4-3 ごめんなさい
清蘭は自室の机に向かっていた。
藍都の地図を広げ、大通りに沿って何度も竹ペンを走らせる。
曲がり角、小路と交差している部分。それらに印をつけ、大通りから紅水河へと線をつなぐ。
「日干しレンガを用意して、それぞれの屋根の上に保管した方がいいですね。上から落とせば武器になります」
レンガが乾くのに必要な日数はどれほどか。レンガ職人を呼んで尋ねなければ。
「それと馬を防ぐ柵を、小路に設置したいのです。ふだんは外壁に立てかけておいて、いざという時に道をふさぐことができるように」
誰に語るわけでもなく、清蘭はぶつぶつ言いながら、柵を置く場所を地図に記していく。
馬は障害が苦手だという。むろん戦闘用の馬なら、障害を跳び越えるかもしれないが。それでも騎馬兵を紅水河へと集めることができれば。
「姫さま」
「土嚢を川に落として、一気に水を溢れさせれば」
「姫さま!」
シェルに声をかけられて、清蘭ははっと顔を上げた。
「少しお休みください。朝食も昼食も召し上がっておられないじゃないですか」
「大丈夫です。お腹は空いていないわ」
「気が張っておいでだから、空腹を感じないだけです」
部屋の入り口に向かってシェルが合図すると、侍女が盆を持って入って来た。
羊乳のチーズと果物、紙のように薄いパンで肉と野菜を巻いたもの。それに温かなスープとお茶が、窓際の卓に並べられる。
「温かいうちにお召し上がりください」
侍女は頭を下げると、部屋を出ていった。
とろりとした豆のスープから、湯気が立っている。その匂いをかぐと急にお腹が、くぅと鳴った。
「いやだ、恥ずかしい」
「正常な反応です。さぁ、こちらへどうぞ」
卓の椅子をシェルが引いてくれる。今日は珍しく、彼も向かいの席に座った。
「召し上がりながらで結構ですので。お話を」
「え、ええ」
改まったシェルの様子に、少しいやな予感がする。きっとお小言だ。
とりあえず急いで食べてしまおう。じゃないと味が分からなくなってしまう。
清蘭はスプーンを手にして、とろりとしたスープをすくった。
「姫さまが藍国のために、尽力なさるのは素晴らしいと思います。ですが」
ほら、きた。やっぱりお小言だ。
「藍国には技術者が揃っておりますから。なにも姫さまが抱え込むことはありません」
「それは分かっていますけど……」
「姫さまは、ご自分の立場を理解なさっていますか? 王女が次々と設備について提案なされば、周りの人間はそれを採用せざるを得なくなります」
「でも、わたくしは少しでもお手伝いできれば、と」
滅びの姫の噂は、藍国の人間ならば誰もが知っている。ただ、表立って清蘭を嫌わないだけだ。
親しく接してくれるわけではないし、微妙に距離を置かれている。
「葡萄長廊は、人々を癒していると思うんです」
「そうですね」
シェルはうなずいた。
「旋回橋も、物流を速やかにしています」
「まったくその通りです」
「じゃあ、問題ないではありませんか」
「ではお聞きしますが。姫さまは、敵があなたの思い通りに動いてくれるとお考えなのですか? 馬防の柵がある、だからそこを避ける。日干しレンガが落ちてくる、だから道を変える。そんな単純なことだけで、相手を誘導できるわけがありません」
「で、でも」
「姫さまの思い描いている馬と、騎馬民族である砂人が鍛え上げた馬はずいぶんと違うと想像できませんか? 戦は、子どもの遊びではないのですよ」
バンッ! と清蘭は卓の上を両手で叩いた。反動で、碗に入っていたお茶がこぼれる。
「遊びだなんて、思っていません!」
「思っていたよりも、考えの浅い方だったようですね」
シェルは椅子を引いて立ち上がった。
「王や臣下、技術者たちが姫さまの意見を無条件で取り入れるのは、滅びの王女への罪滅ぼしだと、なぜ分からないのですか。彼らは表立って姫さまを愛することはできない、ならば、あなたが夢中で設計する物を認めることで、愛情を返しているというのに」
「わたくしへの罪滅ぼし?」
(設計が素晴らしいから、認められたのではなかったの? 子どもが喜んで差し出すつたない絵を、大人が「上手だ」と褒めているのと変わらなかったの?)
目の前が真っ暗になった。
だからシェルが、しまったという風に表情を歪めたのにも気づかなかった。
かわいそうな子だから、せめて葡萄棚くらいは作ってやろう。橋くらいは作ってやろう。そうすれば、きっと満足するだろう……と。
「ただの憐れみだったのですね」
握りしめた拳に、ぽたりと涙が落ちる。
「シェル。あなたにとっても、わたくしはかわいそうな子どもなのですね。だから優しくしてくれるのですね」
すべて勘違いだった。
シェルに愛情をそそいでもらって、有頂天になっていた。
突然、清蘭は顔が熱くなるのを感じた。
まるで火を噴きそうなほどに、頬も耳もすべてが熱を持つ。
「姫さま?」
「見ないでください」
今の自分はとてもみっともない。
両手で顔を覆い、部屋から飛び出す清蘭をシェルが追いかける。
「危ないです。止まってください」
「いやです。来ないで」
いっそ消えてしまいたい。なにも知らない力もない子どものくせに、生意気にも大人の仕事を奪ってしまっていた。
清蘭はすぐにシェルに追いつかれた。
腕を掴まれ、進むことすらできなくなる。
「う……っ。ううっ」
「落ち着いてください」
「もう、いやぁ。わたくしのことなんて放っておいてください。嬉しがっていただけの、惨めな子どもだと思っているのでしょう」
「そんなことはありません。ただ王を、そして専門家を頼ってくださいと申し上げているのです」
「わたくしは、この国のために……だって、一人でも多くの民を救いたいのです」
「十四歳の王女だけに守られる国の姿を、あなたは正常だとお考えになりますか?」
その言葉は、清蘭の胸に刺さった。
結局、自分はこの国の技術者たちを信じていなかったのだ。
世間知らずの娘のくせに、思いあがっていたのだ。自分は誰よりも優れていると。
ぶわっと涙が溢れだし、視界がにじんだ。
今、シェルがどんな表情で清蘭の顔をのぞき込んでいるのかも、ぼやけて見えない。
「ご……めん、なさい」
腕を掴む大きな手をふりほどき、清蘭は走った。その先が階段であることにも気づかずに。
「姫さまっ!」
シェルの叫び声が響いた。
足元から床が消えた。
あっ! と思ったときには、清蘭の体は空中に放り出されていた。
駆け出したシェルが手を伸ばす。だが、指先が清蘭の服をかすめるだけで届かない。
石でできた階段に叩き付けられる痛みを覚悟して、清蘭はきつく瞼を閉じた。
だが痛みも衝撃もなかった。
「任せな」
階段の下から声が聞こえるのと同時に、誰かに抱きとめられたからだ。
「ほら、姫さんは無事だぜ。そこのおっさん。そんな顔を真っ青にしなくてもいいぜ」
清蘭を腕に抱えているのは、赤毛の青年だ。シェルのように筋肉質ではなく細身で、年の頃は十七、八歳くらいだろうか。
「怪我がなくて何よりだ」
「あ、あなたは?」
礼を言うのを忘れていることに気づき、清蘭は慌てて「ありがとうございます」と付け加えた。
「この王宮の客さ。会いたかったら、また俺の所にくればいい」
清蘭をシェルに渡しながら、青年は片目を閉じた。
「おっさんも姫さんに逃げられたくないんなら、物言いに気をつけた方がいいぜ。あんたみたいに大人じゃねぇんだからさ」
「……誰がおっさんだ」
「おー、怖。じゃあ、気ぃ遣って兄さんにしといてやるよ」
猫背なのか、少し背中を丸めながら青年は階段を下りていった。
「あんな客、いつ来たんだ」
清蘭を腕に抱いたまま、シェルが青年を見送る。
いつもは安心できたシェルの腕。姿を見かければ飛びついていた。でも、たぶんそんなのは子どもだから許されたこと。
(わたくしは、もう大人にならなければ)
立派な大人なら、拗ねたりしない。
深呼吸すると、清蘭は頬に残る涙を拭いた。
「大丈夫ですから。下ろしてください。彼にはまた後でお礼を言いに行きますから」




