06_相性抜群の天才×天才
「今から、浄化を始めます」
治療魔術における浄化は、ただ力任せに行うのではなく、狙った場所を適切な魔術で浄化する精密な制御力が求められる。
臓器に関する医学的知識があるのは大前提だ。
今回は、残留した魔力を一片たりとも残さずに清めなくてはならない。わずかでも残滓が残れば、再びマイクに同化症が起こってしまう恐れがあるためだ。
エミリーは呪文を唱え、同時浄化を開始した。
(ちょっとでも調整を誤れば、ショックを引き起こす)
マイクは身体はすでに弱っているため、負荷をかけすぎてはならない。
だから、エミリーは細かく調整しながら、慎重に浄化を進めていった。
――だが、心臓以外の侵蝕が消失したとき、治療室の警戒ベルが鳴り響く。
ピピピピピピ……ッ!
それは、患者の生命が危険な状態になったときに、音が鳴って教えてくれる魔道具だ。エミリーとアステラは顔を見合わせる。アステラは淡々とした口調で言った。
「体内の魔力循環が著しく乱れています。血圧も低下。呼吸も弱まっています」
マイクの唇の色が、みるみる失われていく。
このベルが鳴ったら、治療を中断するべきだ。しかし、ここで終わると、魔力侵蝕が残って、いつ同化症が再発するか分からない。しかも、一度浄化魔術を施した人には、一定期間、同じ術を施すことができない。
(このまま、中断するしかないの……?)
迷うエミリーの前で、アステラは無表情に新たな詠唱を始めた。治療台に赤、黄、緑と四つの魔法陣が展開していく。そして、ベルの音が止まった。
「複数の魔術を重ね、一時的にショック症状を抑えました」
同時に複数の魔術を扱うのは、とてつもない集中力と技術が必要になる。アステラは飄々とした様子でそれをやってのけたが、彼は相当優秀な医療魔術師だ。
「再発防止のため、中断するべきではないと僕は思います。ブラウン先生、あと三分で浄化を終わらせてください。あなたの技術なら可能なはずです」
最後の決断は、主治医であるエミリーに委ねられている。
だが、居合わせた看護師たちが反対する。
「恐れながらグエン先生、中断すべきです」
「このまま治療を続行するのは、いくらなんでも危険すぎます!」
彼女たちの言うことは正しい。
(どうする、私。どうする)
アステラは、エミリーの答えを静かに待っていた。
彼が作ってくれた時間を無駄にはできない。けれどここで失敗したら、再発防止どころか、患者を死なせるかもしれない。
エミリーは選んだ。
「中断しません。間に合わせます」
「ちょっ、ブラウン先生まで……!?」
看護師たちは驚愕しているが、治療については主治医に決定権がある。責任も背負わなくてはならないのだけれど。
強い意志が宿ったエミリーの目を、アステラはじっと見つめていた。
エミリーが再び呪文を唱えると、魔法陣がさらに広がる。淡い光が、エミリーの額に滲んだ汗を照らしていた。
エミリーが浄化魔術をより早く、強く、展開させていき、アステラは浄化で生じた負荷を鎮静魔術で最小限に抑え、さらに絶妙なバランスで魔力を再生してマイクの生命維持をする。
完璧な連携で治療を行なうエミリーとアステラに、思わず看護師の誰かが「すごい……」と感嘆の息を漏らした。
「体内の残留魔力は完全になくなりました。――浄化完了です」
エミリーはかざしていた両手を下ろし、肩の力を抜く。すると、アステラが言った。
「お疲れ様です。見事でした」
彼はそう端的に言うと、治療室から出て行った。エミリーは咄嗟に、彼の後を追う。エミリーの白ローブのマントの裾が、翻った。
「待ってください、グエン先生!」
「……なんですか?」
こちらの呼びかけにアステラは足を止め、振り返った。
「あ、あの……素晴らしい補助でした。ありがとうございます」
「仕事ですので」
「でも、あんなにやりやすい施術は初めてでした。以前にも、一緒に治療をしたことがあるんですか?」
「まぁ、何度か」
「それに私、あんなに早い魔力再生は初めて見ました! 先生、すごいです。天才すぎます。私、ほんっとうに感動して――」
「……………」
エミリーは目をキラキラと輝かせながら、アステラを絶賛する。
彼から返事が返ってこず、エミリーははっと我に返った。
「ご、ごめんなさい。つい夢中になって」
迷惑だったかもしれない、としおしお肩を落とすと、アステラはぽつりと答えた。
「再生の速度は、経験あるのみです。別にあれくらい、練習すれば誰でもできます」
「そうは思いません。コツコツ練習するって、簡単に見えて実際はすごく難しいです。先生が努力を重ねてきたからこそ、今の技術があるんですよ」
それは、素直な賞賛だった。
「それから……マイクさんに襲われたときに助けてくださったことも感謝しています。今日は本当にありがとうございました!」
エミリーはふわりと花が咲くように微笑んだ。
その笑顔を見て、アステラはおもむろに、エミリーに手を伸ばした。しかし、彼の手はエミリーの頬に触れる寸前で、そっと――寂しげに下ろされる。
アステラはわずかに間を置いたあと、「僕はもう行きます」と背を向けた。するとそこに、鈴を転がすような美しい声が響く。
「アステラさんっ」
彼の名を呼んだのは――オリビアだった。




