9-1 拒絶の背中
山岳地帯を越え、清蘭たちは平原へと出た。
かつては緑あふれる野だったと聞くが、今は岩と砂、地面には枯れた木々が倒れている。
「光月。あなたは星で方角を読めるのですよね」
「そりゃ、まぁな」
光月は、湯を沸かしながら清蘭に答えた。
「こんな荒れ地でも水が得られるんだな」
碗の中で沸騰した湯は、コポコポと音を立てている。
「ええ、霧を集めれば可能です。でも、生活用水としては、やはり足りません」
清蘭は地面に立てた網を眺めた。
枯れ枝と枯れ枝の間に、女性たちに編んでもらった網をかけた霧水捕集器が、うまく機能している。
網に用いた糸は、人の背丈ほどもある枯れた葉から取り出した繊維だ。
「この荒れ地は霧が出るから、助かるのですけど。季節によって霧が出ないかもしれませんから。やはり水辺に移動したいんです」
「なるほどな。けど方位磁針はねぇのか?」
「方位磁針が入っていた荷物は、広場で砂人に襲われたときに失ってしまいました」
「あー、そりゃ仕方ねぇな」
光月は湯を口に運んだ。やっぱり干し果実と氷砂糖の入った茶が飲みたいと呟きながら。
食料も事前に準備していた薄い干しパンや、シェルをはじめとする男性たちが鳥や山羊を捕ってくれるが。いつまでもこんな生活を続けるわけにはいかない。
砂漠公路を使用すれば、途中に隊商宿や水場もあるのだが。砂人が追ってこないとも限らない。
『紅水河生水』が手に入らなければ、王族である清蘭が狙われる可能性もある。
「西南の方角に、緑水河があると聞いたことがあります。藍国よりも暑い土地でしょうが、定住できると思うんです」
「了解。西南ね」
夜。見上げる空は、満天の星。
芥子粒のような星が多すぎて、清蘭の知っている星座も見分けがつかない。
「天の川は分かるだろ」
光月は天を指さした。
「ええ、空を横切る川ですね」
「川っていってるけど。あれ、全部星なんだぜ」
そう教えられても、にわかには信じがたい。双眼鏡があれば、もっとよく分かったのかもしれない。
アシアのことを思いだし、清蘭は胸が痛んだ。
きっと生きている。そう信じているけれど。
「で、かなり低い位置だけど。ほら、ひときわ明るい星があるだろ。赤っぽい色の。あれが南極老人星」
「魚釣星の赤い星とは違うのですか?」
「そっちは大火って星だ」
「……難しいですね」
これだけ星が多いのに、光月はよく間違えることなく判別できるものだ。
「地図に当たる星図ってのが、あるからな。俺ら、占星術師はガキの頃から、星図を頭ん中に叩き込むんだよ。けどさ、俺にとっちゃ設計図を書いたり、それを形にする方が難しいけどな」
「わたくしが存在することに、価値が欲しかったからかもしれません」
「なるほどな」
光月は、清蘭の頭に手を置いた。シェルほどの重さを感じない手だ。
「俺も一緒かもな。桂国で、人並みの生活をしようと思ったら、芸術か占星術を学ぶしかねぇからな。桂国では実用的な技術ってのは、下にみられるんだ」
なるほど。だから冬李王子に、馬鹿にされていたのだ。体形の問題ではなかったのだ。
清蘭は、思わず自分の胸に手を当てた。
「……まぁ、突っ込まねぇけどな。で、あの南極老人星を目指していけばいいだろう」
さらさらと砂が流れる音がする。
静かな夜だ。
「わたくしたちと一緒に来てくださって、大丈夫なんですか? 桂国に戻りたいのではありません?」
「俺? んー、もう国はないんじゃねぇかな」
しまった。清蘭は手で口を押さえた。
砂国が侵攻してきたのが、藍国だけとは限らないのに。
「砂人は粗野で不粋だろ。だから桂国の芸術家や占星術師は、砂国に連れていくんじゃねぇかな。俺は、そんなとこに住みたくないね」
「ええ。でも生きるために……いえ、誰かを生かすために、敵国に住むという選択しかできない場合もあるかもしれません」
「だよな」
光月は、ため息をついた。
「実際さ、この辺りで国が滅びるのは初めてじゃない。古代から遊牧民族が牧草地を求めて移動する過程で、部族国家と戦って征服していった例は多いからな。でも、だからといって、よくあること……って納得はできねぇけどな」
清蘭は、隣に立つ光月を見た。
かそけき星明りに浮かび上がる横顔は、ただ調子がいいだけのいつもの彼とは別人のように思えた。
「占いは、怖いよな。未来を知りたくねぇ奴だっているだろ。なのに、望まぬ未来を教えちまうんだからな」
「いい占いばかりでは、ありませんものね」
「……済まなかったな。金目が……俺の師匠の占いが、あんたの人生を奪っちまった。本当は皆から愛され、王女として幸せに成長するはずだったのにな。王族からも無視され、部屋に閉じこもりきりだったんだろう?」
夜風に乗って、人々の話す声が聞こえた。
先の見えない逃避行。不安だろうに、彼らの声は明るい。いや、明るくふるまわなければ、先へ進めないのかもしれない。
「滅びの姫の占いがなければ、わたくしはシェルやアシアと出会えませんでした。悪いことばかりでは、ないんですよ」
「そう言ってくれると、助かるぜ」
にっと光月は笑った。まるで少年のように。
「姫さま。こちらにいらっしゃいましたか」
「シェル」
清蘭は砂に足を取られながらも走り、シェルに飛びついた。
「相変わらずだな」と、光月が肩をすくめる。
「夜風は体によくありません」
そう言いながら、シェルは布を清蘭の肩にかけてくれた。
寒いという感覚はなかったのに、布に包まれて暖かさを感じた。知らぬ間に、体が冷えていたのだろう。
「天幕に戻りましょう」
「ええ」
寄り添いながら、二人は天幕へと向かった。
流浪の生活で必要になるだろうと、軽くて強度のある布はたくさん用意してあった。
枯れ木を地面に数本立てて、布を張り渡せば天幕となり眠る場所が確保できる。
入り口部分の布をめくりあげた天幕の前では、焚き火が燃えていた。
夜の暗さに、赤い火の粉が舞っている。
「緑水河への方角を、光月に教えてもらったんです」
「そうですか」
焚き火の前に二人並んで座るけれど。会話が続かない。シェルは棒で、火の勢いを調節している。
「この辺りの川にワニは、いませんよね」
「緑水河には、生息していないはずです」
パチパチと、焚き火のはぜる音。
シェルは疲れているのだろうか、それともあまり機嫌がよくないのだろうか。
叱られるようなことをした覚えは、ないのだけれど。
清蘭は思い切って、隣に座るシェルに身を寄せた。
けれど、すぐにシェルは距離を置いてしまう。
(え? どうしてですか?)
もう一度挑戦、とばかりに、また近寄ってみる。
またシェルは体を横にずらした。
嫌われた? いや、そんなはずは……と、今度はシェルの手に自分の手を重ねる。
けれどその手すらも、避けられてしまった。
(もしかしてアシアやご両親のことを、考えているのかもしれません)
ならばそっとしておいた方がいいだろう。
清蘭は天幕の外に置いてある荷物から、針を取りだした。
それを棒で挟んで火で熱し、南北方向において冷やす。
北はすぐに分かる。不動星が目印だから。王宮も藍国の外から見たときに、不動星の下になるように建てられていた。
針が冷えれば、今度は軽い木片の先端に針をつける。
「これで大丈夫です」
清蘭は椀をとり、水を満たした。
そこに先ほどの木片を浮かべると、針は不動星とは反対の方向、南を示した。
「何を作っていらっしゃるのですか?」
立ち上がったシェルが、清蘭の手元をのぞき込む。
「司南針です」
「聞いたことがありませんが」
「図書室の文献で見たことがあるんです。熱した針を南北に向けて冷ますと、磁力を帯びると。その針は、南を指すそうです。水の浮力で動きやすいように、木片に針をつけてみたんですけれど」
この南の方角と、南極老人星との角度を測っておけば。磁針を頼りに、昼間でも移動することができる。
「明日、皆に発表しますね」
「そうですね。それがよろしいと思います」
見つめてくるシェルの瞳は、どこか物憂げだ。眼鏡がないと、彼の青い瞳には果てのない夜空が映っているようで。清蘭までも心許なくなってしまう。
手をつないでくれたら、抱きしめてくれたら。安心できるのに。
また飛びついてみようか。けれど、さっき手を避けられたことが頭から離れない。
「もう眠った方がいいですね」
「え、ええ」
促されて、清蘭は天幕に入った。
護衛の意味もあり、シェルとは同じ天幕で眠っている。
いつもは向かい合って眠っているけれど。今夜、シェルは清蘭に背中を向けてしまった。
横たわる清蘭の目の前に、広いシェルの背中がある。逞しくて頼りになって……清蘭のために傷まで負わせてしまった背中。目にするだけで安心できたのに。
今夜はまるで壁に拒絶されているようで、不安になる。
(シェル、こっちを向いてください)
心の中で願っても、シェルはふり返ってもくれない。
かすかに獣の遠吠えが聞こえる。
その寂しい声は、はぐれてしまった仲間を求めているかのように清蘭には思えた。
獣の声は、相手に届くのだろうか。
どんなに遠く微かであっても、応じる声があるならば。清蘭は瞼を閉じて、遠吠えの返事を待ち続けた。




