取り敢えずあのクソ女神許さねぇからな
数ある死因の中で病死というのはマシな方なのかもしれない。自分がいつ死ぬか把握できるだけでもある意味助かり物だ。
勿論、不幸であることに変わりは無いが。
一秒、また一秒と時が進むにつれて、微かな命の灯が揺れるのを感じる。息を吐き出すと、のしかかった空気が今にも胸を押し潰しそうだ。
病名は……何だったか。そんなどうでも良いこと、とうの昔に忘れてしまった。肺か気管支あたりの病気だった気がする。診察に来たときには既に手遅れなほど進行が進んでて、その場で余命宣告された事だけは覚えている。
俺こと城谷誠といえば、数年前は野球でそれなりに有名だった。
中学高校と強豪校に進み、甲子園も夢見た。一年でレギュラーを奪い、羨望と嫉妬を浴びながら、それでも真摯に打ち込んだ。
少しばかりの不調が何だと、苦痛を訴える体を無視するほどに、真摯に。
その結果が今まで積み上げてきた物を全てぶち壊す物だったのだから笑える。俺がもう野球ができないと知った、あの時の先輩方や同学年のライバルの顔といったらもう、思い出すだけで笑えてくる。
同情と憐れみ、その奥の隠しきれない黒い喜び。見返せるのなら見返したかった。
だがもう、無理だ。
恐らく後数分もしないうちに、俺は死ぬ。宣告された一年より一週間ぐらいは長く生きてやったが、そこが俺の限界らしい。
丁度俺も飽き飽きしていた所だ。頃合いだろう。引っ張られるように、ゆっくりと意識が落ちていく。
さよなら、何も残せなかった俺の人生。次がもしあるのなら、こんな結末は、二度と……。
◇◆◇
目を開けると、そこは白のみで構築された世界だった。周りには薄く霧が立ちこめていて、雲の中に入ればこんな景色なのか、と思える。
おかしい。自分は死ぬはずでは無かったか。となるとここは夢か、或いは死後の世界という奴なのだろうか。下手したら走馬燈なのかもしれない。過去の記憶が写るらしい走馬燈が真っ白とは余りに皮肉が過ぎるが。
軽く混乱している思考を振り切って、取り敢えず自分の状態を確認する。
着ている服は意識が途絶える前のままの病衣だった。足の感触と体に感じる負荷から、恐らく立っている。足元を見てると底の無い永遠の白が広がっていて、酷く不気味だった。
「起きたようだね。待っていたよ」
声がした方向を向くと一人の女性が現れていた。
第一印象はまんま幽霊か亡霊のようだな、といった感じだ。地面に付く程までにスカートの長い白のワンピースに、そこから伸びる真っ白な肌、長い髪。瞳の中央のみが微細に黒く輝いている。
完全に景色と擬態している風貌の輪郭を捉えられたのは、その存在感からか。うっすらと輝きを放っているような気さえする。間違いなく美人だが、それであるからこそこの場所と相まって現実味の欠片もない。
うっすらと浮かべた笑みからは慈愛と、それとは真逆の小バカにされているような感覚がした。
「俺を待っていた、っていうのは何だ。天使か死神ってところか?」
「惜しい。いや、けど全然違うな。あと解答権2回ね」
「いや待て、なんだ解答権って」
「思考時間は60秒ね」
勝手にクイズが始まってしまった。初対面の奴の素性を当てろとか宝くじを当てるような物だと思うんだが。
「俺が知ってる閻魔大王様っていうのは確か男だった気がするけど、どうなんだ」
「その人じゃ無いよ。あと一回ね」
「今のは質問なんだが」
「あと50秒」
「問答無用すぎる」
確かに小ずるい考えだったのは認めるが解答しないとかお茶を濁すとかもっとあったのでは無いだろうか。見た目とは違ってこいつ中々の横暴女らしい。
その横暴女とそれに付き合ってる自分に対する、呆れと諦めの溜め息を吐いてから適当に答える。
「じゃああれか、神様かなんかか」
「お、当たり。大当たり! 正解した貴方にはには神様直々にプレゼントをあげよう!」
いきなり大声を出して右腕を高々と掲げたそいつに、思わず湿っぽい目を向ける。
「おう、なんだ、やけに落ち着いてるじゃ無いか。死んだ人ってもっと騒いだり喚いたりするもんじゃないの」
「俺が騒いで喚けばお前は満足して静かにするのか」
「いやうるさいから黙らせるけど」
「このままで良いなら文句は言うなよ」
「いやー、イメージと違うなって」
穏やかかと思えばハイテンションだったり言うことが矛盾してたりと、こいつがどんな奴かまるでわからない。取り敢えずおかしな奴という烙印は押しておくことにした。
「イメージと違うか。お陰様で割と穏やかに死ねたからな。今更どうこう言わないさ」
「穏やかか、違うね。それは違う。今言ったことは全部間違いだ」
「……何処が」
即座の全否定が入り、思わず言葉に棘が混じる。
「貴方の終わり際は穏やかでは無かった。どうしようも無い現状を見てふて腐れて諦めていただけで、奥底では感情が燻っていた。終わることを、常に拒んでいた」
「諦めでも何でも、穏やかなことに違いないだろう」
「ううん、穏やかというのはね、自分に満足して終わりを受け入れることを言うんだ。君の言うものとは全く違う」
段々と、こいつが言うことに腹が立ってきた。じゃあなんだ、諦めなければ生きていたというのか。あの状況で? どう考えても冗談がキツい。自分一人でどうにかなるものじゃ無い上に、頼みの綱が匙を投げたのだ。
その上でどうすれば良かったと言う。
「なんだよ、じゃあ生きることを諦めるなって綺麗事を言うつもりか。あの状況じゃどう足掻いたって死んでいただろ」
「そこも、違う。貴方はまだ死んでない」
「は?」
この自称神のふざけた女はどこまで冗談を言えば気が済むのだろう。
「死んでいればここには居ない。貴方はまだ生きている。何を隠そう、この私が助けた。生きる意志がある魂を殺すのは勿体ないからね」
「はぁ、そいつはどうも」
「うっすい反応だね。個人的意見だけど、もう少し大袈裟に反応しないとモテないゾ」
「いきなりそんなこと言われてもな。俺の感覚ならあんたは少し黙った方が良い」
「善処します。で、助けたは良いんだけども、元の世界に戻すわけにはいかない訳なのさ。死んだことになってるし」
「対応に困るなら何で助けたんだよ……神様の力で何とかならないのか」
「そこら辺は私の管轄外なんだよね」
余りの行き当たりバッタリっぷりに軽く頭を抱えた。絶対に上司とかにしたくないタイプだ。人から見れば上司の神様なのだが。そう考えるとこうして辞めて正解なのかもしれない。
「まぁまぁ、別に困っているわけじゃ無いんだ。ただ、別の世界に行って貰うよって話なわけ」
「辞表投げつけたら派遣命じられたんだが」
「ん? 派遣って何さ、さっきも言ったとおり元の世界には戻れないよ?」
「国外永久追放」
行き当たりバッタリのとばっちりが俺に来るのが理不尽すぎる。
だが、まぁ、別の世界とはいえ、もう一度生きられるというのなら。やり直せるというのなら。
悪くない。
「お、やっと乗り気になったみたいだね」
「考えでも読んでるのか」
「さぁね。まぁ、貴方が行くことになる世界は結構危険とか溢れてるところだけど、貴方は生きる意志がかなり強いと信じてるから何とかなるよ」
「さっきから無責任すぎないか、神様?」
「大丈夫、さっきプレゼントをあげると言っただろう。貴方には私からのとびっきりのプレゼントをあげるよ」
「期待せずに受け取る事にする。で、その別の世界に行くのはいつになるんだ」
「今からだけど」
「は?」
予想外すぎる答えに呆気にとられている内に、神様とやらが近付いて俺の体を抱きしめてきた。
触れられているのかすらあやふやな微かな感覚と、何故か感じる不思議な安心感に誘われ、俺の意識は再び落ちた。