自由を手に。
旧友に櫛作りを依頼した僕は、病室の窓からの景色を眺めていた。
この場所は何処か故郷の風景に似ている。
二度とは戻れぬ故郷。せめて思いだけでもあの場所へ。
日に日に弱る身体。情けない事この上ない。
皆が大変な時に自分だけ役に立たず、もどかしさだけがつのってゆく。
それでも。もし生きながらえたら……。手ずから櫛を彼女に渡したい。
そんな幻想とも言える儚い夢を抱き、同じ日々を繰り返した。
そんな時、旧友が櫛を持ってやって来た。
季節はもう秋めいてきており、窓の外の木々が寒々しい。
「いやいや。 遅くなって申し訳ない。 色々道具が必要だったもんでね。 約束の櫛、 持って来たぞ」
油紙の包みを僕に手渡した。
「こちらからすまない。 本当に感謝するよ……」
包みを受け取り、礼を述べた。
「その櫛、 一体どうやって渡すんだ? 立ち入った事は聞かないが、 気になってね」
「母に頼もうかと思ってね。 とても大切な人に渡して欲しいと。 ……昔馴染みのお嬢さんなんだ。 僕はもう会えないから、 せめて遺る物を贈りたいから」
「そうか……。 力になれて良かったよ。 ただ。 少し複雑だな……。 思い出の品になってしまうとしたら、 櫛なんかいらない。 お前自身がそのお嬢さんの元へ帰ればいいと思うよ」
「それができたらどんなにいいか……」
ポツリと吐く言葉は、ただの幻になるだろう。 どんなにもがいても、抗う事のできない運命にある。
ならば思い出の品でも構わない。彼女の手元に遺るなら。
「じゃあそろそろ帰るよ。 身体に障る」
「ありがとう。 気をつけて……」
これが僕と旧友との最期の言葉になった。
「これをあそこのお家の……?」
「ええ。 京子さんに渡して下さい」
見舞いに来た母に包みを渡した。
櫛の入った小さな包み紙。母は黙って頷いてくれた。
それが何を意味するのか。母は悟った様である。
「ご自分から渡せれば……」
小さな声で言ったが、僕は聴こえなふりをした。
現実はとても厳しい。悪い夢なら覚めて欲しいと何度願った事か。
だがこれは覚める事のない悪い夢。
現実と言う名の悪夢だ。
「では確かにお渡ししますね」
「お手数かけます」
「母親に遠慮しないでちょうだい」
穏やかな時間が室内を流れる。
こんな中でも自然と笑みがこぼれた。
最近の僕は起き上がる事さえつらく、殆ど寝たままになっている。
誰も居ない部屋は静かで寂しい。
この静けさの中、僕は空へと舞い上がるのだろうか……。
それもいいかも知れない。
考えを改めれば、自由になれるのだ。
自由になれば彼女に会いに行けるし、高い空から彼女を見ていられる。
死にゆく事を恐れとなす事はない。
自由を手に入れると思えばいい。そう思えば、心なしか楽になった。
彼女は僕を見る事はできないのが残念だが、僕は彼女を見る事ができる。
時々掠れる意識の中、彼女の顔が浮かんでは消える。
そんな夢か現か分からぬ境をあてもなく彷徨う。
それでもあの櫛が、無事彼女へ渡されたと聞けばやはり嬉しい。
一度きり交わした約束は果たせぬ約束となってしまったけれど、思い出の品を遺せたのならもう未練はない。
後は自由の訪れを待つだけ。
僕は櫛を手にする彼女を思い描いた。




