3-1 これ以上望まない
数日後。清蘭は足首まであるほっそりとしたスカートをはき、翡翠の耳飾りと首飾りをつけた。
自分の部屋の鏡の前で、くるりと回ってみる。
「似合っていますか? アシア」
「べつにおしゃれする必要はない」
清蘭の部屋で、アシアは蜜に浸した菓子をつまんでいる。
「だって、今日はお出かけなんですよ。わたくしのためにシェルが眼鏡を失くしたんですから。新しいのを買って返さないと」
「だから普段着でいいと言っている。一緒に出かけるのが、わたしと兄さまなのだから」
「もうっ」
アシアは分かっていない。
(わたしの恋心には気付いているのに。どうして、好きな人のために装いたい気持ちが理解できないのでしょう)
「どうして清蘭は、兄さまのことが好きなのだ?」
「葡萄長廊を褒めてくれたんです」
勢いこんで答えたのに、アシアは納得しない。
「兄さまが忠義の誓いを立てた時ではなく?」
「ええ」
アシアは腕を組んで、首をかしげた。
「葡萄長廊は知っているでしょう? 藍国のあちこちにありますから。あれは、わたくしが初めて設計したものなんです」
「なんで葡萄?」
「だって藍国の石畳は白いでしょう? 日中は陽射しを反射してすごく暑いじゃないですか。そりゃ、川岸は涼しいですけれど。でね、紅水河から離れた場所でも涼がとれて、しかも果実まで食べることができるんですよ。素晴らしい発明だと思いませんか?」
「まぁ、悪くはないけど」
「ですよね。そうですよね」
清蘭は何度もうなずいた。
葡萄長廊を設計したのは、たしか七歳の頃だった。道の左右から柵を組んで、そこに葡萄の蔓を這わせるのだ。
「清蘭は、あれか? 自分のことをかわいいと言われるよりも、自分が発明した物を褒められる方がうれしいのか」
「まぁ、当たり前じゃないですか。わたくしを、かわいいと言ってくださる方なんて、そもそもおりませんし」
「……いないわけではないが」
今日のアシアは、歯切れが悪い。
着替え終わると、廊下で待つシェルの元へ二人は急いだ。
「シェルー!」
部屋の外で控えていてくれる彼の姿を見て、清蘭はとびついた。いつもどおり、シェルはびくともしない。
「なにも飛びつかなくとも。私がここにいるのは、ご存じだったでしょうに」
「ふふ、見てください。今日の装いは、どうでしょうか」
「変なところはありませんね」
清蘭が選びに選んだ服を見せても、シェルの反応はそっけない。
「他に言うことはありませんか?」
ふむ、とシェルは顔を近づける。眼鏡がないせいか、細かい部分が見えにくいようだ。
「清楚な装いですから、街に出ても国民に悪い印象は与えないでしょう。先日は正装をしなければならぬ場でしたから、華美ではありましたが」
(そうじゃなくて)
じれったくなって、清蘭は口をとがらせた。
けれど、ふと我に返る。
(あら? わたくし、自分のことを可愛いと言われるよりも、発明を褒めてもらった方がうれしいと、さっきアシアと話していませんでしたっけ)
あら? あらら? とてつもなく矛盾している気がする。
そんな清蘭を、アシアはにやにやと眺めていた。
街までは、王家の舟を使って出かけた。
紅水河の流れに乗り、藍都で一番大きな舟着き場へと到着する。
舟頭に後は任せ、三人は街へとくり出した。といってもシェルは護衛も兼ねているので、重そうな剣を腰につけてはいるが。
藍色のタイルを貼った壁と、白い道。建ち並ぶ店の窓には、宝石や服が飾ってある。
「あ、岩絵の具」
絵画用の顔料や筆を売っている店の前で、アシアが立ち止まった。
「アシア、絵を描くんですか?」
「絵など描かない。岩絵の具は顔に塗れば偽装塗料になる」
「なんですか? 偽装塗料って」
「だから顔に塗る岩絵の具だ」
全然分からない。埒が明かないと察したのか、シェルが背後から清蘭とアシアをのぞき込んだ。
「パラティア人は戦う時に、背景にまぎれるように顔に色を塗ることがあるのです。たとえば森であれば、顔は緑に。荒れ地や砂漠であれば顔は茶色に、夜ならば黒に。服も色を合わせ、髪にも岩絵の具を塗りつけます。そうすれば敵に見つかりにくくなりますからね」
「それはなかなか……壮観ね」
闇夜に顔を真っ黒に塗って、青い眼だけがぎょろりと見える様子は、考えただけでも恐ろしい。
きっと幼い子どもが闇夜のパラティア人に遭遇したら、一生消えない心の傷が残るかもしれない。
眼鏡はどれもシェルに似合っていた。
清蘭は金属の縁、琥珀色の縁といろいろと勧めては、それをつけるシェルを見て、頬を染めた。
「やはり軽いのが一番です。動く際に邪魔になりませんから」
シェルが選んだのは、一番簡素な銀縁の眼鏡だった。
「でも、他のも似合っているけれど」
「いざという時に、眼鏡が邪魔になっては姫さまをお守りできません」
「そういう観点でしか物事を考えないのって、どうなのでしょう」
「他に重要なことがございますか?」
はぁー、と清蘭はため息をついた。
冬李王子の件は、結局はシェルが助けてくれた。それはありがたいと思っているけれど。
(でも、いつまでも子どもと思われているみたいで)
とてももどかしい。
走って追いかけても、何をどう頑張っても、シェルの年齢には追いつけない。
いつか彼の青い瞳に、護るべき子どもとしてではなく、一人の女性として映りたい。
(わたくしも強くならなくては……)
店を出て、三人で街を歩く。円形の広場に出ると、たくさんの屋台が並んでいた。
「姫さま、喉が渇きませんか? ジュースを買って参ります」
「待って、シェル。わたくしも行くわ」
アシアは? と見ると、怪しげな屋台を夢中で覗いている。
「あれは、なんですか?」
「どうやら煙玉のようですね。神経を麻痺させる毒が入っていて、投げつけると煙を発するのです」
「その煙を吸うとどうなるのですか?」
「まぁ、動けなくなりますね」
シェルの説明に、清蘭はぶるっと身を震わせた。
藍国の子どもがぬいぐるみに、目を輝かせるように、アシアは戦いの道具に心を躍らせている。
「アシアはパラティア人の中でも、相当変わっていますよ」
財布の中身と、煙玉の値段を真剣に見比べる妹を見ながら、シェルは肩をすくめた。
「武闘派と称されることが多いパラティア人ですが。アシアはパラティアの祖である大公に、よく似ていると両親は話しています」
「古い時代の大公ですよね。どんな方ですか?」
「王家の姫君を守り、支えたことで、大公の位と国を授けられたそうです。大公は、姫君に永遠の忠誠を誓ったとされています。言い伝えなので、今となっては正確かどうかは分かりかねますが」
「素敵ですね」
「姫さまがお考えになる『素敵』とは、ずいぶん違うと思いますよ。そもそも精霊が普通に存在するような、伝説の時代ですし。それに我らにとっての忠義は、家族よりも優先されるものですから」
そういえばシェルとアシアの両親は、そろって王宮にいるけれど。彼らの両親からも兄妹からも、互いの話は聞くことがない。
清蘭自身も王や王妃と親しいわけではないから、これまで気にすることもなかったけれど。
血のつながった子どもである自分たちよりも、他人を優先させる親の生き様を、当然寂しく思うことはあるだろう。
そんな清蘭の気持ちを察したのか、シェルが微笑んだ。
「忠誠を誓い、一生を捧げることのできる相手を得ることが、パラティア人の最高の幸福なのです。私は、アシアに早くそういう人が見つかることを望んでいます」
「そういうものなのですか?」
「ええ」
さっき買ったばかりの眼鏡をケースから取り出すと、シェルはそれをかけた。
涼しげな銀縁の眼鏡は、シェルを知的に見せている。
「私は二十二歳になるまで、本当の意味では生きていませんでした」
シェルは地面に片膝をついて、清蘭と目の高さを合わせた。
まっすぐに見つめられて、どうしていいか分からなくなる。でも、視線をそらせることができない。
「私に生きる意味を与えてくださったのは、姫さまです」
清蘭の両手を、シェルが握りしめる。
これは彼の忠誠心。
でもパラティア人にとっては、どんな感情よりも勝る想い。
「これからもわたくしと共にいてくださいますか?」
「はい。私にとっては姫さまが全てですから」
清蘭はまぶたを閉じた。
ああ、これ以上何を望むというのだろう。
たとえそれが愛や恋でなくとも、シェルは彼の存在すべてを与えてくれるというのに。




