうな笑顔を浮かべた頭が乗っかっている。
低く厳かだが歌うように陽気な声と、その笑顔で威圧感はある程度は和らいでいる。
だがその頭頂部、綺麗なスキンヘッドがそれらを台無しにしていた。怖い。怖すぎる。なまじその笑いがいい人そうなものな分、より怖さが引き立っている。
「親父。興味があるのは俺もわかるんだが、引っ込んでてくれないか。お客さん引いてるだろ」
「む、むう……そうか……」
少しガラの悪そうな声に文句を言われ、その巨人は肩を落としながら外へ出ていった。怖いと言った後にこう言うのは何だが、中々に可愛らしいしょげ方である。
引っ込んだ巨人の代わりに出てきたのは頭に赤いバンダナを巻いた青年だった。細長く鋭い目とニッと端を吊り上げた笑みは、何かこいつ悪巧みでもしているのではないかと感じさせる。
細く見えるが腕や脚にはしっかりと筋肉がついていた。俺も身長は高い方だと思うが、こいつは同じかそれ以上はある。
バンダナで押し上げられた髪はツンツンと逆立っていて、触ると痛そうだった。
「悪いな。怖がらせたかもしれねぇ。ああ見えて良い人なんだ、よろしく頼むぜ」
「ああ、少しびっくりしたが大丈夫だ。こちらこそよろしく頼む」
俺の返事を聞いて青年はまたニッと笑った。そして軽く右手を上げ、作業があるのかまた外に戻っていく。「何お前偉そうに言ってるんだ」「うるせぇ!」という会話が聞こえてきたが、棘があるようで温かいそのやり取りに思わず頬が緩んだ。
「旅人さん、遅くなってごめんなさい」
「そこまで待ってないから謝る必要はないぞ。ドアを開けっ放しにして出て行くのは不用心だったけどな」
「うっ、それは、えと、でも旅人さんが閉めても良かったでしょ!」
「管轄外なので……いや、悪かった」
むーっとした目で凝視されると居心地が悪く、つい謝ってしまった。そうすると少女はまた、にへーっと笑って奥のキッチンへと向かっていく。
ドアを見やると、少女に続くようにして恐らく母親が入ってきた。穏やかな笑みでお辞儀をしてきたので、こちらも立ち上がってお辞儀を返す。
ゆったりとした服で体を隠しているが、それでもはっきりとわかるほど体つきは女性的だ。肌は浅黒く、艶やかな黒髪は一本に括られている。常に穏やかに微笑んでいて、そこに憂いの影はない。派手さはなく落ち着いているが文句なしに美形だ。
今でも中々の美人だが、少女の将来が楽しみなほどである。
そうして、母親もキッチンに消えていく。男二人組は外で作業をしているのか、まだ入ってくる気配はない。キッチンに行った二人は料理を始めるらしく、パチパチと火の音が聞こえ始めてきた。
手持ち無沙汰だ。絶望的にやることがない。
どうしようかと数秒考えた後、椅子から立ち上がって外へ出る。
外で作業している二人組は、どうやら切った丸太を荷台に乗せている所らしかった。恐らく帰りに運んで来た大きな荷台から、それよりは小さな3つの荷台へ、大きな丸太を難なく運んでいる。
息子の方が1本で精一杯な感じなのに、親父さんの方は一気に4本ほど運んでいる辺り、やはり親父さんの方はバケモノ臭いのだが。
「手伝えることはありますか。力仕事もある程度ならできます」
「おお、お客さん。中に入ってて良いのに」
「いえ、中に居てもやることがないので。流石に体が鈍ります」
「はっはっは、そう言われたら手伝って貰うしかないな。一番奥の荷台に4本、頼めるか」
「わかりました」
そう言われて丸太の山から一本持ってみると、確かにこの重さは一本で精一杯だった。無理をすれば2本持てそうだが、そうなるとバランスが取りづらくなる。息子の方が特別非力というわけではないらしい。
さっき4本抱えた上で涼やかに振り返り、会話してもバランスを崩すことなかった親父さんの底が知れなかった。