表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/32

1-2 恋であるわけがない

 忠誠の儀式を誓った日から、九年後。シェルは三十一歳になっていた。



 最近、両親は王宮に詰めていることが多い。

 砂人の動向が怪しいからだ。


 どうやら砂人は紅水河の水源を狙っているらしい。そのために王は水源を地下に隠す工事に携わっている。

 両親はその護衛のために、家を空けている。


 今日も兄妹二人きりの食事だ。

 シェルは、よく熟れた瓜をまず口にした。


「兄さまは、清蘭を守らないのか?」


 朝食の平パンに馬芹クミンをふりかけて、アシアがかぶりつく。

 故郷パラティアの味がするから好きだと言っているが。アシアは赤ん坊の頃までしかパラティアにいなかったし、そもそもパンに大量の香辛料などかけたりしない。


「清蘭じゃなくて、姫さま、だろ」

「でも、清蘭は清蘭だ。それにわたしのことは、アシアと呼んでいる」


 アシアは十四歳、いまだ忠義を誓う相手には出会えていない。


「そういえば姫さまに、縁談があるそうだな」

「聞いた。桂国けいこくの第二王子らしい。兄さまは相手を知らなかったのか?」

「ああ」


 シェルは苦い表情を浮かべ、眼鏡の位置を直した。

 縁談の話も王の側近から聞いただけで、清蘭からは一言も話してもらっていない。

 桂国の第二王子は、年齢は清蘭よりも下のはずだ。


(姫さまもまだ十四歳だからな。今すぐに結婚というわけではなかろうが)


 桂国に嫁ぐとなれば、自分も同行することになろう。藍国にいる間に、桂語けいごを覚えておいた方がよさそうだ。


 清蘭に誓いを立ててから、シェルは体を鍛えるだけではなく学問にも打ち込んだ。

 砂大トカゲのような害をなす動物と、襲われた時の対処法。そして王女でありながら、技術を学ぶことが好きな清蘭の付き添いで、講義も受けた。


 そのせいで、パラティア人としては珍しく眼鏡をかける羽目になってしまったのだが。


(まぁ、いいだろう)


 そっと外した眼鏡を、シェルはてのひらにのせた。


「兄さま、今日も遅くなるのか?」

「ああ、そうだな」

「そうか。わたしは今夜も一人か……」


 普段からあまり感情を表に出さない妹が、ふいに寂しげな顔を見せた。


(もし私が姫さまの輿入れで桂国に行ってしまえば。アシアは本当に一人になるのか)


 両親はほぼ不在。十四歳のアシアでは、まだ王族の護衛は心もとない。


「なぁ、アシア。せめて主を見つけてはどうだ」

「主は、かつて兄さまに取られた」

「う、姫さまのことか」


 そこを突っ込まれると、つらい。

 だが兄として、心から守りたいと願う相手が見つかることを、願っているぞ。


 食事もそこそこに、アシアは本を取りだした。

 表紙を見れば『愛なき結婚 それでもあなたを愛してる』と題名が記されている。

『愛なき血痕』の間違いじゃないだろうか。


 シェルは立ち上がると、剣を腰につけた。





 王宮に上がったシェルは、王女の部屋の扉を叩いた。


 勢いよく扉が開く。

 これは侍女ではない。

 シェルはとっさに両腕を広げた。


「おはようございます! シェル。今日も良いお天気ね」


 全力でシェルの胸に飛び込んでくるのは、もちろん清蘭だ。

 侍女が飛び込んで来たら、びっくりだ。


「姫さま、今朝もたいそうお元気で」

「元気に決まってます。だって今日もシェルに会えたんですもの」


 淡い茶色の、さらりとした長い髪を揺らしながら清蘭がシェルを見上げる。


「いや、私は護衛ですから。毎日顔を合わせて当然です」


 シェルにしがみついたまま、清蘭はきょろきょろと廊下を見回す。


「アシアは? 一緒ではないのですか」

「仕事ですから。妹を連れてくるわけには参りません」


「でも、この間は一緒に来てくれたわ」

「あの日は、私は非番でしたから。姫さまの護衛は、別の者がしていたでしょう?」

「……そうね」


 少し口をとがらせたが、清蘭はすぐに笑顔になった。


「わたくしからアシアに会いにいけば、いいんですよね」


「で、どうしてそんなにご機嫌がよろしいのですか? 良いことでもありましたか?」


 たとえば、桂国の王子との縁談が現実となったとか。

 口にしそうになった言葉を、シェルは思わず飲みこむ。


(ん? なんで訊かないんだ? 私は)


 シェルの顔を見上げる清蘭は、表情こそ嬉しそうだが、目が充血しているし、隈もできている。


「あのね、聞いてください。わたくしの設計が、先生に褒められたんです」

「徹夜なさいましたか?」

「寝ましたよ」

「いかほど?」

「……一刻ですけど」

「なりません。すぐにお休みください。一刻など、うたた寝と同じです。疲れが取れません」


 まだシェルの体にしがみついている清蘭を肩に担いで、寝台へと向かう。


「侍女に伝えておきます。姫さまの部屋に灯りがついていたら、お休みくださるように声をかけるようにと」

「そんな。だって……中断されるのは嫌だわ」


「姫さまの健康には代えられません。ところで、何を設計なさっていたのです? 自鳴琴オルゴールですか? それとも優美な鳥かごですか?」


 とりあえず寝台ではなく、王女を床に下ろす。

 うふふ、と清蘭は花が咲いたような笑みを浮かべた。


「じゃーん。見てくださいな。流木止めです!」

「流木、止め?」


 清蘭が開いた設計図を、シェルはのぞきこんだ。

 なにやら直線的な線が引いてあるのは、分かるのだが。


「紅水河が氾濫したら、橋が壊れることがありますよね。それを食い止めるための設備なのです。橋が壊れたら舟でしか川を渡れませんし、物資の運搬にも支障がでます。なにより橋の再建には、お金がかかりますから」


「国庫の心配までなさるとは、さすがでいらっしゃいますね」


「うふふ。お財布に優しいのです。しかも流木止めは、橋の上流に杭を打ち立てるだけですから。次の雨季に間に合いますよ。川の増水が終われば、また取り外せば舟の航行の邪魔にもなりません」


 いや、今のは嫌味なのだが。


 たしかに藍国は技術の国と称されているが。土木が好きな王女というのはいかがなものか。

 ふつう年頃の女の子ならば、刺繍だのレース編みだのをするのではないか?

 それがなぜ生き生きと、橋脚を守る重要性を語っているのだ。この姫さまは。


 ご自分が「技術姫」とも呼ばれていることを、ご存じなのか?

 シェルは額に手を当てて、考え込んだ。


 清蘭は机の上に設計図を広げ、竹ペンを手に考え込みはじめた。どうやら改良を加えたいらしい。


「姫さま。アシアからうかがいましたが」

「なんでしょうか」

「桂国の第二王子との縁談があるそうですね」


 清蘭の手から、ペンが落ちた。


「なぜ私に話してくださらないのですか? 姫さまの輿入れとなれば、このシェルも桂国に赴くこととなりますから。準備の期間を下さらねば」


 床に落ちたペンを拾った清蘭は、ふり返りもしない。


「シェルに話す必要はなかったからです。わたくしは桂国の王子とは結婚しませんもの」


「いや、そういうわけには。砂国が国力をつけている今、桂国との婚姻は大きな意味を持つこととなります。砂人は騎馬民族ですから。血の気が多いのです。軍も持たぬ藍国では、いざという時に応戦もできません」


「婚姻関係でなくとも、同盟は結べます」


「ですが、強固な同盟を結ぶためには……。結婚こそが姫さまの仕事なのではありませんか」


 清蘭は、竹ペンの先をインク壺にひたし、何かの計算式を書きはじめた。


「桂国にも紅水河の支流は流れています。この流木止めは、かの国にも役立つことでしょう」


 さらさらと紙の上を走るペン。

 すぐに計算に集中した清蘭は、瞬きをするのも忘れているように思える。

 窓の外、王宮の藍色のタイルに日光がきらめいている。


 青い光の反射を受けた王女の部屋。

 白い肌にも服にも、青玉のかけらの光が散りばめられているように見えて、とてもまぶしい。


(姫さまは、笑顔も素敵でいらっしゃるが。こうして無心に打ち込んでいらっしゃる姿が、一番美しい)


 頭に浮かんだ言葉に、シェルははっとした。


(な、なな、なにを考えているんだ。私は)


 王女は忠誠を誓った主なのに。恋心を抱くなどあってはならぬこと。


(こ、恋心だと?)


 もう何を考えているのか、自分でもわからない。


 頭を抱えて、その場にしゃがみ込みたくなったが。護衛の立場として、そんなことはできやしない。

 シェルは平静を装って、ピンと背筋を伸ばした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ