7-1 にせもの
ひと月も過ぎる頃には、紅水河の水源と地底河川の情報をまとめることができた。
清蘭は自室の机で、紙の束の端を紐で綴じて、本の形にした。
表紙には『紅水河生水』と竹ペンで記す。
「これで完成ですね」
傷も癒え、通常の勤務に戻ったシェルが清蘭に声をかける。
「ええ。でもどこに保管すればいいのか、迷っているんです」
「図書室は安全ではありませんからね」
「破損した窓や書架は、元通りになったんですけど」
賊の侵入を許したこと、その賊がまだ捕まらないことで、王宮内には警備の人数が増えている。
「清蘭、少しよいか。余だ」
扉の外から声をかけられ、清蘭とシェルは顔を見合わせた。
(……王が姫さまの部屋に? まさか、また姫さまを外交の道具として使うおつもりなのか)
不安そうな様子の清蘭が、シェルに寄り添う。
思わず、その手を握りしめた。
もし国を守るために縁談がもちあがったのなら。それが王の命令であるのなら。清蘭にもシェルにも断る術はない。
「大丈夫です。断れぬのなら、逃げることもできます。結婚でしか結べぬ同盟など、正しくはありません」
「そうね」
本当は二人とも分かっている。
たとえ放棄されたに等しい王女でも、利用価値があるのならば、何度でも使い倒されるのであろうと。
「清蘭。おらぬのか?」
急かす声に、あわてて清蘭は扉を開けた。
開かれた扉から流れ込む空気が、粉っぽい。
妙だ。シェルは警戒した。
「おお、済まないな。急に訪れて。どうしても話しておきたいことがあってな」
「どうぞ」
王である父が清蘭の部屋を訪れるのは、初めてのことだ。
「ところで紅水河の水源の書ができたと聞いたのだが」
「え、ええ。あと少しで完成です」
「そうか、そうか」
にこにこと微笑む王を、清蘭は不思議な気持ちで眺めていた。
「早速、こちらで保管するとしよう。なにしろ地底河川を地上に戻す際の、大切な情報となるのだからな」
「保管場所は、悩んでいたところなんです」
いつまで紅水河を地底に留めておくのか、その目途は立っていない。ならば後世の技術者にすぐに分かるように、けれど砂人には見つからぬように。
そんな条件を満たす場所はあるだろうか。
「ふむ。余に心当たりがある」
「どこですか?」
「ここでは、ちと言えぬ。先だっても図書室の恋愛小説の棚に、爆薬が仕掛けられていたばかりではないか。気をつけるにこしたことはない」
王は、ちらりとシェルに視線を向けた。
「シェル。席を外してもらおうか」
だがシェルは頭を下げるでもなく、返事をするでもなかった。
音もなく剣を抜いて、構える。
切っ先は、王に向けられていた。
「な、何を考えておるのだ!」
「私は清蘭王女の護衛です。姫に危害を及ぼす者は、相手がどんな方であろうと排除します……いや、あんたに敬語なんか不要だな」
「近衛兵はおらぬか!」
ふっ、とシェルは皮肉な笑みを浮かべた。
「あんた、ここをどこの国と思ってるんだ。要人の警護はすべてパラティア人が担っている。藍国の王ならば、近衛兵なんて呼称がないことくらい、知っているはずだが」
「ちぃっ」
偽の王は舌打ちすると、懐から小瓶を取りだした。ふたを外し、中の液体を清蘭に向かってかける。
シェルが清蘭をかばおうと、前に立った。
「だめっ!」
清蘭は飛び出し、机に置いてあった紙を液体に向かって投げつける。ビシャッと液体が紙にぶつかる音。重みを増した紙は、一気に床に落ちた。
紙からは煙のようなものが立ち、穴が開いている。
これは火国の毒だ。
偽の王は踵を返し、部屋から飛び出した。
「逃がすか!」
シェルは偽王の後を追う。廊下に出てすぐに左右を確認する。すでに偽王の姿は見えないが、階段を駆け降りる音が聞こえる。
やたらと高い音。
男ならば、こんな軽い足音はしないはずだ。
シェルは清蘭の部屋に戻ると、露台まで駆けた。
驚いて立ちつくしている清蘭に、扉の鍵を閉めるように指示する。
露台の手すりを乗り越え、シェルは二階から飛び降りた。
「シェル!」
清蘭の叫びを背中に聞きながら、シェルは着地した。そのまま跳躍し、王宮から逃げ出した偽王のふくらはぎを斬った。
「う……うぐぅ」
「お前だな。図書室に爆薬を仕掛けたのは」
「知らないわよぉ」
地面にうずくまる犯人は、すでに王の声音をやめていた。
ふと視界がぶれたと思うと、倒れているのは王に似た姿ではなく、髪の短い女だった。
たしか名を緋目といった。
「なるほどな。図書室のどこに爆薬が仕掛けられていたかは、明らかになっていない。貴様、火国の人間か」
「知らないって言ってるでしょ」
「そうか。私も何度も尋ねる気はしない」
シェルは刃を緋目の首に当てた。犯人は這って逃げようとするが、シェルに服の布を踏まれているので、動くこともできない。
緋目はかろうじて顔を上げ、シェルを見すえた。
「お、女を傷つけるなんて、最低の男よぉ」
「女? それがどうした」
シェルは凍りつきそうに冷たい瞳で、緋目を見下ろした。
「姫さまを傷つける者は、すべて敵。性別など関係ない。生かしておくつもりもない」
「あたしを殺すつもり? ここは藍国。殺生と暴力を嫌う国でしょ」
「残念だったな、私はパラティア人だ」
緋目は斬られていない左足で、シェルを蹴とばした。だがシェルは動じることもなく、彼女の左足首に剣を突き付ける。
「動けると厄介だな。腱を切るのと、足を斬り落とすのとでは、どちらが良い?」
「お待ちなされ!」
叫びながらシェルの前に飛び出したのは、頭から布をかぶった占い師の銀目だった。
「婆さん、邪魔をするな」
「ひゃあ、邪魔をするつもりではございませぬが。なにも殺すことはなかろうに」
「姫さまに危害を加えたこと、万死に値する」
「一度殺したくらいでは、気が済まぬと申されるのか」
恐ろしや、と銀目が両手を組み合わせると腕輪が鳴った。
ベールの陰に目も鼻も隠れてはいるが、それでも銀目の唇は震えている。
それほどにシェルの表情は冷ややかだ。
「この藍国は、殺生を嫌うはず。あんたの姫さんも、そうじゃろうて」
「……姫さま」
シェルは、はっとして露台を見上げた。
心配そうに見下ろしている清蘭の姿が、そこにあった。今にも泣きだしそうに口元を押さえている。
剣の柄を強く握ったシェルの手は、関節が白く見えるほどだった。
「……ちくしょう」
殺してやりたい。いっそこいつを切り刻んでやりたい。
だがそんな残酷なことを、清蘭が望むはずがない。
藍国は、人の善なる部分を信じすぎるのだ。
緩やかな紅水河の流れのように穏やかで……簡単に騙されるくせに、恨みを抱かない。
夢見がちな国民性だから、周囲の国から陥れられる。
けれど……そんな民だからこそ、滅びの王女とされた清蘭を抹殺するでもなく、牢に投獄するでもなく、生かし続けてくれた。
(清らかな、あなたの心を穢したくない)
「はっ。残念だったねぇ。あんたはしょせん、か弱い姫さんの犬なのさ。飼い主が喜ぶように、尻尾を振ってりゃいいのよぉ」
命が助かると踏んだ緋目は、ぺらぺらとしゃべった。
シェルは、そんな緋目をにらみつける。その鋭利な瞳に、緋目は息を呑んだ。
「調子に乗るんじゃない、馬鹿女が。この男は、パラティアの野を駆ける獅子そのものじゃよ。普段は落ち着いておるけどな、油断すると首筋を噛み切られるわな」
王宮に詰めているパラティア人たちが、やってくる。
その中にシェルの両親の姿はない。二人が、王と王妃の警護を放り出して駆けつけるわけがない。
「離しなさいよぉ」
緋目は警護の者に連行された。なおも悪態をつく彼女の言葉だけが、庭に響いている。
「あれは、火国の人間か?」
「じゃろうね。わしの知っておる緋目ではないから、よう分からんけどね」
「占星術師仲間なのに、知らんのか?」
「……うーん」
「お前、誰だ? ただの婆さんじゃないな」
シェルは目をすがめた。
口を引き結んで、銀目は頭をくしゃくしゃと掻く。
「んー、黙っているわけにはいかないかねぇ。占星術師の緋目ってのは、男なんじゃよ。ふだんは女性の占い師として、冬李王子に仕えておるがの」
「性別を偽る必要があるのか? それと私は、お前は何者かと訊いている」
「参ったねぇ」
はーあ、と大きなため息をつくと、銀目は頭にかぶった布と顔にかけたレースのベールを一気に剥がした。腕輪が触れあう音。これまで屈んでいた腰が、すっと伸びる。
「お前……」
「ほらな。若い男が国家の占星術師って、説得力に欠けるだろ。だから俺も婆さんの占い師で通してたってわけさ」
にっと口の端を上げて笑っているのは、光月だった。
「占い師も高齢化でな。今は若い者ばかりになってるのさ。けど、さっきも言った通り、年を重ねていないとなかなか占いを信じてもらえなくてさ。緋目は婆さんのふりは嫌だと、若い女になりきってるんだけどな」
「私にはよくは分からないが。そういうものなのか?」
「まぁな。けどさ、髪の色は赤毛に染められても、目の色は染められないよな」
確かに。桂国は赤毛に赤い瞳だが。火国は黒い髪に暗い色の瞳の者が多い。
「それに、あんなぽよんぽよんの胸は、偽装できないぜ。占い師は顔も隠すし、体の線が出ない服を着るからな。冬李王子も騙されたんだろうぜ」
光月は肩をすくめた。
なるほど。そういうものなのか。




