第九話:幻視と覚醒
番いの守護獣との邂逅を経て、セロの中に生まれた“問い”が次の扉を開く―
カルナの渓谷を抜けた二人は、一時的に霧の少ない場所へとたどり着いた。
岩と苔むす静かな空間に、小さな泉が湧き出している。
イーヴァが言った。
「この辺りは“中和地帯”。霧の干渉が弱まるわ。休むにはちょうどいい場所よ」
セロは頷き、泉のそばに腰を下ろした。
だが、頭の中は休まることなく揺れていた。
(守護獣……いや、あの時、俺は“破壊”を止めた。だけど、あの傷は……誰が?)
問いは答えに辿り着くことなく、霧のように揺蕩っていた。
イーヴァが近づき、小さく呟いた。
「ここに来る前、私は“霧の中で心を失った者”を何人も見てきた」
セロが顔を上げる。
「意志の弱さが飲まれるの?」
「違う。強すぎる意志ほど、かえって“自分の幻”に取り込まれていくの。だからあなたには、見てほしいの」
彼女は小さな瓶を取り出した。それは、霧の欠片を封じたものだった。
「これを泉に垂らして。たぶん、あなたに必要な幻が現れる」
セロは戸惑いながらも、瓶の封を切り、雫を泉へと落とした。
次の瞬間、泉が淡く光を放ち始める。
その水面に映ったのは──かつての風景。
師リゼルとの修行の日々だった。
──“心を制せぬ者は、力にも飲まれる”
幼きセロが、泣きながら拳を振るっていた。
攻撃の形ばかりを真似し、心を伴わぬ拳。
その傍らで、リゼルが静かに言った。
「お前が強さを求める理由が、誰かのためであるならば……必ず、力はお前に応えてくれる」
──その時の自分には、まだ理解できていなかった。
だが今、霧の谷で出会ったあの怒り、傷ついた番いの姿、そしてイーヴァのまっすぐな言葉が、セロの中でひとつに繋がっていく。
「俺は……破壊じゃない。“応える力”を持ちたい」
その言葉と共に、泉の光は消えた。
イーヴァが静かに笑った。
「それが、あなたの“核”なのね」
セロは頷き、拳を見つめた。
──この拳は、もう迷わない。
霧の地に深く潜るごとに、セロの内面は磨かれていきます。




