ある公爵家における、父親の苦悩~娘が突然「婚約破棄」されたらしい
歴史ある公爵家の当主、ダリントン公爵の元に急報が飛び込んできたのは、月の輝く夜のことだった。
「大変です、旦那様! リード伯爵家から急ぎの報せが! 王宮の宴で、由々しき事態が起こったそうです」
リード伯爵家はダリントン家の一派だ。保護を与える代わりに、支持を得る、いわゆる寄親・寄子の関係である。
寄子の家から、火急の連絡。
いつも冷静なはずの執事長が、その感情を顔や声に乗せるのは珍しい。よほどの大事が起こったのだろうか。
公爵は片眉をあげ、長年仕える執事長を見遣った。
「どうした、何の報せだ」
今夜は月愛でる夜宴。
公爵家からは長女ルイーズが出席していたはず。
まさか娘の身に何か?
「は、はい。ルイーズお嬢様が……、王太子殿下から突然、"婚約破棄"を突き付けられたそうです!」
「な、なに?!」
俄かに信じられない内容だった。
王太子イーサンは、少々能力足らずの第一王子。
明敏な第二王子に、絶えず押されているのが実情。
ダリントン公爵家が後ろ盾となることで、ようやくその地位を保てるような青二才が、何を血迷ったか婚約破棄?
「誤報であろう? ルイーズを切るということは、我が家を敵に回すと同義。いくら周りを見ていない王太子だからと言って、そんな無謀な真似はすまい」
「そ、それが新しい婚約者に男爵家の娘を立てたいから、ルイーズお嬢様は邪魔だと……」
「なっ! ルイーズが、邪魔?!」
確かに最近、王太子が男爵家の娘に入れ揚げているという話は聞いていた。
聞いていたので、調べてある。
該当する男爵家は、爵位を買ったばかりの成り上がりで、由緒も権勢もない。王太子妃を出せる家柄ではなく、一時的な噂だろうと放置していたが、まさか。
(あり得ぬ……)
何者かが画策した、公爵家を陥れる陰謀だと言われた方が納得出来る。
そうだ、よく吟味し、落ち着いて対処しなくては。
(うちの天使が、邪魔者扱いされるわけがない)
"天から舞い降りた"という形容がぴったりなくらい愛らしく、美しく、気高い娘だ。
本来なら、イーサン王子の如き凡愚には勿体ない。妻によく似て、聡明なルイーズ。
手放したくない思いでいっぱいだったのに、長男重視の国王に懇願されてやむを得ず、渋々、受け入れた婚約だった。王家側から破棄してくるなど、馬鹿げている。
公爵が呼吸を整えようと息を吐いた刹那、ノックとともに第二執事が続報を持ち込んだ。
宴に付き従った従者からの急報で、"ルイーズ公女が男爵令嬢を虐めた罪"で、王太子自ら公女に"追放"を命じたという内容だった。
王太子が男爵令嬢に贈ったドレスをルイーズ公女が奪い、今夜の夜会で身に着けて出席した、と責められたらしい。
「"あなたには相応しくないわ"と、ルイーズ様にドレスを取り上げられてしまったのです。せっかく殿下からお贈りいただきましたものを、すみません──」
くだんの男爵令嬢が見劣りのするドレスを纏い、泣きながら王太子に訴えたことが、今夜の発端になったという。
公爵の胸中に、いっきに憤怒の嵐が吹き荒れた。
「っつ、ふざけるな! そもそも婚約相手でもない娘に、ドレスを贈るほうが間違っている! それにルイーズのドレスは、我が家で仕立てたものだ! 調べればすぐに分かろうが!!」
"イーサン殿下の瞳の色に、最もよく似た生地を選びたいの"
そう言いながら、呼び寄せた仕立屋の布を見比べていた、ルイーズの姿を思い出す。
通りがかった際、偶然目にした光景。
その時は微笑ましく思いこそすれ、特段気にはしなかった。「いくらかかっても良いから、納得のいくドレスにしなさい」と費用を出してやった。
贈られるのではなく自ら仕立てるのもおかしな話だと、気付くべきだったのに。
己の時は、妻にプレゼントをしまくった。婚前も、結婚後も。エスコートする女性にドレスを贈るのは、パートナーとしての誉れでもある。
しかし、ルイーズが王太子から何か贈られたという話は、ついぞ聞いていない。
もしや常から、婚約者らしい贈り物がなかった?
そういえば、"共に出かけた"という話も聞いた覚えがないのではないか。
今宵も迎えにすら来ていないのでは。
(まさかルイーズはずっと、ぞんざいな扱いを受けていたのか?)
男親には話さぬのだとばかりと思っていたが、執事長に確認すると、予想は悪い方に的中していた。
もはや我慢は出来なかった。
血管の浮き出た拳が、震える程に握りしめられる。
王太子の為にドレスを仕立て、夜会に臨んだ娘を満座の中で辱めるなど、反吐が出る。
よくも勝手に"追放"などと宣った!
娘はきっと、素っ気ない王太子に、それでも寄り添おうと、ヤツの色でドレスを作ったに違いない。そんな健気なルイーズの心根が、無惨に踏みにじられた。
「許さ──ん!! ウチの娘を虚仮にした王太子に、目にものを見せてくれる! すぐに反撃の狼煙をあげよ。経済制裁に、武力行使だ。一族郎党にも通達を出せ。あのバカ王子を潰してやる!」
「お、お待ちください、旦那様。兵をあげれば王家に弓引く大罪となってしまいます」
「お鎮まりを旦那様。大公爵家の公女たるルイーズお嬢様にそうそう手出しは出来ぬはず。まずは状況をお確かめになってから──」
ふたりの執事が主人をなだめる中、更なる報せが舞い込んだ。
「旦那様、お嬢様が!!」
「っ、今度は何があった!」
一様に止まる室内は、緊迫した面持ちでもって、続く報告を待っている。
使者は公女につけた護衛のひとり……?
青ざめる公爵以下一同に、思いもよらない言葉が落とされた。
「お嬢様が、隣国のザカリー皇太子にプロポーズされましたぁぁ!」
「へ」
"なんで?"
その場の気持ちは、ひとつになった。
まるで部屋が宇宙空間になったかのように、全員の思考が空を彷徨う。
「どういうことだ?」
いち早く現実世界に意識を戻した公爵が、護衛を問いただす。
「はっ。なんでもザカリー皇太子はお嬢様のことを以前より慕っていたらしく、けれど婚約者がいたから想いを秘めたままにしていたとのことで……」
婚約破棄され、あわや追放されそうになったルイーズ公女の前に進み出て、そのまま膝をつき、広間中央で大胆な求婚をしたらしい。
「まさに世界の中心で愛を叫ぶといったような熱烈さに、全員驚いたのですが」
護衛は息を継ぐ。
そして一際はっきりした声で、結果を告げた。
「求婚に対し、お嬢様はその場で"承諾"なさいました!!」
「なぁん??!!」
待って。展開が早すぎる。なんで婚約破棄された直後に、新しく婚約し直してんの? 親に報告もないまま?
これが親離れということなのか……?! 子の自立なのか??
しかも即OKなど、二人は会ったことがあったのだろうか。
(はっ、長男のアーサーが隣国に留学してた頃、ルイーズが赴いたことがあったな。その時か。その時に出会ったのか!?)
"とても楽しい滞在だった"と話していた、娘の笑顔がよみがえる。
(男に会ったなんて、お父さんは聞いていませんよ)
哀愁を背負いかけた公爵に、護衛が言う。
「王太子たちは唖然としていました」
「よ、よし、ざまぁみろ」
自分もあっけにとられたことを棚に上げ、ダリントン公爵は頷いた。
聞かれれば不敬と取られかねない発言だが、それより先に不穏な言葉を連発していたので、今更なのである。
「まもなくザカリー皇太子の馬車で送られ、お嬢様がご帰宅なされるはずです」
強大な隣国で、しかも有能と名高い皇太子の庇護下に入ったルイーズ公女に物申せる人間はおらず、王太子イーサンも見送るしかなかったのだという。
ザカリー皇太子の圧で、追放命令も立ち消えた。
ルイーズ公女がザカリー皇太子にエスコートされる際、王太子の隣にいた男爵令嬢がなぜか隣国皇太子に向かって自分を売り込んだらしい。が、相手からは"けんもほろろ"に扱われたという話を添えて、護衛は報告を終えた。
「とりあえずルイーズが帰ってくるから、慰める用意と、祝いの仕度、か」
「落ち着いてください旦那様」
執事長が、平常な顔色を取り戻して進言する。
「お嬢様を貶めた、王太子殿下への報復準備もなさらなければ」
気持ちは混乱から戻りきってなかったようだ。
「そうか。そうだな。しかし、ルイーズの嫁入り先は隣国になるのか? ……隣国なんて遠いじゃないか」
手元に置きたかった愛娘の嫁ぎ先が、想像以上に遠くなるのは堪える。
だが娘の幸せこそが一番……。
主人の複雑な心情を読み取った執事長が、それらを汲んで発言した。
「まずはお相手の皇太子殿下にお会いになってからのお話かと。互いに大きな責務伴う家でありますれば」
「う、うむ。では──。水を一杯貰おうか」
一晩で盛大に疲労したらしい公爵が命じた。
そして、晴れ晴れと嬉しそうに帰宅した娘の様子に、公爵は婚姻を認めざるを得なくなったのだが、その詳細は省く。
なお、男爵令嬢が贈られるはずだったドレスは、なぜか仕立てられることなく代金のみが男爵家の懐に入っており、令嬢ともども男爵家はきつい咎めを受けた。
家の取り潰しどころか、投獄からの罪人確定、服役である。
また、王太子イーサンは状況分析力、判断力、責任感、すべてがポンコツと露呈したことで王太子の座から一転、地方へと飛ばされた。国境砦に立ち、国を守る任にあたっている。
言うまでもなく、国内貴族の声が大きかったがゆえの措置である。音頭を取ったのはダリントン公爵だが……。国王にも庇い切れない"やらかし"だったのだ。
その後、隣国ではザカリー皇太子とルイーズ公女の挙式が盛大に行われたが……、花嫁の父親が号泣したことは名誉上の理由から、公然の秘密と伏せられたという。
おしまい