06 友へ
二〇世紀を待たずにライト兄弟がGFMを搭載しない飛行機の開発に成功。これを機に航空力学の技術が格段に進歩し、これまでGMFに頼ってきた航空機が飛躍的に性能を向上していった。
またマルコーニが無線電信の技術開発に成功すると、それを期に情報というものが凄まじい速度で伝達され、戦争そのものが武力による物理的な側面と、情報による機密的な側面を持つようになった。そして何よりも世界を大きく変えてしまったのは廃人装置と揶揄され、正式名称を「超速演算装置」と呼称されるものだった。これは体細胞機械化症候群の末期症状で死亡し、全身が機械化してしまった人間の脳を解体することで開発されたものである。脳のたんぱく質が金属化し、立体的な情報処理機関と化した構造は現代の科学技術では到底再現することが不可能に思えたのだが、丹念にその構造を紐解き、ただ再現することだけを目指した結果、殆んどの仕組みを解明できないままに人類はパーソナル・コンピュータを手に入れた。
GFMがもたらした技術はこれだけに留まらない。ドイツ帝国のブラウンが陰極線管というブラウン管を発明し、ロシアのロージングがブラウン管を元に受像装置の開発途中にあるなか、プラズマ発光によるディスプレイが開発されていた。これはGFMが微弱にプラズマ発光していることにヒントを得て作られたものである。
戦争に関する技術は格段の進歩をみせ、それは人々の生活そのものを変えるかに思えたが、そうではない。科学進歩の恩恵に与れるのは一部の軍人であり、特権階級であった。人々は戦争のために貧しい生活を強いられていたし、世界情勢がめまぐるしく変化していることを知る由も無かったのだ。
戦争が人類に与えたものは、勝ち抜く技術であり、科学だった。それはGFMによって加速している。まるで世界の歴史が加速してるかのようでもあった。
俺は成人し、イレブンバック隊の空挺を降りた。
戦争の過酷さに耐えられず、仲間が死ぬことに心が折れ、将来を見据えて定住の地を求めた、わけではない。ある極秘任務遂行のためだ。俺がこの任務に付いたのにはいくつかの理由がある。一つは俺がドイツ人であり、それなりに品のありそうな顔立ちをしていること。また一つは俺が見た目には完全な人でありながら一部分だけ、機械化してること。
そう、俺は機械化した。それは脳だった。機械を身体の一部として操作できる代償に、俺は人の顔が認識できなくなった。相貌失認という状態らしく、脳が機械化した人間の初期状態としては珍しくないらしい。キャプテン・マルコもこの症状を経験したらしく、その時はちょうど俺達が空挺に乗ったときだった。今思えば、キャプテン・マルコが俺達を初めて見た時、クツクツと笑っていた理由が分かった。相貌失認の状態では、どの人物も等しく同じ顔に見えるのだが、他人の感情が激しく揺らいでいる時、その人物の顔がはっきりと認識できるのだ。おそらく、脳の局在的な機能として、人の表情を読み取る分野と感情を読み取る分野が違うために、感情を読み取る能力が相貌失認の状態を補うことで表情が認識できているのだろう。今までのっぺらだった人間の表情が、急に感情を誘起する刺激によって目鼻が付く様子は、壁から急に顔が浮き上がるような面白さと奇妙さがある。俺も脳の一部が機械化し始め、相貌失認の状態になったときは、激しく喜び、怒り、悲しみ、楽しむ人を見るのが面白く、その度に笑いを堪えて肩を揺らした。
今回与えられた任務の目的はスカイ・キングダムの戦闘能力の調査と新兵器開発に関する諜報だ。内部に潜入し、要人からスカイ・キングダムの兵力を聞き出すか、最新鋭の装備状況を聞きださなくてはならない。しかし、今回はスカイキングダムの社交パーティ兼、新型ギガンテスのお披露目を銘打っているパーティである。そのため、招待を受けている要人は既にスカイキングダムにとって社会的にも軍事的にも保障されていることが前提なのである。つまり、潜入までの工作に多くの時間を費やし、当日は決められた手はず通りに事を成せば良いというわけだ。
デビル・ハンマーで最も被害が多かったのはロンドン中心部から郊外にかけて半径一〇メートル。巨大なGFMによって都市が浮いた事例は、このスカイキングダムと、当時清国と呼ばれていた、現在は中華民国の北京中心部だけであった。
俺はドイツ帝国の貴族が身に着ける正装で、スカイ・キングダムの王宮の前に立っていた。横にミランダと護衛役のジッタが付いている。ジッタはストライク・ユニットに所属し、ギレンダム中隊長に見込まれて近接戦のノウハウを叩き込まれた。彼は時間の経過と伴に体格が一段と大きくなり、幼い頃の印象は丸い目元や厚ぼったい口元にしかない。ギレンダム中隊長にも引けをとらない大男に成長していた。
「兄さんの正装、似合ってるな」ジッタは言った。普段は大人しく、厳つい顔をしているが、俺の前では少年のような顔を見せる。
「シュタイン公爵だ。この場では馴れ合うな」俺はきつい口調でジッタに言った。
「はいはい、シュタイン公爵」とジッタ。
極秘任務といっても個人的には他の目的もあった。それはフーゴへの接触だ。彼はここスカイ・キングダムにいる可能性が高い。以前、俺とキャプテン・マルコが輸送船から二機のギガンテスを奪取したとき、フーゴと思われる不可思議な通信があったことは、俺以外の人は知らない。しかし、フーゴがスカイキングダムで機械人としてギガンテスのパイロットをしているという情報は、方々から聞こえてきた。しかもデビル・ブルーと揶揄されるほどの戦果を上げるほどのパイロットであると。
「上手くいくのかしら、こんな作戦。第一あんたその格好似合ってないわよ。フライトスーツで険しい顔しているほうがよっぽどカッコいいのに」ミランダは不満そうな顔で言った。
「そうかな。これはこれで様になっているだろ。口ひげも伸ばしたんだし」俺は口元の毛を撫でた。
「品はあるけどね、顔が幼いのよ。子どもね、子ども。苦労の影が顔のしわに出ていない。でもね、ちょっとは私もわくわくしている」ミランダは微笑した。胸元と背が大きく開いたドレスを着て、彼女はレッドカーペッドの上を歩いている。時折、本物のマダム達にちょこんと挨拶をし、この場を難なくやり過ごしていた。もともと彼女は貴族の出なのだ。こういった社交性は当然身についているのだろう。
思えば彼女の兄、ジルも気品に満ちた人だった。彼にはもう何年も会っていない。風の噂ではエボリューション隊に異動し、日本という国の維新戦争の制圧に乗り出していると聞いた。
日本の内紛は長期化、泥沼化しているらしく、それもGFMによって開発された兵器が争いを増長し悪戯に先の見えない戦いを繰り返しているらしい。日本人はかなり変わった国民性をもっているらしく、失態を犯した際には地に額をこすりつけて詫びるのだという。かつては腹を切り死んで詫びていたという記録もあり、調査に降りたエボリューション隊のクルーは度肝を抜かれたとか。着物も独特な様相で、髷という不思議な髪型をしていると聞いた。身分の高いものや、サムライと名乗るものは鉄のブレードを命と同じくらい大切に扱っているらしいが、平和な時代が長かったために、個人的な戦闘能力は低いとある。いつかは俺もジャポネに行ってみたいものだ。
「これは、これはシュタイン公爵」近づいてきたのは英国の要人、サマルカンド伯爵だ。俺は恭しい動作で胸に手を当てて会釈した。
「お会いできて光栄です、伯爵」俺は人物の顔を認識できないが、側にいるジッタが俺に通信で教えてくる手はずになっている。といってもサマルカンド伯爵に関しては、最初から分っていた。彼はこちら側に付いた諜報員でもあり、商業関係の利害によってノルマンディ連合軍に肩入れをしている立場でもある。それ故、これまでに彼とは何度とない打ち合わせを行い、今日の日に備えてきたのだ。その中で俺とサマルカンド伯爵は、年が同じだったこともあり、公私共に打ち解けた仲になっていた。
ノルマンディ連合軍は各国に拠点を置いていた。何故こんな芸当が可能になっているのか。それはこの連合軍があくまでも義勇兵団であり、人道的観点からしか戦争に介入していないからだ。第一義の目的は戦争の終結にあり、「利害によって戦争をしてはいけない」という絶対条項がある。これは現エボリューション大隊長の言葉である。
また、その第二項が「子を拾え」であり、この言葉を残したのは故イレブンバック大隊長である。現イレブンバック大隊長のキャプテン・マルコはその教えを忠実に護り、俺を拾ってくれた。
「もうかりまっか、サマルカンド伯爵」俺は下卑た地方の商人言葉で言った。
「ぼちぼちでんな、シュタイン公爵」彼は口元に卑しい笑みを蓄えていた。もちろんこのやりとりは俺達の間で決めた暗号である。「もうかりまっか」は作戦についての首尾を聞いており、「ぼちぼちでんな」は「上手く行っている」ことを、逆に「すれからしですわ」は今回は危険なので作戦の中止を伝えることになっている。
そんな二人の頭をバシンと張り手し、「あんた達、真面目にやる気あるの? これから英国王宮の総本山に乗り込んで、諜報活動しようって時に良くふざけていられるわね」ミランダはプリプリと怒っている。昨年結婚し、彼女は今、妊娠三ヵ月だ。
「これはこれは、ミランダ婦人。いつ見てもお美しく、お強い。そういう婦人も、身重の身体を推してまで作戦に参加することは無かったでしょうに」サマルカンド伯爵は叩かれた頭をさすり、さもミランダが何故この場にいるのだと不満げでもあった。
「彼女にしかできない仕事ができましてね。トマス・レイリー博士とのパイプ役です」
「ほう。ひょっとしてレイリー博士は相当なおっぱい星人で?」サマルカンド伯爵はミランダの二発目を食らった。
俺もジッタも肩をすくめて、王宮への階段を昇っていった。表面上はみな軽々しく装っているが、内心では緊張の糸が張り詰め、こうして笑ってでもいないと落ち着かないのだ。何しろこれから乗り込むのはスカイキングダム。半径一〇キロメートルに及ぶ土地が丸ごと上空一〇〇〇メートルに浮いた空中浮遊都市であり、世界の繁栄のすべてを詰め込んだような中心地である。俺もジッタもパーティ会場に入る前に下の用を済ませるべく、トイレに入ったが、目を疑う光景があった。ずらりと個室型の洗面台と併設された便器。一室一室に凝った衣装が施され、優雅な香水が仄かに香っている気の利きようだった。
スカイキングダムは大英帝国の一都市としての位置づけられているが、最近ではそれ自身が一つの国として、あるいは科学軍事都市として認識されている。デビル・ハンマーの直撃を受けたロンドン塔は崩壊し、その周囲五〇キロメートルは衝撃波によって甚大な被害を被った。その当時の記録では瓦礫と死者の中、生存者の阿鼻叫喚がそこらじゅうで聞こえていたと書かれている。三日後、ロンドン郊外も含む広大な土地が激しい地震に見舞われ、地表が円状に切り取られて浮いた。瓦礫となったロンドン塔の地表面に埋もれたGFMが広大な土地ごと反重力の影響下で作動したのだ。この事態によってロンドンは更なる混乱を極める。隕石の直撃から三日後、どうにか生存者の救命と死者の発見が一区切りつき、帝国が復興についての政策を思案し始める時期であった。首都が地表と切り離されたことにより、大英帝国はその国家機能を完全に停止し、地表の英国と空中地表のロンドンで連絡が取れたのはなんと三〇日後。その当時は空中に浮かんだロンドンで生存していたのは国王と一部の貴族であったという。その後、大英帝国はGFMにより空中に浮かんだ地表をスカイキングダムと称し、開発を進めた。中心地には王宮が据えられ、その周囲には議事堂をはじめとする公官庁が並び、その同心円状に商業区画が整備され、さらにその外側には特権階級の居住区が整備されていった。
今俺が眺めているスカイキングダムは尖塔が立ち並び、かつて英国が進行を進め、侵略を完了した後に独立を許してしまったインド様式の建築が立ち並んでいる。どういう訳か、デビルハンマー以降、英国は侵略した国の文化を積極的に取り入れて自国の文化に吸収してしまう傾向があった。スカイキングダムは宗教的な制限のない、科学技術と合理性、実用性を基本原理に全てが構成されている。
スカイキングダムの根幹を作ったのは、ヴィクトリア女王の治世下、政権をふるっているのは若き政治家のアスキス首相である。デビル・ハンマーの災厄によりグラッドストン首相とその内閣の人員はすべて死亡、また次代の権力者であったキャンベル・バナマンも死亡。当時アスキスは弁護士から参院選へ出馬し、駆け出しの政治家であった。タイムズ紙の誤報道を追及しアイルランド党党首パーネルの冤罪を晴らしたことで一躍有名になったことや雄弁な演説が民衆の心を捉えていたが、彼が首相に就くことはデビル・ハンマーの様な災厄が無ければ当分後になっていたことだろう。アスキス首相は産業政策を推し進める一方で、福祉政策を展開。人々が平等であることや、宗教や階級によって生まれる社会的な不平等を嫌った。それがスカイキングダムの外面にもよく現われていた。
しかし、それはあくまでアスキス首相のクリーンな一面であることは言うまでもなく、彼は軍事技術や科学技術の発展のため、本土イギリスとスカイキングダムを差別化し、利害関係を作り出すことで、潤沢な資金を得ることに成功すると、ジョセフ・チェンバレンを外務相に抜擢し、アフリカ諸国への急進的な植民地化を推し進めた。また中華民国の独立を強固に阻み、戦争を拘泥させている現状も現在ではあまり知られていない。そういった情報操作もスカイキングダムの内部ではなされている。
俺は舞踏会場の外延で、煌びやかなドレスに身を包む婦人や、燕尾服で威厳に満ちた立ち振る舞いをしている貴族や社交界の要人を眺めた。ここには血の臭いも、物の焼ける臭いも無い。あるのは贅に満ちた欲求と、世界の中心にいるような幻想を抱いた貪欲な愚者ばかりだ。会場を見渡せる王宮のベランダから高みの見物を決めこんでいるのはヴィクトリア女王とアスキス首相、チェンバレン外相、その取り巻き立ち。
俺は煌く泡がはじけるシャンパングラスをグイと傾けた。きっと高価な酒なのだろうが、味は分からない。この先、分かることもないだろう。
「ミランダは博士に接触できたか?」隣にいるジッタへ投げかけた。
「ええ、隣の会場でレイリー博士と談笑中。あのオヤジかなりスケベだよ。ミランダさんの胸に釘付けだもん。この分なら鍵を手に入れるのもすぐだね」ジッタは大きな手で小さなオペラグラスを覗いている。
「そうか。で、サマルカンド伯爵の方はどうだ?」
「やつも相当スケベだよ。だって片っ端からご婦人に声かけてビンタされているもん」
「いや、そうじゃなくて…、作戦の方だ」俺はうんざりして言った。サマルカンド伯爵はいったい何を話せばご婦人にビンタされることになるのだろうか。彼は本当にこの作戦に協力する気があるのだろうか。
「あ、うん。それは大丈夫みたい。今、ご婦人に回し蹴りされて吹っ飛びながらOKのサイン出してきたよ」ジッタの言葉を聞いて俺は心底溜息が出る思いだった。サマルカンド伯爵がこの場で行うべき任務は、作戦決行の合図となる需要な役割で、パーティ会場のブレーカーを落とし、一時的に暗闇を作り出すことだ。
コンコンと肩を叩かれる。給仕が丁寧に頭を下げて白紙を盆に載せ、控えている。
「電報でございます」恭しい口調で給仕は言った。
この時勢電報は珍しいがかえって通信を盗聴されないとう利点もある。その電報にはこうあった。
『キャプテンマルコよりリヒトへ。
意図しない味方がそちらにいる。必ずお前を助けるだろう。
しかし、疑心を忘るべからず。お前には不要か」
誰だろう。もしかしたらジルか、スミス中隊長。彼らがお忍びでノルマンディ連合軍の諜報官になっている可能性もある。俺は久々に胸を躍らせる気色を抑えられず、口元に笑みを浮かべていた。
会場、いや王宮全体にファンファーレがこだました。とうとう新型機のお披露目時間となる。その前にヴィクトリア女王やアスキス首相の次期ボーア戦争に向けた壮行のお言葉があるはずだ。タイミングはその時。
ファンファーレが止み、再びあたりがざわざわとした喧騒に包まれようとしたとき、拡声器を通した声が聞こえてきた。
「私はヴィクトリア女王に仕えし、スカイキングダムの政権を担うハーバード・アスキスでございます。今日はキングダムの新しい門出となる良き日に、ご参集いただき大変感謝申し上げます」アスキス首相の演説が始まった。高台の壇上に立ち、両手をいっぱいに広げ、尊大にしかし言葉は謙虚にキングダムの繁栄と、今後の政権の展望と戦争への見通しを述べていく。伊達や酔狂で二〇歳の首相となった男ではない。隕石災厄を乗り越え、新内閣を発足。その言葉で人民を勇気付け、先導してきたその雄弁さは噂どおりだった。
燦燦と照明の光が揺らめく会場では、そんなアスキス首相の演説に反してある行動が目立った。ご婦人たちがこぞって立ち上がり、ある方向へ向かっていく。その先にあるのはお手洗いだ。
俺は膝を打ち、そういうことか、と得心した。
数分と経たないうちに会場の照明は音もなく一斉に消灯。演説と王宮は主電源がセパレートしているらしく、まばゆく光っているが、それがかえって、パーティ会場にひしめく要人たちの混乱を誘う。
「いくぞ、ジッタ」俺は既に駆け出していた。ジッタも照明が消えたと同時に動き出している。
「サマルカンド伯爵は会場にいながらどうやって照明を消したんだろう、シュタイン公爵?」ジッタは併走しながら小声で聞いてきた。
「ご婦人に殴られることで照明を落としたんだ」
「ちっとも分からない。僕はリヒト兄さんやフィルのように頭が良くはないんだ。勘弁してくれよ」厳つい肩をすぼめるジッタ。
おそらくサマルカンド伯爵はご婦人たちにこんな言葉を言ったのだろう。「ヴィクトリア女王の演説のタイミングで、清掃が入るそうですよ。そろそろお色直しなどいかがですかな。今のままでも十分にお美しいのですが」と。この時代、いや、時代にかかわらず男性が女性に化粧の乱れを指摘することは、軽いフレンチジョークを言うよりも失礼なことである。特にスカイキングダムの社交パーティに招待されるほどの要人が引き連れるご婦人ともなると、気位は女王陛下並かそれ以上に高い自尊心を抱いていることは珍しくない。サマルカンド伯爵は手当たり次第とはいかないまでも、あの男の気質を考えると好みのタイプのご婦人には声をかけまくっただろう。その結果、会場には見えない噂と集団心理が働く。
ヴィクトリア陛下のお言葉は聞きたいが、その前にお色直しは済ませたい。タイミングとしてはアスキス首相の長ったらしい演説の最中だ。この時代の女性にとって参政権は得られたものの、それは貴族階級に属する女性にはあまり興味のないことであった。
これらの推測をジッタに話し、俺はこう続けた。
「あの反吐が出そうなほど絢爛なトイレを見ただろう? あの数のトイレにご婦人が集中し、空中浮遊都市の水利設備を逼迫させる。浮遊都市の貯水タンクの位置は最下層にある。ここから出る結論は、ジッタ君?」
ジッタは音を殺して手を打った。「水を大量に汲み上げる電力が必要になる。このパーティ会場の電力が過剰使用されて電力が不足する」
「ご明察。と、ここだな」俺たちがつまらない謎かけをしている間に目的の場所にたどり着いていた。そこは臨時に特設されたスカイキングダム軍の格納庫。壁に聴診器を当てて向こうの様子を探るジッタ。
「数人、整備兵がいる。蹴散らそうか?」黒スーツから筋骨隆々の足を叩いてジッタは頼もしさをアピールしてきた。
「貸してくれ」俺はジッタから聴診器のイヤーを受け取って耳に当てた。雑多な音が聞こえる。集中し、その音一つ一つを分析していく。複数のジェネレーターが強調して飛び立っていく音。これはギガンテスの古参機だ。数にすると五機。それとは別に聞いたことのないジェネレーターの音群。暴力的なまでの音源が轟音となって飛び立ってく。あの出力と吸気音はおそらくジェットエンジン。新型機とみて間違いないだろう。
音のエコー反射によって、壁の向こうの様子が立体的に浮き上がってきた。脳が機械化したことで得た能力の一つだ。
より細かい音に集中する。壁際から一〇メートルとない距離に整備兵が三人。離れた位置に管制官二人、新型機の機体状況を確認すべくモニターに張り付いている。聞き漏らす所だったが警備兵が五人、新型機を目で追って嘆息した吐息を聞き、その像が耳に届く。等間にならんだ装飾の彫刻ではなかったのだ。その他、必要な情報を耳から見た俺はジッタに言った。
「俺はミランダと通信し、鍵を入手する。その間、格納庫にいる兵士及び武官合わせて一〇人、内五人は相当なやり手だ。いけるか?」俺は言いながら、格納庫の平面図を指で印し、敵がいる位置をポイントしていった。
「このための俺だろ」即答したジッタはレンガの上に鉄を重ねた壁を紙切れのように突き破って格納庫へ突進していった。
「ミランダ、ミランダ、聞こえるか。俺だ」
…
「ツー、ヅッー」電子雑音。俺にとってこの音は脳髄を掻き乱すほど不快な音だ。
「おい、ミランダ」
「おいってあんたね、身ごもった奥方にきく口調じゃないわね。こっちは洗面室に閉じ込められてそれどころじゃないのよ。何なの?」一まず通信が繋がったことに安堵したが、ミランダの調子に俺は脳髄を掻き回されるのと同じくらいの不快感に陥る。また、サマルカンド伯爵の作戦にまんまとはまっている我妻に肩を落とす。
「悪かったよ。なんともないかい? 変態なじじいに何もされなかったか。何かされてたら作戦変更してレイリー博士暗殺計画に変更だけど」
「その必要はないわ。でもね、ごめんねリヒト。鍵は聞き出せなかった。あーもう。くそじじい。胸ばっか凝視して何にも教えやしねーんだよ。ずっと同じことほざいててやになるよ。しまいにゃお偉いさんがやってきてさ、博士お噂はかねがね。公私混同もその辺にしなさいな、って言ってくんだよ。そしたらさ、博士ったら『がいをはおに』って酔っ払って言うの。よくよく聞くと『外相は鬼』って言ってたのね。あー誰だっけなあのお偉いさん。見たことあるんだよ。外相って役職なのねきっと。黒髪でさ、瞳も吸い込まれる様に黒いの。畏怖って言うか、平伏しちゃうみたいな威厳のある視線。アジア人に近いんだけど、輪郭は西欧人で。うーん、キャプテン・マルコに似た感じ」ミランダは一方的に喋り続けた。俺はそれをじっと聞いていた。彼女が言葉を切ったとき、俺の脳裏に嫌な予感がよぎった。外相はジョセフ・チェンバレンだ。しかし、ミランダのいう人物像とはかけ離れている。黒髪で吸い込まれるような瞳。アジア人のようでそうではない。そんな人物を俺は一人知っていた。キャプテン・マルコの電報、その内容にあった助っ人。
それとは別に、鍵に関するヒントも得ていた。こちらはサマルカンド伯爵よりも単純そうだ。
「ミランダさん。無事でよかったよ。それで、一つ教えて欲しいんだけど、レイリー博士が口癖のように言っていた言葉ってなに?」
「あんたはどうして嫌な記憶を掘り起こすかな」剣のあるミランダの声。
「頼むよ」懇願する俺。通信越しで深く頭を下げる。
「おっぱいがいっぱい」
「おっぱいがいっぱい」馬鹿みたいに鸚鵡返した俺。
「切るよ」荒っぽい飯場の女亭主、イレブンバック隊に戻ればそのままなのだが、のようにミランダは言った。
「サンキュー、ハニー」
「何よ、気持ち悪い。生きてかえってきなさいよ」しっかりと、しかし、どこか儚げな声音があるミランダの声。俺は通信を切り、耳に残るミランダの「生きてかえってきなさいよ」を音として保存した。彼女と結婚して良かった。良妻賢母ならぬ恐妻賢母の姉さん女房。しかし、それくらいが自分にはちょうど良く、強く押された背中が心地よい。
俺は格納庫へ足を踏み入れる。三ヘクタールはあるだろう王宮の中庭を臨時の格納庫にしつらえ、管制室や滑走路まで周到に整備されている。夜陰でも芝生の青が映え、一目見て手入れの行き届いた生垣や花壇が目についた。しかし、それらよりも先に俺が目にしたものは、ジッタがハンドガンを構え、打ち抜いた瞬間だった。
ジッタの師であるギレンダム中隊長はイレブンバック隊のストライク・ユニットで随一の接近戦に特化したクルーである。独自の軍隊式武術を編み出し、組み手、絡み手、投げ技、寝技、の近接戦闘において、対峙した相手の息の根を止めることだけを目的に戦うことをよしとする人だ。それ故にノルマンディ隊における最強の白兵はギレンダム、と誰もが疑わない。実際、イレブンバック隊は敵艦から白兵に戦持ち込まれたことが数回あったが、敵が明らかに泣きを見る形となっている。また、ギレンダム中隊長は決して飛び道具を使わない。銃器の使用そのものを否定している節があるのだ。
その師に見込まれたジッタが銃を構え放った。この格納庫と化した美しい中庭で、どれほどの戦闘が繰り広げられたのか。俺がジッタに向かって駆け出したとき、彼はよろめいた。まさか、と思い俺は脚に力を入れた。しかし、それは俺の杞憂だった。ジッタは俺に向かって微笑んだ。
「シュタイン公爵、敵を殲滅しました」直立して腕を真っ直ぐに額に手を当てるジッタ。
俺は速力を緩めてジッタの元に辿り着き「それ、使ったのか?」と目を丸くして言った。
「ストライク・ユニットは、他の部隊よりもハンドガンの扱いを熟知しているよ。狭い空挺では武術とハンドガンの技術が生命線だからね。ギレンダムさんが使わないから俺たちも実際の戦闘では使わないだけさ。実際はみんなガンマニアだよ。リヒト兄さん達がモウル狂なのと一緒」
「敵は強かったんだろ、だからジッタはハンドガンを使った、違うか? 怪我はないか?」俺は矢継ぎ早に質問を浴びせた。弟のように思っているジッタのことだ、怪我の一つでもないか気が気ではない。
「強かったよ。このスカイキングダムの中でも相当の使い手だった。最後の一人はやむなく撃った。俺に怪我は無いよ、うん」ハンドガンの安全装置をかけながら黒スーツの懐にしまいこみ、涼やかに笑うジッタを俺は皿のような目で見ていた。
「あるんだな。ジッタは嘘をついたとき、語尾に、うん、がつく。見せろ」険しく怒りを顕わにして俺は言った。既にジッタの負傷した部分は脳内でスキャンが完了済みだ。ジッタの右足大腿部に手をあてがい、銃痕の深さと残留弾の大きさを測位した。
「勘弁してよ、リヒト兄。これくらい大丈夫だって。後で手当てを受けるから。俺のために能力を使わないでくれよ」ジッタは目に涙を溜めて訴えたが俺は聞き入れなかった。
手を当てた大腿部の皮膚が硬化し、弾丸状の塊が浮き上がる。その跡には鉛様に黒光りする傷跡がヌラヌラと光り、肌に溶け込んでいる。
「よし。痛みはあるか?」
「よしじゃないよ。どうして俺のために命を削るのさ。ダメだよ、リヒト兄」遂にジッタは泣いて俺にすがった。
「鍵は手に入れた。会場にいるミランダの下に行き、王宮を出るんだ。そこまでが任務だ」俺は変わらぬ声で言った。その声に感情がこもっていたのかは自分ですら定かではない。どのくらい機械化は進んでいるのだろうか。
ジッタが去り、俺は古参機のギガンテスが据えられた場所へ向かった。初期に開発され、今では練習機として用いられているだろう機体だ。新型機は飛び立ち、今は上空を披露滑空しているところだった。その後を練習機のギガンテスが追従し、簡単な戦闘デモンストレーションが行われるのだ。
梯子に手をかけると冷やりとした温度が伝わった。その温度が気持ちよく、俺は爽快な気分を誘起してこれからの作戦が上手くいくだろうと根拠の無い自信を膨らませた。目の前に見える練習機のギガンテスはずんぐりとした体型で西洋の甲冑を太らせたような野暮ったいものだ。内部動力を中央に集中させ、四肢に銃器を搭載させた実用的なデザインだ。当時の考え得る限り最良のデザインだった、とは考えにくい。
俺は梯子を昇りきると、野暮なギガンテスの頭部に手を当てた。確かな機械の息吹を感じる。オイルが稼動部にいきわたり、錆びは無い。動力部は燃焼を待って静かな闘志を滾らせ、始動に備えている。冷却水もひえきり、排気口につまりもない。中央制御装置のパーソナル・コンピューターも稼動待機状態で、GFMも通常通り作動。
俺はコックピットにすべり込んだ。その内部は極めて複雑かつ目にうるさい構造になっている。操縦桿、アクセルスロットルに無数のラダー翼操作スイッチ。六脚のペダルは四肢と胴体に据えられたブースターの加減を操作できるのだろう。これは非機械人を想定して作られたギガンテスに違いない。かつて俺が奪取したギガンテスのコックピットはバーハンドルだけの簡素で狭い卵型の内部をしていた。それとは大違いだった。
「電源」スイッチの上にある、「認証」のスイッチを押した。『コードをお話ください』という機械音声が流れた。俺は恥ずかしげもなくこう言った。
「おっぱいがいっぱい」
『エラー。違います。あなたはただのスケベです。出直してください』
俺は頭が白くなった。ミランダとの会話で、認証キーのヒントは得ていたはずだ。レイリー博士の口癖「おっぱいがいっぱい」がその可能性を秘めたワードだと俺は考えていた。ミランダが言っていた「お偉いさん」曰く「博士、公私混同もその辺にしなさいな」は博士のスケベ心が開発したギガンテスにも反映されているということではないのだろうか。
突如作戦は暗礁に乗り上げた。俺は頭を抱える前に、思いつく限りのスケベな言葉を放った。ことごとく認証はエラー。その度に音声で『ド変態ですね』とか『鬼畜です』だとか、しまいには『豚野朗が』と罵られる始末であった。このギガンテスに搭載されているコンピューターも大概だと思う。もっともそれすらレイリー博士の創作品であり、手の内の中というわけだ。俺はほとほと困り果て、機械から罵声を浴びせられた疲れも手伝ってとうとう頭を抱えた。そこへ追い討ちの様に声がした。
「そこにいるのは誰だ」野太く威厳に満ちた声で、責めるような口調だ。軍人のようであり、そうでない政治家の様でもある。コックピットの入り口に人影が現われた。
ジョセフ・チェンバレン外相。
俺は凍りついた。しかし、見ればチェンバレン外相は武器を構えるでもなく、敵意すら感じさせない面持ちだ。
「わがままを言って、ギガンテスのコックピットに入らせてもらったんですよ。貴族の余興です。男なら憧れるものですよ。申し遅れました、私はドイツ帝国がシュツルンハイム領が頭首、リヒト・シュタインでございます」俺はとっさに口から出まかせを言った。
「ほう、誰に頼んだのだ。血まみれの兵士にかね」チェンバレン外相は片方の口元を上げた。俺は言葉に屈する。すると目の前にいた外相の顔がモザイク様に溶け出していく。バラバラとパズルのピースが無造作に入れ替わり、形を失ったかと思えば違う形を成していくではないか。そこへ現われた顔は…。今度こそ俺は頭が白くなり、凍りついた。そうだ、何故、相貌失認の状態である俺がジョセフ・チェンバレンの顔が認識できるというのだ。答えは一つしかない。チェンバレンの顔は作られた仮面だということ。こんな芸当ができる人物を俺は一人しかしらない。
キャプテン・クロウ。
ノルマンディ連合軍の筆頭であり、エボリューション隊の大隊長を兼務する、我が組織のトップだ。一度だけ会ったことがあり、声を掛けられた。「良い目だ。人を信じていないな」と笑って肩に手を置かれたのだ。彼はミランダが通信で言っていた人物像の通りだ。黒髪に吸い込まれるような黒い瞳。アジア人の様でもあり、輪郭は西洋人。付け加えれば、切れ長の目に細く長い眉をし、透き通るような青い白目にくっきりと深黒の瞳が浮かんだ眼差しをしている。鼻梁は高く、顔全体の彫りも深いのだが、印象は丸く薄い顔立ちであるため、人種を判断することは難しい。一目見ると混乱する顔だというのが一番良い得ている。彼は言った。
「リヒトだな。私は助っ人に来たわけではないぞ」凛とした調子で言うキャプテン・クロウ。
「私を始末しにきたのですか?」俺は言った。そして能力を展開しようとするが、キャプテン・クロウの力が拮抗して失敗に終わった。
「違う。何故お前は鍵を得ながら飛び立たぬのだ。まさか俺を待っていたわけではあるまい」
「間違った推論が故です。作戦は失敗に終わりそうです」
「鍵は得ていたはずだ。すべて材料は調えた。それで出来ないのならお前の推理不足だということだ。しかし、ヒントを上げよう。引き換えに作戦の難易度を上げるがな。『がいをはおに』この言葉について思いは巡らなかったか。しばし考えよ」
がいをはおに。がいをはおに。脳内で行くだびもこだまさせた。確かミランダが言っていた言葉の中にあった。お偉いさんから指摘を受けてレイリー博士が最初に言い返した言葉だ。それをミランダは酔っ払った博士のうわ言として受け取り、「外相は鬼」解釈した。そうではないのだ。この言葉自体に意味があった。あ…。
「おっぱいはおっぱい」
『認証しました。あなたは結局変態です。おっぱいの加護があらんことを。グッド・フライト』音声は言った。計器類が点滅し、点火プラグが一斉に可動したため、ブースターがけたたましい音を上げる。ゴウンゴウンという低音の爆音に、モーター類の擦れるキンキンというすざましい金きり音が辺りに響き始めた。
「降りろ。この機には私が乗る。お前が乗るべきはあそこのベッピンさんだ。お前の能力にはピッタリなはずだ」キャプテンクロウが指差した先に人影が見える。しかしそれは人影ではなく、ギガンテスだ。ここからは距離があるために、俺は見落として(聞き落として)いた。新型機だ。
「俺の能力に合うのならば、キャプテン・クロウの能力にも符合する機です。俺は乗れません」キャプテン・クロウは俺と同じで、見た目が一切機械化していない機械人だ。その様な機械人は能力が似かよる。そして先ほど見た彼の顔面変化。推測するに俺と彼はほぼ同じ能力系統にある。故にギガンテスの能力適合も同じであると。
「それはそうだが違うんだ、リヒト。俺はスカイキングダムがどうしてあの機体を作ったのか、どうしてもわからん。あいつはどう考えたってお前の専用機だ。実際俺はあいつに乗ろうとしたけど弾かれたよ。行けば分かる。機体がお前を呼んでいる」ゆっくりと目を閉じて開きながら喋り、言葉を強調したいタイミングで瞳自体が拡大したようにぼんやりと力を蓄える。そんなキャプテン・クロウの様子に俺はすっかりほだされてコックピットを出た。
「作戦を命ずる。これより我が機は敵王宮に掲げられし、スカイキングダムおよび英国国旗を爆破炎上させ、もって宣戦布告をなす。そして、リヒト機は我が隊の戦闘員であったフーゴを説得し、わが軍へ連れ帰ることを命ずる。以上」
「イエス・サー、キャプテン・クロウ」
俺は新型機まで走った。芝生は柔らかく思う以上に速度が出ない。夜の風は冷たく、頬を細かく切りつけ刺さるように冷たい。思うようにことは運ばないものだと改めて痛感する。どうだろう。俺は騙されて、目の前に迫るギガンテスは作製途中の機であり、飛び立てる状態でないかもしれない。本当はキャプテン・クロウが俺を騙してあの練習機を奪ったのではないか。しかし、その考えはすぐ打ち消された。声が聞こえた。一つではない。懐かしいいくつかの声。
目の前に新型のギガンテスは迫っている。白い機体なのだろうか。夜陰に淡く発光している。その周囲に同じような気配の球体が数個ぼんやりと浮いていた。
声が聞こえる。俺を呼ぶ声だ。ギガンテスから発せられる淡い発光が強く光り、淡いものに萎んでいった。
「リヒト、こっちよ」ワンピースの裾を押さえ、帽子が飛ばないように手を頭に添えた母。突風が吹いた。カサカサと揺れるライ麦。ザーと強い風が抜けると麦たちは垂直に誇らしげに延びたつ。俺は走って母を追う。思った以上に早く走れなくて、母との距離は離れるばかりだ。左手に何かがぶつかり、宙に浮く。左腕が上方に引っ張られ、そのまま身体が浮いた。「わっ」「愛する人を捕まえよう」野太いが頼もしく、愛に満ち、安心できる声が頭上からした。父だ。全力で駆け、母を捕まえた。父も母も息があがり、唇を重ねた。父も母も俺にキスをした。キュッと身体を締め付ける喜びがあった。あたりは金色のライ麦で覆われ、空には説けるように青い空。金と青の中間にある白は控えめにぼやけた。ぼやけた。
どうやってこのコックピットに乗ったのか覚えていない。しかし、俺は卵型の人ひとりがちょうど納まるスペースに座っていた。両足の間には丸く黒光りする球体が下から棒にささり伸びている。それはGFMに似ているが触ればそれが唯の金属塊だと分かる。
触れたことで俺の脳と、ギガンテスが同時に反応した。ギガンテス側は一斉に動力部を稼動させ唸りをあげ、GFMの浮力によって浮き上がっていく。俺のほうは、その機構一つひとつが脳内に流れ込み、その素材、それらが外部から受ける影響にいたる全てが感じられた。ギガンテスの全体が自分自身の身体であり、思うままに操作できる状態だった。ただ、身体感覚の延長線上から離れた場所にいくつかの違和感がある。浮遊する物体だ。一体なんだろうか。
そういえば、あの懐かしいライ麦畑の風景はなんだったのだろう。幼い頃に父と母に手を引かれて歩いた農道。秋晴れの陽に目を細めて見上げた青空は今でも瞼の裏に浮かぶようだ。そんな白昼夢の様な風景を見ていたらいつの間にかコックピットにいたのだ。
何はともあれ俺は全身のブースターをオンにして飛び立った。今は作戦に集中しなくては。目標はスカイキングダムの新型機。やはりその機にはフーゴが乗っているようだ。キャプテン・クロウが言うのだから間違いない。
そもそも俺とミランダ、ジッタ、サマルカンド伯爵によって行われるはずだった隠密作戦とはスカイキングダムの国旗を爆破炎上さえ、宣戦布告するなどという大それたものではない。あくまでも新型機の視察と、敵兵力の把握が目的であり、ミランダがレイリー伯爵からスカイキングダムのギガンテスに搭乗する際の認証キーを聞いただけでも十分すぎる成果といえた。
スカイキングダムとノルマンディ連合軍で大きな戦争が起こる端緒となるだろう。実際に俺はもうスカイキングダムの新型機に乗ってしまっている。さらにフーゴと接触し彼を説得出来ればもう一機の新型機を奪取することになり、加えて英国旗を爆破炎上させるのだ。相手はカンカンに怒るに違いない。
スカイキングダムの王宮、それも一番高い位置の尖塔が爆音と共に炎上した。尖塔の先にはキングダムの旗印、大英帝国の国旗が掲げられており、そのどちらも勢いよく炎上し、風になびいてはためいている。その周囲を巨大な怪鳥の様な物体が旋廻している。俺は鳥肌が立つのを抑えられなかった。あれはキャプテン・クロウの専用機、ダーク・クロウ。戦場では、黒き死神と恐れられるギガンテスである。キャプテン・クロウはこの短時間であの野暮ったい古参機を素材分解して自らの専用機に作り変えてしまったのだ。
デモンストレーションを行っていた、青い新型機と五機の練習機達は一斉に臨戦態勢に入り、ダーク・クロウを照準に見据えている。俺は加速した。キングダムの上空、眼下に円状に拡がるキングダムの先進的な町並みの明かり。王宮の絢爛な眩しい会場の灯火。
機体の周りに浮遊していた物体は単なる金属片だった。しかし、その使い道も今なら理解できる。金属片はモコモコと歪に形を変化させ、無数のカラスに分裂し飛び散った。五機の古参機を取り囲み、その行く手を阻む。俺は能力で金属片を鳥の形に変化させたのだ。しかし、これは単なるフェイントでしかない。実際、五機の練習機はカラス達を振り切って、ダーク・クロウに向かっていく。青い新型機は微動だにしない。俺の目標はあの新型機。つまり、フーゴだ。
「リヒト兄、何やっているんだ。作戦と違うじゃ・な・い・・か」
「リヒトあんたね…、戻ってくるんだよ。あんたの子がここにいるんだ・か・ら・・・」
俺が離れすぎたせいかジッタとミランダからの通信は尻切れに聞こえてきた。だが、俺の頭の中は一つのことでいっぱいになり、彼らの言葉は耳に入ってこなかった。
俺は加速を続ける。そのスピードを緩めることなく青い新型機に突進した。衝突する。互いに腕を組んで激突し、じりじりと力が拮抗した。俺は叫ぶように言った。
「フーゴ。フーゴ。フーゴ。くそ、あー」
青い新型機から反応はない。
「フーゴ。フーゴ。くそ、いるんだろ。答えてくれ」
衝突した力が反作用して、俺たちは互いに弾けた。俺の周囲にはカラスと化した金属片がもどり、球体となり集まり始めている。青い新型機、もといフーゴのデビルブルーは腰を落とし腕を下げて拳を握った。その瞬間、デビルブルーの後背部から無数のランチャーが射出される。俺はカラスとなっていた金属片でそれを迎撃する。激しい爆撃閃光があたりにはじけた。
爆焔と閃光の間隙から音もなくデビルブルーが出現し、その両手には高出力プラズマブレイドが握られており、容赦なく切りかかってきた。金属片の盾でブレードを防ぎ、後方に退くが相手はこちらの動きを読んでいたかのように追いすがってくる。防戦一方。デビルブルーは本気で俺を落とそうとしている。フーゴは俺を殺そうとしている。あの機に載っているのはフーゴなのか。フーゴはもう、俺の知っているフーゴではないのか。機械化が進み、理性の失われた状態にあるのか。取り戻したい、親友を。また会いたい、フーゴに。声を交わしたい。笑って朝焼けを見たい。辛かった少年兵時代に見た群青の朝。もう戻れない、戻りたくもないあの時は今よりも辛かっただろうか。信頼した兄と殺しあわなくてはならないのは何故なのか。何故なのか。
カラスたちは発光し、金属片は輝いた。三角錘状の物体が金色に発光して浮遊し、デビルブルーに向かって高出力レーザーを射出。デビルブルーはその攻撃をブレードで弾き返すが、返しきれずに被弾し動きを封じた。すかさず金属片をネット状に展開し、デビルブルーの機体を包み込む。もがくフーゴ。しかし、超硬質の網の中でプラズマブレードですらその材質を分断することはできない。
俺はこのとき、コックピットの中でおびただしい鼻血を流し、目の毛細血管は切れて血が目から滴るものだからしきりにそれを拭っていた。それが血だとは知らずに。
「リ・ヒ・・・」
デビルブルーは動きを止め、静止した。
「リ・ヒ・・・ト」
「フーゴ!」
「に・げ・・・・ろ、リヒト」
「帰るぞ、フーゴ。お前の子がいるんだ。シーナとの子だ。元気にしている。会ってやれ」
「逃げ・ろ。リヒ・ト」
デビルブルーの機体が徐々に大きくなっているように見えるのは俺の錯覚か。
「俺は、フーゴを連れて帰る。シーナと約束したんだ。またイレブンバック隊に戻ろう。シーナとジッタとフィルと、キャプテン・マルコもいる。みんなあそこにはいる。辛い戦場はない。どうして…、どうして俺たちは戦っているんだよ、ねえフーゴ」
「逃げ・てく・れ。ジ、ジーッ、ツー」
「フーゴ」
「リヒト。いいか、良く聞け。俺の最後の意識だ。スカイキングダムの狙いはお前だ。俺を囮にして優秀な機械人を引き抜こうとしている。それがお前だ。このパーティ自体がお前を引き寄せるもので、その新型機自体、リヒトの性質に合わせて作られたものだ。イレブンバック隊の中に内通者がいる」
「内通者?」
まさか、サマルカンド伯爵が。いや、彼は俺が飛行艇を降りてからずっと行動を共にしていた。しかし、信じ切れるとも言い切れない。
「そうだ。リヒトの情報をこちらに流していたものだ。俺の意識が無くなる前に逃げるんだ。この青い機体は悪魔そのものだ。俺とお前で見たいつかの青い朝とは違う。すべてを闇に包む、悪魔の青なんだ。逃げろ、リヒト」
「嫌だ。一緒に戻ろう、フーゴ」
「…じ・か・んがない。最後におし・えて・く・れ。、シー・ナは・元気か?」
「ああ。シーナも子どもも元気だ。フーゴを待っている。だから、帰ろう」
…
「帰ろう」
…
「フーゴ、フーゴ、帰ろう…、フーゴ」
俺の目からは涙と血が混ざって流れている。同じ機械人だから分かることがあった。はっきりとフーゴの意識が消失し、あのデビルブルーに埋没していったことが。
俺の眼前でデビルブルーは超硬質金属の網をブチブチと破りながら肥大化していった。俺は本能的にデビルブルーから遠ざかり距離をとった。あれに近づいてはいけない。俺の中の何かがそう警告している。
「リヒト、戦況を報告しろ」キャプテン・クロウからの通信が入った。俺はフーゴとぶつかり合ったこと、会話の内容をキャプチャしてキャプテン・クロウに送った。
「お前、思念通信を…。声は出せるか?」
俺は自分が声を失っていることに気づいた。脳の機械化が進み、声帯が退化したのだ。デビルブルーが何か恐ろしい攻撃をしてくることをキャプテン・クロウに通信した。
「退避行動に移る。速やかにフランスのパリ上空に停泊しているイレブンバック隊に合流せよ」
機体の高度を落としたことで、スカイキングダムからの通信が入ってきた。ジッタからだ。
「リヒト兄、応答してくれ。リヒト兄、応答してくれ。サマルカンド伯爵が撃たれた。こっちは大混乱だ。ミランダさんが伯爵を撃って、アスキス首相とチェンバレン外相と行ってしまった。リヒト兄、応答してくれ」
俺はキャプテン・クロウにジッタを回収して欲しい旨を通信した。
しばらくただデビルブルーを見ていた。肥大化が収まると、青い悪魔は咆哮するように天を仰ぎ、同時に衝撃波のような気体の揺れを起こした。それはあらゆる機械を停止させる高電磁波だった。もちろん俺の機体もすべての機構が停止し、動力も燃焼を止めた。ただし、これは予想の範疇だった。浮遊する金属辺をグラインダーのように翼とし、風を受けてその場から飛び立つ。脳が機械化しているために俺は意識が遠のいていく。後は流されるままに飛んでいくしかない。キャプテン・クロウはジッタを拾い上げると羽を広げて上空に飛び立ち、浮遊していったがある地点で羽ばたきが止まる。高電磁波によってキャプテン・クロウも動きを止めたのだろう。
俺は浮遊してスカイキングダムから遠ざかり、遠のく意識の中でデビルブルーに向かって言った。
「必ず迎えにいくからな、フーゴ」
スカイキングダムが小さく遠のいていき、海上で風に揺られる俺の機体とダーク。クロウをさらうように回収していったのは真紅のギガンテス。二本角が闘牛のように頭頂からはえ、発光した双眸が鋭く光り、赤のボディに所々金の意匠を施した重厚な機体。通称ブラッドブル。
キャプテン・マルコだ。