10-3 夕葉と別れて
「塔を燃やす真っ赤な炎の中で、姫さんは倒れていらっしゃった。どんなに手を伸ばしても届かなくて、崩れた梁が姫さんの体の上に落ちて……それでも、もうあの時に姫さんの意識がなかったことだけが……たぶん、唯一の救いなのよ」
塔が燃えても、誰も鎮火しようともしない。王女を助けようともしない。
王女が亡くなっても、誰も泣かない。
そんな火国が憎くて。なのに同じ占いを突きつけられた桂国と藍国の王子、王女はのうのうと暮らしている。
何もかもが許せなかった。
燃えて崩れた塔は、いつまでもくすぶり続けて。
どんなに掘り返しても、姫さんは見つからなかったというのに。
「長かった自分の髪を切って、塔の残骸に置いてきたのよ。せめて姫さんが、一人きりではないようにと。そしてあたしは復讐を誓ったんだ」
穢れた占いを王女に押し付けた金目を殺害した。金目は命乞いをしたが、そんなことは知らない。
王女の孤独も苦しさも悲しさも絶望も知らずに、よくも生き永らえたものだ。
「あたしは、冬李王子もあんたのことも憎かった。許せなかったのよ」
横たわったままの緋目は、遥か遠くの空を見つめた。その先にあるのは、火国だろうか。
彼女の瞳には、今も燃えて崩れていく塔が焼き付いているのかもしれない。煙のにおいと、見えぬ煤が今も肌にこびりついているのかもしれない。
「でも、もしあんたを殺しても、あたしの姫さんは喜ばない。姫さんはあんたのことなんて、知らないんだから。それにあんたを殺したら、あのパラティア人があたしと同じになっちまう。憎しみだけに囚われて、殺戮をくり返して……奴のそんな未来を、あんたは望まないよね」
「……藍国の小学校では、恨みや憎しみに囚われることがないようにと教えるそうです。父さまのところをよく訪れていた教師が、わたくしに話してくれました」
「復讐したい相手がいる場合は、どうするのさ。我慢しろってこと?」
清蘭は困ったように微笑んだ。
「憎い相手のことを考えずに、自分が幸せになることが、復讐になるそうですよ」
多くの仲間を奪われて、今は砂人に対してそんな寛大な気持ちにはなれない。
けれどろくに武力もない自分たちが、砂人に挑んだところで万に一つの勝ち目もない。
ならば、藍国という名の国はこの世からなくなっても。藍人という存在が失われたように思われても、したたかに生き延びよう。
砂人はきっと勝ち誇っているだろう。
けれど彼らは紅水河を得ることができない。全滅したと信じ込んでいる藍人が、まだ生存していることを知らない。
「国と土地と地位を手放せば、多くの人が救えます。身軽であるなら、なおのこと自由でいられます。わたくしも最初は憎しみに囚われるなという意味が、分かりませんでした。でも、今は理解できるような気がするんです。避難できた皆さんは、前進することにためらいがありませんから」
「金目や、あんた達を憎めば、姫さんはあたしの中でずっと生き続けてくれている。そう思っていた」
「火国の第三王女には、緋目さんがいたのでしょう? 一人きりではなかったはずです。彼女にとって大切なあなたを、そんなどす黒い感情に沈めたかったでしょうか?」
「……そうだね」
緋目は両手で顔を覆った。
「そうだよ。あんたも程度は違えど、軟禁状態だったんだ。あたしよりも、あんたの方が姫さんの気持ちは、分かるよね」
「緋目さん……」
「あたしは夕葉だよ」
会話が途切れると、辺りは風の音に支配された。夜だというのに、月明りに照らされて流される雲は白く見える。
体に巻き付けた布がバサバサとはためき、寒さに清蘭は身を震わせた。
「こんなとこまで、連れてきちまって悪かったね。夜明けには別れよう」
「夕葉。あなたはこれから、どうするんですか?」
「さぁねぇ。もう何もないからねぇ。せめて姫さんを弔って、生きていくよ」
ふと清蘭は思いついた。
「紙とペンを持っていませんか?」
「そんなもんは、持ち歩いてないわよぉ」
「じゃあ、丸薬を貸してください。一番大きい粒を」
清蘭は布を裂いて、地面に広げた。黒い丸薬を押しつけながら線を引き、説明を書いていく。
「火語は知らないので、藍語で書きますが。読めますか?」
「難しい言葉でなければ。かろうじてね」
「よかったです」
今は乾季だから、紅水河は地底河川として隠すことができる。けれど雨季になり、一気に雨が降れば。
その時、紅水河は地上に溢れだすだろう。
そして地上を荒らして、地底へと戻っていく。
「この設計図を売ってください。今ではなく、紅水河が氾濫した後で」
「その時でなきゃ、だめなのぉ?」
清蘭はうなずいた。
今、かの地に残る国は砂国しかない。
この技術の重要性を理解しない者は、安く買い叩くだろう。
「身をもって必要であると思い知らなければ、価値はないんです」
くすっと夕葉は笑った。
「ただの甘ちゃんだと思ってたけどぉ。あんた、なかなか食えないよねぇ」
「火国の王女を弔うにも、あなたが生きていくにも先立つものは必要ですから」
「なるほどね。皆がついていくわけだわ」
夕葉は沈黙すると、ゆっくりと清蘭の頭に手を伸ばした。
「藍国では、頭を撫でてはいけないという決まりはないの?」
「ありませんけど」
「よかった」
夕葉が清蘭の頭を、荒っぽく撫でる。力強いのに、指先の動きからは慈しむような感覚が伝わってくる。
ああ。夕葉は今、彼女の主を撫でているのだ。
清蘭に、大切な人を重ね合わせているのだ。
「あんたの親を悪く言いたくはないけどね。三国の王が、もっと連携して同盟を結んでりゃ、今の事態は避けられたかもしれない。無駄に高い自尊心を抱いて、滅んでいく様を見るのはつらいよね」
「はい」
「これは、ありがたくもらっていくよ」
設計図を描いた布を丁寧に巻いて、夕葉は革袋にしまった。
薬が効いているのか、夕葉は立ち上がっても平気そうだった。
「夜明けを待とうと思ったけどね。そろそろ退散した方が、よさそうだよ」
「こんな暗い中を進むんですか?」
「せっかくあんたに未来をもらったんだ。こんなところで、死にたくないからね」
夕葉は、唇の前に人差し指を立てた。
静かにして耳を澄ますと、規則的な足音が聞こえてくる。二人分、だろうか?
「じゃあねぇ」
月明りが短すぎる夕葉の髪を照らした。
主である少女に捧げた髪、主のためならば悪に堕ちることすらも、ためらわない。
夕葉は女性なのに。その迷いのない背中は、シェルに重なって見えた。
「姫さま!」
岩山の尾根を走ってくるのはシェルだ。
まっすぐに清蘭に向かってくる。
夜の暗さと眼鏡がないから、足元がよく見えないのだろう。何度もつまずきながら、それでも走っている。
彼が足をふみだすごとに、腰につけた剣が音を立てる。
「シェル。来てくれた……」
最後まで言い終える前に、抱きしめられた。
あまりにも強く腕の中に閉じ込められて、息が苦しくなる。
その腕は、小刻みに震えていた。
「よかった。ご無事で。本当によかった」
「わたくしは大丈夫です。緋目……いえ、夕葉が解放してくれました」
至近距離で、青い瞳が清蘭を見つめてくる。
「追わなくてよろしいのですか」
「いいんです。解決しました」
「……姫さまがよろしいのなら、従いますが」
渋々という様子だったけれど、シェルは納得してくれた。
シェルも変わった。
どこまでも清蘭を害する者を、追いかけて追いつめて……そんな感じだったのに。
「来てくれて、ありがとうございます」
きゅっと逞しい体にしがみつくと、砂でざらついたシェルの手が、頬を撫でてくれた。
「おーい、俺のことも忘れないでくれよなー」
離れた場所から、光月の声が聞こえた。




