10-3 あたしの姫
岩山の頂上は、強風が吹いていた。
清蘭の髪も服も、風に激しくあおられている。
「もう、なによぉ。天気はいいくせして。訳分かんない」
緋目は悪態をつきながら、清蘭を担いで歩く。
意地でも歩かないと決めた。緋目の体力を削げば、それだけシェルに助けられる確率が上がるから。
高度が上がるごとに、緋目の息が苦しそうなのが伝わってくる。
肩からずり落ちそうになる清蘭を、緋目は担ぎなおす。
「もう諦めてください。わたくしを置いて、あなただけ砂国に行けばいいじゃないですか」
「そんな意味のないことをして、何になるのよ! あんたを売れば、あたしはあの国で価値ある人間になれる。商品のくせに指図するな!」
「じゃあ、休んでください。息が荒いです、頭痛もするのではないですか? 気分だって悪いはずです」
清蘭の言葉に、緋目は足を止めた。清蘭を地面に下ろし、自分はその隣に座る。もちろん休憩の間も逃げられないように、二人の手首同士を布で結んで。
「火国の人なら、薬を持っているでしょう? 飲んでください」
「あたしが元気にならない方が、いいんじゃないのぉ?」
「……そうですけど。顔色が蒼白な人を追い込む趣味はありません」
「なによぉ。調子が狂うじゃないの」
緋目はうなだれると、腰につけた袋から丸薬を取りだした。
「これが頭痛薬。これは吐き気止め。こっちは化膿止め。あんたは具合悪くないの?」
てのひらに、大小の丸薬をのせて清蘭に見せる。
さすがに火国は、薬の国と称されるだけのことはある。藍国では薬草を煎じるか、あるいは乾燥させて粉にする薬しかないからだ。
粉にした薬草や樹皮を用いているとは思うのだが。何か粘り気のあるもので、それらをまとめて丸くして、さらに乾燥させているのだろうか。
「ちょいと、あたしが尋ねてやってんだから。答えなよ」
「すみません。丸薬の製法が気になって。この大きな丸薬だけねっとりしているというか、指に粉がつくんですね」
「ああ。あたしも詳しくは知らないけどね。けど、呑気よね。この山を下りたら、あんたは売られるんだよ。どっかのおっさんに買われて、屋敷の奥深く閉じ込められて弄ばれるかもしれないのにさ」
「そんな脅し、怖くありません」
渋いにおいのする丸薬を指で押さえながら、清蘭は答えた。
緋目は水もなく、丸薬を飲みこんでいる。
「わたくしを売るのは、技術のためだと言いましたよね。そんな目的のためではないはずです」
「あらま。怖がらせるの、しっぱーい」
強風に、飛ぶ鳥が流されていく。
清蘭は、これまで登ってきた方角をふり返った。岩山の頂上は高度があるから、遠くまで見晴るかすことができる。
すぐ下方の荒れ地砂漠には、小さな天幕がいくつも並んでいる。天幕の先は、砂ばかりだ。
けれど、朧にかすむ地平の果てに緑の一筋が見える。
(もしかして、あれが緑水河?)
木々や草などの植物は川に沿って繁殖する。ならば、間違いないだろう。
どうか、あの緑あふれる地が、藍国を失った皆の安住の場所となりますように。
祈る気持ちで、清蘭は遠い緑を見つめた。
(シェル。早くわたくしを見つけてください)
塩の花は、すでに半分以上減ってしまっている。
「変だよねぇ」
「な、なにがですか?」
「あんたの安っぽい水晶細工のことよぉ。なんか、小さくなってなぁい? 形も崩れているしさ」
手元をのぞき込んでくる緋目に、清蘭は背を向けた。
「脆いのに、しっかり握りしめているせいです」
「そーお? 不良品じゃないのぉ」
「もしかしたら水晶じゃないのかもしれません」
これは賭けだ。慎重に言葉を選ばなければならない。
もし岩塩だとばれてしまったら、シェルに知らせるために薄い花弁を割っているのだと知られたら。きっと緋目は激怒する。
「水晶じゃないなら、なんなのよぉ」
「私も石に詳しくはないんです。だからこそ、騙されて偽物を掴まされてしまったのかもしれません」
人の心を読んだり、誘導したりするのは得意ではない。小さな頃から、シェルとアシアとしか接してこなかったから。圧倒的に経験が足りない。
(うまく話をかわせるでしょうか)
「ふーん。あんたでも、知らないことがあるんだぁ」
「王宮からほとんど出たことがありませんので。無知なんです」
「あらら。かわいそうにねぇ」
緋目は口の端を上げた。
(これは、うまくいったのでしょうか)
けれど、安心したのは一瞬だった。
目を細めた緋目は、清蘭の手から岩塩を取り上げた。
「きゃあ!」
「手で握っているだけで砕ける石って、なによぉ。あんた、何を企んでるわけ? あたしを馬鹿にするんじゃないわよ」
手首を結んでいない右手で、岩塩を地面に叩きつける。自分の行方を知らせる唯一の花が、あっけなく砕け散った。
「夜が明けたら、すぐに出発するからね。まったく油断ならないわ」
夕暮れが近づき、西の空は茜に染まっているが、東の空は深い群青だ。
清蘭が見上げると、昼の名残と夜の始まりが溶け合っているのが分かる。
足元には粉々になった塩の花が散乱している。
薄紅だったはずなのに、辺りが暗くなりその粒の色さえも判別できない。
砂漠地帯では、昼と夜の寒暖差が激しい。山の頂上は風もきつく、体感温度はさらに下がっている。
布を体に巻きつけているが、歯が噛みあわなくてガチガチと音を立てる。
「……寒い……」
こぼれる声は、白い息の形になった。
清蘭の隣に座る緋目は、うつむいている。眠っているのだろうか。こんな寒い場所で?
強い風にあおられ、清蘭はよろけてしまった。そのまま緋目にぶつかってしまう。
驚いた。
接した緋目の体が熱かったから。
「熱があるんですね。どうして?」
慌てて緋目の上体や足に触れると、右のふくらはぎが燃えるような熱を持っていた。足自体も腫れ上がっている。
足をおおう細袴をめくると、縫合された傷が化膿していた。しかも膝から上には、ひきつれた火傷の痕がある。
(藍国を出る時に、火傷を負ったのでしょうか)
それにしては、最近の傷のようでもない。
「緋目さん。薬を飲んでください。化膿止めを持っていますよね」
「姫は、あたしじゃない。……姫、さん。あたしの……姫さん」
うわごとのように、緋目は同じ言葉をくり返している。
「ごめんなさい……姫さん」
清蘭は、緋目の袋の中から丸薬を取りだした。確か一番大きな粒が、化膿止めだったはずだ。
「これを飲んでください」
緋目が持つ革袋の水筒の栓を抜く。まだ水はある。
熱っぽい緋目の口を開かせ、丸薬を入れて水を飲ませる。
「お願い、飲んでください」
こくり、と緋目の喉が動いた。
よかった。火国の薬ならば、よく効くだろう。
そう考えて、清蘭は呆然とした。
(どうしてわたくしは、この人を助けているの? 今こそ逃げるのに好機なのに。いっそ見捨ててしまえば、皆の元に戻れるのに)
見下ろす天幕は、とても小さくて。視界に入るのに、一人ではたどり着くことのできない場所だ。
「馬鹿だよねぇ」
ぽつりと緋目がつぶやいた。
「だから藍国の人間は、甘いって言われるのよぉ。あんただって滅びの王女なんだからさ、あたしの姫さんみたいに幽閉されて燃やされたっておかしくなかったのに」
なぜか緋目の瞳には、涙がにじんでいた。昇りはじめた月の冴えた光が、彼女の涙に宿る。
「あたしの姫さんも、藍国に生まれてりゃ……こうやって生き延びてたのに」
「あなたは、火国の第三王女に仕えていたのですか?」
「そう。あたしが守るべきお方。この命に代えても、お助けしたかったのに」
唇を噛みしめた緋目の声は、かすれていた。




