盗る妹の贖罪 -私は一生許されない罪を犯した妹ですー
「お姉様。この指輪、綺麗ね。私に頂戴」
欲しい欲しい欲しい。お姉様の物が欲しい。
アリアは、幼い頃から貧乏だった。
母は飲み屋で給仕をして働いており、給金は少なく貧しかった。
父はいない。
母が通りすがりの貴族らしき男と関係を持って出来た娘だと聞かされていた。
父は他の女性と結婚しており、共に暮らすことは出来ないのだと。
だから貧乏で着るものも同じ服を着回していた。
教会は貧乏な家の子に字を教えてくれる。
だから教会に行って、必死に字を習った。
字が読めないと困ることが多いからだ。
お腹はいつもすいていた。
教会に来る子達は皆、貧乏だ。
教会で字を教えてくれる神父が、色々な所から硬くなったパンや、腐りかけた果物を貰ってきてくれるので、それを必死に食べて、字を習って、一生懸命生きてきた。
狭い借家に帰る時、街のショーウインドウでキラキラと光る美しい服やバッグ、アクセサリーを見るのが楽しみで。
でも、決して手に届く事はなくて。
16歳になったアリアは食堂で皿洗いをしながら生活していた。働いても働いても楽にならない。安い給金。
オシャレをしたい。綺麗な服を着たい。素敵な髪飾りや首飾りをつけたい。でも、叶わないんだと、いつも思いながらショーウインドウを眺めていた。
そんなとある日、母が嬉しそうに、アリアに言ったのだ。
「オルク公爵様が私達を引き取ってくれるって。貴方のお父様よ。オルク公爵様は。奥様が亡くなったんですって。あああっ。私は公爵夫人になれるのかしら?これからはうんと贅沢が出来るからね。嬉しいっ」
夢のようだった。
オルク公爵家に?
これからは美味しいものが食べられる?
オシャレも出来る?
幸せになれる?
豪華な馬車が迎えに来て、高級な家々が立ち並ぶ王都の通りの中にオルク公爵家の屋敷があるという。
とある区画に着くと、門から家の玄関までの距離もあって。
着いた屋敷は凄く大きくて。
何もかも凄くて。
客間に連れていかれたら、オルク公爵がやってきて、
「会いたかった。マリーヌ。これが娘のアリアだね」
母の名を呼んで抱き締めて、そしてアリアの事も抱き締めてくれた。
「私は婿だから今まで、お前達の面倒を見る事が出来なかった。やっと妻が死んだんだ。これからはお前達と一緒に暮らすことが出来る。オルク公爵家も私のものだ。これからはうんと贅沢をさせてやることが出来る。ああ、愛しいマリーヌ。アリア」
初めて見る父はとても優しそうで、アリアは抱き締められながら幸せを感じた。
ドアを開けて入って来た女性がいた。
銀の髪に青い瞳の女性は、歳は自分より上だろうか。
「わたくしは、クラウディーヌ・オルク。この人達はどなたかしら?」
父、オルク公爵は、顔を歪めて、
「クラウディーヌ。お前には関係ない。いや、関係はあるか。新しい母と妹だ。私の家族だ」
「そう。わたくしはクラウディーヌよ。貴方達が新しいお母様と妹ね。まだ母が亡くなって一週間もたっていないのに。もう?お父様。最低ね」
「煩い。私の愛する者達に対して口を出すな」
クラウディーヌは背を向けて出て行ってしまった。
あれが私のお姉様?仲良くなれるかしら?
アリアは不安に思いながらもこれからの生活が楽しみで仕方なかった。
出てくる食事は見た事も食べた事もない豪華な食事で。
アリアはお腹いっぱいに出された夕食を食べた。
これからは毎日、食べる事が出来るなんてなんて幸せな。
母も嬉しそうに食事をしながら、
「よかったわね。アリア。これからは沢山、美味しいものが食べられるわ」
「そうだね。お母さん」
父が、
「ドレスを仕立てないとな。今、着ている服はあまりにも酷い」
母が父の傍にいって抱き着いた。
「嬉しい。素敵なドレスが着られるのね。私は公爵夫人にふさわしくなるわ」
なんて幸せな。夕食を食べ終わったら、クラウディーヌが一緒でなかった事が気にかかった。
クラウディーヌの部屋の場所を使用人に聞いて、行ってみた。
ドアを開けたら誰もいなくて。
部屋の中は、見た事もない美しい家具やベッド。そして広くて。
引き出しを開けたら素敵な首飾りや指輪が入っていて。
思わず指に着けてしまった。
首飾りも着けてみる。
なんてキラキラしているのだろう。
鏡、鏡っ。
鏡を見たら、まだ着替えていなかったので、汚い服に首飾りと指輪は似合わなかった。
早く着替えないと。
部屋の中にドアがあり、扉を開けると中にドレスや色々な衣装が入っていた。
その一つを頭からかぶって着てみる。
サイズは合わなかったが、綺麗なブルーのドレスで。
なんて凄い手触り。お姉様はこんなドレスを着ているんだわ。
羨ましい。欲しい。この首飾りも指輪もドレスもみんな欲しい。
同じお父様の子なのに、あまりの違いに涙が出た。
部屋に姉クラウディーヌが入って来た。
衣裳部屋の中にいたアリアを見て驚いたようだ。
アリアは姉に向かって叫んだ。
「この指輪、欲しいわ。首飾りもドレスもみんな欲しい。お姉様ばかりずるい。同じお父様の娘なのに。私は貧しい生活をしてきて、お姉様はこんな素敵なドレスを着て。頂戴。何もかも頂戴。私に頂戴っ」
涙が溢れる。
ずるいずるいずるいっ。お姉様ばかりずるい。
姉クラウディーヌは抱き締めてくれた。
「苦労してきたのね。貴方のお名前は?父から聞いていないわ」
「アリア。アリアよ。わ、私にみんな頂戴。今まで、欲しくても買う事も出来なかったの。いつも硬いパンを食べて、服も同じ服をずっと着ていたの。ずるいっ。お姉様ばかりずるいっ」
クラウディーヌに言われた。
「いい事?わたくしが将来、このオルク公爵家を継ぐわ。だってお父様はオルク公爵家の血を引いていないのですもの。今は仮に公爵を継いでいるけれども、そうね。わたくしは今17歳。来年には公爵家を継ぐ権利を得るわ。そうしたらお父様を追い出すつもりだったんだけど。貴方達もね。だってここはわたくしの母の家。お父様は婿に来たにすぎないわ。だからドレスも指輪も首飾りも、この屋敷も全部、わたくしの物。貴方達の物なんて一つもないの」
来年には追い出される?
また、あの貧乏生活に戻るの?
せっかく、幸せになれると思ったのに?
クラウディーヌに言われた。
「来年までは置いてあげるわ。お父様もお母様も貴方も。それ以降は自分達でどうするのか考える事ね」
父が母やアリアの為に、ドレスを何着か仕立ててくれた。
「うんと贅沢をしていいんだよ」
と言ってくれたけれども、来年になったら追い出される。
母に言っても、
「オルク公爵である貴方のお父様が追い出されるはずないじゃないの」
と、笑ってアリアの言った事を本気にしなかった。
だって、姉クラウディーヌが正式なオルク公爵家の血筋を引いているんだよ。お母さんっ。
って言ったのだけれども。
もう、貧乏生活に戻るのは嫌。
だから姉の所へ行って、頭を下げて頼んだ。
「何でもします。だから追い出さないで下さい」
「あら、そんなにこの家がいいの?」
「貧乏生活に戻るのは嫌です。ここの食事は美味しいし、ベッドも温かいし、着る服もとても素敵です。ですから」
「解ったわ。それなら死に物狂いで勉強しなさい。いいわね」
家庭教師をつけられた。
アリアは一生懸命、勉強した。
クラウディーヌに言われた。
「勉学を身に着ける事、それは貴方を裏切らないから。いいわね」
「解りました。お姉様」
そんなある日、公爵家に客人が来た。
金の髪に青い瞳のそれはもう美しい男性だ。
真っ赤な薔薇の花束を持って、
「クラウディーヌ」
「ジェイド」
クラウディーヌは嬉しそうに立ち上がって、ジェイドを迎え入れた。
それをみてアリアは羨ましく思った。
クラウディーヌの婚約者ジェイド・ランティス公爵令息。
あんな美しい婚約者がいるだなんて。
でも、お姉様はオルク公爵家を継ぐのでないの?
ジェイドの前に行って自己紹介をした。
「アリアです。クラウディーヌお姉様の妹です」
「クラウディーヌに妹がいたなんて知らなかったよ」
「最近、解ったのですわ。父が引き取ったのです」
ジェイドはクラウディーヌに、
「弟にランティス公爵家を譲って、私がオルク公爵家に婿入りすることにしたよ。そうすればオルク公爵家を守れる」
「まぁ。なんて嬉しい。わたくしの為に?」
「勿論。愛しているよ。クラウディーヌ」
ずるいずるいずるい。お姉様ばかりあんな素敵な婚約者がいてずるい。
涙が零れる。
あの人が欲しい。欲しいの。
お姉様は何もかも恵まれていてずるい。
だったら私が。
お金の為に皿洗いをしていた店の店主に身体を許した事があるの。
嫌だったけど、その分、お金を貰えたから美味しいものが食べられた。
だから、ジェイド様に身体で誘惑して私を婚約者にしてもらうの。
そうしたら、ずっと貴族でいられる。私は幸せになりたい。貧乏何て嫌っ。
だから、ジェイド様を誘惑するの。
とある日、姉が出かけている時にジェイドが訪ねてきた。
近くに来たからと言って訪ねてきたのだ。
だからアリアは、ジェイドの前に行って、誘惑した。
「私を抱いて下さい。私だってジェイド様と親しくなりたいわ」
「私はクラウディーヌの婚約者だ。君を抱くわけにはいかない」
「好きなの。ジェイド様」
自らドレスを脱いで、ジェイドに抱き着いた。
そして悲鳴をあげたのだ。
「きゃぁーーーーーーーーーーー」
メイド達が扉を開けて、半裸で抱き着いているアリアと、抱き締めているジェイドを見て驚いた。
そこへ、クラウディーヌが帰って来た。
報告を受けたらしいクラウディーヌが、部屋に入って来て、身なりを整えたアリアが、クラウディーヌに、
「ジェイド様が私の事が好きだからってドレスを脱がせてきたのです。お姉様」
ジェイドは慌てたように、
「この女がドレスを脱いで、私に抱き着いてきたのだ。信じてくれ。クラウディーヌ。私が愛しているのはクラウディーヌだけだ」
クラウディーヌは一言、アリアに向かって、
「貴方を置いてあげたのに、裏切るなんて、酷い妹だわ。わたくしはジェイドを信じます」
屋敷を追い出された。
ただただ幸せになりたかったの。
素敵な人と結婚出来れば、今は追い出されてどうしているか解らない父母にも楽をさせてあげられる。
雪が降って来たな。
これからどうしよう。
何だか眠くなってきた。
公爵家のご飯美味しかったな。ベッドも温かくて。
勉強は難しかったけど、色々と学べるのは楽しかった。
お姉様ごめんなさい。ジェイド様ごめんなさい。
お父さん、お母さん、どうしているかな。会いたいよ。
来た時から、許せない妹だと思った。
人の部屋をあさってドレスを着て、わたくしの母の形見の首飾りや指輪を着けて、あのアクセサリーに触っていいのはわたくしだけよ。
あれは大事な母の形見なのよ。
憎い妹。でも、血が繋がったたった一人の妹。
置いて下さいって頼まれたから、置いてあげた。
贅沢を繰り返して、散財していた父と新しく来た母は、自分が18歳になった時に追い出した。
でも、妹は追い出さなかったのに。
ジェイドを誘惑した?
ジェイドとは愛し合っていた。
彼はランティス公爵家の長男。
父がクラウディーヌを追い出したくて結んだ婚約である。
でも、ジェイドはクラウディーヌがオルク公爵家の血を引く唯一の娘だと聞いて、オルク公爵家を守る為にランティス公爵家を継ぐことを諦めてくれた。
いつもクラウディーヌの心に寄り添ってくれた。
そんな彼が裏切るはずはない。
「いつもクラウディーヌの事を考えているよ。愛している。クラウディーヌ」
そう言って抱き締めてくれたジェイド。
それなのに、アリアのドレスを脱がして淫らな事をしようとした?
あの妹が誘惑したに違いないわ。
だからだからだから追い出してやった。
憎い妹‥‥‥でも、たった一人の妹。
使用人に命じて、追い出した妹を探させたわ。
雪の中で倒れていて、身体が冷え切っていて。
あああああっ…‥死んたらどうしよう。
たった一人の妹なのよ。わたくしと血が繋がったたった一人の。
冷えた身体を温めないと。
同じベッドに入って、ずっとずっと抱き締めていたの。
死なないで。お願い。アリア。
貴方はわたくしのたった一人の妹なのよ。
死んだら憎む事も出来ないじゃない。
だから生きて。生きて欲しいの。
人によってはこんな女、死んで当然だと、そう思うかもしれない。
でも、わたくしは‥‥‥
そう、貴方が目が覚めたら言うの。
一生、憎んであげるって。
だから目を覚まして。
お願い。アリア。お願いよ。
アリアは目を覚まして驚いた。
隣に姉クラウディーヌが寝ていたのだ。
とても温かい。温かさに包まれていた。
母を思い出した。
今、どこにいるか解らない母。生きているのだろうか。
あの母は強かだ。きっと父と共にどこかでしっかりと生きているのだろう。
姉が目を覚ました。
「気が付いたのね。貴方、死にかけていたのよ」
そう言われた。
そうだ。雪の中で倒れたんだった。
姉に謝らないと。
「ジェイド様に抱き着いて、陥れようとしてごめんなさい。雪がやんだら出ていきます。父と母を探さないと」
「貴方の両親なら、居所は解っているわ。野垂れ死んだら後味が悪いから、仕事を紹介して働いて貰っているわ」
「そうなのですか?」
「ええ、コーレ商会、そこで働いているわ。貴方の身体が治ったら会いにいきなさい」
父母が無事でよかった。涙がこぼれる。
アリアは姉に頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをしました」
心から反省した。
姉は自分を温めてくれた。
ベッドの中でずっと、凍えた自分を温めてくれたのだ。
そんな姉の婚約者を盗ろうとした。
思えば、ドレスやアクセサリー、挙句の果てに姉の婚約者まで盗ろうとした。
なんて愚かな女だったのだろう。
アリアはベッドから降りると、深く頭を下げた。
「私はお姉様に申し訳ないことばかりしてきました。一生かけてお詫びをしていきたいと思っております。雪がやんだらコーレ商会に行きます。とりあえず両親の無事を確認してから私に出来る事を探します」
「解ったわ。コーレ商会に紹介状を書きましょう。貴方もそこで働くといいわ」
「有難うございます」
姉は一生、自分を許さないだろう。
それでいい。
ただただ、自分は姉の為に一生、償っていこう。
アリアはそう決意した。
雪がやんだので、コーレ商会に馬車で送ってもらった。
父は荷物をよろよろと運んでおり、母は他の人達と一緒に、荷物の仕分けをしていた。
アリアを見たら両親とも喜んで、近寄って抱き締めてくれた。
「会いにきてくれたのか。私は家に戻れるのか?」
「公爵家に戻りたいわ。アリア。貴方からもクラウディーヌに」
アリアは首を振って。
「私も追い出されました。今日からここでお世話になります。よろしくお願いします」
両親はがっかりしたようだが、アリアに再び会えた事を喜んでくれた。
アリアは働きに働いた。
荷物の仕分けを地道にしながら、働いて働いて。
コーレ商会は、オルク公爵家の経営する商会だ。
そこで働いて恩をお返しするのがアリアの務めだと思った。
後に、コーレ商会の社長の息子に見初められてアリアは結婚した。
一生、クラウディーヌと会う事は無かった。
だが、ジェイドと結婚してクラウディーヌは幸せそうだという噂は耳に聞こえてきた。
背に赤ん坊を背負いながら、アリア自ら社員達を鼓舞し、仕事に励む毎日。
アリアは思う。
オルク公爵家の日々は夢のようだった。
自分はなんて愚かな人間だったのだろう。
そして今も、なんとか生きている。傍で夫や両親も働いている。
ドレスや首飾りは遠い世界になってしまったけれども、それでも、自分は生きている。
ただただ、心の中で一生会う事もないであろう姉クラウディーヌに、毎日謝り、そして働けることを感謝しながら生きていくアリアであった。




