8-3 アシアとの約束
藍都の人口は多くはないが。南地区だけでも、住戸は五百ある。なのに集まった住民の数は、あまりにも少なすぎる。
二百人にも満たない、という程度だ。
(たったそれだけの人たちしか、逃げられなかったのですね)
今も遠く大砲の音が、聞こえてくる。
鈍い音が響くたびに、いったい何人の命が失われているかと思うと。心臓がまっぷたつに裂かれるほどに苦しい。
ふいにきな臭いにおいが、風に混じって流れてきた。
空を仰ぐと、西の空が黒い煙で覆われている。狼煙ではない。火事だ。
「あれは、第二の旋回橋……学校の方角です」
相当に火の勢いが強いのだろう。煙に炎の赤さが映っている。
清蘭の脳裏を、第二旋回橋で出会った女の子の姿がよぎった。
興味深そうに橋のことを尋ね、そして兄のような少年に手を引かれて、学校の方へと帰っていった。
学校は西地区。清蘭の指揮下にはない。
(どうか、無事で。逃げおおせてください)
そう祈ることしか、できなかった。
第一旋回橋から覗くと、紅水河はかなり水位が減っていた。
上流で土嚢を落とし、残った水の流れを塞いでいるのだ。
「速やかに橋を渡ってください。すぐに山岳地帯に入ります」
清蘭の指示に従い、人々は整然と歩いた。
これからの苦難、故郷への思慕、失ったものへの悔恨。すべてを飲みこんで、ただ前へと進む。
だが秩序も、すぐにうち破られた。
ヒュ……、ヒュン。
風を切る音が聞こえたと思うと、絶叫が起こり、人の列は一気に崩れた。
「なっ!」
ふり返った清蘭の目に映ったのは、無数の飛矢だった。
悲鳴とうめき声を上げながら、人々が倒れていく。
折り重なって倒れた者の向こうに、槍や弓矢を構えた砂人たちを従えた冬李がいた。
王子とも思えぬ、下卑た笑いを浮かべながら。
「見つけたぞ。裏切り者」
冬李の視線は、まっすぐに光月に向かっていた。
「お前が銀目だそうだな。余は、しょぼくれた婆さんだとばかり思うておったが」
「あんたが見抜こうとしなかっただけだろ。緋目の時みてぇにな」
ピクリ、と冬李がこめかみをひくつかせた。
「で、砂人を引き連れて何の用だよ」
「目障りな者は始末した方が、よかろう? 銀目は余を裏切り、桂国を捨てた。違うか?」
「尊敬できる王子なら、裏切るわけねぇだろ。つまり、あんたには人望も人徳も、何もかも備わってねぇってこった」
口論する二人をよそに、清蘭は怪我人を救助した。
かすり傷程度の者は大丈夫だが、首や頭を射られ、すでにこと切れてしまった者もいる。
「おんなじように滅びの予言が下されても、あんたは清蘭とは大違いだ」
「そんなゴミのような女と、余を比べるつもりか」
「あー、比べられるわけありませんよねー。すみませんね、俺にはゴミの方が、輝いて見えるんですよねー」
不毛な言い争いは続いている。冬李を牢から出してほしいと願ったのは、光月なのに。
「姫さま、光月が時間を稼いでくれている間に……」
シェルの言葉に、清蘭はうなずいた。光月が冬李の関心を引き付けている間は、自由に動くことができる。
光月の罵る言葉に、カッとなった冬李はけたたましく喚きだした。
いかに清蘭が劣っているか、藍国が桂国と比べて卑しいか、まくし立てている。
誰もまともに、冬李の言葉など聞いていない。それがまた、彼を怒らせる。
矢を構えた砂人は、互いにうなずき合った。
「光月! 急いでください」
清蘭が声を上げるのと、矢が放たれるのは同時だった。
幾本もの矢が、冬李の背に射られた。
「な……っ、なぜ……余を」
「つまらぬ」
それだけを告げると、砂人の槍が冬李の胸を貫いた。
「清蘭と申す女。お前が藍国の王女だな」
地面に倒れ伏した冬李の体を蹴とばし、槍を持つ男が声を張り上げた。
「王女は紅水河の水源を把握しているという。その情報をよこせば、お前だけは助けてやろう」
「こんなにも殺戮しておいて、今さら交渉ですか」
「悪くはなかろう?」
「悪すぎですよ。わたくしだけが生き延びても、意味はありません」
ぎりっと清蘭は、奥歯を噛みしめた。
「ならば、交渉決裂だな」
冬李の血で濡れた槍を、男は清蘭に向けた。
同時に、風が起こった。
金の髪がなびき、琥珀の腕が鞭のように動く。一瞬にして、砂人の男の首は体から離れ、地面にゴトンと落ちた。
残る砂人が弓をつがえる前に、シェルは彼らに向かっていった。
多勢に無勢。致命傷を負わせることはできないが、シェルは砂人の腕を斬り、弓の弦を切断した。
「シェル! 光月。早く!」
清蘭の声に、シェルは光月を脇に抱えて走った。
旋回橋を駆け抜け、安全な対岸に着くと、光月を地面に放り投げる。
「いってー。もっと静かに下ろしてくれよ」
「次は善処する」
動ける砂人は剣を抜き、追いかけてくる。
すでに民は橋を渡った。
「お願いします」
清蘭の合図と同時に、シェルと光月が旋回橋を動かした。
シェルは力が強いが、男四人がかりで作動させる橋は、動きが遅い。
「お、俺らも手伝います」
民の中から若い男たちが声を上げた。
数十人もの男性が集まってくれ、中でも力のありそうな者が、一気に旋回橋を動かした。
中途半端な長さの橋が、川の真ん中で流れと平行に取り残されている。
清蘭は石を拾い、それを歯車同士が噛みあう場所に入れる。
これでいい。もう橋は元の位置には戻せない。
騎馬で戦う砂人は、追ってくることはできない。
命を奪われてしまった人たちを、埋葬する時間はない。
清蘭は辺りに咲いている花を摘んで、彼らの胸元に供えた。
その花の色は、藍国の空やタイルのような青さだった。
「心は一緒に行きましょう」
祈りをささげ、立ち上がった清蘭は空を仰いだ。
空にまっすぐ上がっていた黄色い煙は、もう糸のような細さだ。
『我らに構わず進め』
まるでアシアの言葉のようで、胸が詰まる。
「アシアは、きっと生き延びます」
清蘭の心に気づいたのか、シェルが声をかけてきた。
「忙しい両親に代わり、私が妹に武術、体術、すべてを叩きこんできました。砂人ごときに殺される妹ではありません。姫さまも、アシアの強さをご存知ですよね」
「え、ええ」
「ならば、大丈夫です。いつか必ず再会できます」
瞼を閉じると、アシアの顔が浮かぶ。
とても変わっていて、自分の考えに自信があって。清蘭のことを大事に思ってくれている、たった一人の友達だった。
いや、これからもアシアは親友だ。
いつか出会えるその時に、きっと今夜の約束を果たそう。
「きれいな星を、一緒に見ましょう。アシア」




