14-3話 Still on My Way(3)
夏村さんたちが帰ったあと、散らかった机を片付けているとスマホが鳴った。
画面に出た番号は見知らぬもの。迷ってから、通話ボタンを押す。
「高松くん? 久しぶり。幹夫だ」
……幹夫?
どこの誰だよ、と喉まで出かけて飲み込む。
「どちらの幹夫さんですか」
「沙羅ちゃんのいとこ。忘れた? 今年の正月」
正月。夏村家。
『家』の空気が、急に胸の奥から立ち上がる。
「あ……夏村勇志さんの息子さんか。幹夫さんですね。久しぶりです」
電話の向こうの声は、正月に会った時より柔らかかった。
あのときは、言葉の端が名刺みたいに硬かったのに。
「正月以降、電話来るかと思ってた。ちょっと寂しいな」
「すみません。いろいろありまして……」
「聞いたよ。沙羅ちゃんがね。『家族をもう一回、つなぎ直してくれた』って」
その言い方が、軽いのに重い。
『家族』という単語が、普通の家の温度じゃない。
「それと、家庭教師もしてるんだって?」
「まあ……何とか。幹夫さんはいかがですか」
「君みたいに模試の上位に名前は載らないけど、俺も慶應は射程圏って感じ。沙羅ちゃんとは敵同士になるのかな」
笑ってるのに、妙に本気だ。
「ところで和也くん、筑波の医学部推薦受けるんだろ。すごいね。沙羅ちゃんが目をつけるだけある」
褒められても、素直に受け取れない。
評価されると、嬉しいより先に怖さが来る。……俺はそういう人間だ。
「いや、僕なんか……。ところで、海城だと筑波医の推薦って、何人くらい受けるんですか?」
「お、来たね。うちは三人くらい」
「なるほど……」
さらっと言う。
『うち』って言い方が、当たり前のように強い。
「そうそう。沙羅ちゃんに頼まれたんだけど、うちで配られた面接対策のプリントがあるんだ。いる?」
「……欲しいです。できれば英語面接の内容も」
「うちは進学校だから。過去問データはまあ、それなりにあるよ。送る送る。メルアド教えて」
渡りに船。
俺はメールアドレスを伝えた。
「和也くん。……情報提供の代わりにお願いがある」
交換条件。
喉が一瞬だけ渇く。
「沙羅ちゃんを助けて。最後まで見守ってやってくれ。……一度見放した身で言える立場じゃないのは分かってる。でも、頼む」
電話越しに、頭を下げられた気がした。
「言われなくても、決めてます。最後まで見守ります。……そして夏村さんを、皆さんのところにお返しします」
「……その言い方。卒業後のこと、知ってるんだね」
「はい。五郎さんから。約束しました。夏村さんを、夏村家にふさわしい人にしてお返ししますって」
「わかった。もう言わない。……来年の正月、祖父母の家に来る?」
「その頃は二人とも受験で必死かもしれませんね。幹夫さんも頑張ってください」
通話が切れた。
スマホを机に置いて、ようやく息を吐く。
胸の奥に、また『家』の重さが残ったままだった。
夏村さんが気を回して幹夫さんに手を回してくれたのだ。
改めて感謝をしているところで、幹夫さんからメールが来た。
ざっと、目を通す。
「これはありがたい。どんな質問が想定されるのかがわかりやすい。さすが進学校」
--------------
英語面談の練習を始めてから、違和感が消えない。
英語そのものは、以前より出てくる。
TOEICのスコアも、数字だけ見れば悪くない。
それなのに、どこか噛み合わない。
夏村さんは「正直に言え」と言う。
井上さんは「目が武器」と言う。
多江ちゃんは「型を作れ」と言う。
那奈は「隣で聞く」と言う。
みんな正しい。
でも、まだ何か足りない。
その『何か』を言語化できないまま、俺はノートを閉じた。
「かずや先輩」
声がした。
振り向くと、さよりが立っていた。
いつもの無表情。
でも、ほんの少しだけ目が真剣だ。
「少し、時間ありますか」
「……あるけど」
「英語面談の模擬、やらせてください」
唐突だった。
「え?」
「英語でやります」
さらっと言う。
「さより、受験生じゃないだろ」
「はい。でも、だからこそできます」
意味が分からない。
「私は当事者じゃないので、冷静に見られます」
その言い方が、妙に引っかかった。
冷静? 本当に?
でも、断る理由もない。
「……じゃあ、お願いする」
さよりは俺の向かいに座り、ノートを開いた。
そのノートの分厚さに、まず違和感を覚えた。
「じゃあ、始めます」
声が変わる。
先生みたいな、少し低い声。
「Why did you apply to the University of Tsukuba's Faculty of Medicine?(なぜ筑波大学医学群医学類を志望されたのですか?)」
流暢だった。
発音も、抑揚も、以前より明らかに滑らかだ。
(……あれ?)
「Because I want to contribute to medical robotics…(医療ロボティクスの分野に貢献したいと考えているからです……)」
言いかけた瞬間。
「Stop」
止められた。
「“contribute”は便利ですが、曖昧です」
「え?」
「How exactly will you contribute? (具体的には、どのような形で貢献したいと考えていますか?)」
言葉に詰まる。
今までの練習は、ここで終わっていた。
『志望理由を言えた』で満足していた。
「……研究と臨床の橋渡しを」
「Then why not become an engineer? (それなら、なぜエンジニアにならないのですか?)」
刺さる。
夏村さんも聞いてきた。
でも、さよりの聞き方は違う。
静かで、逃げ場がない。
「医師である必要性を、英語で説明してください」
呼吸が乱れる。
「I believe that doctors understand patients more directly……. (医師の方が、患者さんにより直接的に接することができると私は考えています)」
「“more directly”とは?」
また止められる。
俺は息を吐いた。
「……さより、厳しくない?」
「推薦面接は、優しくありません」
淡々と返される。
「一次回答は誰でもできます。二次質問に耐えられるかどうかです」
ノートをめくる音が静かに響く。
「Imagine your research fails. What will you do? (もし研究が失敗したら、あなたはどうしますか?)」
失敗前提の質問。
心臓が強く鳴る。
「……I will reconsider……(再度考え直します)」
「No. Reconsider what? Your dream? Or your method?(いいえ。何を再考するのですか?あなたの夢ですか?それともその方法ですか?)」
矛盾を突かれる。
これだ。
今まで足りなかったのは、これだ。
『崩す質問』
「さより……いつから、こんなに英語」
さよりは一瞬だけ目を伏せた。
「TOEICのときです」
「え?」
「かずや先輩が始めたとき、私も始めました」
さらっと言う。
「なんで」
「……置いていかれたくなかったので」
小さく、でもはっきり。
胸の奥が、静かに揺れる。
「それと」
さよりは続ける。
「英語面接を調べました」
ノートを差し出す。
そこには・志望理由深掘り質問 ・矛盾確認質問 ・倫理系追撃質問 ・聞き返し用フレーズ ・沈黙回避フレーズ。
びっしり書かれていた。
「“That's an important question.” “Let me think for a moment.” “From my perspective.” 時間を稼ぐ表現です」
現実的すぎる。
「聞き取れなかった場合の表現も “Could you please repeat the question?” “I would like to clarify the question.” 的外れな回答より、聞き返す方が評価は下がりません」
どこまで調べたんだ。
「あと」
スマホを取り出す。
「録音します」
「は?」
「話すテンポが一定でないので」
逃げ場がない。
再開。
「“Why do you deserve to be admitted more than other candidates?” (他の受験者よりも、なぜあなたが合格に値すると言えるのですか?)」
来た。核心。喉が乾く。
「……I don’t know if I deserve—」
「Stop」
さよりの目が、少しだけ強くなる。
「推薦は、“あなたじゃなきゃいけない理由”を言う試験です」
静かな一撃。
「遠慮は不要です。謙遜は減点要素です」
心臓が強く打つ。
「自分を売り込む練習をしてください」
俺は息を吸った。
「I have faced failure. I rebuilt myself from the basics…… (私は挫折を経験しました。そして、基礎から自分を立て直しました……)」
言葉が続く。
止められない。
録音が続いている。
終わったあと、さよりが再生した。
自分の声が、少し震えている。
「ここ」
秒数を指差す。
「この沈黙、二秒以上あります」
数字で突きつけられる。
「沈黙は悪ではありませんが、意図が必要です」
怖いほど冷静だ。
「さより」
「はい」
「なんで、ここまで」
しばらく黙る。
「先輩が『背負う癖』があるからです」
岡田先生と同じ言葉。
「背負わせないために、裏で支えます。このくらいのことでしか、かずや先輩にお返しできないんで」
感情は乗せない。
でも、それ以上のものがある。
「私は受験生ではありません。だから、焦らずに分析できます」
でも、その指先は、少しだけ白い。力が入っている。
「……ありがとう」
言うと、さよりは一瞬だけ目を逸らした。
「さあ、まだ終わってませんよ」
ノートを閉じる。
「明日もやります」
決定事項らしい。
「毎日、短時間でいいです。筋トレと同じです」
言い方が、いつものさよりだ。
でも。その夜、帰り際。
「和也先輩」
「ん?」
「面談で勝ってください。そして合格してください」
いつもより、声が低かった。
「私の行ったことが、意味を持つように」
その一言で、全部理解した。
さよりは冷静なんかじゃない。
ただ、方法を選んでいるだけだ。
感情で支える人じゃない。
構造で支える人だ。
俺はノートを握った。
英語面談は、英語の試験じゃない。
自分を出す試験だ。
そして……。
俺は一人で受験するわけじゃない。
裏側で、ここまで準備してくれている人がいる。
胸の奥の違和感が、少し形になった。
足りなかったのは、覚悟を、言語化する力。
さよりは、それを鍛えに来たのだ。
俺は小さく息を吐いた。
「わかった。明日も、よろしく」
「はい」
さよりは頷いた。
その目は、受験生の目だった。
自分は受験しないのに。
「かずや先輩!」
「うん」
「合格したらお願いしたいことがあります。絶対に合格してくださいね!」
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