老人、おねだりする
エンディコット邸、中庭にて
衝撃的な二度目の人生の始まりから、五年が経過した
この頃になると、まだ舌足らずだが話せるようになり、立ち上がって歩く事も出来るようになった、弦次郎改めアルトリオは、父と向き合っている
「ちちうえ、僕に剣術を教えてください」
「ダメだ」
にべもなく断られ、思わず苦笑いを浮かべるアルト
その理由も分かるため、強く言いにくくはあるのだが…
(生まれてから五年。体も動くようになったし、もうそろそろ剣術の修行がしてぇんだがなぁ…。生まれ変わってから、どんだけ自分の体が動くのか知りてぇしなぁ…)
しかし、五年間家族として暮らしてきて、息子に過保護な家族を知っている身としては強く言いにくい
この夫婦は、どうやら本当に善良な夫婦であったらしい
トラウマになりかねない(アルトリオの)下の世話も含めて、子供の世話は侍女任せにすることなく殆どを自分達でやっていた。侍女に任せる時は本当に忙しいときだけだ
子供の側に出来るだけいてあげ、愛情を注ぐ家らしい
貴族、しかもその筆頭になり得る公爵家としては本当に珍しい事だろう。
最初は何か言いたそうにしていた侍女も、半年を過ぎて世話に慣れてきた夫人を見て、何も言わなくなった
(あさひちゃんの所も…こんな感じだと良いなぁ)
切に、そう願う
五年間暮らしてきて、子供であるから仕方無いとしても未だにはぐれた少女と再会できていないアルトは、そう思った
(っと、それよりも今は親父の説得か)
早く剣術を試したいアルトは、父の説得にかかる
「ちちうえ、僕ももう大きくなりました。ここまで大きくなったからには、拐われ、エンディコット家に不利な状況を招いてしまうこともあると思います。だから、僕は自衛の手段を得たいと思います。だからこそ、剣術を教えてください」
「…ウチの子、自棄にしっかりしている気がするんだが。他の家もこうなのか…?」
少なくとも自分が幼少期の頃に、こんなはっきりとした受け答えをした覚えの無いサイラスは困惑する。…そして、我が子の『奇行』はこれだけではない
一歳になる頃には舌足らずでも言葉を話し、二歳になる頃には見たことも聞いたこともない知識を話し、そして五歳になったらこれである
明らかに成長の早さがおかしい
…部屋にいると、たまーにおかしな話し口調で何かを言っているのも聞いてしまっていた
まるで、年をとった爺のような口調で何かを話す我が子に、思わず顔がひきつったのも仕方無いと思う
「兎に角、まだ危ないことはダメだ。それに、家は腐っても公爵家だ。狙う人間が居たとしても、護衛の人間がつめている。アルトの心配することじゃないぞ?」
そう言うと、年に似合わない苦笑いを浮かべる愛する息子
不気味に思ったりしたこともあったが、どうやら他の子供よりも成長が早いんだろうと結論付けている息子の振る舞いに、サイラスも苦笑いをする
(まったく、何がどうなったらこんなに成長が早くなるんだろうな。俺としては、子供の内は健やかに過ごしてくれればそれで良いんだが)
そうして親子で苦笑しつつ見つめあっていると、思わぬ所から助け船が出された
「あなた、アルトももう大きくなったんだし、剣術くらい教えてあげなさいな」
そう言って、アルトの側に寄るシェリア
五歳の子供が居ると言うのに、その若さに翳りは無い
下手をすれば年の離れた姉弟にすら見えるだろう
「ははうえ…」
「その代わりアルト。力をつけるのなら、それをみだりに振りかざしてはダメよ?力は、誰かを守るため、誰かを救う為にこそ振るわれる物なのよ」
そう言って釘を刺してくる母に、心の中で感心するアルト
(そこまでその若さで理解出来てるか…流石公爵家の夫人かね?いや、母上が特殊な気がするがね)
下手したら箱入りの、世間を知らないで育つであろう令嬢の言葉とはとても思えなかった
そして、その言葉を受けて父も覚悟を決める
「…分かった。アルト、聞いていたな?もしお前が、力を正しく使うって言うなら剣術を教える人間を雇おう。しかし、それを振りかざして横暴を働くなら、剣術は禁止する。どうする?」
父の目は珍しく鋭かった。いくら同年代の子供と比べ聡明でも、子供は子供。道理が理解できないなら教えるべきではない。何よりも、何かしら邪な事がある貴族として、力と言うものを理解してほしかった。強い者の持つ力はとても大きな物であると
剣術であろうと権力であろうとそれは変わらない。だからこそ、もっと成長し、理解を深めてから教えようと考えていたのだ
それは正しい意見だろう。…中身が81のお爺ちゃんに言う台詞で無ければ
「理解しています、ちちうえ。強大な力を無闇に振るえば、必ず何かしらの形で返ってくると。力任せに何かを従えれば、より大きな力に捩じ伏せられ、自分達が従わせられる事もある。力を正しく使わねば、自分も含めて幸せになること等出来ないでしょう。…守る筈だった大切な者も守れずに」
自分達もそうだった。大国に勝ち続け、大国と同盟を組んで、列強の仲間入りを果たした。そして、調子に乗っていたところを、より強大な国に潰された。戦後になり、未だに負債を取り立てられ、強国に頭を抑えられている故郷を知る『弦次郎』の言葉は重い
思い出すのは、『大戦』が開戦した頃の大人たちの表情
勝利以外疑わぬ、周囲の大人達
祖父や父に聞いていた頃とは大違いだった
大国に宣戦布告され、勝ち目があるのかも分からず勝利を信じた人達
家族が、友が、恋人が無事に帰ることを信じて『家』という最後の砦を守った人間達の表情は、そこには無かった
勝ちが増え、力を振るう事の快感に身を委ねた者達の顔。…戦場にも出ないくせに、国の為に死ねと狂気の声をあげる人間達
そして…その声に戦場へ送られ、死んでいった戦友達の顔。国の為に、後ろにいる家族の為に、己の青春を犠牲に戦った英雄達。その顔は今でも忘れていない
そして、その戦友として恥じない為にも、『弦次郎』は道を誤ることは無い
「…本気、か。その年で男の顔をしているぞ、アルト」
「当たり前です。僕は、力を誤る訳には参りません」
(死んでいった、ダチ共の為にもな)
ふと、訪れる静寂
破ったのは父だった
「…分かった、早速頼もう。三日後には来る筈だ」
そう言って、父は去っていった
背中には、僅かに哀愁が漂っていた
「…アルト、お父さんを許してあげなさい」
隣では、悲しげに微笑む母がいた
「この国には、昔、おっきな戦争があったの。お父さんも、そこで大切な人を亡くしたって聞いたわ。だから、あなたにはせめて、平和に暮らして欲しいのよ」
「…わかりました、ははうえ」
(この国にもあったのか、あの地獄が)
そうきいて、悲しげに瞳を揺らすアルト
それをみたシェリアは、明るい声を出すとアルトの背中を撫でる
「三日後に先生が来る筈よ。楽しみにしてなさいね?」
そう言って、シェリアも家に戻っていく
アルトは、何かを考えるように立ち尽くしていた