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01_はじめまして、見知らぬ愛する人


「あなたは記憶を失っている可能性があります」


 エミリーが医師からそう告げられたのは、今朝のことだった。どうやらエミリーは三ヶ月前、自宅のバルコニーから落ちて頭を打ち、意識不明のまま実家で療養していたらしい。

 しかし、転落時のことを全く覚えていないのだ。エミリーは額を手で抑え、呻いた。


(それ以外のことなら思い出せるのに)


 伯爵令嬢エミリー・ブラウン。医学院を卒業し、王国魔術師団附属の特異医療院で医療魔術師として勤務している。順風満帆なキャリアを歩んでいるはずだ。


 この世界では、全ての人間が生命を維持するためのエネルギー源として『魔力』を持っている。この魔力に起因する病――魔病(まびょう)の治療を担うのが、医療魔術師である。

 医学の知識だけではなく高度な魔術も求められるため、人数がとても少ない。


 両親は健在、兄と姉がそれぞれふたりずついる。医学院を卒業後に実家を出てひとり暮らしをしていた。趣味は珍しい植物の種を集めること、好きな食べ物は職場近くのカフェで食べる三段パンケーキ。恋人はいない。


 自分について思い出しながら、エミリーははぁと深く息を吐く。そのとき、額を抑えていた左手を下ろすと、左手の薬指に光るものを見つけた。


「指輪?」


 ダイヤが中央にあしらわれた、綺麗な指輪だ。


「しかも、薬指……」


 恋人なんていないし、いたこともない。勉強ばかりしてきて恋愛に疎いエミリーでも、左手の薬指につける意味くらいは知っている。恋人や夫婦の、愛の証だ。


(こんな指輪、いつ買ったっけ)


 不思議に思って首をかしげながら、かざした指輪を眺めていると、部屋の扉がノックされ、侍女が入ってきた。


 彼女は嬉しそうに告げる。


「オリビア様とグエン先生がお見舞いにいらしてます。今は奥様とお話し中なので、もうすぐこちらにいらっしゃるはず――」

「グエン先生って誰?」


 エミリーはいぶかしげに眉を寄せる。オリビアは医学院時代からの親友だが、もうひとりの『グエン先生』なる人には全く心当たりがない。


「ふふっ。冗談はやめてくださいませお嬢様」


 しかし、次第に顔から血の気が引いていった侍女が、恐る恐る言う。


「まさか……婚約者のことまで忘れたのですか?」

「う、うそ、私、婚約者がいるの!?」

「は…………?」


 婚約者、だなんてエミリーにとって縁のない響きだ。

 エミリーが首を捻ると、侍女は凍りついたように青ざめる。


「天才医療魔術師のアステラ・グエン様ですよ!? お嬢様が特異医療院に入ってからベタ惚れして、猛アタックの末に婚約がなさったじゃないですか……!」

「べたぼれ、もうあたっく……?」


 言っている意味が理解できず、侍女の言葉を復唱した。頭の中に疑問符が大量に浮かんでいく。そのような記憶が、一切ないからだ。

 エミリーは自分の指輪を侍女に見せて、「じゃあ、これは?」と尋ねる。


「婚約指輪です。グエン先生にプロポーズされたとき、お嬢様はとてもお喜びでしたよ」


 どうやらエミリーは、アステラという全く知らない相手と、結婚を誓っていた――らしい。アステラに関する記憶が、ごっそり抜け落ちている。


 ただ唖然としているエミリーに、侍女はもう一度確認してきた。


「本当に……グエン先生のことも?」

「うん、さっぱり」


 そう言ってエミリーは首を横に振った。


 ――コンコン。


 侍女の問いかけに答えた直後、再び扉がノックされた。エミリーが「どうぞ」と促すと、ゆっくりと扉が開き、その人が部屋に入ってきた。


 現れたのは、後ろでまとめた銀髪に紫の瞳を持つ男性だった。

 顔立ちは整っているが、無表情で冷めた雰囲気をしていた。その人は、エミリーに言った。


「やっと目が覚めたんですね」

「あ……はい」


 口調も淡々としていて、とっつきにくい印象を受けた。


(この人が……私の愛する人?)

「あなたが、グエン先生……ですか?」


 彼はつかつかと無表情でこちらに近づいてきて、じっとエミリーの顔を覗き込んだ。


「自分の婚約者の顔を忘れたんですか?」

「……はい。実は、あなたのことを何も思い出せなくて……。すみません」


 やはり彼が、アステラのようだ。エミリーは申し訳なさげにそう打ち明けるが、アステラは眉ひとつ動かさず、平気そうな表情をして言い放つ。


「それなら好都合です。今日は婚約を――解消しに来たので」

「…………はい?」


 告げられた予想外の言葉に、目を見開く。

 扉の前に立っていたオリビアが、アステラにそっと寄り添う。アステラは彼女の腰に手を回した。


「僕はオリビアさんを愛しています。彼女と結婚したいので、僕と別れてください」

「エミリー、ごめんね……」


 オリビアは口先では謝罪の言葉を言っているが、どこか優越感を含んだ笑みを浮かべていた。



「……分かり、ました」



 そう答えるしかなかった。だって、エミリーはアステラのことを何も知らないのだ。

 彼を引き止める理由が、見つからない。


 三ヶ月ぶりに目覚めたその日、見知らぬ婚約者に別れを告げられ、すっかり感情が迷子になってしまったエミリー。


 何も分からないまま、気づくと愛する人は、()()()()()人になっていた。



いつもありがとうございます!

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