1-1 シェルと清蘭
「ひゃーははは! なんて哀れな姫さまだい。この子は滅びの王女じゃよ」
けたたましい笑い声が、藍国の王宮に響き渡った。
今日は藍国の第一王女、翠清蘭が生まれてひと月目のお披露目だ。
お祝いに集まった大臣たちや、国民の顔は引きつっている。
「滅多なことを申すでない。桂国の金目よ」
「嘘なものかね。ほぉれ、姫さまの星の上を、滅びの星が横切っておるねぇ」
王がたしなめても、桂国の占星術師は引こうとしない。
「くくくっ、かわいそうにねぇ」
白いドーム天井の広間に集まった国民が、ざわめきだす。
王妃は、ゆりかごで眠る赤子をしっかりと抱きしめた。王妃の眉間にはきつくしわが寄せられている。
「どうすれば、滅びを回避できるのだ?」
「ふーむ、国の滅びを止めることはできんよ。じゃが、姫さまを助けたいのであれば、護りを呼ぶといい」
王の問いかけに、金目は「ひっひっ」と笑う。
「それは…」
「西の国、パラティアじゃよ。かの国の金と琥珀の戦士じゃ」
そうして西の国パラティアから、呼び寄せられた数家族の中に十七歳の青年と赤子がいた。
兄の名をシェル・ファーマ、妹の名をアシア・ファーマという。
清蘭姫のお披露目から五年。
二十二歳となったシェルは、王宮の中庭で清蘭とアシアを遊ばせていた。
「なんで、この俺が子守りなど」
地面に座り、草をブチブチとちぎりながら、シェルは吐き捨てた。
「シェルー。お花をつみました。さしあげますね」
「それは光栄でございます、姫さま」
「ふふっ」
腕いっぱいに野の花を抱えてきたのは、今は五歳となった清蘭。紅水河に咲く睡蓮のような、清らかな愛らしさだ。
(この子が滅びの姫とか、ありえないだろ)
シェルはため息をついた。
祖国のパラティアでは、軍人になるための訓練校に通っていた。だが鍛え上げた体も、子守りばかりでは錆びつくばかりだ。
「兄さま。花、つんだ。やる」
「ああ、ありがとうアシア」
「ひひっ」
妹よ。これは花ではなく、キノコだ。
アシアは、ちょうど清蘭の遊び相手に良いとのことで、シェルと共に王宮に上がることが多い。
両手いっぱいにきのこを抱えて、にやりと笑うアシアの後を、清蘭が追っている。
藍色のタイルで彩られた王宮は、陽射しに煌めいている。見下ろす藍都も、同じく青の世界だ。
「なんでこの国には軍もないんだ」
たしかに藍国は、これまでは周辺の国と諍いもなかった。だが数十年前に南下してきた騎馬民族が、砂国を築いたというのに。
呑気で、あくびが出そうなほどに眠気を誘う国だ。
しゅるる、と何か音が聞こえた気がした。
シェルは身構え、清蘭とアシアをかばうように立った。
周囲に目を光らせると、草の間をうねる蛇が見えた。やけに早く進んでいるが、どうやら毒蛇ではなさそうだ。
「きゃあああ!」
悲鳴にふり返ると、清蘭とアシアが立ちつくしていた。
「二人とも動かないで。毒はなくとも、蛇に噛まれるぞ」
「兄さま、蛇、ちがう」
妹の指さす先を見ると、密集した草に異様なものが潜んでいた。
砂大トカゲだ。
蛇は砂大トカゲから逃げていたんだ。
トカゲが体の向きを変える。
自分がこいつを引きつけなければ。
「アシア。王女を連れて走れるか」
「うん」
「いい子だ。頼んだぞ」
年の離れた妹は変人ではあるが、頼りになる。背中で二人を隠しながら、砂大トカゲと対峙する。
ずず、ずずぅ。
パラティアでは見たことのない巨大なトカゲは、まるで南国に生息するワニにそっくりだ。
「噛まれたら死ぬってとこは、どっちも同じか」
砂大トカゲはしつこく獲物を追いかける習性があると聞く。ならば清蘭とアシアから離すべく、自分が囮となって逃げればいい。
「来い。こっちだ」
シェルは駆けだした。
重い音を立てて砂大トカゲが追ってくる。
よし、そのままついてこい。
ふり返ったその時、シェルは瞠目した。
ダッ! という音とともにトカゲが跳ねたからだ。自分へと向かって。
「聞いてないぞ、こんなの」
不気味に動く赤紫の長い舌。鋭い歯と、空に散るよだれ。
不覚にも鳥肌が立った。
「だめっ!」
ぽけ、ぽこっ。軽い音を立ててキノコが飛んでくる。
「えい、えいっ」
一生懸命にキノコを投げているのは、清蘭だ。
「シェルを食べたら、清蘭がゆるさないんだからっ!」
アシアが抱えるキノコ束をかっさらい、涙目になりながらなおもキノコを投げつけてくる。
トカゲはシェルよりもキノコの方が、気になるようで足を止めた。
「あ、それ。高いキノコ」
めったに採れないという黒くて丸いキノコを追いかけて、アシアが跳躍した。
訓練を受けていない幼子とはいえ、さすがはパラティア人。
長躯の兄の身長を軽々と超えた。シェルだって、こんなには高く跳べない。
「へへっ」
空中で宙返りをして、アシアは華麗に着地した。
王族に仕える我が家は貧乏ではないぞ。なんでそんなに金が好きなんだ。
シェルはさすがに呆れた。
トカゲがキノコを口に入れる。
咀嚼して、飲みこむ。そして、砂大トカゲは泡を吹いて倒れた。
「毒キノコが混じっていたのか」
「あのですね、砂大トカゲはなんでも食べちゃうんです」
一目散に飛びついてくる清蘭を、シェルは抱きとめる。
「俺を助けて下さったのですか?」
「うん、そうなの。清蘭、えらいですか?」
にこにこと満面の笑みを浮かべてしがみついている王女と、にやにやと口をゆがめて笑っている妹。
シェルは、一呼吸ついた。
「いい加減にしなさい!」
「ひゃっ」
「ひえっ」
二人の少女は固まってしまった。
「いいですか。今回はたまたま上手くいったから、よかったようなものの。キノコを投げる王女に、トカゲが襲いかかっていたのかもしれないんですよ」
「で、でも……」
清蘭はうつむいてしまった。
「言い訳は聞きません。それからアシア。トカゲの前に飛び出るとは、何事だ」
「でも、お金……」
「お前は早く仕えるべき主を見つけるのだな。そうすればパラティア人としての自覚もできよう」
「分かった」
アシアは突然、清蘭の前へ進んだ。
そして彼女の前にひざまずく。
「アシア、清蘭を主にする」
「ま、待て! アシア。早まるな」
跳躍力で妹に負けたと悟ったばかりなのに。
身体能力で負け、主を得ることでも負けるなど。
というか、許さん!
「清蘭!」
「は、はひっ」
またお説教されると思ったのか、シェルに名を呼ばれた清蘭は縮こまった。
「あー、そんなに硬くならないでください」
「清蘭のこと、怒る?」
「怒りませんから。さっきは助けていただき、ありがとうございます」
礼を言うと、ようやく清蘭は表情を和らげた。
(かっこ悪いな。まぁ、逃げられるよりはマシか)
王女の小さな両手をそろえて握り、シェルはその温かな手に額をつけた。
「あなたを守るべき立場の私が、あなたに命を救われました。今後は、職務関係なくこの命、王女に捧げましょう」
「シェ、シェル? どうしちゃったの?」
「お静かに」
なんびとも、パラティア人の誓いを邪魔することはできない。たとえそれが忠誠を捧げるべき相手であっても。
「パラティアの祖、大公の意を継ぐ者。我が名はシェル・ファーマ。光満ちる清蘭王女の影として、常に己より彼女の益を優先することを大公に誓う」
王女の手の甲に、唇を触れる。忠誠を誓うくちづけだ。
果樹園の周りに咲く菜の花が、まばゆく黄色い花を揺らしている。
シェル・ファーマ、二十二歳。
五歳の清蘭に命を懸けることを誓った日だった。




