第一章1 『最強と女の子』
彼女は、人眼のつかない夜の広場のベンチで、その綺麗な赤い瞳を、眠そうに開けた。
「うーん。」
どうやら、寝てしまってたらしい。悪い癖だ。こんなところで寝てたら、風邪をひいてしまうのに。それに、
「ミサギ様〜〜。こんなところで寝てたら風邪をひいてしまいますよ〜〜。」
「ばあや。」
ばあやに気づかれてしまうではないか。
ミサギは、眠っていたベンチにあらためて座り直して、自分とほぼ同じことを思っていただろう老人に、手を振った。
「ミサギ様、なんでこんなところで寝てらしたんですか?」
ばあやは、ミサギの前まで来ると、なんでそうするのか心底不思議だと言うように、ミサギに問いかけた。
「ええと、少し眠くなっちゃっただけだよ。今日も、いろいろあったでしょ。だから。」
ミサギの返事を聞くと、ばあやは、また、その首を傾けて、
「疲れたなら、部屋で寝れば、と私は思いますよ、ミサギ様。さあ、もうこんな時間ですし、戻りましょうか。」
「うん...。」
ばあやにつれられ、ミサギは、広場を離れる。
違うのだ。そうじゃないのだ。私は家に戻りたくない。この広場に逃げてきたのも、人目につかないこのベンチを選んだのも、そして寝てしまったのも全部、あの家に帰りたくなかったからなのに。
ああ、なんで私は、『最強』なんだろう。
ミサギ ホワイトレオという女の子は、生まれながらに、『最強』である。
最強というのは、文字通り、最強である。最も強いと書いて、最強。彼女は何にも負けなかった。
彼女のその力が、わかったのは、ある出来事があったからだ。それは、彼女が五歳の頃、獰猛で血生臭い、亜人族の縄張りに、入ってしまったことから始まる。
その時、ミサギは、絶対絶命だった。薄暗い森の中、小さい少女が、これだけの亜人族に、かなう術は、普通ならば持ち合わせていない。すぐに肉塊になってしまう。でもそれも、普通ならばの話。
彼女は違った。
彼女は最初に襲いかかってきた亜人族の腕を、なんの武器も持たない小さな手のひらで、握りつぶした。正確には、握りつぶしてしまった。と言った方があっているだろう。だって彼女は、迫り来る敵を、迎撃しようと思って攻撃したわけではないからだ。
彼女は、自分を殺そうとする、『怖い人』が、怖くて、追い払おうとしていただけなのだから。
『最強』が、最強になる条件とは、最強になり、その力を相手に振るうことができるようになる条件とは、相対する相手に、明確な、敵意を持つこと。
彼女の感情は、『怖い人』に、怖い人という亜人族に、敵意として向けられた。だから、結果として、亜人の腕が握り潰されたのだろう。
この時、ミサギは唖然とした。
スポンジのように握り潰してしまった、腕の残骸を、ザラザラグチュグチュと、手のひらで確認した時、彼女は唖然として、初めて、気持ち悪いと思った。
手のひらのこれが不快で、気持ち悪くて気持ち悪くて、隣で呻く声が聞こえて。
彼女は、初めて使ったこの力を、うすうす感づいていたこの『最強』を、
嫌いになった。
けれどミサギは、この力を使わなければならなかった。周りを囲む亜人族が、一斉に襲いかかってきたのだ。彼女は、力を振るった。そして同時に味わった。自分が生命を奪っていく罪悪感を。温かい液体の、柔らかい臓物の不快感を。そして何より、こんな地獄絵図をたった一人で繰り広げている自分への、恐怖を。
吐き気がする
ものの数秒で、あれほどいた亜人族を、一人残らず肉塊にした一人の少女は、地面に、まるで今自分がしたことを忘れようとするように、今起こった出来事を、五歳の心じゃ受け止めきれないというように、
吐いた。
そしてその一部始終を、見てた人がいたみたいだ。
そこからは、早かった。
貴族の家の子が、一人で、しかも五歳で亜人族を血祭りにあげた。
そんな噂が広がり、その噂を聞いたミサギの父親が、噂が立った時と同じ頃、自分の娘が血だらけで帰ってきたのと照らし合わせて、その正体がミサギかもしれないと考えた。
ホワイトレオ家は当時、破産寸前だったから、ミサギは捨てられるように、公の戦場に、引っ張り出された。父親は、噂の話は自分の娘だと王を説得し、娘を戦場に放り出すことに成功した。ミサギは、ミサギの父が、メイドとの間に、作った女の子だったので、正直いらなかったのだろう。戦場に、娘を放り込んだ父親は、娘はすぐに死ぬだろうと思っていたようだ。だから、娘が死んだら家にお金が入るようにしていたそうだ。しかし、そんな思惑は無駄になることになる。
ミサギは、重たい鎧を着せられ、放り投げられるように戦地に出された。
まだ5歳の彼女はなきじゃくりながら戦場を歩いた。いろんなところから聞こえる、人々の怒声、呻き声、泣き声。命がなくなる音、金属が折れる音、爆発音。
最悪だった。
だから泣いた。
泣いて、泣いて、泣きじゃくった。
戦場の真ん中で、大きい泣き声。そりゃあ目立つ。大勢の血も涙もない敵が、彼女を殺しに向かった。一人の敵が、ミサギに斧を振り下ろす。
瞬間……
斧が吹っ飛んだ。
ミサギがやったのだ。ミサギは、斧だけを吹っ飛ばしていた。敵は唖然としていたが、体が動くようになると、また攻撃しようとした。だが、ミサギがなにか、泣きわめきながら、呟いていたので、耳を傾けた。
「殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない。」
まるで呪詛のようだった。
敵は、そう思った。
そして次の瞬間、敵は吹っ飛んだ。
ミサギはこの戦場で、一番の活躍をした。
しかし、ミサギは誰も殺していなかった。
「殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない…」
殺したくない
ミサギは自分の力が、自分の『最強』が、敵と認識したものを簡単に、虫でも握り潰すかのように、殺めてしまうことを知っていた。だから、ミサギはいくら敵であろうとも、殺めてしまうことは、嫌だった。
あの、とてつもない吐き気を、自分に対する嫌悪感を、また味わうのは嫌だった。
殺したくない
そのミサギの意思を『最強』は、汲み取ってくれたらしい。
結果、ミサギは誰も殺していなかった。
誰も殺さずに、勝った。
この戦でミサギの軍は、圧勝だった。
まだ小さい彼女の、戦争でのとても大きい功績に、王は、とても喜んだ。
彼女の家の地位も上がった。
彼女の両親は、意図せぬ形だったが、自分の娘が、自分の家の地位をあげたことにとても喜んだ。
帰ってきた娘に、今までの扱いの謝罪と、この功績のお礼、そしてこれからも、戦場に出て欲しいことを頼んだ。
ミサギは二つ返事で了承した。
両親が、私のことを見てくれてる。私を必要としている。
それだけで嬉しかった。
本当は、あの、血の匂いのするあそこに戻るのは嫌だけれど、しょうがない。
ミサギという少女は、『最強』は、こうして、戦場に降り立った。
この日から、ミサギは沢山の戦場に行き、勝って帰っていた。誰も殺さずに、確実に功績を上げた。
王は、その功績に、とても驚き、そして喜んだ。彼女の家には沢山のお金が入るようになった。そして彼女の名は、だんだんと国の人に知られていった。
そしてミサギが、十六歳になった頃、ホワイトレオ家は王の側近になっていた。また、彼女にも、二つ名ができていた。
『 最強』
それが今の彼女の、広く知られた、名前だった。
『ミサギ ホワイトレオ』
最強の白いライオンは、今も戦場を駆け回っている。
はずだった。
いや、正確には、ちゃんと各戦場を飛び回って、功績を挙げてはいる。挙げてはいるが、それに心はついてきていない。彼女の心は、そうすることを嫌がっているのだ。つまり、今戦場を駆け回っているライオンは、そのライオンの後ろ姿は、ライオンに見合わず、とても覇気のなく、憂鬱そうに、駆けているわけだ。問題は、なんでそんなことになっているのか。戦場に出向くことをいやがっているのだろうか。それも、あるにはあるのだろう。しかし、そのことについては、彼女はあまり苦には思っていない。
五歳の時の最初の戦で人を殺さずに戦闘不能にする術は身につけたし、お父さんとお母さんが、私が戦場にでむくことを望んでいるんだ。逆にやる気が出るくらいだよ。
と彼女は思っている。ならばなぜ、彼女は、戦うことを嫌がるのだろうか。
それは、『最強』の、能力の特性にあった。
彼女は『最強』を、使っていくにつれて、その能力が、だいたい使いこなせるようになっていた。そして、そこでわかったのだ。これまで、これほどの力があるのになんの代償もなかったこの力の、本当の代償が……。
彼女は、生まれながらに孤独だった。物心ついた時から、独りだった。親からの愛情がもらえず、いろんなところを歩き回った。でも誰も相手にしてくれなかった。
でもそれは、自分のせいだと思っていた。最強の力がわかった日、両親の、あの態度の変わりようで、これまでの孤独は、自分のせいだったんだと思った。自分が役に立てば、みんな自分のことを愛してくれる。そう思った。
だけど、違った。全然違った。役に立てば、みんな優しくはしてくれた。けれど、愛してはくれなかった。親も、兄弟も、親戚も、他人も。みんな私を好きになってはくれなかった。どんなに頑張っても、功績を挙げても、歩み寄ろうとしても、絶対に相手の方から歩み寄ってくれなかった。
彼女は、どんなに有名になっても、孤独だった。それは変わらなかった。
そして彼女は気づいてしまった。この孤独は『最強』
のせいだと言うことを、いや、もっと前から気づいていたのかもしれない。
最強は、温もりを断つこと
最強は、愛しあわないこと
最強は、関わりを持たないこと
最初からわかっていたというようにすんなりと理解ができた。そして確信ができた。なんの根拠もないのに。
『最強』を持つ者は、自分以外のものとの、心の関わりを禁ずる。
それがこの世で最強の力を持つ者の唯一の代償。唯一の呪い。
そしてやっぱりそれは、なんの覚悟もしていない十六歳の彼女には、重すぎる呪いだった。
それに最近、どんな人も前より態度が冷たい気がする。
ここは夜のベッド。ミサギは、もう毎日恒例となっている、過去の自分の、ふりかえりをしていた。
毎日思っているけれど、やっぱり自分の過去は悲惨だなと思う。今日は帰りたくないとすら思ってしまった。だってそうだろう。みんながみんな、だんだんと私と距離を置くのだから、いやにならないわけがない。
ああ、私はなんで、『最強』なんだろう。
ミサギは、明日の孤独に怯えながら、今日も眠りにつく。
次の朝……
「うーん」
眠そうな目をこすって、起きる。ミサギはゆっくりとベッドから出ると、静かに、いつもきている洋服に着替える。
ミサギの朝は早い。それは、ミサギには毎日している、朝にしかできない、唯一の楽しみがあるからだ。
「さあ、今日も、お散歩行こう。」
朝のお散歩は、格別だ。お散歩はいつでも楽しいけれど朝はもっといい。
朝の日の光を浴びながら、この家の庭を歩いていると、なぜか幸福な気持ちになる。心地いい風と、暖かい朝日がこんな気持ちにさせるんだろうか。まぁ、どうでもいいか。今は、この幸福を、楽しもう。
そんなことを思いながら、歩いていると、ミサギの目の前を、綺麗な、そして眩しい光が、輝きながら通り過ぎていった。
「綺麗……」
なんだろう。蝶々だろうか。捕まえたい。
そう思った瞬間、ミサギの足は動いていた。
『最強』の、能力だ。
最強は、自分の欲望に、素直であるべきである。
ということらしい。
ミサギは、人間離れした動きで、光の方に飛んでいくと、それを捕まえた。
瞬間
辺りは真っ白い光に包まれた。