08 帰還、開戦へ
台湾上空に停泊した、三つの大きな島と小さな浮島たち。橋渡しがされている島同士もあれば、自由にただよっているものもある。それらの島々にはスカイキングダムのような先進的で前衛的なデザインの意匠はなく、雑多な金属やあるいは木片によって継ぎはぎの様な補修が施され、人々の生活がありありと見えた。ゴミゴミとした印象の中にどこか暖かさと、雑然としたものが一塊に浮いているという不可解な魅力がある。
この島群は国家申請により認められた国であり、その名はノルマンディ自由公国。人口五千人。当時世界最小の国家であった。主たる産業は精密機械工業であり、輸出製品の大半は時計、通信機器、パーソナルコンピュータ(機械人から抽出した模造品)、映像射出機等々の製品であり、軍事武器の製造は行っていない。しかし、他国からは揶揄して、ノルマンディ自由公国の主たる輸出品は「戦争孤児の機械人」であると言われていた。
人種は実に様々で、宗教は完全フリー。人々は勤勉でありながら宴会好きの無法者であることは臨時国家総督のキャプテン・マルコを悩ませた。気風として古代ヴァイキングの豪傑さを継いだようなところがある。人々は個性に溢れ、優秀な才人が多く排出されていった。
この自由公国が世界大戦の開戦を予期し、解体を決意するのに瞬時の躊躇いもなく、その決断は下された。この国には法が存在していたが、それ以上の規律を縛る憲法はたった三条からなる絶対条項である。
一.自由であること
一.戦争を止めよ
一.孤児を拾え
震えるほど、そして馬鹿らしいほどシンプルな国の憲章である。人々はその通りに生き、有事の際にはその覚悟を持っている。それがノルマンディ自由公国だ。豪傑にして快活。付け加えるべくは実直で勤勉。それはキャプテン・マルコの生き方そのもでもある。
ただし、彼はノルルマンディ自由公国の臨時国家総督であることを忘れてはならない。ノルマンディ自由公国の国家総督はエボリューション隊長が兼務する形で就任することが規定されている。つまり実質、国家総督はキャプテン・クロウなのだ。
しかし、キャプテン・クロウは第一次世界大戦の終局、リヒトとフーゴの決戦の後に、キャプテン・マルコにノルマンディ自由公国の創設を命じて姿をくらました。その際にキャプテン・マルコが命じられた内容はこうだ。
一.ノルマンディ自由公国は三つの絶対条項からなる国家であること。
一.戦時にあらずば、国家総督は臨時を要し、近接隊の隊長が自動的に任官される。
一.本来総督(エボリューション隊長)は戦時に備え、隠密に従事し戦争抑止および、情勢の均等化に従事す。
一.戦時下は本来総督が国家総督とし指揮を執る。
これは正式に条文化されたものではなく、各隊長にキャプテン・クロウが口で伝えたものである。しかし、俺は知っていた。教えてくれたのはキャプテン・ヴォルド。エイトオーバー隊の前隊長である。彼は衰弱し床に伏せ、死期が迫る直前に俺を呼んだ。キャプテン・クロウが姿を消したことに関し、キャプテン・ヴォルドは俺にこう言った。
「クロウとマルコは、リヒトとフーゴのような関係だった。親がなく互いが支えあう関係だったのだ。みな戦争で親をなくした故にそれを憎む。確固として停戦に拘る理由はクロウとマルコの過去にある。なに二人は凡才で、真に選ばれし犠牲はリヒトとフーゴ。フーゴは修羅に憑かれていた。あれは特に強い力を持った故に制御ができなかったのだ。そしてリヒトは悪く優しい性格だった。救えない友をリヒトは追いかけていたのだ。性分だったんだろうな。
クロウはな、世界を本気で変えようとしている。ハインツ、その目で見て、それが正しきか悪しきか見極めるのだ。完全なる正義はない。ハインツ、お前に神の加護があらんことを」
キャプテン・ヴォルドは俺の手を握って絶命した。齢七〇歳。当時にして大往生であったが、彼の言葉は俺にいくつものしこりを残した。
キャプテン・クロウはいったい何者なのか。ノルマンディ自由公国ではよく聞く彼の名ではあるが、俺は彼を見たことがない。
第二次世界大戦は公式に宣戦布告がなされた。宣戦を布告したのは日本で、その相手国はソビエト連邦、及び中華民国。開戦までの猶予は一〇日間あった。だが、各国は緊張体制を解かぬまま開戦の三日前、日本側から正式な要求が出された。
「樺太領土、尖閣諸島に関する一切の権限を委譲されたし。承諾されなくば武力行使あるのみ」
これにソビエト、中国は無視を決め込み、開戦前二日目も同様。そして猶予一日。各国は世界大戦を予感し勇み立つ。それももっともで、戦争とは一大軍事産業であり、経済効果は各国の当時にして数十億円。重工業で国力を豊かにしている国には上手い話でしかない。第一次世界大戦の裏で着々と国力を増していったアメリカは日本側への同盟を確約しながらも、ソビエト、中国への軍事輸出の取引を巧妙に他国を経由して行った。また、ドイツは統一を果たしたがまもなくアドルフ・ヒトラーひきいる軍事独裁国家へとその舵を切り、選民思想のもと大規模で非人道的な民族排斥を行うにいたっていた。ドイツは日本からの要請により同盟を結び戦争への協定関係を結んだが、裏では極東への植民地政策の足がかりとしたいことは誰が見ても明らかだった。程なく日米独の三国協定が成立するが、この動きに黙っていなかったのはスカイ・キングダムだった。
スカイ・キングダムは中華民国に対して特別な思いがある。かつて中華民国が清国であった時からその領土を巡って戦争を行い、独立を許さなかった経緯があり、特に台湾は英国領として統治を実施し今でもそれは続いている。南東諸国にも英国領の植民地は多い。そのためにスカイ・キングダムは、本国である大英帝国の後押しのもと中華民国とソビエト連邦との同盟を決議し、ここに英中露三国同盟が結成された。
ノルマンディ自由公国はこの戦争に対して、世情の一切を跳ね除けて中立を貫き、かつ当初から開戦への危惧を出し続けた。協定国も同盟国もどうにかノルマンディを抱き込みたかったのだが、それは徒労に終わる。唯一、スカイ・キングダムのみがノルマンディ自由公国と「強調の意思表明への調印」という何とも曖昧な取り決めを行っているが、それもつまるところ、第一次世界大戦の二の舞を起こさぬよう、お互い自助努力をしましょう、ということが冗長な文章にしたためてあるに過ぎない調印といえた。しかし、この調印によってノルマンディ公国は台湾上空に停泊しているという事実は日米独を十分に牽制した。
ノルマンディ自由公国は雑多な町並みを解体して、三隻のガレオン空挺と中型空挺八隻、小型空挺二〇隻の一団となった。雲の合間に等間隔に並ぶ空挺の群れは壮観の一言に尽きた。世界最小の国家は、世界一の軍隊でもあるのだ。兵力にすると千に満たない戦闘員を保有するのみだが、他国とは戦力差において一戦を画す。それは機械人が駆るギガンテスを二〇機以上保有し、一騎当千とも一騎当万とも言われる反則的なギガンテスを持つキャプテン・クロウ、キャプテン・マルコの存在があるからだ。「機械人沈黙の夜」でこの二人がリヒトとフーゴの後援に付いたのは環境保全と、地球母体自体を護るためだった。つまり、リヒトとフーゴの能力は…皆までいう必要はない。
イレブンバック隊とエイトオーバー隊、エボリューション隊のクルーたちはみなデッキに整列し、その時を待っていた。
西の空の彼方に黒点が見えると、クルーたちはどよめいた。見る間にその黒点は大きくなり、亜音速で近づいてくる。巨大な翼を広げた、漆黒の鳥型ギガンテス。俺はその機影を視認すると、あまりに不気味なその姿に粟立った。見ただけでひしひしと感じる潜在能力。優れた機械人が駆るギガンテスは周囲に発する威圧感が半端ではなく、それはひとえに内部から発せられるエネルギーの質量が常人のそれをはるかに凌駕しているためである。
ダーク・クロウ。聞きしに勝る機体だと瞬時にわかった。黒い死神と称された超エース級のパイロット兼、エボリューション隊長兼、ノルマンディ自由公国総督が帰還した。並んだ空挺の隙間を縫って旋回するダーク・クロウに隊員たちは敬礼で応えた。エボリューション隊のクルーの中には嗚咽して泣き崩れるものもいた。キャプテン・マルコもその様子を感慨深げに眺めている。やがてダーク・クロウはエボリューション隊のハンガールに吸い込まれるように帰還。
「さて、挨拶に行くか」キャプテン・マルコは俺に言った。
「え、俺が行ってもいいんですか? 帰還したばかりで忙しいでしょうに」
「クロウは誰よりお前に会いたいはずだ。フーゴのことを一番に気にかけていたのはクロウなんだよ」
俺とキャプテン・マルコがエボリューション隊のハンガールに入った時、キャプテン・クロウは無数の女子に囲まれて身動きが取れなくなっていた。にこやかに微笑し、一人ひとりと言葉を交わしながら抱擁している。その傍らに困った顔をして控えているエボリューション隊の中隊長たち。
「すごい人気だな」いったのはキャプテン・ヒューゴ。彼はキャプテンという地位に着きながら、フライトスーツを常用し短く刈り込んだ頭髪に精悍な顔立ちをしている。しかし、この時ばかりはあきれ顔を隠せなかった。
「誰もがクロウを待っていたからな。戦争は誰一人のぞんでいなかったのに」皮肉をこめて言ったキャプテン・マルコ。隻眼の目と機械化した目で眼前の光景を見つめている。
キャプテン・クロウがキャプテン・マルコの存在に気づいたとき、周囲が急速に冷え、実際に温度が五度は下がった。同時に群がっていた女子が宙に浮いてキャプテン・クロウから離れていく。キャプテン・クロウはさっきまでの表情とうってかわった鬼気迫る機械人の特有の無表情に近い怒りを湛えたものになっている。漆黒のように深い黒の長髪が風も無いのになびき、奈落のように深い瞳の瞳孔が拡散していた。東洋人の様にも見えるが、肌が透き通るように白く、今は凍てつく氷のように青白い。華奢な体躯の内に秘められた暴力的な衝動がこちらにも伝わってくる。
キャプテン・マルコも同様に、赤髪がなびき、体の表面には赤い炎がチラチラと見え隠れしている。隆々と盛り上がった筋肉がせり上がり、身に纏った赤いマントを翻したと同時に、足元から同心円状の炎の輪が広がった。
これらは、機械人が強い感情を誘起した際に起こる現象だ。周囲にいた者は皆固唾をのんで見守っている。
二人はがっちりと固い握手を交わし、抱き合って互いの背中を強く叩きあった。それは有無を言わない友情を確かめ合うように見えた。
「帰ったぞ」とキャプテン・クロウ。
「よく戻った」とキャプテン・マルコは破顔した。
皆が二人の再会に胸を熱くした。
「鬼の子がいるな。紹介してくれ」と言いつつもキャプテン・クロウは既に俺に視線を向けている。
「ハインツ・シュタイン。総督に挨拶を」キャプテン・マルコは俺を名指した。俺は敬礼し、言った。
「イレブンバック隊、スカイユニット所属、ハインツ・シュタインであります。父がお世話になり、大変感謝申し上げます」
「ハインツ。以後、私への敬礼は禁ずる。フーゴのこと、お前にひき会わせてやれなかったこと、謝りたい。どうか赦してくれ」キャプテン・クロウは俺に頭を下げた。キャプテン・マルコも含め、周囲の人々は唖然としていた。一国のトップが単なる平の隊員に頭を下げて詫びを請うことは明らかに異常だ。しかし、俺はこれまでのわだかまりが解けたように感情がわき上がるのを感じていた。決してキャプテン・クロウに恨みを抱いたことはないが、彼が俺に後ろめたい気持ちを持っていたこと、それだけ父であるフーゴのことを思っていた事が短い言葉の中に見えたのだ。
俺はただ、涙を堪えて立ちすくんでいるのが精一杯で、キャプテン・クロウは三十秒は頭を下げたままでいた。時間が経過するだけ、事情を知っているクルー達の心をえぐり、俺は頭が白くなった。取り巻きの女子達は皆、口々に言う。「許しておやんなさいよ」「過ぎたことよ」「男なら潔く笑うのよ」「気にしない、気にしない」などなど。
俺はからがらに枯れた声で言った。
「俺の父はリヒトでもあるのです」俺の脇で、身を引いて頭を下げた人影が見えた。キャプテン・マルコだ。
「お前の育ての父、リヒト・シュタインを星にしたこと、ここに詫びよう。すまなかった」
誰も何も言えなかった。俺だけがこう言えた。
「やめて下さい。許す、許さないの問題じゃない。許さなかったらあなた達はここにいない。頭を上げてくださいキャプテン」
顔を上げた二人は晴れやかな微笑をして、俺を見ていた。
「そっくりじゃないか。良い男に育ったな」とキャプテン・クロウ。
「どっちに?」とキャプテン・マルコ。
「どっちもだ。フーゴの気高さとリヒトの優しさ。悪く言えば傲慢さと甘え。…・言い感じに育ったな、鬼の子よ」キャプテン・クロウは俺を軽く抱擁し、その際に思念通信をしてきた。俺はそれを拒否する間も無く頭に流し込まれた。
『今日のフィエスタの後、私の部屋に来てくれ。渡したいものがある』