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遥かなる紅水河~滅びの姫は、恋をする~  作者: 絹乃
十一 緑水河のほとり
31/32

11-1 求婚

 緑水河は、紅水河よりも川幅が広く、流れは緩やかだった。

 水は澄み、川底には優雅に泳ぐ魚の影が映っている。


「ちょっと見てくれよ。瓜がなってるんだぜ。それにさ、川岸にナツメの木も見つけたんだ」

「まぁ、すてき」


 光月と清蘭は、草むらにころんと実っている瓜をうっとしと眺めた。呑気なものだ。


「果物よりも、まずは住むところが先なのでは?」


 シェルは、男たちと一緒に日干しレンガを作っていた。

 砂漠公路から離れているから、交通の便は悪い場所だが。でも、だからこそ手つかずで残っていた土地なのだろう。


「きゃあ!」


 バシャンと派手な水音が聞こえた。シェルが見ると、清蘭は水の中に落ちていた。


「何をなさっておいでなんですか?」

「瓜を採ろうと思って」

「で、水に落っこちたというわけですね」


 水浸しになり、そのまま川の中で座っている清蘭は、しょんぼりとうつむいた。淡い色の毛先から、ぽたぽたと水が落ちていく。


「一人で上がってこられますよね。手は貸しませんよ」

「大丈夫です」


 清蘭はそう言うと、土手を上ろうとした。けれど草の葉を掴んだせいか、また水に落ちてしまう。

 シェルはため息をつくと、川の中の清蘭に向けて腕をのばした。

 清冽な水をまとった清蘭の細い指が、シェルの乾いた手を握る。


「仕方のない人ですね」


 身を乗りだして、片腕で清蘭の体を抱え上げる。そのまま草むらの中に二人して座りこんだ。

 太陽に照らされた草からは、緑のにおいが立った。闖入者に驚いた羽虫が、次々と飛び立っていく。


「ご、ごめんなさい」

「瓜なんて、いつでもいいでしょう。どうして無理をして、採ろうと思ったんですか?」

「だって、今から川に浸けておけば、夕食後には冷えておいしいんですもの。シェル、瓜が好きですよね」


 この人は……。

 シェルは頭を掻いた。


「瓜は好きですが。姫さまの方が好きですよ」


 清蘭の頬が赤く染まる。


「少しは慣れてくれませんか? 何度も好きと申し上げていますよね。愛を囁くたびに赤面されては、先に進めません」

「先って……?」


 うっ、とシェルは言葉を詰まらせた。


「姫さま。恋愛小説は愛読されていましたよね」

「ええ。大好きです。王宮の図書室にあるものは、アシアと一緒に読破しましたもの」

「書いてありませんでしたか? 恋人同士が……その、どんな風に……」

「書いてありました!」


 パンッ、と清蘭が両手を叩く。


「とっても傲慢な男性が、権力を振りかざしてですね。旅行に来ていた女性の主人公を館に閉じ込めて、国に帰さないんです。でもしだいに主人公は、男性に惹かれていくんです」

「その男性のどこに魅力があるのか、さっぱり分かりませんが」

「それがですね。夜中に寝室でくちづけを交わしたと思ったら、すぐに朝になって……鳥が鳴いていましたね。アシアと一緒に、この恋人たちは寝つきがいいんですねって、話したことがあります」

「……なるほど」

「で、先に進むって具体的になんですか?」


 真顔で顔をのぞきこまれて、シェルは頭を抱えた。

 そうだ。姫さまの勉強時もお側に控えていたが、確かに教師たちが教えていたのは、数学や物理などだった。

 冬李王子との縁談もあったというのに。もしあのまま非道なエロガキ……いや、王子の元に嫁いでいたらと思うと。心底恐ろしい。


「教科が偏りすぎなんだよ……」

「シェル?」

「姫さまが完全に大人になられるまで、先には進めませんが」

「はい?」


 だから、そんな澄んだ瞳で見つめないでほしい。

 溢れだす愛しい気持ちを、無表情で押さえこもうとするけれど。上手くいかない。



「……少しだけ、お教えします」


 シェルは清蘭の腕を掴むと、その唇を奪った。

 これまでのように軽く触れるだけではない。

 深く、苦しいほどのくちづけだ。

 清蘭は混乱したのか、足や手をむやみに動かし始めたが、それを封じて抱きしめる。

 唇がわずかにずれると、清蘭の口から吐息が洩れた。


「だめですよ。まだくちづけは終わっていません」

「……っ」


 助けを求めるように、清蘭の指がシェルの服の胸元にしがみつく。

 水のしたたる細い首に唇をつけ、そして耳元で囁く。


「怖いですか?」


 清蘭は、きゅっと瞼を閉じて首をふった。

 怯えているのに、必死なのに。

 幼さの抜けたその顔には、艶っぽさがにじんでいた。

 ご自分では分かっていないのだろう。これまで圧倒的に足りなかったものを、今は備えていることを。


 つらいことも多かった。けれど惨状をくぐり抜け、この方は一回り大きくなられた。

 今の清蘭は、ただ守られるだけの少女ではない。


 吹く風が、そよそよと丈の高い草を揺らす。


「服が乾くまで、ここにいてください」


 ぼんやりとしていた清蘭だが、声をかけると我に返ったようだった。


「わたくしは、平気ですよ?」

「だめです! 絶対に」


 華奢な体に、濡れた服をはりつかせた清蘭を、人目にさらすわけにはいかない。

 清蘭を腕の中に閉じ込めたままのシェルは、胸元に何か硬いものが触れるのを感じた。


「それは?」

「水晶の花です。ずっと大事に持っていたいから」


 懐から出した水晶細工は、今も変わらず透きとおっている。

 シェルはそれを受け取ると、清蘭の右耳の上につけた。

 陽光を受けて、水晶の花は美しくきらめいた。


「主従の関係を越えて、私はあなたを愛しています」

「シェル」

「私と結婚してください」

「はい」


 目に涙を浮かべながら、清蘭はうなずいた。



◇◇◇



「なんで、お前が隣に住むんだ」


 ひと月後。シェルは、自分と清蘭の家の徒歩十歩ほどのところに建つ、こじんまりとした家を眺めながら腕を組んだ。


「えー、だってー。ここってさ川べりで涼しいし、眺めもいいし」


 光月が、もじもじというか体をくねくねさせながら、上目遣いでシェルを見上げる。

 とても気持ちが悪い。シェルは眉間にしわを寄せた。


「それにさ、親友が側にいるって心強いぜ?」

「……ちょうど川沿いだしな」

「うんうん」

「少し地面を掘れば、その建物に水が引きこめる」

「だろ、だろ」

「姫さまが水車小屋を作りたがっていたから、ちょうどいいかもしれない」

「ダメだってー。俺んちなんだから」


 光月は、シェルの腕にすがりついた。

 単なる寂しがり屋だろ、お前。


「俺さ、やっぱりここにいていいのかどうか、迷ってんだよね」


 ぽつりと光月が呟いた。彼にしては珍しく、静かな口調だ。


「皆、優しくしてくれるよ。けどさ……俺、アシアの生存を占ってから……あれから一度も占いをしてないんだ」

「光月」

「ほんとは、アシアのことを占うのも怖かった。っていうか、これまでの占星術師人生の中で、一番恐ろしかった」


 光月は瞼を閉じた。髪の色に近い、赤っぽい睫毛が顔に影を落とす。

 それが本当に影なのか、あるいは隈なのか。見分けはつかないけれど。


「占い、すればいいんじゃないか?」

「いいのかな」

「桂国の占いは当たるんだろ? 北に行けば隊商宿もあるしな」

「なんだよー。俺を追い出すつもりかよ」


 まるで子どもみたいに、光月が頬をふくらませる。

 早とちりするなよ。


「この地で暮らしていくにも、物資はいる。隊商の荷を買いに行くこともあるからな。その買い出しに着いていって、ついでに占いをすればいいじゃないか。評判が広まれば、わざわざ出かけなくとも、この緑水河に客が来てくれるだろさ」

「そうかな」

「ただし、家で占いをするなよ。恋占いに夢中になった女どもが押しかけると、俺も清蘭も生活しにくい」


 その言葉に、光月は目を輝かせた。


「おお、我が友よ」


 がしっと抱きついて、挙句の果てには頬にくちづけられそうになる。


「やめろ。気持ち悪い」

「なんでだよー。俺の愛情表現だっていうのに。じゃあ、代わりに清蘭に愛情表現してくる」

「もっとやめろ」


「本当に、仲良しなんですね」


 いつの間にか背後から、清蘭の声が聞こえた。これはまずい、光月に愛情表現をされてしまう。

 シェルはとっさに清蘭を自分の背に隠した。


「あの、さっき隊商宿に行くって聞こえたんですけど。シェル、出かけるんですか?」

「いえ、予定はないですが」

「なんだ。そうですか」


 あからさまに、清蘭はがっかりした表情を浮かべる。何か買ってきてほしいものでもあるのだろうか。宝石のついた首飾りとか、なめらかな手触りの布とか、玻璃の器とか。


「じゃあ、また機会があればご一緒しましょうか」

「いいんですか? わたくし、工具が欲しいんです。あとネジもたくさんいりますね。バネも欲しいんですけど、ちょうどいい大きさなら、自分で作った方がいいんでしょうか」

「姫さまは、どこにいても相変わらずでいらっしゃいますね」

「まぁ。失礼な」


 清蘭は背伸びをすると、シェルの口に唇を触れさせた。


「わたくしだって、愛情表現はできるんですよ」


 そよ風のようなくちづけ。髪につけた水晶の花が、涼しい音を立てる。一瞬、何をされたのかシェルは理解できなかった。


「大人の女性になるための第一歩です」


 両手を腰に当てて、清蘭はなぜかえらそうだ。


「うーん。その程度じゃ大人とはいえないなぁ。よし、お兄さんが手ほどきしてあげよう」

「え、そうなんですか? じゃあ、紙とペンを持って来ます」

「いやいや。こういうのは実践するのが一番さ」


 光月が清蘭の顎に手を当てて、上を向かせる。


 なんということを!


 シェルは清蘭を担ぎ上げると、そのまま家の中に飛び込んだ。


「やっぱり、あいつの家は水車小屋にする」


 肩で息をするシェルは、清蘭を肩に担いだままだ。


「いいか! 清蘭。ああいう実践っていうのは、他の男とするなよ」


 どうしたことか、清蘭がシェルの顔を覗きこんでくる。

 まだ床に降ろしていないから、その顔の位置はとても近い。


「シェルとなら、実践してもいいんですか?」

「俺以外とするなって、いうことだ」


 声の大きさに驚いたのだろうか。清蘭が目を丸くしている。

 しまった。つい激昂してしまった。


「シェルが俺って言うの、初めて聞きました」


 初めてというわけでもないのだが。


「わたくしのことも、清蘭と呼んでください」

「いや、でもそれは」

「さっきは呼んでくれました。わたくしに丁寧語を使わないシェルも素敵です」


 ああ、もう。

 シェルは天井を仰いだ。

 敬語や丁寧語を使っていれば、自制できるのだ。なのに……。


「俺はもう知らないからな」


 シェルは扉の鍵をかけた。


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