チいさいアキ (7)
九月になって、高校の二学期が始まった。最後まで必死に悪あがきして、宿題はようやく終わらせることが出来た。ハル、お疲れ様。回答があってるかどうかは問題じゃない。埋まってるかどうかが問題なんだ。うむ。
朝、久し振りにハルと一緒に登校して、なんだか新鮮な気分だった。おはよう、ハル。おはよう、ヒナ。そうやって声を掛け合うだけでなんだか幸せな気分。夏休みなんて、みんな夢だったみたい。あんなに色んなことがあったのにね。
ひと夏の経験は、残念ながらキス止まり。まあいいか。高校一年生だもんね。急ぎ過ぎても良いことは無い。ゆっくり二人で登って行こう。ん?大人の階段だよ。もちろん。
ハルの朝が早いから、夏休みボケなんてする暇が無かった。仕方無いよね、二人の大事な蜂蜜タイムなんだから。誰にも邪魔されない早朝二人だけの登校。あ、でもちょっとまって。吹奏楽部の朝練があなどれないんだよ。校門が近付いて来たら警戒ね。
ハルはハンドボール部への入部届を出した。クラスメイトに誘われていた、お遊び部活。うん、良いんじゃないかな。頑張って、ハル。ハルもきっと、ヒナと一緒で気負い過ぎていたんだと思う。もっとイージーに行こう。素直に、青春を楽しもう。
部活については、ヒナにも考えてることがある。もうちょっとしてからかな。ハルの部活が軌道に乗るようだったら、ヒナも始めてみる。一歩踏み出してみる。ふふ、楽しみだ。
楽しみといえば、お盆に帰国出来なかったお父さんが、ようやく遅い夏休みを取って一時帰国することになった。何ヶ月ぶりだろう。ヒナ、お父さんの顔覚えてるかな。確か、目が二つあって鼻が一つあって口が一つあって。うん、全く覚えてない。
お父さんの方もヒナのことを忘れてそう。ヒドイ親子だね。シュウもお父さんって言われてキョトンとしてたよ。もう母子家庭だって思ってるんじゃない?まあ、お父さんが忙しく働いてくれてるお蔭で、ウチの家計はなりたっているんだろうけど。
大きなトランクを持って帰ってきたお父さんは、まあ、見ればちゃんとお父さんだって認識出来た。ヨレヨレのスーツにサンダルとか、それで空港から家まで来たのかな。無精ヒゲがじょりじょりしている。ヒナの顔を見て、「たっだいまーん」とか能天気な声で挨拶してきた。ああ、こういう人でした。ヒナは良くお父さん似だって言われる。すっごい複雑。
とりあえず、お父さんの帰国をお祝いをすることになった。一時的な帰国だけどね。お父さんの夏休みは一週間。その間、ヒナもシュウもほとんど平日で学校がある。なので、何かおいしいものをみんなで食べに行こうって話になった。お父さんのリクエストはお寿司。海外にいるとおいしいお寿司が食べたくなるんだって。
その話が何処でどうなったのか、最終的にハルの家族とも一緒に行くことになった。ヒナの家族、ヒナとシュウとお母さんとお父さんで四人。ハルの家族、ハルとカイとお母さんとお父さんで四人。合わせて八人。大所帯だ。このフルメンバーでご飯を食べに行くなんて、物凄く珍しい気がする。っていうか、今までこんなことってあったっけ?
そんな訳で、土曜日の晩御飯が外食となった。お母さんも何処と無くいそいそとしている。お父さんと一緒なのが嬉しいのかな。なんだかんだ言って夫婦なのかね。一年のうち、一緒にいられる時間が合計して一ヶ月も無いなんて、ヒナなら我慢出来そうにない。可能な限りハルにくっついて、何処までも行ってしまいそう。
お父さんの運転する車に乗るのも久し振り。いつもはハルのお母さんの車に乗せてもらうからね。今日はレンタカー。お父さんが「あれ、日本の車線どっちだっけ?」とか言い出して困った。ごめん、今からでもハルの家の車に移っていい?
どんな立派なお寿司屋さんなのかと思ったら、回転寿司だった。うん、まあこの人数だし、そんなことだろうとは思っていたよ。期待はしていない。わぁい、ヒナ、回転寿司だーい好き。お父さん、これだけ働いてて実は儲かってない?
「お父さん、お祝いって、ここで良いの?」
一応気になったので訊いてみた。日本のおいしいお寿司が食べたいって話だったわけだし、ちょっと申し訳ないかなって。
「ん?ヒナはここじゃない方が良かった?」
トボけたみたいに訊き返された。お父さんはいつもこんな感じ。だって、お父さんのお祝いなんだし、お父さんが行きたいトコロがいいでしょ?回転寿司で良かった?
「今日はヒナのお祝いだよ?」
はぁ?何それ?
「ヒナがハル君とお付き合いを始めたお祝いだよ?」
ぶはっ!
なんか色々と噴き出しそうになった。ちょ、ちょ、ちょっと待って?
何がどうしてそんな話になったのか。予約してあった大きなテーブル席に着くと、ヒナとハルは並んで座らされた。ひええ、ハルのお父さん、ご無沙汰しております。これ一体どういうことなんでしょう?ヒナ、さっき初めて聞きました。
「ヒナちゃん久し振りだね。大きくなった。すっかり女の子だね」
ハルのお父さんは税理士をしている。物静かで落ち着いた紳士って感じだ。ヒナのお父さんが個人事業主になる時にお世話になったとかで、そういった親交もある。
「ハルのこと、色々と迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく頼むよ」
笑顔でそんなことを言われて、もう気を失いそうになった。いやあの、こちらこそご迷惑をおかけいたします。なんなの?これなんなの?ドッキリ?変な汗がドバドバ出てくる。
横にいるハルを突っついた。ちょっと、どうなってるの?ハル知ってた?
ハルはぶんぶんと首を横に振った。良く見ると、ヒナ以上に緊張している。そりゃあそうか。ハルもヒナのお父さんに会うの久し振りだもんね。それでこの集まりだ。緊張しない方がどうかしている。
これ誰の企み?一同を見渡すと、お母さんたちがにやにやしていた。そうか、あの辺か。後は多分ヒナのお父さんだな。こういう悪ふざけが大好きだ。帰って来たと思ったら早速やらかされた気分だよ。
「お父さん、ハルを困らせないで。悪ふざけし過ぎ」
「別にふざけてるつもりはないんだけどなぁ」
余計悪いわ。
「折角日本に帰ってきたんだ。最近あった一番良いことでお祝いがしたくてさ」
ああそうですか。それでダシにされたらたまったもんじゃない。思いっきり不機嫌な顔で睨み付けてやる。ふしゃー。
「ヒナは怖いな。ああ、ハル君」
「は、はい」
ハルの声が裏返っている。カイが物凄くビミョーな顔でハルを見ている。シュウは・・・あ、こら、イクラそれで何皿目だよ。完全にマイペースで黙々と好物のイクラを食べ続けてる。もう、いい加減にしなさい。
「こんなのだけど、よろしく頼むよ。大事にしてやってくれ」
こんなのってなんだー!
ハルは顔を真っ赤にして「ハイ」と返事した。これホントになんなんだよ。まるで結納か何かだ。別に良いんだけどさ、こういうのはちゃんと本人の意思をベースにして実行してほしいよ。なんでウチの家族は毎回毎回セットアップしてくるんだ。
ハルとの関係を祝ってくれるっていう、その気持ちだけは嬉しい。ちゃんと認めてもらえてるとは感じる。世の中には祝福されないカップルなんてのもいるからね。それに比べればヒナなんかは恵まれてる方だろう。
しかし、だからといってこれはやり過ぎだ。あんまり変にいじられて、嫌気がさして別れるなんてことになったらどうしてくれるんだ。ヒナは一生懸命考えて、努力して、ハルとお付き合いを始めたんだぞ。バカー。
お父さんたちはお酒を飲み始めてるし、お母さんたちはぺちゃぺちゃおしゃべりして、シュウはイクラを食べ続けてる。あれ、カイは?なんかお皿整理したり、お茶持って来たり、ゴミ片したり。ごめん、それ本来ヒナがやるべきことだよね。どうにかしてくれこのカオス空間。
「なんか、ごめんね、ハル」
ハルはすっかりガチガチだったけど、ヒナの言葉ににっこりと笑ってくれた。
「まあ、おじさんは楽しそうだし、良いんじゃないかな」
「ハル君、お義父さんだよ、お義父さん」
ちょっとお父さん黙ってて。これ以上茶化さないで。ヒナの計画を台無しにしないで。
囲い込まれてなあなあで結婚とか、まあ確かに結果は同じなんだけどさ。ヒナはようやく、ハルに告白してもらって、彼氏彼女になって、恋人になるってところまで来たんだよ?
こうなったらちゃんとプロポーズまでしてもらいたいでしょ?それまでは大人しくしてて頂戴。
もう噛み殺してやりそうな勢いでお父さんにガンを付ける。ハルのお父さんが楽しそうに声をあげて笑う。シュウがイクラをまとめて三皿ぐらい取る。カイがヒナのお母さんにお酌している。ちょっと、帰りはウチの車誰が運転するの?ああああ、もう、いい加減にして。
ブチ切れそうになったところで、ヒナの携帯が振動した。今度は何ですか。メッセージだ。差出人を見て、思わず息が漏れた。
周りから隠して、テーブルの下で開いてみる。写真が添付されている。カラオケボックスかな。楽しそうな笑顔。一人じゃない。そうか、良かった。この笑顔は本物だ。
「ん、誰だそれ?」
ハルが覗き込んで来た。ハルのエッチ、見ちゃ駄目。
もう、ハル、ホントに覚えてないんだね。この前会ったって言ったでしょ。ヒナの大事な友達。自分のいるべき場所を探して出て行った、孤独な旅人。
彼女は、どうやら自分の場所を見つけられたみたいだ。良かったね、チアキ。ヒナも、自分の事のように嬉しいよ。
窓の外には、明るい月が輝いている。秋が、すぐそこにまで来ていた。
読了、ありがとうございました。
物語は「ハルを夢視ル銀の鍵」シリーズ「限られたキラメキ」に続きます。
よろしければそちらも引き続きお楽しみください。




