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8-2 決断の時

「姫さま。光月。行くぞ」


 呆然としている清蘭の肩に、シェルが手を置いた。


(そうでした。この日のための狼煙です。この時のために、準備を進めていたのです)


 守られるだけの王女であってはいけない。

 清蘭は完成した『紅水河生水』を手に取った。


 王宮の階段を駆け降り、清蘭は玉座の間へと向かった。

 広い部屋に、今は誰もいない。

 狼煙の連絡を受けて、父王も紅水河の仕上げに向かっているのだろう。

 地底河川への移行も進み、あとは砂人が侵攻してきた時に土嚢を落とし、川に残った水を一気に溢れさせると聞いた。


 ――清蘭。そなたの意見、王妃を通じて聞かせてもらった。改良を加え、来るべき時に備えよう。


 父から直に声をかけてもらったのは、先日のことだ。

 母と砂国からの自衛について考えを伝えたことは、一度もない。

 おそらくシェルが母の護衛についた時に、話してくれたに違いない。


 玉座の間に着くと、シェルが床に敷かれた絨毯をめくった。

 石の床の一部分が、木の蓋になっている。

 蓋を開けると、地下への階段が現れた。


「光月。お前が先に行け。私が最後尾だ」

「おうよ」


 光月と清蘭を先に降ろすと、シェルは絨毯をできる限り元通りにして蓋を閉めた。

 暗闇に目が慣れず、最初は壁に手をついてゆっくりと進むことしかできなかった。

 湿度が高いので、壁も石段もしっとりと濡れている。

 ようやく平坦な場所に出ると、そこはぼうっと明るかった。


「なんだ? 明かりがついてんのか」

「いえ、違います。壁に隠れ石が埋め込んであるんです」


 暗い場所で白い光を放つ隠れ石は、藍国の近くにある山岳地帯で採れる。自ら光るが熱は発しない石だ。

 王家専用の舟を捜し、清蘭はその中に『紅水河生水』を隠した。湿気や水分で書が傷まぬように、油紙で幾重にもくるみ、先だって置いていた金属の箱にしまう。


「次にこの箱が開かれる時は、どうか平和になっていますように」


 瞼を閉じ、手を組んで清蘭は祈った。


 舟の隠れ処の端まで進み、土を掘った階段を上がっていく。地上に出るために、今はシェルが先頭だ。

 花で埋め尽くされた花壇の中に設置された蓋を開け、シェルが辺りをそっと窺う。

 蓋から土や青い花びらが、こぼれ落ちた。


「誰もおりません。さぁ」


 先に地上に出たシェルが、真ん中にいる清蘭に手を差し伸べる。

 遠くから聞こえてくる地響き。清蘭は、しっかりとシェルの手をとった。


 避難時の集合場所までは、まだ距離がある。

 だが、吹いてくる風に土ぼこりが舞い、すでに藍都は戦禍の中にあるのだと気づかされる。


 ドウッ!


 轟音に鼓膜が痛む。

 ふり返れば、王宮に大砲が撃ち込まれていた。

 穴の開いた壁、バラバラと落ちていく青いタイル。

 これまでシェルを見送っていた露台が崩れ、地面に叩きつけられて砕け散った。


 清蘭は拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 もう平穏な日常は戻らない。逃げきって、前へ進むしかないのだ。


「なんてこった……奴ら、無茶しやがる」


 地上に出てきたばかりの光月が、眉をしかめる。

 突然、馬のいななきが聞こえた。清蘭の目の前に飛び出してきたのは、巨大な馬だった。


「こんな所にも、いたのか」


 馬上の男が、清蘭に剣を突きつけてくる。これまで何人斬ったのだろう。その刃はてらてらと血と脂にまみれていた。

 清蘭は声をあげることもできなかった。

 振り下ろされる剣のぎらついた光が、清蘭の瞳に反射する。


「姫さま!」


 衝撃と、息苦しさは同時だった。

 耳をつんざく男の悲鳴。

 恐る恐る目を開くと、清蘭はシェルの腕の中にいた。


「ご無事ですね」


 シェルは清蘭を左腕で守りながら、馬上の男の腕を切り落としていた。

 血しぶきを上げながら、男は狂ったように叫び、落馬した。


「見てはいけません」


 清蘭を自分の胸に押しつけて、シェルは低い声でささやく。


「不安ならば、私だけを見ていなさい」

「……はい」


 暴れた馬を避けた時、シェルの眼鏡が地面に落ちた。

 清蘭が選んだ眼鏡は、開いたままの舟の隠れ処の出口に吸い込まれていった。


「眼鏡が!」

「平気です、姫さま。細かな文字が見えない程度で、先へ進むのに問題はありません。光月、お前は自分で走れるな」


 地下へと続く蓋を閉めた光月は「おうよ」と、うなずいた。


 シェルは片腕で清蘭を抱え、走った。清蘭が自分で走るよりも、その方が速いのだろう。


 三人はすぐに第一旋回橋についた。

 紅水河のほとりにある広場が、一時的に民が集まる場所と決めている。

 その広場には流浪の生活となることを予想して、食料や荒れ地で必要なものを準備してある。


 広場には大勢の民が集まっていた。


「アシアは? パラティア人の、わたくしと同じ年の少女を知りませんか?」


 人混みの中、声を上げながら清蘭はアシアを捜す。


「姫さまだ」

「清蘭さまだ」


 公の場にでることのない清蘭を知る者は、多くはない。だが既知の者が、集まった民の中にいたのだろう。すぐに清蘭の名は、広がった。


 これまで人を押し分けて進んでいて清蘭だが、突然、自分の周囲に空間ができたことに気づいた。


「どうしたのですか」


 やはり滅びの王女が、表立って出てきてはいけなかったのだろうか。お前が滅亡を呼び込んだのだと、憤っているのだろうか。

 けれど人々は一斉に膝を地面につき、頭を下げた。

 何が起こったのかと、おろおろする清蘭に向かって誰かが言った。


「生まれてすぐに滅びの王女とされたあなたのことを、私達は無視し続けてきました。あなたは確かにいらっしゃるのに、私達のことを考えて下さっているのに。まるで存在しないかのように……」


「あなたがいらっしゃらなければ、この藍国は永遠だと。そう思い込んで。清蘭さまと砂国には何の関係もないというのに」


「私達は汚い心に蓋をすることで、藍国は美しいのだと思い込もうとしていました。滅びの姫さまを責めない、憎まない。けれどそれは単に無関心を装っていただけです」


 口々に訴えられる言葉。

 この十四年間、清蘭は民と関わろうとしなかった。民も清蘭と関わろうとしなかった。


「いいのです。わたくしは滅びをもたらす姫として、牢に入れられていたかもしれないですし、石を投げられていたかもしれない。でも、誰もそんなことはしませんでした」


 単に王宮に仕える者と、技術者以外に顔を知られていなかったからかもしれないが。

 そんな、もしものことを考えても仕方がない。


 自分たちに非があるのだから、あなたは気にする必要はないのだと。

 真摯な気持ちを伝えてくれる人たちがいる。

 やはりこの国は、美しいのだと清蘭は感じた。


「わたくし達が誘導しますから、共に逃げましょう」

「姫さま」

「清蘭さま」


 清蘭を呼ぶ声が、民の間に広がった。


 藍国には、藍都の四つの地区の住民と、あとは郊外の平原に羊の放牧にたずさわる民がいる。


 北地区と西地区は王と側近の指揮下。東地区と南地区、そして放牧民は清蘭の指揮下で避難することになっている。

 だが広場に集まった人数は、予想よりもはるかに少ない。


「放牧の民は、家畜を置いて逃げるわけにはいかないとのことです」


 清蘭に報告したのは、自警団の男性だった。


「彼らにとって羊は財産そのものなのです。もし羊が逃げてしまったら、侵攻した砂人の食料になってしまわぬように、羊を守らなければ、と」

「そんな……」


 命に代えられるものなどないのに。

 生き延びれば、なんとかなる。そう考えていたけれど。しょせんは机上の空論でしかなかったのか。


「価値観は人それぞれです。避難すれば安全であると分かっていても、それを拒むのであれば、押しつけることはできません。家畜を失うことは、死ぬことと同じ。そういう考え方もあるのです」


 言葉をとぎれさせる清蘭に、自警団の男は説明した。

 その先に未来がないと分かっていても、追わない勇気が必要なのだと諭された気がした。


「東地区から狼煙が上がっています。黄色い煙です」


 叫ぶ声に、辺りは一斉にざわめいた。

 黄色い煙は『我らに構わず進め』だ。

 空にまっすぐ昇っていく黄色い煙を見つめるシェルの顔は、蒼白だ。


(東地区は、シェルの家がある所)


 清蘭は、はっとした。


「アシア! アシアがまだ来ていません」


 シェルの腕を掴み、呆然と立ち尽くす彼を揺さぶる。


「シェル。東地区に行ってください、今すぐに」


 だが返事はない。


「どうして行ってくれないの? アシアを、残された人々を助けてください」


 必死に訴える清蘭の声だけが、響いている。


「お願い……アシアを」

「私は参りません」


 すがりつく清蘭を、シェルは見据えている。


「私は姫さまの護衛。そしてあなたに忠誠を誓い、一生を捧げております。姫さまのお側を離れるわけにはいきません」

「わ、わたくしがお願いしてもですか?」

「はい。優先されるべきは、姫さまの願いではなく、姫さまの安全です」


 目の前に闇が下りたかのようだった。

 こんなにも長くシェルと共にいて、彼の忠誠の意味を正確には分かっていなかった。

 いざという時には、大切な肉親すらも切り捨てるのだ。

 いや、シェルだけではないだろう。これがパラティア人の生き方なのだ。


 それが苦しくないわけがない。

 シェルがアシアをとても大事に思っていることは、よく知っている。

 けれど、彼らの信念のためにはどうしても選択せざるをえないのだ。何を助け、何を見捨てるのか。

 いざという時に見捨てられても、一人で生きられるように育てられる。

 それがパラティア人の愛情なのだろう。


「姫さま、決断を」


 シェルの促す声。


(アシア! アシア、アシア!)


 心の中で、何度も大事な人の名を叫ぶ。

 けれど、取り乱すことはできない。これからの自分は滅びの姫ではなく、皆を導く存在でなければならないのだ。

 人生経験に乏しい、引きこもりの姫だけれど。

 それが王家の娘であるならば、統率者にならなければならない。たとえそれがお飾りであっても。


「行きましょう」


 清蘭はまなじりを上げた。


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