0-1話 高校受験に落ちました
これから話すのは高校時代の思い出だ。
※※※※
俺は中学時代、成績は上の中くらいのレベルであったにも関わらず、身の程知らずも甚だしいのだが、進学先として有名私立大学附属校を狙っていた。
当然、進学塾の模試でも合格確率数十パーセント。
いわゆる、高望みってやつですね。
お恥ずかしい話だが、その時は受験しただけで合格者気分になってしまったらしく、帰宅したあと両親には、胸を張って『楽勝』と答えていた。
しかし、こんな俺が合格することは無いと確信していた家族が一人いた。
妹の晏菜だ。
晏菜は俺と同じ出身中学の二学年下で、成績優秀、先生たちからの信頼も厚かった。
そんな妹だ。
俺をよく知る先生達から、『お前の兄さんはこのままじゃあ、どこも受からないよ』と聞かされていたそうだ。
しかし、晏菜はそのことを一切両親に報告することは無かった。
とにかく、内申点が最低だったということは自分でも容易に想像できた。
中学二年くらいまで俺は所属していたサッカー部や生徒会の役員としてがんばってきた。
また学校のクラブとは別に浦和レッズのジュニアユースにも所属していた。
しかし、中学三年を迎えると二年生の年末に起こったあるトラブルが原因で俺に対する風当たりが強くなり、それはいじめへと発展した。
そのいじめは、同級生のみならず、一部教職員も加担したひどい状態となり、部活や生徒会の活動を諦めざるを得ない状況に陥った。
当然、内申書には悪い評価しか書かれていなかったであろうことは容易に推測できた。
案の定、俺の受験した私立高校は三校とも不合格となった。
すると、俺の言っていたことを信じていた母は体調を壊し、寝込んでしまった。
そんな母の姿を見てさすがに俺も反省した。
そして、自分の選ぶ道はただ一つ、どこでもいいから高校に受かることと考えた。
しかし、その時点では、もう受験は日程的に公立高校の受験と私立高校の二次募集しかなかった。
私立高校受験が全敗確定後、俺は進路担当の倉持先生に相談に行った。
この先生は俺に対し、かなり敵対視していたので不合格の報告した時、そりゃそうだろうよと大笑いされたのは屈辱的だった。
そんな先生だったが、浦和市内の公立で今年創立二年目の高校が有って、そこは合格者の偏差値の幅も広いみたいだからお前みたいな奴でも受けいれてくれるかもしれないから受けてみたらどうだと言ってくれた。
俺はその時点で藁にもすがる思いであったため、その学校に躊躇せず願書を提出した。
どんな高校かも知らずに……。
当時、その受験校の校舎がまだ、プレハブで一学年分しかなかったため、県内トップの有名進学高校である、県立浦和高校の校舎を借りての受験となった。
浦和高校の校門をくぐっての受験はあたかも自分が浦和高校の受験生だと勘違いしてしまうほどの優越感を感じてしまった。
しかし、受験会場には県立浦和高校を絶対に受験できないであろう何人ものヤンキーがいて、この時点で俺は現実に戻された。
そして合格発表の日……。
このとき、受験した高校の新設工事は終わっていたらしく、発表はその高校の敷地内で行われた。
俺は学校まで自転車に乗って三十五分くらいの道のりを、合格したらここが俺の通学路になるのだろうなと考えながら走った。
学校の近くには荒川が流れており、川風が強かった。
ちょうどその日は強い向かい風のため、思いのほか時間がかかってしまった。
高校前にあるバス停横には細い通学路があり、トラック二台がギリギリ通れるくらいの広さだった。
通学路の両端には桜並木になっており、今年は桜の開花が遅く、まだつぼみの状態だった。
校門をくぐり、玄関前の掲示板を見ると、すでに合格者一覧が張り出されており、多くの受験生たちが一喜一憂している姿が見えた。
俺は駐輪場に自転車を置き、鞄から受験票を出しながら掲示板に向かった。
合格者番号の一覧に俺の番号は……。
あった!!
高校受験全敗中の俺はジャンプしたいくらい喜んだ。
正直なところ、私立高校の受験でこの思いをしたかったのだが、そのことは忘れよう。
俺はすぐに手続き書類を受け取りに、校舎入り口そばに設置された受付に行き、書類を受け取って中身を確認した。
中には夢にまで見た『合格証』が入っていた。
再度、氏名が俺であることを確認し、家と学校に連絡するため、校門横にある電話ボックスに向かった。
中学に電話すると、担任の先生は事務的な受け答えしかせず、興ざめた。
しかし、母に電話したところ想像以上に喜んでくれたので、俺も感極まり興奮しながら電話していると、電話ボックスの横を十数人のヤンキーたちが一団となって通っていった。
どんな学校でもヤンキーぐらいはいるものだと気にはしてはいなかった。
しかし、電話の最中、そのヤンキーの群れの中で一番前を歩く、身長の高い、髪をピンクに染め、腰くらいまで伸ばしているお姉様と目が合ってしまった。
やばいと思ったが、こういう時は目を外さず、彼女の向こう側にある何かに(何も無いのだが)俺は注目しているという雰囲気を出したところ、彼女は何もレスポンスをせず、俺の横を通り過ぎていった。
助かった……。
俺はひとまず呼吸を整えて、母との会話を続けた。
実はこれが俺の人生を変えてしまったと言っていい、彼女との初めての出会いであったとは知る由も無かった。
(ふ~ん、かずやも同じ高校か。楽しみだな)
先頭を歩く、お姉さまはヤンキー達を引き連れて、掲示板に向かっていった。
さて、寝込んでいた母だが……
安心したらしく、その翌日には病気から復帰し、仕事に戻っていた。
まずは良かったと俺は安堵した。
しかし、その時点で、この高校の評判を知っているのは家族で晏菜しかいなかった。
合格発表後、俺が家に戻ると晏菜は皮肉たっぷりにこう言った。
「おにぃ、合格おめでとう! 大変だろうけどがんばってね!」
その時点で晏菜が言った『大変だろうけど』の意味を俺が知るのは入学後の話だった。
俺の合格した高校は浦和大鳳高校。
JR浦和駅からバスで約二十分程度のところにある荒川沿いの超へんぴなところにある高校だった。
入学当初、バスで一週間ほど通ったが、その後は自転車で通学した。 その理由については後述する。
うちの高校は男女共学の普通科で一学年三百名程、上級生は一つ上の学年しかいない。
俺は先輩が少ない方が上下関係は面倒にはならなくてすみ、好都合と考えていた。
俺は中学時代の反省も含め、高校ではあまり人とは接触せず、まじめに、目立たず、勉強して大学に行きたいと思っていた。
まあ、三年ぐらい交友関係を断っても、大学に入ってから改めて仲間を作ればいいだろうと思っていた。
俺は、大鳳高校ともう一校私立の二次募集を受けるつもりで内申書を貰っていた。
もうこいつは不要だなと思い、そのまま捨てようかと思ったが、やはり学校がどう評価していたのかは気になった。
開封し、記載内容を確認した。
……その後、俺は卒業式のみ出席し、その他の行事はすべて欠席した。
◇◇ 入学式当日 ◇◇
決意も新たに鏡を見ながら、二、三発頬を叩いて気合いを入れた。
登校の準備はバッチリだ。
あとは、母が部屋から着替えて戻ってくるのを待つだけだ。
母はバスが混むのを嫌い、シートに座りたいがために、早めに自宅を出発した。
自宅そばのバス停から『大久保浄水場行き』のバスに乗った。
この時点で俺は緊張と興奮から周りが見えていない状態だったのであろう。
他にどんな人たちがバスに乗ってきたのかは全く覚えていなかった。
『大鳳高校前』というバス停を降り、花の散った後で緑色の葉桜に染まった桜並木の通学路を歩き校門に着く。
校内の掲示板には、各クラスの担当教員名、所属氏名が書かれていた。
俺は一組、担任は渋谷先生。
一組とは幸先がいい。
しかし俺は、この高校では目立たぬよう過ごすぞと再度決意した。
母とは掲示板の前で別れ、母は体育館の方向に、俺は校舎に入り、教室に向かった。
そんな時、俺の後ろの掲示板の前ではこんな会話が聞こえた。
「なつさん、チワっす! なつさん、俺と隣のクラスっすね!」
「おう! そうみたいだな、たけし! みんな、これからも面倒かけるが、よろしく!」
「承知!」
仲間のヤンキーたちが一斉に挨拶すると、合格発表の日に電話中の俺と目が合ったヤンキー姉さんは再度、さっと掲示板を見返した。
(一組か…… 楽しみだな、どんな奴になっていることやら……)
何かを確認し終わると、仲間たちの方向に歩いていった。
やっぱり、新しい校舎はいいですね!
室内の匂いや窓からの光も違って感じられた。
俺の出身中学校はボロボロで、床が木製で床板と床板の間に穴が開いていて、そこに硬貨を落とすと一貫の終わりだった。
しかし、こちらの床はコンクリートの上にグリーンのシートを貼られているようだった。
安心安心……。
その上、掃除も楽そうだ。
いよいよ、俺の人生リセットの高校生活が始まるのだと思いながら、教室のドアを開け、『失礼しま~す』と言いながら、教室に入った。
中に入ると……。
俺の高校時代はまだマンガ『ビー・バップ・ハイスクール 』みたいなヤンキー全盛期だったのだが、なんとクラスの三分の一近くがヤンキーであった。
そして、すでに彼らは教室の後ろの方で登校一日目にしてタムロッていた。
そう、うちの高校は、ヤンキーがおおでを振って歩く学校であったのだ。
クラスの中には明らかにヤンキーである者とそうでない者との間に見えない境界線が引かれていた。
ちょっと嫌な感じはしたが、俺の卒業した中学もそれほど程度の良い学校ではなく、ヤンキーはいたのであまり気にはしなかった。
多分寄らず触らずでいけば、お世話になることもないだろう。
俺は気にせず、机の上の自分の名前の貼られた席を探し、そこに座った。
席は一番後ろの席で教室の後方出口のドアに近かった。
「チワっす!」
と言い、ヤンキー数人が教室に入ってきた。
彼らは自分の席を探すと鞄を机の上に置き、タムロっていたヤンキーの中に加わっていった。
「たけしさん、うちのクラスで良かったっすワ」
「なつさんは隣のクラスだぞ……」
彼らの会話など全く興味がなかったのでそれ以降の会話は耳に入らなかった。
さて、入学式……。
音楽とともに一年生は体育館に出席番号順に並んで入場していった。
体育館の前方に新入生、後方に在校生という並びなのだが、在校生の前方には普通の格好の生徒が並んでおり、ヤンキーの先輩方は後ろの方で自由を満喫していた。
二年目にしてもう荒廃しているのかよと俺は思った。
こうなってくると……。
当然、こんな学校では青春もののドラマのような経験を期待すること自体無理であり、俺の目標は早々に勉強だけの学校生活にシフトした。
『友情』?
『恋愛』?
無理無理!
ただ、これだけ学生がいるのにもかかわらず同じ中学出身者が一人もいないことは俺にとってラッキーであり、人生をリセットするには打って付けであった。
※※※※
入学して数日経つと、クラスメイトの中にも俺と同じように大学に進みたいと思う奴ら(俺は彼らを、『勉強仲間』と呼んでいた)がおり、自然と集まるようになった。
彼らと付き合うようになり、チームワークを生かし、みんなでなるべくヤンキーたちには目を合わさないよう、目立たないようにしていた。
勉強仲間を紹介しよう。
坂本巧は、彼のお兄さんである達也と以前から趣味の関係で付き合いがあり、偶然同じ高校になって意気投合、仲間となった。
佐々木大輔は、いつも元気で仲間のムードメーカー的な立ち位置だが、声が大きく、人の気に障ることを平気で言ってしまう癖があるため、ヤンキーたちによく目をつけられやすいのが困ったところだ。
その他に男性では鵜坂、牧野、女性では多江ちゃん、さくらちゃん(なぜか俺は女性を名前+『ちゃん』で呼んでしまう癖がある)が『勉強仲間』の構成員であり、いつも俺の席の周辺に集まり、会話をするのが常であった。
最初に言っていた『友情、無理無理』が自然とご破算になった瞬間である。
しかし、このように勉強する奴らが集まっていると逆に目立ってしまい、ヤンキーたちの標的になることが増えてしまった。
ある日の数学の授業中。
「じゃあ、この問題解ける奴いるかぁー? じゃあ、高松、やってみろ!」
俺は先生に差され、黒板の前に出て、板書しながら回答していく。
まぁ、うちの高校レベルの問題なら、すでに勉強仲間と行っている進学塾では授業を終えており、楽勝なわけで、さっさと終わらす。
「さすがだなぁ、高松、正解だぁ! よし、席につけ」
先生に一礼をし、席に戻ろうとした時だった。
「よっ! 高松! 勉強だけの男! さすがー! できるやつは違うなぁ!」
ヤンキーたちからの完全なヤジ祭り状態になる。
先生は鎮まるように言うが、二、三分はその状態が続く。
中には消しゴムを小さく切って投げつけてくるヤンキーもいた。
これは俺だけではなく、他の勉強仲間も攻撃の的にされていたのであった。
勉強仲間はこういう『からかい』に慣れていない奴が多く、その『からかい』に反応してしまうため、さらにヤンキーたちはからかってくる。
俺は中学時代の陰キャ生活中に会得した『無視』を決め込み、『からかい』を流していた。
また、ヤンキーたちが掃除当番の時などはこんなことになる。
「俺たち、お前と違って家でお勉強しなくちゃ付いていけねぇんで、先帰るわ。後はよろしく」
と言ってさっさと掃除道具を俺たちに押し付けて帰ってしまう。
そして俺たちは、ヤンキーたちから支配されていることに気づくようになっていく。
多勢に無勢。
その時点で俺たちは負けを認め、前よりも増してヤンキーたちと関わることを避けるようになっていった。
当然校内カーストはヤンキーたちが最上位に、俺たちは下へ下へと追いやられてしまう。
ただ、ヤンキーたちもこちらに手を出す(=暴力)事や恐喝じみたことは一度も無かった。
いわゆる、『からかい』程度であったため、俺は勉強仲間に相手にしないという対処方法を教え、実践していた。
そんなヤンキーたちではあるが、たまに隣のクラスのヤンキー姉さん、そう、あの合格発表の日に眼が合った子がたまに俺のクラスのヤンキーたちのところに来ると立ち上がり、帰りの挨拶は決まって『よろしく!』、『承知!』であった。挨拶という言葉の重複。立ち上がってあたまを下げ、か、立ち上がって挨拶し、お決まりのやり取りは「よろしく」「承知」であった。かな〜……もとの文、読み直してみて。あんまり意味が伝わらない。
どうやら、ヤンキー姉さん、うちのクラスのヤンキーたちよりも位が上らしく、絶対服従の様子だった。
そんなヤンキー姉さんだが、時々うちの教室に来ては、うちのクラスのヤンキーたちと話をしながら俺を見ている気がした。
俺は電話ボックスで目が合ったことを気にしているのかと思った。
しかし、俺に対しての『からかい』はその後も増えることもなく減ることもなかった。
まるで『からかい』に対する俺の反応をヤンキー姉さんにヤンキーたちは報告しているかの様子だった。
うちの高校は開校二年目であったため、近所の浦和工業高校の連中がバイクで乗り付け、授業中にもかかわらず、爆音とクラクションを響かせ、学校の周りの道(ここを『外周』と呼び、クラブ活動で『外周』というとこの道をランニングすることを意味していた)を低速で走り、こちらをバカにしている様子だった。
そんな時、必ずうちのクラスのヤンキーも含め数十人のヤンキーが授業中にも関わらず、外に出て、バイクの奴らと口げんかをしていた。
そこで、遅れてあのヤンキー姉さんが木刀を持って登場。
一言二言、バイクの奴らに罵声を浴びせると、バイクの奴らは爆音を上げて、元来た道をもどっていくというシーンを何度も見ることがあった。
たぶん、あのヤンキー姉さん、だいぶ口も腕っ節も強いんだろうなと俺は想像していた。
そんな姉さんのクラス訪問がありがたい訳がなかった。
トラブルは避けたかったからだ。
もうこんな状態であったので、俺の高校生活は集中して勉強することしかないと考え、勉強仲間と終業のチャイムがなると一斉に教室を出て、自転車に乗り、JR南浦和駅前にある進学塾に通うようになった。
自転車であればバス停でヤンキーと会うことがないからだ。
まあ、これが前述のバス通学を止めた理由でもある。
浦和駅はビジネス街であったため、進学塾が駅前にほとんど無かった。
その代わり、開発の遅れた南浦和駅には中高生向けの進学塾が十数校存在した。
よって、俺たちはわざわざ浦和駅で自転車を乗り換え、電車で南浦和駅まで行かなくては行けなかったのだ。
ところで、後で晏菜に聞いた話だが、浦和大鳳は偏差値の山が二極性になっていて、成績の良い人と悪い人に極端に分かれた形で入学する学校であったそうだ。
毎回思うが晏菜の情報網には頭が下がる。
というか、二極性になっている時点で、統計的には母集合は正規分布しておらず、偏差値に意味があるものなのかは疑問だった。
こんな日々が続き、一学期の中間テストが終わった。
困ったことに、うちの高校は、試験終了数日後の昼休みに職員室前の掲示板に主要試験五教科の合計得点の成績優秀者十名の点数と順位の一覧を張り出すのを恒例にしていた。
当然、ヤンキーたちのいる学校なので試験の難易度は低く、勉強オンリーの俺と勉強仲間にとっては簡単な問題だった。
実は俺、この発表を見なくても自分の順位はわかっていた。
なぜなら、すでに返却されたテストのすべての教科で満点を取っていたからだ。
しかし、そのことをヤンキーに知られたら、『からかい』の度合いがさらに上がるのではないかと心配になった。
良い成績は取りたいし、ヤンキーには関わって貰いたくないし……どちらを選ぶかと考え、成績優秀者を選ぶしかないと俺は思った。
俺は今後の展開に不安を感じながら勉強仲間と共に掲示板に向かった。
掲示板には二年の順位が先に発表となる。
進路指導担当でうちのクラスの担任である渋谷先生が掲示板に巻紙のような順位表の片方をピンで留め、広げていく。
二年の一位は上郷地先輩か?
二位は小鳥遊先輩……。
名字が難しくてなんとお読みしたらいいのかわからない……。
続いて一年の番となる。
俺はというと……。
当然のことながら一位だった……。
そりゃ全科目満点なら一位は発表を見ずともわかっていたのだが、この発表を見たら、絶対にヤンキーたちに目を付けられてしまうだろうなぁと俺は返って落胆した。
本当は『俺、よく頑張った』って褒めてやりたいところだよ。
俺は掲示板に背を向け、群衆を後にした。
その時、掲示板の方向から『圧』を感じた。
俺はそちらを振り返ったが、その『圧』が誰からのものかはわからなかった。
教室に戻り、勉強仲間と張り出された成績の話をしていた時、先ほどの『圧』の主が足音を立てて近づいてきていることを、俺は知らなかった。
この試験結果発表が俺の運命の歯車を変えさせていたのだ。
当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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編集記録
2022/08/13 校正
2023/04/16 一部改稿
2023/04/20 全面改稿
2023/04/21 最終確認