誰からも愛されなかった者の末路
己への非難と、贖罪の意味を込めてちょっとした昔話をしようと思う。妹がまだ病んでいない時、私はろくでもない姉をやっていた。頼まれたってはぐらかす、頼られたって煙に撒く、面倒ごとは全て他人任せにしていた、ろくでもない姉。いや、これは今も変わっていないのだろう。他人と関わることがどうしても億劫に感じてしまうのだ。そんな私に愛想を尽かすこともなく、彼女は私に接した。彼女は、優しすぎたんだ。それはもう危ういくらいに。そして、私はそんな妹さえも放任した。関心が薄すぎるがあまりに起こる放置行動。あの悲劇が起きた原因は、私の無関心にあったことは否定はできない。
これは、欠けていた姉によって欠けてしまった妹についての話である。世界を愛した少女が、世界から愛されなかった話。始まりから終わりまで、絶望しかない物語。
「姉さん、人から好かれるのってどうすればいいの?」
溺愛すべき妹がそう言った。そんなもの私の知ったことか。
「そういう本が棚にあるだろう」
「私は姉さんに聞いてるんだよ」
まさか、この私から満足な答えが聞けるとでも思ってるのか?
「そもそもどうしてそんなことを聞く? 人選ミスはおいといて」
「私には姉さんしか頼れる人が居ないからだよ」
じゃあ誰にも頼れないじゃねぇか、哀れだな。
「どうして人から好かれたいんだ?」
「みんなと仲良くなりたくて」
「みんなとは?」
「みんなはみんなだよ」
当然だ、というふうに答えるが、このような言葉が一番返答に困る。あれだ、晩御飯何が良いかって聞いたら何でも良いって返された時のあれ。彼女が言っているのはこの世のありとあらゆる『みんな』だ。正直に言って馬鹿だと思う。
「そうだな、悪くはないとは思う。だが、実現させるほどのものではない。理想は叶えるものではないからだ。その辺を弁えておかないと、信念は呪いとなって自分を苦しめる。まぁ、ひとつだけ言えるのは………やめておけ」
アドバイスは無視された。自分でなんとかする、そう言って去った時に見えた微笑みは、私のなけなしの姉としての矜持に傷をつけたことはさておき、あれから妹の状況をもう一人の妹が報告してきた。頼んでもいないのに。
「あまりにもノータッチすぎるからさ、私の役割なのかなって」
「頼んでない。頼み事は直接言う」
「言われなくてもそのくらいやってほしかった、はなしだよ? それにしても、あの人頑張ってるよ。心理学とか交渉術とか、ありとあらゆる本を読み漁っては鏡に向かって練習してるんだ。『笑うだけで相手からの印象が良くなるんだって、これはもう極意と言っても過言ではないよね』って言ってた」
清々しいほどに無視されてるな。
「生きるのが下手だな」
「なんか言った?」
「いや、本人がそれで良いなら良いんじゃないのか? 私は妹の幸せを願っていよう」
「幸せは掴むものだよ」
「二度と私の前で前向きなセリフを吐くな、次言ったら殺す」
「ひでぇ」
「……あいつも物好きだ。他人と仲良くなるためにそこまで頑張れるだなんてな。感動するわ」
「心にもないことを言うんだね」
「心ない言葉よりはマシだろう」
「そりゃそうだ。でも、あのモチベーションは一体どこから来てるんだろうね」
「あいつの人生はあいつの好きにさせたら良いだろ」
そうだ、誰が誰と関わろうだなんて、そんなの私には関係のないことなのだから。他人の人生に介入するなど、そんな面倒なことはしたくない。
「いつか恋愛相談とかもされるかもしれないよ?」
「その時は相談されないように立ち回るしかないな」
「やっぱ、そういう話は苦手?」
「いや……そもそも私は、『誰も愛したことがないし、愛せない』んだ」
私は他人を気遣うのが苦手だ。
龍が頼んでもいないのに妹の状況を報告してきた、愛されすぎだろあいつ。
「あいつ、最近かなり機嫌が良いぜ。何か良いことあったのか?」
「何も起きない方が良いがな」
「何もない方が良いのか?」
「その方が面倒が少ない」
妹とのスキンシップを面倒などと言うべきなのではないのだろうが、わかっていてもそう感じる事には変わりない。この城の管理は全て輩達に任せていた。あれ、私この城の主失格じゃね?
「なんで私ここの主やってんだっけ?」
「お前が俺達のことを生んだからじゃね?」
「もっと適任が居ると思うが。周りの協力のおかげだな」
「そうだとしても、今のこの状況はきっとお前が居たからだと思うぜ。みんなお前が大好きだからな」
ああ、なんて都合のいい解釈だろう。ただの偶然が連鎖しただけで、私が何かしてやったわけじゃないのに。
異端者は異端者なりの幸せを得ればそれでいいのだが、あいつは普通の幸せにこだわっているからな。
幸せになれるかな、そう他人事のように呟いた。
さて、結末から言うと妹の試みは失敗に終わった。ネタバレするな、とか言うだろうが最初のあの流れでハッピーエンドを期待するのは野暮ってものだ。どうして結論を急ぐのかと言うと、単純に私が結論しか把握していないからだ。龍との会話の後、私が語れるのは胸糞悪いフィナーレのみ。そのくらい私は妹のことを見ていなかった。繋ぎとして、聞いたことをまとめておく。
『みんなと仲良くなる』ために妹が初めにやったのは、自分が属せる可能性の高いコミュニティの選定だった。彼女は自分と見た目が変わらない集団を選んだ。目立ちにくいように、埋没しやすいように。彼女は自身のことを隠した、嫌われることを恐れて。彼女は相手の求める行動を察知するのがかなり上手く、それを叶えることで周囲との友好を深めていった。喜ぶ彼らを見て、彼女は幸せそうにしていたという。
しかし、その関係に亀裂が入った。気味悪いほどに正確に対応し続ける妹に、周りが奇妙に思い始めたのだ。彼らは距離を置くようになった。一緒に居ても、壁があるようだった。そこで妹は自分の秘密を打ち明けたが、より気味悪がられた。最初から自分の居場所なんてなかったと知った。世の中と破局したのは、これで三度目だという。
「ねぇ、姉さん。また失敗しちゃった」
「……話してみろ」
そうは言ったものの、妹はもうすでに手遅れなのだとわかった。身体の内側から溢れるドス黒い感情。会話が成立するのかさえも怪しかった。散々暴れ回ったあげく自殺した人間と近いものを感じる。
「最初はね、完全に失敗だった。人間は人間以外に恐怖するだなんて知らなかったから。だから、二度目は秘密にした。でも結局はダメだった。みんな私が変だって言動でわかっちゃうんだよね。最後まで隠したけど疎遠になっちゃった。三度目は言動にも気をつけた、今度こそ上手くいくと思った、でもそう思ってたのは自分だけだった。一か八か秘密を話してみたけれど、結局私の居場所なんてなかったんだ。あはは、何か悪いことしたのかなぁ?」
……したんだろう。彼女にとっての普通は、周りにとっての異常。彼女の思考や価値観は、周囲の常識を容易く逸脱する。自分の常識が通用しない他所の文化圏を一人で彷徨うようなもので、周りからすればはた迷惑でしかない。きっと、そんな中彼女は思っただろう。
『どうすれば周りに受け入れてもらえるのか』
しかし、そういった異端は大抵個より全が優先される社会においては受け入れられることはない。全員で形成している秩序が壊れてしまうから。ただそこに存在しているだけで、列を乱し、流れを淀ませ、歯車を狂わせる。集団からすればそれは害悪以外の何物でもない。だから、正当防衛としてそれを排除する。それでも彼女が世界を憎まないのは、皮肉にも彼女が世界を愛しているからだろう。周囲から嫌われているのに、周囲を愛さずにはいられない。これは、大規模な失恋。
ここで助けになる言葉一つでも私が言えていたのなら、結末は変わっていたのかもしれないし、それが姉として正しい行いなのだろうが、そんなことすらも私はできなかった。人格もクソもなかったんだ。妹が苦しむ理由に、理解はできても共感はできなかった。私の言葉が虚空に響くのは想像に難くない。妹の前でこんなにも冷静でいる時点で、私に彼女の姉をやる資格なんてなかったのだろう。『世界から拒絶されたくらいで?』 そんな風に思う自分が確かにここに居た。
妹は壊れた人形のように堕落した。あの様子じゃ心も壊れてしまったんだろう。妹は繋がりを求めすぎたんだ。認めてもらおうと手を尽くし、愛してもらおうと心を捧げた結果、友人でも恋人でもない『都合いい奴』になってしまったのだ。だから、都合が悪くなったら拒まれた。そもそも、噛み合っていなかったのだ。妹は好かれるための努力を惜しまなかったが、一方的な求愛行動としてのそれは、自己満足の奉仕活動となんら変わりない。彼女に対して共感や同調をする者は誰一人としていなかったのだ、この私も含めて。彼女は他人を喜ばせることで相手と通じ合ったような気分になっていたみたいだが、それはきっと違うのだろうし、違わないとしても他人と通じ合った程度で歓喜している時点で一般的な感性を待っているとは言えない。当たり前のことなんだ、大多数にとって他人と通じ合うだなんてことは。他人と通じ合うことによって生まれる社会性で、この世界は成り立っている。共感を特別だと思っていることこそが異端である証拠だ。
人並みでない者に、人並みの幸せが掴めるわけがない。だから、この悲劇は収まりに収まっただけなのかもしれない。でも、これではあまりにも救いがなさすぎるので、私は無意味な希望に縋ろうと思う。
いつか、誰かを愛せない私に代わって、妹を愛してくれる人が現れるかもしれない。その時が来るまで、せめて私の手で守ってあげよう。それが、私ができる唯一の姉らしいこと。妹を救わなかった姉として、彼女の幸せを願いながら。