チいさいアキ (6)
いよいよお別れの時間だ。ヒナはチアキを駅まで送ることにした。チアキはもう何も言わないけど、ヒナには判ってる。大丈夫だよ。チアキにも、いるべき場所がきっと見つかる。
何かあったらいつでも連絡してくれて良い。今の時代は便利だ。メールでも、メッセージでも。なんなら電話してくれても良い。チアキからなら大歓迎だ。ヒナは、チアキのこと嫌いじゃない。
転校か。ヒナには経験無いから良くわからないな。自分のことを誰も知らない場所で、何も知らないトコロから始める。それって大変そう。チアキも苦労したんだろうな。
ヒナの場合、中学はほぼ持ち上がりだったし、高校はハルが一緒だったからな。もうそれで満足しちゃってた。やっぱりそういうのってすごく大事だよ。どんな場所でも、ハルがいればそこはヒナの場所になる。うん、恋愛脳最強。
「じゃあね、ヒナ」
改札口の前で、チアキが手を振る。ここでお別れしたら、次に会えるのはいつになるんだろう。二度と無いとは思わないけど、でも、長いお別れになりそうな予感はする。それなら、この際だからハッキリさせておこうか。
「ねえ、チアキ?」
これだけは訊いておこう。大事なことだ。
「チアキは、今でも私のこと、嫌い?」
チアキの眉がちょっとだけ上がった。別に隠す気なんか無かったでしょ。それでもヒナはチアキのことが好きだったんだよ。友達になりたかった。
「そうだね」
ふわって、チアキの表情が明るくなった。笑った。夏のひまわりのような笑顔。そうか、チアキはこんな風に笑うんだ。酷いな。その笑顔を、ちゃんと見せてほしかった。ヒナはチアキに好かれたかった。今から、チアキに好かれる人に嫉妬しちゃう。
「幼馴染が彼氏になってたりして、何でも知ってるみたいな顔して、正直妬ましくて、大っ嫌い」
良かった。ちゃんとチアキだ。思ったことをそのまま、ハッキリと口に出す。チアキの言葉を聞いて、ヒナも笑う。
「私はチアキのこと、好きだよ。そうやって、何でも正直に言ってくれるところ。すごく良いと思う」
嫌いなことを嫌いって言ってくれるチアキのこと、ヒナは大好き。別に、ヒナのことを認めてほしいなんて思わない。チアキはチアキで良い。ヒナは、そういうチアキを認めてる。
「気が合わないな」
お互い様。これで良いんだ。ヒナがチアキを追いかける。この形にしておきたかった。チアキ、頑張ってね。ヒナはいつでも、チアキの場所になってあげる。苦しいことや悲しいことがあったら、またヒナのところに来て、大っ嫌いって言ってね。
「ヒナ」
チアキがヒナの手を取った。うつむいて黙り込む。チアキ、ダメだよ。それはまだ早い。チアキは自分の場所を見つけに行くんでしょ。
いってらっしゃい。ヒナはここにいるから。いつでもチアキのこと、許してあげるから。どうせ深く考えて無いよ。馬鹿だなって、笑ってくれて良いからさ。お気軽に呼び出してちょうだい。便利に使ってちょうだい。
友達って、そういうものだよ。
「じゃあ、またね、ヒナ」
「うん、またね」
さよなら、ヒナの大事な友達。一度も振り返らずに、チアキは改札口の人混みの中に消えていった。本当に潔い。もうちょっと未練がましくしてくれても良かったのに。ヒナは寂しい。
じゃあ、この寂しさは、あそこにいる誰かさんに紛らわさせてもらおうかな。
くるっと後ろを向いて、ずんずんと大股に歩く。あ、気付いたな。逃がさないからね。旅行会社のパンフレットが並べられているマガジンラックの裏。まったく、こんなの尾行にすらなっていませんよ。
「ハル、もう、いい加減にして」
悪戯を見つかった子供みたいな顔で、ハルが申し訳なさそうに出てきた。はぁ、これじゃいつもと立場が逆だね。やれやれだ。
駅に着いた時からだね。偶然だとは思うけど、ヒナがチアキといるところを見かけて、後をつけてきたって感じかな。こんなの銀の鍵が無くたって判る。ハルは尾行初心者だ。ヒナを見習いなさい。ヒナならハルに気付かれずに・・・
ごほん、なんでもない。
「いや、ホントにたまたま見かけてさ。声をかけるのもどうかと思って」
ハルの言い逃れはしどろもどろだ。ふーん。まあ信じますよ。チアキはどうだったのかな。そっちの方が気になるよ。もしハルの存在を勘付かれていたら、彼氏にストーキングされてるとか本気で意味が判らない、って言われそう。いや、言うだろう、絶対。
それとも、チアキはハルの顔なんて覚えてないか。名前だけはヒナが言うから覚えてるけど、実際の面識は無いだろうし。ん?だったらハルはただのストーカーとして認識されてた可能性もある?そっちの方がマズいか。困った彼氏様だ。
「もう終わりました。ハルは何してるの?」
見た感じは一人でぶらぶら、ってトコロかな。友達と待ち合わせしてるなら、ヒナがお邪魔しちゃうのは得策じゃない。ハルの自由は尊重しますよ。まあ、回答如何によっては尾行の真髄をお見せすることになるかもしれませんがね。
「いや、何にも。今日は本当ならヒナと宿題の続きしてるはずだったからさ」
本当も何も、昨日中に宿題が終わらなかったのはハルのせいでしょ。途中でシュウと遊び始めちゃうから。ヒナだってハルの基礎解析終わるの待ってたのに、いい迷惑だよ。
今日はチアキと会う約束があるって、ヒナ言ったよね?もー、こういう時だけ彼氏面してヒナの予定を拘束しないの。ヒナはちゃんとハルの予定とか、交友関係とか、邪魔しないように気を使ってるでしょ。
まあ、どうしてもって言うならハルに合わせるよ。でも、それは時と場合によるからね。何でもかんでもじゃありません。こういうのは彼女でも、恋人でも何でもそう。親しき仲にも、です。
「じゃあハルは暇なのね」
不機嫌な声を出してみる。ハルはなんだかしゅんとしちゃった。ふう、可愛いなぁ。
「まあ、暇だよ」
オッケー。それなら良かった。
「じゃあ、パフェおごって。なんだかそういう気分だから」
中学の頃は、ハルとこうやって並んで歩けるなんて、デート出来るなんて夢みたいだと思ってた。いつかは出来るって信じてはいたけど、実際に彼氏彼女になってみると、本当に心が踊るように嬉しい。世界が、きらきらと輝いているみたい。
「パフェって」
「いいからおごるの。あっちの喫茶店の、大きいヤツ」
ハルの顔がゲーッてなる。デッカいんだよね、あれ。お値段も結構なもの。カロリーはまあ、今日のところは考えない。いいんだ、ハルとの甘いひと時には代えられない。とても大切な、大好きなハルと過ごす時間。
ハル、ヒナはハルのことが好き。とても好き。ハルがいてくれれば、もう何もいらない。
この気持ちを、この世界を守るために、ヒナは頑張ってる。もっともっと頑張れるように、ヒナにご褒美をください。ヒナのこと、大切にしてください。
ほら、恋人からのおねだりですよ。
「わかったよ。しょうがないなぁ」
へへへ、ハル大好き。
「そういえば原田チアキってさ」
ん?何か思い出した?
「小っちゃくてツンツンしてた子じゃなかったっけ?」
あー、ハルもそういう印象だったんだ。へー、なんだろう、当時の男子ィの妄想を思い出しちゃった。ハルもひょっとしてそんなこと考えたりしてたのかな。やらしい。
「そうだよ、ミニマムサイズの子ですよ。相変わらずでした」
「ふーん、そうなんだ」
むっ。ハル、ヒナ以外の女の子のこと、そういう風に考えちゃダメ。読まなくても判るよ。
「ハル、なんだかスケベだ」
「いや、ちょっと待った。そうじゃなくて」
ぶー、なんなんだよう。
「いじめで転校したって聞いてたのを思い出したからさ」
はいはい。
ハル、チアキはいじめられるようなタマじゃないよ。あの子は強い。強過ぎたんだ。いつか、あの子を受け止めてあげられるような、大きな器に出会うまでは、きっとあのまんまだろうね。
「元気そうだったよ。もう大丈夫じゃない?」
「そうか?」
「うん」
ハルの手を握る。大切なハル。そして。
「私の友達だからさ」
だから、きっと、大丈夫。
少し前。ヒナは土地神様とお話をした。ヒナが見えない力を使って悪さをしている人間に目をつけられそうになっているところを、土地神様が助けてくれたのが縁だった。
土地神様は、驚いたことに人間の、ヒナとあまり変わらない年頃の女の子の姿をしていた。女の子の神様のおかげで、ヒナは疎遠になっていたトラジ、猫たちと再び関わりを持てるようになった。そのことのお礼も兼ねて、一度ご挨拶をしたいと出向いたのだ。
小さな稲荷神社で、巫女装束の神様がヒナを迎えてくれた。ヒナが見惚れるくらい綺麗な神様は、ヒナの持ってきたお供えを見て激しく興奮した。
「うわー、やったー、これ通販してくれないんだよねー」
えーっと、神様?ヒナは硬直してしまった。あまりにも神様してなさすぎる。お供えにお勧めとトラジから紹介されていたのは、クリーム大福だ。大福の皮に、カスタードクリームがぎっしり。カロリーの塊。神様甘党なんですね。
「今ちょうどみんな出払っててね。こういうの頼める人がいなくて困ってたんだよ」
なんだか複雑な事情がありそうだった。はぁ、と間の抜けた返事をして、ヒナは一個だけご相伴にあずかった。あっっっまい。なんじゃこりゃ、クソ甘い。神様はもうホクホクの笑顔でむしゃぶりついている。神様、本当に甘党なんですね。
「で、お土産まで持ってきて、私にどんな厄介なお願い事があるのかな?」
神様は一応神様だった。ヒナのことなどまるっとお見通しのようだ。ヒナは改まって神様にお願いした。
ヒナは、銀の鍵を持っている。捨てたいと思っても捨てることが出来ない。もう身体の一部となってしまっている。鍵を手放す方法についてはナシュトから教えてもらってはいるが、これはすぐに出来ることでもないし、簡単な話でもない。嫌でもこの力とは付き合っていかなければならない。
正直に言って、銀の鍵の力を良いことに使って来たとは言えない。イタズラに人の心を覗き見てきた。中学時代のことを思えば、本当に良くないことばかりだった。そのことについては反省しているつもり。
今回神様と知り合ったきっかけは、ヒナが銀の鍵の力を使って人助けをしたことだ。正しいことに力を使ったから、神様が助けてくれたのだと、そう理解している。
「その理解で良いよ」
クリーム大福を食べつくした神様が、かしこまってそう応えた。あの甘いのを七個も一気にペロリか。流石神様だな。
ヒナは、出来ることなら銀の鍵の力自体を使いたくない。ただ、自衛のためや、目の前で起きている理不尽のためにどうしても力を使ってしまうことはある。
特に、ハル。ヒナは、自分の恋人のハルのためなら何でもする。ひょっとしたら、そこに善悪の見境なんてないかもしれない。誰かを傷つけることを厭わないかもしれない。
「だから、お願いしたいんです」
一つは、ヒナが銀の鍵の力を間違ったことに使った時には、天罰を与えてほしいというものだ。ヒナは今までの自分が正しかったなんてこれっぽっちも思っていない。間違いだらけだったと思う。そのせいで失ったものも数多くある。
正しいことをして、神様が助けてくれた。ならば、間違えた時には罰を与えて教えてほしい。ヒナは自分の判断に自信が無い。下駄を預けてしまいたい。
もう一つは、ハルと、ハルの家族、ヒナの家族についてだ。今回、ヒナのせいでハルまでが巻き込まれてしまう可能性があった。神様のおかげで事なきを得たが、今後も似たようなことは起きるだろう。十分に想像出来る。
身勝手なお願いだが、ヒナの力が原因であるのなら、その影響、報いはヒナにだけ向くようにしてもらいたい。ハルを、家族を巻き込みたくない。罰ならヒナが受けるだけで良い。
言ってみると、本当に自分勝手なお願いだとヒナは思った。だが、正直な気持ちだ。銀の鍵はなるべく使わない。使って、もし間違えていたなら罰を与えて教えてほしい。報いはヒナ一人に向くようにしてほしい。図々しいのオンパレード。
「はぁー、なるほどねぇ」
神様は腕組みして考え込んだ。こうなると神様らしさが全然感じられない。巫女装束とはいえ、友達とでも会話している気分になってくる。ホントに神様、だよね?
ヒナがそう考えたところで、神様がヒナの目を真っ直ぐに見つめてきた。見透かされたようで、どきっとする。銀の鍵を使われると、こんな感じなのかな。神様はにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、今まで通りって事だ」
ヒナはぽかん、とした。
そもそも土地神である神様が、銀の鍵の存在に気が付かないハズは無かった。自分の管轄内に危険なものがあると、ヒナが力を手に入れた当初から注目はしていたらしい。
ヒナがどのように力を使っているのかも、神様はずっと見て知っていた。もしその力を悪用することがあれば、一戦交えて天罰を与える用意もしてあったということだ。だが、ヒナにはその力を悪用する様子は全く無かった。むしろ、力を使って物事を良くしようと四苦八苦している姿を、神様はしっかりと見ていた。
神様の管轄内でおかしなことがあれば、神様は猫たちと協力して事態の収拾にあたる。この前の花火大会で、ヒナは誰か悪意のある人間が仕掛けた迷子の呪いを解いた。あれは神様も気にしていたもので、ヒナが尽力してくれたことについて大きく感謝しているとのことだった。
ヒナが、自分以外の人間を巻き込まないでほしいと願ったことについては、神様の方でも考慮すると言ってくれた。無関係の人間に影響があるのは、神様も望むところではない。そこは任せてほしい、と神様は快く請け負ってくれた。
「ヒナちゃんは、なんというか、気負い過ぎだね」
肩の荷が下りた感じでほっとしているヒナに、神様は優しい声で語ってくれた。
「ヒナちゃんは人間なんだから、身勝手で良いんだ。清廉潔白である必要は無い。もっと好きにしても良いんだよ。後は神様の仕事だから、任せて頂戴」
ぽろり、とヒナの目から涙がこぼれた。ああ、神様なんだな、と思った。色々な悩みが溶けていく気がした。もう大丈夫だ。少しずつで良い、銀の鍵を忘れていこう。何かを間違えても、この神様が助けてくれる。
一人で抱えて苦しんでいたことが、嘘のようだった。もっと早くこの神様に会えていたら、と思う半面、今で良かったのかもしれないとも思った。間違えていることに気が付かなければ、正しいことだって知りようがない。間違えたからこそ、ヒナは今本当の正しさを知ることが出来たんだ。ありがとう、可愛い神様。
そういえばもう一つ話があったんだ。ヒナは気になっていたことを神様に訊いてみた。ええっと、失礼ですけど、神様って、好きな人がいたりしますか?
顔を赤らめた神様は更に可愛かった。神様の恋バナはとっても興味深くて、面白かったけど、今のところは大切に心の中にしまっておこう。しかし、神様あれで既婚者なのか。しかも相手は未成年。神様の世界って、人間の世界の何倍も進んでるんだね。すごい。
それはさておき、ヒナは神様と話をして、ようやく全てが許された気がした。中学時代、みんなの心を無遠慮に読んでいた罪。もちろん、それが正しいだなんて思っていない。悪いことなのは確かなんだ。
大好きなハルに顔向け出来ないって気持ちは、それでも少しだけ和らいだ。誰にも話せない秘密は、神様が半分背負ってくれた。人に話すって、大事なことなんだね。ああ、神様か。神様は、人が話をしやすいようにあの姿をしているとも言っていた。素晴らしい。他の神様も見習ってほしい。特にヒナの中にいる駄目イケメン。イメージの押し付けは減点だ。
神様の言う通り、もう少し素直に生きてみよう。身勝手な自分を許してみよう。嘘も、ごまかしもあっていい。綺麗なだけの世界なんて、ありえない。
友達もいる。ヒナはちょっとかたくなだったかもしれない。サキ、チサト、サユリ。ヒナは、もっと素直にみんなと接してみようと思う。折角みんな、ヒナに色んなことを話してくれたんだから。ヒナに心の扉を開いてくれたんだから。
まあ、ハルにだけは嘘をつかないけどね。そればっかりは譲れない。神様が相手でも、ハルに関してだけは絶対にダメ。
ヒナは、ハルにだけは真っ直ぐって、そう決めてるんだから。