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9-3 眼鏡がないから

 さっきまで清蘭の小さな手が触れていたシェルの頬を、風が吹き抜ける。

 砂混じりの風は冷たくないはずなのに。妙な冷たさを頬に感じた。


(姫さまが触れていらした時は、あんなにも温かだったのに)


 食事の片づけをする清蘭を、シェルは目で追った。

 王宮にいらした頃は、侍女たちが食事を運び、片付けもしていたのに。

 今は、清蘭自身が動こうとしてくれる。

 シェルに向けた細い背中。つややかだった髪は、砂漠の風にぱさついてしまっている。


 立ち上がった清蘭が、ふらついた。


「姫さま?」


 シェルはとっさに、清蘭の体を抱きとめる。腕の中の、これまでよりも軽い体に泣きたい気持ちになる。


「平気です」

「平気という顔色ではありません。ちゃんと夜にお休みになっていないのでは?」

「少し……眠れなくて」

「では、今からお休みください」

「でも、皆に説明を。司南しなんしん緑水りょくすいのことを」

「方位磁針も川も逃げません。一日出発が遅れることよりも、姫さまが倒れられる方が問題です」


 清蘭の肩と膝の裏を抱えて、シェルは彼女を横抱きにした。

 これまでなら、首筋にしっかりと抱きついてきたのに。今の清蘭は、シェルと視線を合わせようともしない。


 きっと、この先のことを考えていらっしゃるのだろう。

 ならば邪魔をしてはならない。

 寂しいとか、苦しいなど考えてはいけないのだ。


 天幕の中に清蘭を横たえ、布をかける。


「ゆっくりお休みください。私は外におりますから」


 シェルは天幕の入り口にあたる布を、そっと下ろした。




「おっはよー」


 手を振りながら、光月が天幕にやって来た。シェルは空いた時間に剣の手入れをしている。


「あれ? 清蘭は?」

「少しお加減がよくないので、休んでもらっている」

「えー。大丈夫なのかよ。やっぱり姫さんには、流浪生活は厳しいんだな」


 光月は、シェルの隣に腰を下ろした。


「果たしてそうだろうか。ここのところ姫さまの眠りが浅いんだ。夜中によく寝返りを打っていらっしゃる」


 何気ない言葉だったのに、光月は唖然と口を開いた。


「どうした。変な顔をして」

「お前! それ、平気なのかよ」

「何がだ? もっと静かにしろ。姫さまが起きてしまうだろ」

「いや、確かにここは天幕が一つしかないよな。考えてみりゃ、そうだよな」


 口に手を当てて、光月はぶつぶつと呟いている。

 妙な奴だ。姫さまも口ごもっていらっしゃったし。そう考えた途端、シェルは目を見開いた。


「貴様。姫さまに、何をした」

「へ?」

「姫さまの心を惑わすようなことを言ったのか? それともまさか、手を出したのではあるまいな」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺がなんで清蘭を押し倒したりするんだよ」

「押し倒したのか? 許さぬ」


 シェルは光月の胸ぐらをつかんだ。その気迫に、光月の顔は真っ青だ。


「しーっ。清蘭が起きちまうとまずいんだろ」

「……確かに」


 声は落としたが、シェルは相変わらず光月の胸ぐらから手を離さない。


「俺は、緑水河の方角にある星を教えただけだぜ。清蘭に迫るわけねぇだろ」

「なるほど。姫さまは方位磁針を作っておられたな。では、なぜ彼女は眠れぬのだ?」


 はぁー、と光月がため息をつく。

 シェルは、ようやく彼から手を離した。


「清蘭と一緒に寝てて、なんとも思わないわけ? あんた、清蘭のこと好きなんだろ?」

「私の気持ちは、お伝えしたことがあるが」

「清蘭は、なんて?」

「ありがたいことに、姫さまは、私のことを好きと仰ってくださる」

「じゃあ、恋人同士でめでたし、めでたしじゃんか」


 シェルは額に手を当てて、うつむいた。


「平時なら、な。姫さまに今後も政略結婚の話が来るのであれば、身分差はあれど、彼女を誰にも渡さないと思った。だが、今はそれどころではない」


 清蘭を腕の中に抱きしめたい。

 彼女の寝顔を見るたびに、そう思ってしまう。けれど、生き延びた自分だけが恋を叶えることはできない。

 だから同じ天幕の中で、背中を向けて寝るようにした。守るべき人の気配だけは、分かるように。



「占ってやるよ」


 光月は地面に星読みの図を広げ、銀の腕輪をはめる。


 シャン、シャラン。手の動きに合わせて、腕輪が音を立てる。


「私は今、占いなど」

「シェルのことじゃねぇよ」


 光月が指で示した星の記号。それは見覚えがあるものだった。


「まさか……アシアの?」

「気にかかってんだろ。アシアの安否も分からねぇのに、恋なんかしちゃいけないって、な。けどな、アシアが聞いたら怒るぜ。『兄さまに意気地がないのを、わたしのせいにしないでほしい』と」


 妹の特徴をとらえた口真似に、シェルは眉を下げた。


 常に心の片隅で、アシアのことを考えていた。

 あの日、ずっと見送っていた小さくなる姿。自警団は応戦しただろうが、自宅のある東地区への攻撃は苛烈だったに違いない。


「あの俊敏で、身体能力が馬鹿みたいに高いアシアが、逃げられぬなど……ありえないんだ」


 姫さまを安心させるために、アシアは大丈夫だと言ったが。

 それを告げた自分が、妹の安全を信じていない。


「けれど私は、アシアを弔いたくはない。祈りをささげたりしない。意地でもアシアは生きていると、信じないと……私と姫さまが信じていないと、本当にアシアは消えてしまいそうで」

「分かるさ。その気持ち」


 顔を両手で覆い、うなだれたシェルの背中を光月が撫でる。


 最近、おかしいんだ。

 涙腺が弱くて、困るんだ。

 眼鏡がないと、気持ちをさらけ出してしまうから。たとえヘタレと言われていても、こんな弱いのは自分ではない。


「シェルは姫さまに染まってしまったんだろうな。藍人っぽいぜ」

「……どういうことだ」

「アシアは多分、そこまで兄のことを考えちゃいない。彼女は藍国で育った割には、生粋のパラティア人だ」


 滲む視界で、シェルは光月を見つめた。


「占いの結果、聞くか?」

「……ああ」


 決意を込めて返事すると、光月は両腕を広げた。


「アシアの支配星に、滅びの星は関与していない。だが、移動星が横切っている。アシアは藍国を出た」

「生きているんだな」

「おうよ。あと二つ星を伴っているようだ。アシアは一人じゃない」


 それは我らのように、団体で行動しているということか?

 だが二つの星……アシアとあわせても三人。少なすぎはしないか。


「この二つ星は連星。大きな星と小さい星が、互いにしっかりと結びついている。しかも興味深いことに、アシアはこの連星に従う形になっている」

「どういうことだ?」

「俺、前に街でアシアのことを占ったよな。複数の主に仕えると。断言はできねぇけど、この連星を支配星に持つ者が、アシアの主なんじゃねぇか」


 シェルは瞬きをするのも忘れた。

 絶望の中に一筋の光が……とてつもなく眩しい光が射しこんだ気がした。


 パラティア人にとって主を得ることは、生きている証。言い換えれば、忠誠を捧げる相手を見つけられなければ、自分自身の存在すらも否定しかねない。


「そうか。主を見つけたのか。主を乗り換えるのではなく、二人に仕えるのか」


 本当におかしい。この地は乾燥しているのに、どうしてこんなにも自分の目は、水が余って溢れているのだ。

 砂に落ちた涙は、次々としみこんでいった。


「アシア……」


 お前の幸せを願おう。どんなに遠く離れていても、ずっと。


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