5-1 シェルの悩み
今日は非番だ。
シェルは街の南の外れにある食堂で、昼食をとっていた。
いつもならたとえ休みの日でも、すぐに清蘭の元にとんでいけるように、北にある王宮の近くの店で食べることが多いが。
今日は、紅水河のほとりに卓を出している店を選んだ。
「兄さま。食欲、ないのか?」
向かいの席に座るアシアは、茹でた羊肉にたっぷりと香辛料をかけている。
そういえばこいつは、離乳食でさえ舌が痺れそうなほどの香辛料で煮込んだのが好きだったっけ。とんでもない赤ん坊だったな。
パラティアから藍国に移住したのが、十四年前。それは、清蘭と過ごした年月と同じだ。
「仕事で父さまと母さまに会ったのだろう? 元気にしていたか」
「ああ。一言も話していないが」
「ふーん。まぁ、そんなものだな」
アシアはザクロジュースに黒コショウをかけようとした。さすがにやめさせたが、不服そうな顔をしている。
「アシア。寂しくはないか? その、両親に構ってもらえなくて」
「わたしには兄さまがいる。もう桂国には行かなくていいんだろ?」
「まぁ、さすがに冬李王子とは破談になったと思うが」
「それに父さまと母さまにとっては、王と王妃が一番なのだろう。わたしだっていつか、一番大事に思える相手と出会えるはずだ。だからその日を待つ」
「……強いんだな、アシアは」
「兄さまは、弱そうだ。というかヘタレっぽい」
シェルは手を伸ばすと、妹の頬をむぎゅぎゅーとつねった。
「にゃ、にゃにをしゅる」
「誰がヘタレだ。シェルという名はパラティア語で獅子を意味する。常に王女をお守りできるように、獅子のように鍛え上げているというのに。お前は言うに事欠いて」
「だからその清蘭に対してだけ、ヘタレなのだ」
赤くなった頬をさすりながら、アシアはジュースにコショウを振りかけた。こんもりと。
「年の差が気になるのか? それとも身分の差なのか?」
「……どっちもだよ」
「それはかわいそうにな」
長いスプーンでジュースを混ぜると、赤く澄んだ液体が一気に黒っぽく濁った。
「清蘭が十四歳なのも、王女なのも、彼女が望んだことではないのにな」
「乗り越えてはいけない壁っていうのが、あるんだよ」
「ふーん。大人は大変だな」
アシアは一気にザクロコショウジュースを飲んだ。
どうして噎せないのだろうかと思うくらい、辺りにはコショウの匂いが漂っている。瓜は、このジュースがなくなってから注文しよう。でないと味が分からなくなる。
「まぁ、兄さまは壁とやらの前で、もだもだしているといい」
「なんだよ、もだもだって」
シェルは豆のスープを口に運んだ。
そういえば清蘭に意見した時、豆のスープを運んだ気がする。
「冬李王子は、清蘭のことを嫌っていたそうだが。彼女のことを好きになる男も現れるかもしれない。その時に兄さまは護衛という立場を貫き、清蘭の恋を応援できるかということだ」
カラン、とシェルの手から離れたスプーンが皿に当たった。
「なにを馬鹿な」
「心当たりがあるんだな」
階段から落ちそうになった清蘭を助けた赤毛の青年。王宮に滞在しているという話だったが、あんな客はいただろうか。
まさか、冬李王子に代わる新たな結婚相手だというのではあるまいな。あの男の赤毛と赤い瞳は、桂人の特徴だ。
(彼は姫さまに親しげな態度をとっていた。冬李王子のように傲慢でもなく、姫さまを見下すこともなく)
シェルが額に手を当てて呆然としている間に、アシアは兄の皿から串焼きを盗んだ。
食後、街を歩いていると占い師が路上に店を出していた。
机を置いただけの簡素な作りだが、道には行列ができている。
「……並ぶか」
「珍しい。兄さまが占いなど」
だがアシアもちゃっかり並んでいるところを見ると、ついでに占ってもらうつもりらしい。
「さーあ、おいでおいで。桂国の占い師、銀目とはあたしのことさね。金目、銀目といやぁ未来を見通す二重星。恋でも仕事でも金運でも、なんでも占ってあげるよ」
「銀目って、あいつか」
シェルは踵を返そうとした。だが、アシアに服を掴まれて動けない。この妹の力は強い。無理に引き離すこともできるが、そうすれば服が破れてしまう。
「おやぁ。見覚えのあるのが来たねぇ。ひゃひゃひゃ、なんだい。あんたも占ってほしくなったのかい」
「……妹の付き添いだ」
「じゃあ、まずは妹さんを占おうかねぇ」
しゃらん、と銀の腕輪を鳴らしながら銀目は紙を広げた。ベールに隠されて、今日も顔は見えない。
円を等間隔に刻んだ中に、星を表す記号や数字がびっしりと書き込まれている。
「これは星読みの図じゃよ。まずは支配星を知らんといけないからね、生年月日を教えてもらおうか」
銀目はアシアの支配星を示した。
「ほうほう。パラティア人は確か一人の主に忠誠を尽くすと聞くが。妹さんはあれだね、複数の主に仕えるようだねぇ」
「そんなことはあるまい」
シェルは思わず声をあげていた。
後ろに並んでいた人たちが、シェルに注目する。
「パラティア人は忠義こそが生きる証。そんな主を次々変えるような、浮気性なことはしない」
「参ったねぇ。占いでそう出とるんじゃよ。まぁ信じる信じないは、自由じゃがね。じゃあ次はあんたを占おうかね」
銀目の占いの間、シェルは彼女をじっと見据えていた。
金目と銀目。桂国の占星術師は、ろくな占いを藍国にもたらさない。王女に関する新たな占いも終わったのだから、さっさと国に帰ればいいのに。
「ほーぉ。これはこれは」
銀目は満足そうに、にたぁと笑った。もっとも口もとしか見えないので、その目が笑っているかどうかは分からないが。
「姫星と獅子星の間を、横切る星があるね。これは別れの星じゃね」
「姫星とは、その名の通り王女のことか?」
「限定されているわけではないがね。じゃが、あんたが清蘭王女を大事に思うておるなら、そうじゃろうね。姫さまが、あんたから離れたがっておるのか、それとも別離が訪れるのか」
「まさか、そんな……」
自分は姫さまのためだけに生きてきた。彼女の健やかさと笑顔を守ることだけが、生きる意味だった。
なのに姫さまと離れてなど……。
シェルは足元が揺らぐ気がした。
「姫さまを諫めはしたが……だが、あれは必要なことだった」
そう。間違ってはいない。
姫さまには、人に頼ることを覚えてほしかった。十四歳の王女にできることには限度がある。だから、すべてを一人で抱え込んでほしくなかった。
正しいことを伝えたはずだ。
(なのに、どうして姫さまは泣いたんだ。私から逃げたんだ)
「余計なことまで言ったんだろうさ。ま、永遠の別れじゃないことを願うんじゃな」
銀目は紙をたたむと、銀色の皿をさしだした。
「ほい、お代は百クーランじゃよ」
それは一般的な二人分の占いの十倍もの値段だった。
余計なことまで言っただと?
先ほどの銀目の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
思い当たるふしはある。
清蘭の意見を周囲の大人が無条件で取り入れるのは、滅びの王女への罪滅ぼしだと言ってしまった。
(あれは嘘ではない。だが、聞かせるべき言葉ではなかったのだ)
あまりにも配慮が足りなかった。
立ち止まったシェルは眼鏡を外し、店の壁に額を打ちつけた。何度も、何度も。
ガッ、ガッ。ガッ。
切り出した石を積み上げた壁は、痛い。通りを行く人たちが、シェルを遠巻きにしている。けれどシェルは額を打ち続けた。
「それ、楽しいのか?」
「楽しくはない」
顔をのぞき込んでくるアシアに、不愛想に答える。
「血が出てるぞ」
「出ればいい」
「まぁ、構わないが。そんなことをするよりも、清蘭に直に謝った方がいいのではないか?」
「うっ……」
シェルは動きを止めた。
(やっぱり私はヘタレだ)




