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第一章:空白のアーカイブ

西暦2042年、東京。

空は、もはや青一色ではなかった。超高層ビルのガラス壁が反射する広告のネオン、上空を縦横無尽に走るエア・モビリティの軌跡光、そして大気中に漂う情報粒子が放つ微かな燐光。それらが混ざり合い、空は常に複雑な色彩のグラデーションを描いていた。

そんなサイバーパンクな都市の片隅、新宿の雑居ビルに、俺の事務所はあった。ドアに掲げた古風な真鍮のプレートには、こう刻まれている。

『霧島記憶探偵事務所』

人々は俺のことを、もっと別の名で呼ぶ。「メメント・ダイバー」。他人の記憶に潜入ダイブし、そこに残された痕跡から真実を拾い上げる、特殊な探偵だ。


ソファでうたた寝をしていると、ドアベルがけたたましく鳴った。重い瞼をこじ開けると、目の前には、息をのむほど美しい女性が立っていた。上質なシルクのスーツに身を包み、怜悧な光を宿す瞳が、俺を射抜くように見つめている。

「あなたが、霧島朔?」

彼女の名前は九条響子。脳内の記憶をデジタルデータとして保存・共有する技術「メモリー・アーカイブ」を世界中に普及させた巨大企業、ユグドラシル・コーポレーションの現CEOだった。

依頼内容は、彼女の父であり、メモリー・アーカイブの生みの親でもある九条正宗博士の死の真相を探ってほしい、というものだった。

「警察は事故だと判断しました。書斎で、高濃度の神経ガスを誤って吸引した、と。しかし、父はそんな初歩的なミスを犯すような人間ではありません」

響子の声は、気丈に振る舞ってはいるが、微かに震えていた。

「問題は、父の記憶です。死の直前24時間分のメモリー・アーカイブが…完璧に消去されていたのです」

メモリー・アーカイブは、個人の脳と直結したクラウドサーバーに、五感を通して得た全情報を記録するシステムだ。事故や病気で肉体が滅んでも、記憶データさえ無事なら、ある意味で「生き続ける」ことができる。その中核データが、綺麗に24時間分だけ消失している。それは通常、ありえないことだった。事故などではない。何者かが意図的に、博士の死の真相に繋がる記憶を消し去ったのだ。

「あなたにしか頼めない。父の『空白の24時間』に、何があったのかを突き止めてほしいのです」

俺は、彼女の目を見た。その奥に揺らめくのは、父を失った悲しみだけではない。何か、もっと深い恐怖と、そして覚悟の色があった。

「ダイブには危険が伴います。特に、対象者の記憶が不安定な場合は。あなた方の記憶にも、潜らせてもらうことになる」

「構いません。真実がわかるのなら」

俺は、彼女の依頼を引き受けることにした。失われた記憶の謎は、俺自身の過去とも無関係ではなかったからだ。俺もまた、数年前の事件で、自分の記憶の一部を失ったメメント・ダイバーだった。

ユグドラシル社の最上階にある博士の書斎は、第一発見時のまま保存されていた。床に横たわる博士の人影が、テープで無機質に縁取られている。壁一面の本棚には、脳科学や量子力学の専門書がぎっしりと並び、彼の知性の高さを物語っていた。

俺は、ダイブ用のヘッドギアを装着し、傍らに置かれたポータブル・サーバーに接続した。今回のダイブ対象は、九条博士の「残された記憶」。消去された24時間の直前までの、断片的なアーカイブだ。

「ダイブします」

響子に短く告げ、俺は意識を記憶の海へと沈めていった。

視界がノイズに覆われ、次の瞬間、俺は博士の視界を追体験していた。

目の前には、複雑な数式がびっしりと書き込まれた電子ボードがある。博士は、何か新しい理論を構築しようとしているようだった。彼の思考が、洪水のように俺の脳に流れ込んでくる。

(…違う、このパラメータでは量子トンネル効果を説明できない…)

(…まさか、"集合的無意識"へのアクセスが可能だとでも言うのか…?)

(…彼女は、知りすぎてしまった。止めなければ…)

断片的な思考。焦燥感。そして、強い警戒心。博士は、誰かに、あるいは何かに対する強い恐怖を感じているようだった。

次の瞬間、場面が飛ぶ。薄暗いバーのカウンターだ。博士は、一人の男と向かい合って座っていた。男の顔には、意図的なものか、強いノイズがかかっていて判別できない。

『計画は最終段階だ。君にも、覚悟を決めてもらう』

男の声が響く。それは、合成音声のように感情が削ぎ落とされていた。

『やめろ!これは、人類が手にしてはならない領域だ!』

博士が激しく反論する。しかし、男は全く動じない。

『もう、後戻りはできない。君が始めた物語だろう?』

そこで、記憶は途切れた。強制的に現実世界へと引き戻される。

「…どうでしたか?」

心配そうに顔を覗き込む響子に、俺は荒い息を整えながら答えた。

「博士は、誰かと会っていた。そして、何かを強く恐れていた」

それだけではない。博士が研究していたのは、単なる記憶技術の応用ではなかった。

「集合的無意識…」

俺が呟いた言葉に、響子の顔がこわばった。

「父が晩年、取り憑かれたように研究していたテーマです。個人の記憶の集合体、人類が共有する深層記憶の領域…。まるで神話のような話ですわ」

いや、神話などではない。博士は本気だった。そして、その研究が、彼の死に繋がっている。


俺は、次にダイブすべき相手を決めた。博士の息子であり、兄でもある九条隼人。彼は、父親と研究を巡って激しく対立していたと聞く。

隼人の記憶にダイブすれば、博士が恐れていたものの正体がわかるかもしれない。

だが、俺はまだ知らなかった。この事件の背後に広がる闇の深さと、それが俺自身の失われた過去へと、残酷なまでに繋がっているということを。

記憶の迷宮の入り口に、俺はまだ立ったばかりだった。

メトリー能力に憧れはありますが、知りたくないことも多いですよね、本作ミステリー重視ですが良かったらコメント下さい。

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