2-2 冬李王子との出会い
冬李王子は、侍従と護衛を伴ってやって来た。
細かな植物の刺繍が入った衣は、きらびやかで。桂国に多い赤毛、胸元には水晶でできた首飾りがつけられている。
少し清蘭よりも背が低いのは、まだ王子が十一歳だからだろう。
今日の清蘭は藍国の民族衣装をまとっていた。
青と白の薄い布を重ねた服で、上下がひと続きになっている。胸元のすぐ下に宝石のついた革ひもを結び、頭には同じ薄布のベールをかぶる。
「ふん。気に入らんな。余より身長も年齢も上とはな」
「殿下、そうおっしゃいますな。身の丈は、すぐに伸びますゆえ」
初老の侍従にたしなめられても、冬李はつんとそっぽを向くだけだ。
「しかし暑いな、この国は」
冬李は懐から扇子を取りだした。すると、すぐに侍従がその扇子を開き、王子をあおぐ。白檀の甘い香りが辺りに漂った。
「翠 清蘭でございます」
ベールを手であげて、挨拶をする。
「生意気な。常に屈むなり、しゃがむなりして、余よりも小さくあるべきであろう?」
そんな無理を言われても。
清蘭は困惑して、背後に控えるシェルを見上げた。シェルは無表情だが、一瞬だけ清蘭と視線を合わせた。
「我慢なさいませ」と諭されている気がした。
「さぁ、藍都を案内するがよい。どうせ、辺境の貧相な街だろうがな。ああ、そなたは余の後ろを、屈んで歩くように」
(ダメです。ため息しかでてきません)
この縁談、絶対にまとまらない気がする。
王宮を出た清蘭と冬李は、舟で紅水河を下った。
王族が使用する、紋が彫り込まれた大きな舟。
それぞれの護衛も乗り込んで、さらに櫂を操る舟頭もいるから総勢五人だ。桂国の侍従は、後続の舟に乗っている。
というか、かなり窮屈かもしれない。
シェルも体格がいいが、冬李王子の護衛はさらに巨躯だからだ。
「狭いぞ。もっとそっちに行け」
「そうはおっしゃられましても、これ以上移動すると川に落ちてしまいます」
「構わぬ。そなたが泳げばよいだけのこと」
はははっ! と楽しそうに冬李が笑い声をあげる。
「ほら、どうした。余に泳ぎを見せてみよ。紅水河を誇る藍国のこと、さぞや華麗にカエルのように泳ぐのであろうな」
「いえ、わたくしは」
「なんなら、手伝ってやろうか? ほら、どうだ」
ぐいぐいと、冬李が清蘭の肩を押す。
「ご無礼ながら殿下。お戯れが過ぎるのではありませんか」
思わずといった風に、シェルが割り込んできた。彼らしくもない。
清蘭が他の誰かといる時は、常に清蘭の影に徹して、でしゃばるようなことはしないのに。
「ふん。つまらぬ」
頭上に張り出した木々の枝から、薄緑の木漏れ日がちらちらと光っている。
冬李は目をすがめると、懐から扇子を取りだした。
そのまま腕を舟の外へと伸ばし、手の指を開く。
すとん。
たたんだままの扇子は、紅水河に吸い込まれていった。
「余の扇子が落ちた。そなた、拾ってまいれ」
冬李が命じたのは、自分の護衛ではなく清蘭にであった。
「わ、わたくしですか」
「そうだ。妻とは夫を支えるものであろう? そなたにその覚悟があれば、余の大切な白檀の扇子を拾うことくらい、訳もなかろう?」
清蘭は、冬李の顔をまじまじと見た。
(この方は、なにを仰っているの?)
わざと落とした扇子を、水中に潜って取ってくることが、妻の務めなのだろうか。
(桂国ではそうなのでしょうか)
初対面ですでに冬李には嫌われているのが、はっきりと分かる。もし結婚しても、その先に幸福な未来は見えてこない。
「あの……わたくしとの縁談、怒っていらっしゃいますか?」
意を決して、清蘭は尋ねてみた。
その問いに、冬李の顔がかっと赤くなる。
「生意気な!」
同時に、冬李の手が振り下ろされた。
叩かれる! 清蘭はきつく目を閉じた。
パァン! という高い音。けれど痛みも衝撃もなかった。
恐る恐る瞼を開くと、清蘭の代わりにシェルが叩かれていた。
見る間にシェルの頬が赤くなる。
「お、王子! なにをなさいますか。姫さまに手をあげるなど、あってはならぬことでございます」
隣の舟から、おろおろと侍従が身を乗りだしてくる。
「ふん。素手で叩かれるだけ、光栄と思うべきだな」
頑丈なシェルを叩いたせいで手が痛むのか、冬李は右手をさすっている。
「シェル。大丈夫ですか? 口の中は切れていませんか?」
「なんともございません、姫さま」
清蘭は、ほっと息をついた。
けれどすぐに、苦い感情が込み上げる。
冬李が無理難題をふっかけたいのは、清蘭に対してだ。なのに、シェルはそれを代わりに受けなければならない。
ただ自分の護衛に選ばれたというだけで。
「なんだ、その不遜な目つきは。占星術師のおばばに聞いたぞ。藍国の清蘭王女は、滅びの姫だと。諸国に情報が洩れぬよう緘口令を敷いたかもしれんが、残念だったな。忘れたのか。きさまの本質を見抜いたのは、我が国の占星術師だったということを」
「そんな……」
「ふん、同席するのも汚らわしいわ。だというのに藍国の王は、桂国に呪われし姫を押しつけて、素知らぬ顔をする。たかが紅水河の水源があるばかりの、辺境のくせに。思い上がりもいい加減にするのだな」
目の前が真っ暗になった。
それほどまでに自分は嫌われているのだ。初めて出会った相手からも。
「さぁ、拾ってくるのだ」
なおも川面を指さす冬李。
その時だった。シェルが腰に帯びた剣を外し、川に飛び込んだのは。
「シェル?」
しばらくすると、水面が揺らいだ。
そしてシェルが顔を出した。手には濡れた扇子を持っている。
「どうぞ、ご所望の扇子でございます」
「なっ! お前になど命じておらぬ」
「さぁ、どうぞ」
「余は、この女に拾って来いと言ったのだ」
「さぁ」
シェルは冬李をにらみつけた。その瞳は、怒りを力づくで押し込めてぎらついている。
冬李は言葉を失い、おずおずと手を出した。
パシン! 叩きつけるように冬李のてのひらに扇子が渡される。
「お前……」
「失礼。水中なので力の加減ができませんでした。ですが、舟が傾かずよかったです。もし王子まで水中に投げ出されていたとあれば、おおごとですから」
シェルは、口もとだけに笑みを浮かべた。
「本当に王子が水に落ちていたかと思うと、ぞっといたします。お二人は共に桂国と藍国の王族でいらっしゃいます。子どもの戯れ、悪戯が過ぎたなどと誰が信じましょう。今日のことが、外交問題を引き起こさないとも限りませんから」
それは清蘭が水に入っていても同じことだと、言っているのと同然だった。
まだ何か言おうとして冬李は口を開いた。
だが侍従が、横の舟からそれを制止した。
「王子。また日を改めましょう」
「なにをっ」
「そのように激昂なさっておいででは、まとまる縁もまとまりませぬ。ごらんなさい、清蘭さまが怯えておいでではありませんか」
ちらっと冬李が清蘭を一瞥する。
「ふん、腑抜けが。夫のために身を呈するは妻の務めであろうに。たかが川に飛び込むこともできぬ女など、こちらから願い下げだ。よいか、滅びの王女よ。桂国では、妻は夫が炎の中に落としたものですら、火中に飛び込んで拾いにゆくものだ。覚えておくがよい」
舟頭に舟を岸に着けるように命じると、冬李は護衛を伴ってさっさと降りていった。
舟に残された清蘭は、ぼうっとしていた。
「姫さま、大丈夫でいらっしゃいますか?」
「え、ええ」
そっと肩に触れてくるシェルの手が濡れているのに気づき、清蘭は懐から布を取りだした。
水滴のしたたる金の髪を、丁寧に拭う。
「ごめんなさい。わたくしのために」
「謝ることはございません。姫さまがご無事で何よりです。もし扇を追って飛び込まれたらと思うと、今でも……」
続く言葉を、シェルは飲みこんだ。
湿った布を持つ清蘭の手を、大きなシェルの手が包み込む。その指は小刻みに震えていた。
「わたくし、あの方とは結婚できません」
シェルは答えない。
そうですね、と言ってほしいのに。
私も賛成いたしかねます、と同意してほしいのに。
ただ、無言で清蘭のことを見つめるだけだ。
「シェル……なにか、言ってください」
「今回のことは、王と王妃にお伝えします」
「父と母に話しても無駄です。だって、二人ともわたくしのことを厄介者だと思っているんですもの。わたくしが桂国に嫁いで、滅びの姫がいなくなればそれでいいと……」
ああ、だから自分は初対面の冬李に嫌われたのだ。
清蘭は気付いた。
滅亡の王女、滅びの姫。清蘭がいれば、そこには未来がないと思われているから。
二つの国の間で、疫病神を押しつけあっているだけだ。
(なんて愚かなの、わたくしは)
流木止めの設計図と引き換えに、望まぬ結婚を回避しようと考えていた。なんて思いあがっていたのだろう。
(わたくし自身に何の価値もない。それどころか、お荷物でしかないのに)
ぱた。ぱたた。
涙のしずくが、握りしめた手の甲に落ちる。
「藍国が滅んでほしいなんて、思っていません」
「はい、分かっております」
「わたくしは……この国が好きなんです。なのにこの国はわたくしのことを好いてくれません。誰も、わたくしのこと愛してなどくれません」
濡れたシェルの手が、清蘭の髪をかきあげた。
冷えきった指先が、頬にそっと触れたから。
清蘭は身をすくめてしまった。
「私は常に姫さまと一緒におります。私にとっては姫さまが全てです」
「それは……」
護衛として? それとも一人の男性として?
けれどその問いを口にすることは、できなかった。
こんなにも優しいシェルを、これ以上困らせたくはない。
「眼鏡、水底に落ちてしまいましたね」
「あ、ああ。道理で。見えにくいと思っておりました」
「もう流れてしまったかしら」
清蘭は舟から身を乗りだした。もっともすでに岸についているのだから、意味はないのだが。
「もう一度潜って、探してまいります」
「行かないで」
川に入ろうと立ち上がったシェルの腕に、清蘭はしがみついた。
湿った服を通して、彼の体温が伝わってくる。
「姫さま?」
「き、今日のお礼に新しい眼鏡を贈ります。だから、探す必要はないと思うんです」
眼鏡のレンズを通さないシェルの瞳を見るのは、久しぶりだ。
いつからシェルは眼鏡をかけていたのか、もう覚えていないけれど。
空と同じ青い色の瞳。こんなにもきれいな色だったのかと、清蘭は見とれてしまった。




