6-8話 交差していく夏(2)
【読者さまのコメント】
高松は学校で一人トレーニングを開始する。
けれど、左手の握力がかなり……なんとか誤魔化し通さなければ。
トレーニング後、高松のサポートに来たのはもちろん井上さん!
彼女の本心を知ってしまうと、グイグイ押してくる彼女にドキドキしちゃう!
◇◇ 八月一日 ◇◇
いつものように五時五十分に目が覚めた。
月曜日から金曜日までこの時間に起きるのは日常的なことだ。
六時からNHK第二放送で基礎英語1が始まる。
七月の事故の際、二日間休んだがそれまでは皆勤賞で四年間がんばった。
夏村さんとの勉強当初、ヒアリングが夏村さんの欠点であると思った俺は夏村さんにも基礎英語シリーズを勧めたが、今も彼女は続けているらしい。
高校に入ってからももっぱら、ラジオから流れてくる英語をノートに書き写し、その英語が当たっているのかを確かめるためにテキストで原文を確認する。
そして暇なときに、その文章の名詞や動詞を変えて声にして言ってみるという練習をしていた。
夏村さんも順調にヒアリングが向上したことを考えるとあながち間違った勉強方法ではないと思っている。
とはいえ、自分の成績は伸び悩んでいる。
偏差値は高校に入って初めて受けた公開模試からほぼ変化はない。
一方、夏村さんは毎回確実に偏差値を上げて来ていた。
夏村さんが大学に合格してくれれば一つの目標は達成できるのだが、もう一方の俺の大学受験が失敗しては意味がない。
その上、自分が将来何をしたいのかも見つからぬままが続いていた。
「もうそろそろ自分の進学もかんがえないとなぁ……」
と思案しているうちに今日の基礎英語3までが終わってしまった。
俺は、中学時代のサッカー部時代のジャージに袖を通し、財布、定期券、タオル、飲み物などをバッグに入れて、ついクセで左手でバッグを持ち上げた。
すると、スルリと左手からバッグは床に落ちた。
やはり、『ものをつかむ』という行動は親指、人差し指だけでは保持できず、中指、薬指の重要性を痛感する。
「こりゃ、夏村さんやほかの人の前で物をつかむの、右手にしないとやばいな」
と思い、右手を使うことに注意しようと思った。
夏村さんやさよりの前でものを落としたりしたら、自責の念に駆られると思ったからだ。
右手で落ちたバッグを拾い、肩に担ぐと、左腕に巻いたサポーターの位置を整えて、一階のリビングダイニングに向かった。
階段を降りていくうちに、朝食の味噌汁のいい香りが俺の胃袋を攻撃してくる。
「おはようございま~す!」
と言うと、キッチンから母はこちらを見て、話しかけてきた。
「かず、今日から学校行くんだよね。晏菜が起きるの遅いから温めなおさなくちゃいけないんだよね、面倒」
「ごめんなさいね」
「ところで学校では一人でトレーニングするの」
「まあ、レスリング部のやつらが来れば、知っているやつもいるから、誰かヘルプしてくれると思うんで大丈夫だと思う」
「初日からあまり頑張らないでよ!」
「ありがとう。また、筋肉切っちゃうとまずいんで、初めは外周回って、手の運動は軽めにやろうかなって思ってる。それからはサッカー部の奴らとぶつかり合いはしないように練習しようかなと」
「そういえば、以前言っていた、サッカー部の『永久部員』ってどんな扱いよ?」
「いつでも部室を使えて、いつでも練習に出れますってことかな?」
「自分勝手なやつって思われないの?」
「そんなにうまい奴が居ないんで、俺が参加すると練習相手にいいみたいよ」
「それならいいけど、無理しないでよ」
「わかりました」
朝食を食べ終わり、家を出て、数分旧中山道沿いを歩くと最寄りもバス停に着く。
バスは途中、浦和市役所へ行く人も乗るため、途中までは混んだが、いつも乗る高校生がいないため、浦和市役所からはガラガラになった。
バスに乗っている間、スマホを出して、夏村さんとラインをしていた。
夏村さんももうそろそろ家を出る時間だそうだ。
今日も家で待っているねと話を締め、ラインでの会話を終了した。
高校前のバス停で降り、体育館横の部室棟に向かった。
部室棟のカギを開け、一階奥のサッカー部の部室に入る。
ロッカー列の一番奥に『永久部員』のロッカーはあり、そこに荷物を置いて、タオルを首にかけ、部室を出た。
ポケットには昨日買った、ハンドグリップとスポーツドリンクのボトルを入れた。
ハンドグリップは、昨日近所のスポーツ用品店で購入した負荷の一番低いものだった。
俺は校門に着き、ハンドグリップを左手に握り、外周を走り始めた。
夏とは言え、早朝なのでもう少し涼しいかと思ったが、荒川を渡ってきた川風は湿気を十分に含み、水分と体力を奪っていく。
この時間ともなると朝練のメンバーが登校を初めており、校門につくたびに、誰かしらと会い、足を止め、立ち話をしてしまう。
しかし、夏の外周だ。
このような休憩も必要だと思った。
野球部、陸上部、バレー部、卓球部……
みんな昨年の学園祭の一件以降、顔見知りになったメンバーばかりであった。
そう考えると、生徒会実行委員長のパシリとしてがんばってきた実感はわいてくる。
中間層のメンバーとここまで多くの付き合いができるとは正直思わなかったらからだ。
とは言っても、最終的に左手という代償は大きい。
また、少し凹みながら走っていくと、野球部員たちが俺に挨拶しながら抜かしていく。
そういえば去年キャプテンだった林先輩は今年の夏の地方大会の敗退で部活から離れた。
その後、キャプテンとなったのは一年の時は夏村さんと同じクラスの吉原だった。
彼は、俺と林先輩との関係を昨年のサッカー部救済の一件で知っており、仲良くしてくれていた。
挨拶も吉原の一声で部員全員が『チワッ』と言ってくれた。
外周も終わり、トレーニング室に移動する。
なぜか、トレーニング室のエアコンがついており、十分涼しい状態だった。
俺は汗が引くまでベンチに、顔にタオルをかけて仰向けで横になっているとトレーニング室のドアが開いた気配がした。
俺は顔にタオルをかけたまま、
「お疲れ様です~」
と声をかけたが、何もレスポンスは無かった。
俺は気のせいかとそのまま横になっていると俺の上に何かが乗ってきた。
「お、重い!」
と言い、俺は目の前のタオルを取ると目の前には明らかに女子のユニフォームが見え、ほほに何か柔らかいものが当たっているなと思ったのだが、確実に胸だった。
驚いた俺はベンチから転げ落ちると、その女性は笑いながら立ち上がった。
「かずくん、朝からいい体験できたね。こっちも股間に何か当たった」
顔をよく見るとそれは井上さんだった。
ちょうどベンチの上に仰向けに寝ている俺の上にうつぶせの格好で俺の上に体をのっけて来たのだ。
「な、な、何をしているのよ! 滝川と仙道みたいなことすんなよ!」
ちなみに滝川と仙道は学園祭混乱の張本人である。
「大丈夫だよ。そこまで体許していないから」
「そういう問題じゃないっちゅうの! てか何しに来たのよ」
「いやさ、今朝部活に学校来たら、かずくん走っているのが見えたんで、トレーニング室のエアコン付けておいたのよ」
「それはありがとう」
「でも、自我には勝てなかった」
「それは大問題!」
「ところでトレーニングは何するの?」
「主に左でのリハビリかな? 別にトレーニングしてマッチョになる必要もないので」
「そうか、じゃ手助け必要だったら、声かけてね、手伝うから」
「ありがとう…… てか自然と手伝う流れにしてない?」
「いやいや、トレーニング中に本妻がいない間に何かあって、内縁の妻が助けない流れはないでしょう」
「まあ、いいや。その時はよろしく!」
「じゃあね、かずくん!」
と言い、井上さんはトレーニング室を出ていった。
さてと、トレーニング始めますかと思い、床に落としたであろうタオルを拾うとしたがそこにはなかった。
「あれ? タオルどうしたっけ?」
女子バレー部の部室に井上さんはニコニコしながら、俺のタオルを持って向かった。
(今日の獲物ゲット成功! しかし、あの股間の感触は…… 今日絶対眠れない、ウフフ)
トレーニングは主にダンベルを使ったもの、ワイヤーに負荷をかけたのもの、そしてフィンガートレーナーを使っての練習になる。
指自体に怪我を負ったわけではないので、痛みはないが、力が出ないことに困惑させられた。
先ほど使ったハンドグリップも完全に閉じるまではいかなかった。
右手では楽勝なのにと思いながら、何度も何度も繰り返していると指の筋肉も悲鳴を上げてくる。
今日はこの辺で終わりかなと思い、器具を整理していると、また井上さんが来た。
「片付け手伝いに来た。片手だと不便でしょ?」
「いや、でもありがとうございます」
と完全に警戒モードの俺。
「大丈夫だよ。もうあんなことしないから。久しぶりに会えたからうれしくなっちゃって」
「はい、スポーツドリンク、バレー部から持ってきちゃった」
「いいの?」
「大丈夫、かずくんにあげるっていったら喜んで持って行ってだって」
「(本当かな?)まあ、いいや、ありがとう!」
「次は何するの?」
「サッカー部に混ざって全身運動かな?」
「じゃあ、あとはサッカー部に任せるとして、土日はどうするの?」
「土日は夏村さんと勉強会だから、土日以外は全部来るつもりだけど」
「じゃあ、まっているね!」
「えっ! 来るの?」
「いいじゃん。お世話させてよ」
「はいはい、じゃあ、サッカー部行ってくるから」
「じゃあね。行ってらっしゃい!」
と言い、井上さんは俺を見送ってくれた。
『まずは初日はこんなものでいいかな? 夏村さん、かずくんのお世話はばっちりやっているよ!』
とテレパシーで報告をする井上さんだった。
グラウンドにて……
「和也、まじでサッカー部正式に入ってくれない? 俺も卒業までに公式戦勝ちたいよ」
「さすがに埼玉県南部大会、一勝するのも辛いか?」
「いや、さすがに夏の大会の南部予選、浦和商業に負けたのは凹んだ」
「商業高校に負けるのはなぁ…… むこうは部員少ないし、選手層薄いし」
「もう勝てる気がしない。サッカーできて楽しいことは楽しいけど、たまには試合にも勝ってみたいからさ」
昨年のサッカー部救済の一件から、現在まで公式戦、練習試合ともに勝ったことがないらしい。
勝村も部長としての立場がないというのだ。
俺も手伝ってやりたい気は山々なのだが、ボディコンタクトに対し、怪我をした現状自信がない。
「じゃあ、俺、夏休み中、午前中は学校にいるので、状況見てアドバイスっていい?」
と答えると、勝村は深々と頭を下げ、
「すごい助かる。俺もテレビとかでプレー云々は知っているんだけど、選手個々をどうまとめるかって正直わからないんだよね」
と礼を言った。
時計を見るともういい時間になっていた。
これからバスに乗って、帰れば運が良ければ、浦和駅で夏村さんに会うことのできる時間だ。
俺は部室に戻り、シャワーをして、着替え、部屋を出た。
とは言え、このまま帰るのも気が引けた。
俺が体育館に行くと、中では、奥のコートで男子のバスケット部が、手前のコートでは女子のバレー部が練習していた。
ちょっと気が引けたが、体育館の中に入り、井上さんを見ていると、コートを囲んでいた控えの選手や一年生が俺を見つけたらしく、今まで『ファイトー』とか声援していたのを『井上! 井上!』とコールし始めた。
井上さんは何が始まったのかと周りを見回し、俺を見つけると、俺に向かって手を振ってきた。
無視するわけにもいかないので手を振り返すと、コールは一斉に『ヒュー! ヒュー!』に変わった。
この人たち、俺が夏村さんと付き合っていること知らないのだろうかと頭をかしげたが、みんなに礼を言って体育館を出た。
浦和駅前のバス停を降り、地下道をくぐって、伊勢丹の地下街に出ると、きれいでかわいいケーキが並んでいるのを見つけた。
そのうち、三つを勝手に選び購入した。
必ず夏村さんと二人で食べていると晏菜が入ってくるからだ。
と言いながら購入した後で晏菜は夏期講習であったことを思い出す。
(たまには母さんに買ってきたことにしようか)
と思いながらケーキの入った紙の箱を持って改札に向かった。
「おう、かずや。迎えに来てくれたのか。あっ今日から学校でトレーニングだったんだよな。どうだった?」
「左手、ヘトヘト。まあ勉強には右手しか使わないから問題ないけどね」
「おっ! 手に何か持っているな。ケーキでも買ってきてくれたのか?」
「さすが、なんでもわかっちゃうね」
「なんでもわかるぞ。今日、お前、井上にもてあそばれただろ?!」
「えっ! なんで知ってるの?」
「なんでもお見通しだよ、かずやのことなんか」
「恐れ入ります」
「まずは早くかずやの家に行って復習したいところがあるんだ。教えてほしいんだけど」
「俺で分かることならなんでも結構ですよ」
「じゃあ、行こう」
「うん」
やっと、二人の夏休みが回り始めた感じがした。
次は自分の勉強の仕方をどうにかしなくてはいけない。
当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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編集記録
2022/10/31 校正、一部改稿