プロローグ 『終わり』
炎が、身を焼いていた。
「熱い、熱い熱い熱い熱い熱い……クロは。」
自分が身に焼かれる前、助けたペットの安否を確認する。焦点の合わない目が、安全なところでこちらを見つめる猫の姿をとらえる。
「よかった。」
うすれゆく意識の中、場違いの安堵を感じた彼は、かろうじて動く腕で、遠くにいる猫に手を伸ばす。
「いきろよ。」
伸ばした腕は猫に届かず、空中を撫でた彼は、そんなことを呟いて、
静かに息を、引き取った。
時は、3時間前にさかのぼる。
「今日のメシは、これだけか。」
机に置かれた、大の大人には、全くもって物足りない野菜の漬物と、隣に添えられた、『お兄ちゃんなんてだいっきらい』と書かれたメモ帳の切れ端。まあつまり、これは、あれだ。
「妹の機嫌をそこねたらしい。」
妹のごはんが、今の俺の胃袋になってる今、機嫌をそこねてしまったのは、マジでやばい。下手するとこれから三日は野菜の漬物しか食べられない。
どうしたものかと俺が思い悩んでいると、愛猫のクロが、こっちにかけよってきた。
「おーよしよし。」
クロを抱き抱え、目を閉じると、俺の今までの人生が、蘇ってきたみたいに、思い出されてくる。なんだよ俺、死ぬ直前かよ。
師走 菫という男の人生は、今まで、順風満帆に道を歩いたことがない。どっちかというと人より不幸体質で、怪我や病気になりやすかったし、勉強や運動、仕事。どれをとってもお世辞にもできると言えるものはない。顔もイケメンではなく、女もいない。小さい頃はよく、親が何も考えずにつけた女の子のような名前のせいでイジメの対象になったし、大きくなればなるで、会社になじめないという理由で退社し、職なしデビューを果たすなど、人生大暴落中の、27歳である。
「現在コンビニ定員のアルバイトで、新しい会社を探しちゅう、か。」
自分の人生のあまりの酷さに、呆れ始めてきたことに危機感を感じながら、彼は家を出る。
「とりあえず何か食べるものを買いに行こう。」
安いもの、近くのスーパーにあるかな。クロに餌もあげないと。
そんなことを思いながら、彼は歩き出す。鍵をかけるのを忘れて。
家が、燃えていた。
家に入ったら、家が燃えていた。
「なん、で?」
なんで家が燃えている?クロがやったのか?いや、火の元は、全部クロの届かないところにある。それにクロが危ないものをさわるはずがない。じゃあなんで?他の誰かがやったのか?いや、今は考えている場合じゃない。
「消さなきゃ。」
慌てて火の元であると思われる二階に向かおうとしたが、無理だった。二階はほぼ焼けている。てかこんなに焼けているのに近隣住民は、気づかなかったのかよ。それに二階には、火の元になるようなものなんて、何もない。
「やっぱり、誰かが?」
そうとしか、考えられない。その時、鳴き声がした。
「クロ!!」
クロは、どこにいる?やばいやばいやばい。鳴き声に耳をすます。鳴き声は、二階からだった。二階にいるのか?二階に戻り、目を凝らす。クロはいた。炎のむこうに、狭い隙間に入って、やり過ごしているようだ。でも煙が、はやく助けないと。
一階に戻り、バケツに水をため、炎のところに勢いよくかける。火が弱まった瞬間、一気に走り抜ける。
「あっつ!」
体の所々を火傷しながらも、クロのところに来た菫は、クロを抱き抱え、戻ろうとするが、炎に阻まれる。
「どうすればいい?」
こっちに、火を弱くするすべはない。助かる方法は、突っ走ることだけだけれど、それだと菫とクロがただでは済まない。いや、まてよ。クロを抱き抱えて、1、2、ステップくらいで踏み込んで、それでクロを投げれば、クロは、助かるかもしれない。やばい。火がまわってきた。考えている暇はない。
わかっているさ。そんなことをした時の俺の末路なんて。でも、いいじゃないか。この火の回りじゃ、どうせどっちか助からない。俺は最後くらい、カッコイイことがしたいんだ。
クロを見る。彼女は、菫を見つめかえしてにゃーと鳴いた。可愛いな。
そんな思いを最後に、少し目を閉じて。
彼は、師走 菫は、炎の中に駆け込んだ。
魂が流れるのがわかる。俺はどこに行くんだろう。何も感じない流れの中で、されど心地よくなっているのがおかしい。俺はこのままどこかに向かうのだろう。そう思っていたのに。
刹那、魂が掬い上げられた。
「がっっ。」
出るはずのない声が出た。おかしい。おかしい。おかしい。今、イレギュラーが、起きている。圧倒的な不快感に包まれて、身悶えする彼を、掬い上げた誰かが、潰した。
声すらだすまもなく、潰された彼は、光の粒子となって、本来いくはずの無いところへ、バラバラになりながらも、されど一つにまとまって、
飛んで行った。