07 君を想う
日の出前、薄暗い景色が徐々に光りを増して赤く染まりかけた、青と赤の中間の時間を空挺のデッキで過ごしていると思うことがある。時代は移り変わり世界は変わっても、この景色は変わらないのだろうか、と。暗い海と暗い空が陽に染まり朝を向かえ、この時間は空で生きる自分にとってかけがえのないひと時だ。
「今日も早いな」キャプテン・マルコは俺の背後に立っていた。振り返ると朝焼けで染まった縮れ毛の長髪が風になびき、涼しげに目を細めたキャプテン・マルコは憂いと悲嘆に満ちているように見えた。俺は自動掃除機「ルンバ」の電源を落とした。もう昔の様にデッキを汚すクルーも少ない。
「おはようございます、キャプテン・マルコ」シュルシュルと音を立て、ゴミを吐き出してそのゴミよりも小さくなったルンバをポケットにしまった。ネズミのような小型機械になったルンバは俺のポケットからちょこちょこと顔を出してキャプテン・マルコを見ている。
「では、行こうか」懐に手を入れるキャプテン・マルコ。俺はフライトズボンの後ろポケットに手を突っ込んで言った。
「イエス・サー」
取り出したのは薄っぺらい紙のようにひらついた物体。機械人がバチッと電力を伝えると、たちまち柔金属が膨らんでモウルになる。モウルは昔とは違い、金属展開させてから個人的なカスタマイズをするのが一般的になっている。
キャプテン・マルコはプレーン機のまま風に流されいった。それに遅れることなく従う。
朝焼けが雲に朱を流し込んで染めていた。その雲を周回して上昇し、思いおもいに飛ぶ。朝のストレッチをして空の感覚を身体にしみわたらせるがごとく、二機は飛行機雲の尾を引きながら縦横無尽に駆けた。デッキに戻った時は二人とも軽く息があがり、汗ばんでいた。
「朝食にしようか」とキャプン・マルコ。
「ええ。今日も良い朝でした。平和な日々が続けばと思います」俺は皮肉を込めて言った。明日から大きな戦争が始まるのだ。
この戦争は防ぎようは無かったのか。その思いは拭えない。ただ、この風景だけは、朝の景色だけは誰にとっても変わらないものであって欲しいと思う。
デッキに入ってくる人影があり、振り返るとシーナだった。彼女はタオルを渡してにっこりと微笑んだ。汗を拭くと俺はその場を去った。
二〇世紀の幕開けは、世界的な戦争の只中にあった。第一次世界大戦。地球の地表面上空一〇〇〇メートルのスカイキングダムで旧プロイセン公国の青年伯爵サマルカンドがスカイキングダムのパーティ海上で無差別発砲した挙句、自決。同夜、デビルブルーと呼ばれるスカイキングダムが所有するエース機が大規模に電磁波を発したことで機械人の多くが命を落としたことから、「機械人沈黙の夜」とこの事件は呼ばれることとなった。
この事件をトリガーに、プロイセン公国と軍事協定を組んでいたノルマンディ連合軍が事態の収束に乗り出すが、スカイキングダムとの全面衝突という形で戦火の火蓋が切って落とされた。サマルカンドの発砲がいかなる理由によるものだったか、その当時の記録は残っていない。世界的な戦争はただ彼の引金によってもたらされたと記されているのだ。また、キングダムが開発した金色の新型機はその日、公式に発表されること無く奪取されたことは、当時小さな新聞記事として掲載されたに過ぎない。これはあくまでも公的な記録だ。この「機械人沈黙の夜」は様々な推測が飛び交う事件であったが、真実は全く異なっていることをもちろん俺は知っている。
あれから二〇年。
俺は自室の簡素なシャワー室で汗を流し、ベッドに仰向けに寝て天井を見つめていた。誰かが部屋の扉をノックした。足音で誰かは分っていた。「どうぞ、開いています」と言って俺は身体を起こしてベッドに腰掛けた。
飛び切り大柄な体躯に、しかし顔は厚ぼったい唇にクリクリとした目が幼い印象のあるジッタ中隊長。彼は部屋に入るなりバスケットに入った朝食のブレットとコーヒーを持ってきた。短く刈り込んだ頭髪には胡麻塩のような白髪が混じっている。
「シーナがさ、元気が無いから届けてくれって。海馬情報を見たんだってな。でもさ、腹が減ってはなんとかって言うだろ」ジッタは俺の鼻先にバスケットを突き出した。
「ありがとう。ホース・メモリーを見たことは後悔していないさ。皆が嘘をついていたことがショックでね。真実を教えてくれたキャプテン・マルコには感謝している。腹を括れたさ」俺はコーヒーにミルクを流し込み、砂糖は入れずに啜った。ブレッドを一口かじる。
ホース・メモリーとは機械人の死後に脳内から取り出した記憶情報のことである。技術的にそれは五感情報を再現できるほどの情報量を持ち、機械人の生きた記録をダイジェスト形式で再体験できるのだ。
「父親を恨むなよ、ハインツ」ジッタは短い頭髪を撫でながら言った。
「どっちのだよ」「両方さ」
第一次世界大戦は俺が一二歳の頃に終戦を迎えた。そもそもこの戦争を仕掛けた張本人はキャプテン・クロウだということはノルマンディ連合軍の間では公然の事実であった。その理由は、当時泥沼化していた中華民国とスカイキングダムの戦争を終結させるため、キャプテン・クロウはより大きな戦争を仕掛けたのだった。その結果、その戦火は世界中に広がった。ノルマンディ連合軍とスカイキングダムはその当時には多大な影響のある二大勢力であったことは間違いがない。
この戦争は約一〇年にわたる長期戦となった。その理由は直接的にスカイキングダムとノルマンディ連合軍が戦わず、常に他国の内戦や国家間戦争への代理戦争を繰り広げていたからだ。スカイキングダムは世界に覇権を広げることを目的に、ノルマンディ連合軍は世界から戦争を駆逐することを大義としていた。目的が全く異なる二大勢力は静かににらみ合う形で牽制し、時に激しくぶつかり、時に静かな情報戦を繰り広げた。
状況を一変させたのはスカイキングダムの植民地の中に、ノルマンディ連合軍が戦争孤児の施設を堂々と建てていったことに起因し、スカイキングダムの植民地各国で内地革命が起こったことだった。圧倒的に不利な世界情勢の中でキングダムは苦し紛れの一手に出た。「終戦を前提とした宣戦布告」と称した宣誓を表明し、ノルマンディ連合軍の本拠点であるフィンランドに攻撃を仕掛けたのだ。
ただし、兵力は唯のギガンテス一機。フーゴ・ヴィージィンガーが駆るデビル・ブルー。この意味を当然察したノルマンディ連合軍は、ステイ・ゴールドと称されていたリヒト・シュタインが駆るギガンテスを一機で差し向けた。
この戦いに世界中が注目し、各地で一斉に報道された。そのたった二機の戦闘に大衆は誰もが震撼し震え上がった。デビル・ブルーとステイ・ゴールドといえば泣く子も黙る両国のエース機である。それが正面を切って衝突したのだ。フィンランドのフィヨルドといわれるリアス式海岸の一部の地形は変形し、重力の反作用により海水面が大量に上下し持ち上がり、気温の急激な温度変化により積乱雲が出現し冬の海はとたんに嵐となった。
この戦いを介抱したのはノルマンディ連合軍のキャプテン・マルコが駆るブラッド・ブルとキャプテン・クロウが駆るダーク・クロウだった。通常ならば、スカイキングダムから出るはずの後援(介抱)機は何故かノルマンディ連合軍が代行した。この戦いのおかしさがここにある。つまり、スカイキングダムはこの戦いを世界的に放映することで長期化した戦争を終結させ、かつ不利な戦局の責任を放棄したのだった。そもそもこの二機の後援(介抱)をできるほどの機械人がスカイキングにはいなかったし、人外のエース機にキングダム自身が戸惑いを覚え、その力を持て余していたのだ。
そしてこの決戦はキャプテン・マルコにとって胸を大きく痛めると同時に、リヒトとフーゴの本懐を果たすことができる最後のチャンスだった。
四機が入り乱れる中、デビル・ブルーとステイ・ゴールドは向かい合って肩を組み合う形で絶命した。フィヨルドの根元に流れる滝に打たれながら、二機は凍りついて巨大な彫像と化し死んでいった。その時、親友である二人は最後に言葉を交わした。その内容をハインツは溢れ出る涙の中で聞き、戦争を呪ろい悔やんだ。
リヒトはフーゴの子である俺を愛し育てた。彼は機械化によって蝕まれる脳をおしながら戦場に出たが、傍らで父親を演じた。俺にとって育ての父はリヒトで、産みの父はフーゴなのだ。この事実をホース・メモリーを見るまで知らなかった。シーナは知っていたのに。
俺はホース・メモリーを何度もトレースしては父のことを思った。それは育ての親のリヒトのことでもあるし、会ったこともない産みの親であるフーゴのことだった。自分は確実にフーゴの能力を受け継いでいる。
機械人の能力についてある一定の見解がまとめられ、公表されている。
○強化型…機械動力をGFMのエネルギーによって燃焼させ、性能の向上を図る。人間とのハイブリッド時には単身で心臓を増強ポンプとなし身体能力を飛躍させることができる。
○操作型…機械機構を身体の一部として把握し、中脳とリンクした運動機能が可能となる。
○変化型…機械を構成する金属を変性させることができる。またその金属自体に機械機構を生み出し、エネルギーを付与し独立操作することができる。
○拡張型…人間が持つ五感を強化し、入力された刺激に対し過敏に反応する。つまり外部刺激の処理能力を飛躍的に向上させる。
○思念型…思考を他の機械人に伝えることができ、イメージそのものを伝えることが可能になる。無線通信技術の応用的な能力と考えられいる。
○特殊型…重力や自然現象に影響を及ぼす。他の能力型が最大まで引き出された結果起こる、天変地異に近い現象を引き起こす。
機械人はこれらの能力を個人差の程度によって分散的に有しているが、それぞれの能力は連続したスペクトラム上にあると言われている。例えばリヒトとキャプテン・クロウは典型的に変化型の能力に特化した機械人である。彼らは現代の軍事上、最強の機械人とされているが実は軍関係者の間ではそう考えられていない。最も恐れるべき能力は強化型である。強化型はGFMによって機械性能を向上でき、そこに上限はない。実はフーゴは典型的に強化型の機械人だったと言われており、彼は無限に近いエネルギーを内燃させることで金属を触媒にしてその質量を変化させることができたといわれている。デビル・ブルーが機体を肥大化させることができたのはこのためである。また重力を操作することもできたという記録があり、それは金属体を超高密度に圧縮させた結果、機体周囲に重力が発生したのだ。これらの能力と引き換えに、フーゴは殆んどの人間的な生命活動、つまり食べることや排泄、代謝機能を失っていた。さらに人体が本来有する感覚も失われ、機械化した体組織へインプットとされているような状態だったらしい。
また、リヒトは変化型に特化した能力を有していた。その結果、彼の晩年には最終的にステイ・ゴールドの金属変化に留まらず、地表や自然物質の鉄分や金属分子を操り、変化させることができていた。さらに、フーゴとの最終決戦では金属変化という現象を超えた、プラズマの操作すら行っており、それは放電された電気や炎といったプラズマに恣意的な力を加えることができたと記録されている。
もちろんこの二人は機械人の中でも例外中の例外であり、一般的に身体が機械化した人間は、脳や人体の機械化が進行するのを防ぐため、極力能力を発展させることをしない。つまり、能力を強化すればするほどに人間らしい人体構造が失われ、ある地点で感情や思考、生命活動の一切が別種のものになってしまうのだ。
しかし、それは第一世代の機械人に見られた機械化と生命活動の拒絶反応である。俺のような第二世代の機械人、つまりは父親か母親が機械人であった者の子らは能力強化によって身体が過度に機械化していくことは少ない。人の細胞と金属化した機械組織がなじむようになってきたためだと言われている。
俺はその日の午後、イレブンバック隊のクルー達が忙しく働く最中に、通信室へこっそり入り込んだ。時刻は正午0時。約束の時間だ。ある方角をめがけて俺は思念電波を飛ばした。
『こちらハインツ、こちらハインツ応答せよ』通信室では志向性パラボラを利用して、より遠隔地に思念電波を飛ばすことが出来る。ここでは無数の計器類がやかましく配されているが、俺にはそれらを逐一操作する必要がない。触れればその機構が瞬時に理解できるから。
『こちらイディアン、通信状態グリーン』快活な声でイディアンは言った。彼はリヒトの子であり、フーゴとミランダの下で育った。もっともイディアンが生まれた時、フーゴは深刻な状態まで機械化が進み、深い思念電波によって会話がかろうじて出来るような状態だったらしい。それでもイディアンはフーゴから多くのことを教わったと言っている。
『こっちは台湾上空だ。みんな島の解体作業に忙しくしているよ』俺は言った。
『あの量のGMFを分解して、本来のガレオン空挺に戻すんだろ。ハインツも俺と話している暇なんてあるのか?』イディアンは言った。因みに彼の名はイディアン・シジェム・ヴィージィンガーである。戸籍上フーゴの子になっている。命名したのは母親のミランダであり、彼のファーストネームとミドルネームにはあるメッセージが込められていることに俺とイディアンは最近気づいた。
ミランダはフーゴとリヒトの死後、病に伏し二人の後を追うようにスカイキングダムの病院で他界した。俺とイディアンが一二歳と一〇歳のときだった。
『サボタージュに決まってんだろ。戦争をおっぱじめようなんて奴らの手伝いなんか出来るかよ』
『いつからフランスかぶれになったんだ、ハインツ。そのうちボンジュールとか言わないでくれよ。まあ、俺たちは同盟関係にあるから父さんたちの様に戦うことはないと思うけれどな。国のために働けよ、ハインツ』イディアンは俺を諭すように言った。
『はいはい』
『はい、は一回だろ』
実際彼の方が二歳年下であるが、精神的には俺のほうが未熟なのだ。イディアンもフーゴのホース・メモリーを受け取ったのは俺と同時期である。ミランダの兄、ジルから手渡されたそうだ。
しかし、彼は自分の父親が仇敵のリヒトであることを本当は知っていた。フーゴが教えていた。俺ばかりが取り残されたように何も知らなかった。
『誰か来た、一旦切るぞ。いや、キャプテン・マルコだ』
『え、キャプテン・マルコがいるのか。話したい、話したい。繋いでくれ、頼むハインツ』イディアンは明らかに声を色めきたてて言った。彼はキャプテン・マルコの大ファンなのである。イディアンは数回キャプテン・マルコに会ったことがあるがそれだけでキャプテンの魅力にとりつかれた。無理もないことで、リヒトの最期を一番近くで看取った人物であり、それに加えてキャプテン・マルコはノルマンディ連合軍のイレブンバック大隊長として種々の戦争に介入し、停戦に持ち込み、かつ戦争孤児を拾っては連合軍の拠点地域で受け入れを行っていた。第一次世界大戦ではヒーロー的な存在として世界的に認知されている。
『ち、しょうがねーな』俺は、少し優越感を感じながら言った。産みの親、育ての親について知らずとも俺にはキャプテン・マルコが側にいた。その事実だけで俺は十分に恵まれた環境にいたのだ。それにリヒトの一番の理解者であったキャプテン・ヒューゴも俺のことをよく気にかけてくれる。彼は今現在、エイトオーバー隊の大隊長である。
通信室のドアを開けて入ってきたのは大柄な体躯に赤髪の男。年齢は五〇代を手前にしながらも全く年齢を感じさせず、三〇代の前半といっても通じそうな精悍な面立ちをしたキャプテン・マルコだ。彼は部屋の中を一瞥すると言った。
「いるかハインツ。手を貸してくれ。島の切り離しで大量のエネルギーがいる」
俺はハイバックの椅子を翻してキャプテン・マルコへ身体を向ける。
「ここです。もちろん手伝いますよ。その前にイディアンと少し話してくれませんか」俺が言うとキャプテン・マルコも顔色を変え、破願した。リヒトの子であるイディアンの存在はキャプテン・マルコにとっても特別なのだ。
俺は席を外して、通信の優先権をキャプテンに譲った。部屋から出て、外廊下を歩く。風が吹いて髪をさらっていく。
リヒトとフーゴが最後に交わした会話(思念交信)とミランダがイディアンの名前に込められたメッセージは奇しくも同じだった。
「Ich denke an Sie jedes Mal」その頭文字を繋いでイディアン・シジェム。そして、その意味は。
君を想う。