第八話:未定風の試練
霧と風の支配するカルナの渓谷で、セロは己と向き合う試練を迎える。そこに待っていたのは、自分自身との対話だった。
カルナの渓谷の中でも、最も霧が濃く、音すらも閉ざす地帯にセロとイーヴァは足を踏み入れていた。未定風と呼ばれるこの地の空気は、ただ立っているだけで心を乱すほどだった。
「イーヴァ……?」
ふと、隣にいたはずのイーヴァの姿がかき消える。次の瞬間、視界はすべて霧に包まれ、音が、感覚が、色が消えていく。
「……ここは……どこだ?」
セロは独りきりになった。重たい空間の中で、己の足音すら響かない。
そのとき、目の前に“自分”が現れる。だが、それは鏡のような存在ではなかった。目の奥に冷たい光を湛えた、もう一人のセロ。
「強さが欲しいと願ったのは、本当に自分か?」
その問いに、セロは息を呑む。
「守りたいと言いながら、恐怖に足をすくませた。演習では動けても、実戦では手も出なかった。……なぜか分かるか?」
セロは答えられない。
(怖かった。仲間が傷つき、自分も傷つくことが……でも、それだけじゃない)
──師リゼルの言葉が、ふと頭に浮かぶ。
『技よりも、心を研げ。お前はそれが強みになる』
(俺は、壊すためじゃなく……守るために力が欲しかった)
セロは拳を握る。
「俺は、俺を選ぶ。……恐怖も弱さも、自分の一部だ」
その瞬間、幻影のセロが消え、霧が晴れていく。
視界が戻ると、イーヴァが数歩先でこちらを見ていた。
「あなた、正気を保てたのね。すごいわ」
セロは小さくうなずいた。「母の声が、聞こえた気がした」
「それで十分よ。この地では、それだけで勝利と同じ価値がある」
未定風に試され、セロは自分自身と向き合う。次回、霧の奥に潜む力の痕跡が、二人の進路を照らす。